木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』
はじめ『奇跡のリンゴ』の本の表紙を飾る木村さんの笑顔を見たとき、私は80歳くらいのおじいさんかと思った。ところが1949年うまれとあるから、まだ60歳にもなっていないのである。野外での作業によって日にも焼けるであろうし皺も深くなるであろうけれども、歯がないのには驚いてしまった。
木村さんはリンゴの葉と自分の歯を引き換えにした、と笑っているそうだが、木村さんはもう貧乏ではないのだし、今では日本国内はもとより海外まで、講演や農業指導に出かけられるそうなのだから、歯がなければ発音が悪かったりして、聞き取れないこともあるのではないか。やはりちゃんとメンテナンスなさったほうがよろしいのでは、と私は言いたいが、まぁいいか、よそのうちのだんな様のことだから、、、。
さて木村さんは無農薬、無肥料でのリンゴ栽培に挑んで6年目にして自殺することにした。農薬に代わるあらゆる物を使って実験をしてみたが手ごたえはなく、一家は窮乏のどん底にあった。
津軽のリンゴ生産農家で800本のリンゴの木を所有していればお大尽とよばれ、バーへ行けば上客、雪の積もる冬にも出稼ぎなど行かずとも裕福に暮らせる身の上ではあった。それなのに今では“かまど消し”と後ろ指をさされ、水田は売り払ってしまい7人家族が満足に食べる米もなく草を食べる日もあったのだ。親戚からの冠婚葬祭にもお呼びはかからなくなった。しかも木村さんは入り婿である。義父母も妻もこの試みに一言の反対もせず、どん底の生活を共に耐えてくれていた。
自分がいなくなれば、今よりも家族は幸せに暮らせるであろう、、、。木村さんはロープを肩にかけ岩木山を登った。満月の夜であった。2時間ほども登りちょうどいい具合の木を見つけると、持ってきたロープを枝に投げた。
するとそのロープの端があらら、指をするりと抜けあらぬ方向へ飛んでいった。この期になってもヘマをする、と思いながら山の斜面を降りかけて、木村さんは冴えわたる月の光の中であるものを目にしたのだった。それは天啓のごとくに木村さんに次になすべきことを教えてくれた。
木村さんがそれまで見ていたものはリンゴの幹、枝、葉など地上に出ているものであった。けれど岩木山へ行き、山の木々が農薬もふらないのに青々と葉を繁らせているのを見て、目に見えないリンゴの根、土壌の働きに目を向けねばならないことに気がついたのであった。
そうして苦節9年目にしてようやくのことで白いリンゴの花が咲き、11年目にやっとのことで、こぶりながらリンゴを収穫することができたのであった。めでたしめでたし。
我が家にリンゴの花が咲いた、という話をしていたらある人が、○○さんのうちにもリンゴの木があるよーと教えてくれた。さっそくその木を見に行ってきた。幹は15センチほどの太さで枝は茂り、20個ほどの実をつけていた。かわいいねー。(写真がそうです)それで五島でもリンゴの実はなるのだということがわかった。するとうちのリンゴの木にも実がなる可能性があるということなのだ。それで私は前にもましてうちのリンゴの木に声をかけることにした。「来年は花を咲かせて実もならせてねー」と。
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