木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』

Pict0138 はじめ『奇跡のリンゴ』の本の表紙を飾る木村さんの笑顔を見たとき、私は80歳くらいのおじいさんかと思った。ところが1949年うまれとあるから、まだ60歳にもなっていないのである。野外での作業によって日にも焼けるであろうし皺も深くなるであろうけれども、歯がないのには驚いてしまった。

木村さんはリンゴの葉と自分の歯を引き換えにした、と笑っているそうだが、木村さんはもう貧乏ではないのだし、今では日本国内はもとより海外まで、講演や農業指導に出かけられるそうなのだから、歯がなければ発音が悪かったりして、聞き取れないこともあるのではないか。やはりちゃんとメンテナンスなさったほうがよろしいのでは、と私は言いたいが、まぁいいか、よそのうちのだんな様のことだから、、、。

さて木村さんは無農薬、無肥料でのリンゴ栽培に挑んで6年目にして自殺することにした。農薬に代わるあらゆる物を使って実験をしてみたが手ごたえはなく、一家は窮乏のどん底にあった。

津軽のリンゴ生産農家で800本のリンゴの木を所有していればお大尽とよばれ、バーへ行けば上客、雪の積もる冬にも出稼ぎなど行かずとも裕福に暮らせる身の上ではあった。それなのに今では“かまど消し”と後ろ指をさされ、水田は売り払ってしまい7人家族が満足に食べる米もなく草を食べる日もあったのだ。親戚からの冠婚葬祭にもお呼びはかからなくなった。しかも木村さんは入り婿である。義父母も妻もこの試みに一言の反対もせず、どん底の生活を共に耐えてくれていた。

自分がいなくなれば、今よりも家族は幸せに暮らせるであろう、、、。木村さんはロープを肩にかけ岩木山を登った。満月の夜であった。2時間ほども登りちょうどいい具合の木を見つけると、持ってきたロープを枝に投げた。

するとそのロープの端があらら、指をするりと抜けあらぬ方向へ飛んでいった。この期になってもヘマをする、と思いながら山の斜面を降りかけて、木村さんは冴えわたる月の光の中であるものを目にしたのだった。それは天啓のごとくに木村さんに次になすべきことを教えてくれた。 

木村さんがそれまで見ていたものはリンゴの幹、枝、葉など地上に出ているものであった。けれど岩木山へ行き、山の木々が農薬もふらないのに青々と葉を繁らせているのを見て、目に見えないリンゴの根、土壌の働きに目を向けねばならないことに気がついたのであった。

そうして苦節9年目にしてようやくのことで白いリンゴの花が咲き、11年目にやっとのことで、こぶりながらリンゴを収穫することができたのであった。めでたしめでたし。

我が家にリンゴの花が咲いた、という話をしていたらある人が、○○さんのうちにもリンゴの木があるよーと教えてくれた。さっそくその木を見に行ってきた。幹は15センチほどの太さで枝は茂り、20個ほどの実をつけていた。かわいいねー。(写真がそうです)それで五島でもリンゴの実はなるのだということがわかった。するとうちのリンゴの木にも実がなる可能性があるということなのだ。それで私は前にもましてうちのリンゴの木に声をかけることにした。「来年は花を咲かせて実もならせてねー」と。

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リンゴの白い花が

信州を旅したのは19の秋。初めて松本駅に降り立ったときの凛とした冷気は忘れられない。深々と霧が立ち込める美ヶ原を歩いたものだ。そのときPict0113 リンゴの紅い実が生っているのを初めて見たのだった。なんとかわいいのだろう。それは道端にぽつんと立っている一本のリンゴの木だったのだが、誰に採られることもないらしく、たわわにみのっていた。

それからというもの、リンゴの花が咲く季節にまた、信州を旅したいと思い続けてきたが、この歳になるまでその機会にはめぐまれていない。

おととしの今頃のこと、園芸店でリンゴの木を見かけた。三割引で660円也。王林とつがる。植える所もろくにないのにと思いながらも買わずにはおれなかった。実なんかならなくてもいい、花さへ咲いてくれれば、、、。そんな気持ちだった。

ひょろ~んと長いだけの苗木を持ち帰り早速植えた。狭くて日当たりのよくない場所しかなかった。そして今年、五月にはいってすぐ、そのうちの一本(それはちょっとは日当たりのましな方の木だったのだが)にたくさんのつぼみがついているのを見た。

数えたら全部で40個もあった。リンゴのつぼみは初めは紅い球体だった。ほころびはじめるとだんだん薄紅いろ、そして開ききるとほとんど白くなってきた。私は木村さんのようにリンゴの木に声をかけた。

「リンゴの木さん、花を咲かせてくれてありがとう。来年もまた花を咲かせてねー」 さすがに実をならせてねー、とまでは言えなかった。

木村さんとは世界で初めて無農薬、無肥料でのリンゴの栽培に挑戦した人である。農薬で作ると言われるくらい、リンゴの栽培にはきめ細かな農薬散布を必要とするそうだ。『防除暦』というのがあってそれにしたがってせっせと農薬を撒くのである。そうしないとリンゴは病害虫に負けて立派なリンゴを生産できなくなるのだ。

通常は春先のリンゴの発芽前から農薬の散布が始まり、秋の収穫期の約半年の間に十数回の農薬を散布するそうだが、木村さんはその一切をやめてしまったのだった。

木村さんが「枯れないでくれ」と頼んで回ったリンゴの木は、枯れた木もあったけれども枯れない木もあった。けれど、声をかけなかった木はおしなべて枯れてしまったというのである。それらの木は道路沿いであったり、隣のリンゴ園との境に面していたために、木村さんが気後れして、声をかけることができなかった木たちであった。木村さんはリンゴの木に話しかける姿を、周りの農家にみられたくなかったのだった。

そうか、木にも人の心は伝わるのか。私は育てている花々、木々、それらのすべてにこれからは声をかけることにした。  つづく。

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なた豆は希望の豆

004 阿蘇のふもとの道の駅のそこかしこに、その豆はお皿に盛られたり、枝ごと売られたりしていて気にはなっていた。それは“ジャックと豆の木”を連想するくらいにたくましい枝だった。

福岡のT市に住むAさんのうちで、玄関横に拵えたアーチにその豆の枝が絡んでいるのを見た時、思わずその豆はなんという豆ですか、と尋ねていた。

それは“なた豆”と呼ばれるものであって、若いうちはサヤごと食べることも出来るし、ソラ豆みたいに茹でて食べるのもおいしいそうである。もちろんアンコにだってなれる。

けれどもその豆には、ほかの豆には真似のできない特殊な才能があって、それは、根元の方からだんだんと上の方へ向かって花を咲かせ、実を生らせると、今度はいきなり方向変換をして、また根元の方に向かって、花を咲かせ実を生らせる、という得意技があるというのだった。

人は誰でも愛する者には必ず元の、いた所へ戻ってきて欲しいものである。朝「行ってきます」と言って家を出たら、夕方か夜には「ただ今」と帰ってきて欲しいものである。その願いを託して、その豆は植えられているということだった。

特に戦争中は戦地に赴いた夫や息子、想う人の無事の帰還を願って、なんでもどうでも帰ってきて欲しいというせつなる思いから、この豆は競うように植えられたこともあったのだそうである。

私は一番下の根元のあたりで、もうすっかり種になっているサヤを一つ所望し頂いてきた。中を開いてみたら、ピンクのような紫のような色をした、大振りの豆が6個現れた。いつ種を蒔いたらいいんですか、と訊いたら「来年春先ですよ~」とのことだった。

そうだ、私もアーチを作ろう。台所の窓から見える所にアーチを作り、毎年種を蒔き、人々に希望を与え続けたなた豆が、花を咲かせ実をつけるのを眺めよう。

それにしてもホントかな~。是非この目で確かめなくては、、、(^^)v

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夕顔はじつは夜顔だった

Yoruga Yoruga2 鉢に植えている夕顔がやっと咲くようになった。ところが玄関の外に置いているため、暗くなって咲いているのを実際に見たためしがない。朝になってしぼんだところを見るばかりなのである。

ところで、あちこちで、夕顔からはかんぴょう(干瓢)が取れます、と書いてあるのを見るけれど、うちの夕顔ときたら、朝顔より大振りな種子がとれるばかりで、かんぴょうが生産できそうな大きな実など出来てこないのである。このことは20年来の疑問であった。

ところがこの頃になってネットで夕顔の欄を見ていて疑問が氷解した。私の夕顔は実は“ヨルガオ”なのだった。

夜顔・・・ふつう、夕顔の名前で呼ばれるが、本当の“夕顔”は瓜科で実からかんぴょうを作る全く別の植物です、、、という記述を見つけたのだった。

なぁ~んだ、そういうことであったのか。夕顔じつは夜顔だったのねー。けれど夕顔からかんぴょうが取れるとなると、源氏物語の“夕顔の巻”はかなり印象が変わってくるのではないだろうか。はかなさが売り物の夕顔から、かんぴょうが取れるなんて、、、。やはり源氏物語の夕顔はかんぴょうの取れない夜顔に違いない。

(さて写真は我が家の夕顔、もとい夜顔、ではありません。去年は台風が来ると家の中に入れたために、花が咲くのを首尾よく眺めることも写真を撮ることもできたのですが、今年は台風襲来に備えて家の中に入れることもなくて写真を撮ることがないのですね。それでよそ様からの借り物です)

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今日の園芸

Kutinasinohana_2 ×月×日 園芸店でペチュニア10本と日々草を10本買った。花壇の中でだいぶんくたびれてきたパンジーを引き抜いて、交代させようと思ったのだが、パンジーがいちようにこちらを見ているので、「もうあなた方いらないワ」とはなかなか言えない。よく見るとパンジーのお顔もさまざまで、明るく朗らかに笑っているのもいれば、苦渋に満ちみちた顔をしているのもある。かと思うとムジナみたいに目鼻がないのもあるのだ。可哀相なのでもう少しいてもらうことにして、ギュウギュウ詰めだけれど日々草などむりやり植え込む。

ペチュニアは簡単に発根してくるのよーと教えてくれた人がいたので、早速試してみた。ほーんとだ、なんでもなかったように花を咲かせてるからそれでいいんだねー。ついでに日々草もやってみる。

園芸店では夕顔のかなり大きくなったのも売っていたので、そうだ、種まきするのを忘れていたよー、と急いで鉢に種をまく。夕顔といえばわからないことがある。それは夕顔からかんぴょうができる、と書いてあるのにたびたびお目にかかるのだけれど、私の夕顔の種はちょうど、抜歯した犬歯みたいな形をしていて、20年来そういう種子しかできないのである。かんぴょうができるからにはもっと巨大な実がなるはずでは、、、?

去年の7月6日には“くちなしの花”というタイトルで記事を書いたが、すぐそのあと、挿し木したくちなしのちいさな枝が20本程、ほぼ100%根差ししたらしく、小さな白い花を咲かせている。2週間経ったあとで挿し木したものは全滅だったから何事にも旬というものがあるのかな。その時の記事は以下のごとくですから、また読んでくださいねー。我ながら気合のはいった記事でしたのよー^^

http://hanamizuki-sy.cocolog-nifty.com/blog/2006/07/post_a123.html

さて夜になって家計簿を開き園芸店のレシートを見ていたら、あらら、ペチュニア11本、日々草10本と計算しているではありませんか!10本ずつ買ったのになー 105円ソンした~ とちょっとばかり凹んでて、翌朝花壇へおもむき数えてみたら、、、、。お店の人が正解でした!

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冷気と闇の深さに耐えて朝顔は咲く

002_1 庭のロウバイの根元を見たら、沢山の朝顔が芽をだしていた。毎朝、可憐な花を咲かせてくれる朝顔をみると、ちょっと元気を貰った気がするのだが、五木寛之著『生きるヒント』にこんな話が書いてあった。

「ある朝顔研究家の話です。学生時代から朝顔がどうして朝、決まった時間に見事な大輪の花を咲かせるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でも続け、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。

朝顔は夜明けに咲きます。ふつう私たちはそれを朝の光を受けて朝顔が花を開くのではないかと考えます。しかし、その研究家のたゆまぬ実験の結果、朝顔の花が開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不十分であるということがわかったのだそうです。24時間、光をあてっぱなしにしていた朝顔のつぼみはついに開きませんでした。朝顔のつぼみは朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした」

私たちは朝顔の花を見て、わぁ~きれいね~、いろんな色があるのね~、などと言っておしまいなのだけれど、朝顔が花開くためには、夜の冷たさと闇の深さが不可欠である、ということを知れば、そんなところにも生きるヒント、生きる希望がかいまみえるような気がする。

冷気と闇夜に耐えて、私たちも大輪の花を咲かせましょう!(さてどんな花?)

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これが至福というもの

Botann_013 若い頃は草取りなど苦痛でしかなかったけれども、今では草取り大好き人間になってしまった。草取りなどは永遠に機械化できないのではないだろうか、と思っているのだけれど、一本一本の小さな草を識別しながら引いていくのは、どうしても人間の目と手を必要とするのであるから機械にお任せなどできないのである。

草取りが苦痛でなくなったのは一つには草取りのプロからいろいろ学んだからではないかと思う。私がプロだとみなして尊敬たてまつっているMさんは長い間、野や山に出て草刈や草取りを専門にしてきた人であるから、なんといっても詳しい。

Mさんから教わったことで一番大切なことは草取りをする時のその服装についてである。スキーをする時にはスキーウェアを着るように、登山をする時にはそれなりの服装をするように、草取りをする時にはきちんとした草取りウェアを装着しなくてはならぬ。なぜならば自然界にはいろいろと危険が満ちみちているからである。おソトには蜂もいるし茂みの中にはヘビもいるかもしれない。柚子の木の下にはトゲが落ちていることもある。犬のウン○を掴むことだってあるかもしれない。お天気だっていつ急変するかもしれないのだ。それらからわが身を守るためには、それなりの防御服が必要となってくるのである。

私はMさんの出で立ちを観察し、まねをすることでだんだんとそれらしい服装をするようになってきたので、今では押しも押されぬ草取りおばさんの風采になってきた。

Mさんは必ず一番上にはビニール製のヤッケを着ている。そしてちょっとした用事で家の中に入る時などは家の外で脱いでしまって、汚れを家の中に持ち込まないようにしている。またヤッケだと洗うのも簡単だから、膝をついたりお尻をつけて座り込んだりしながらラク~な姿勢で作業をすることができる。

ある時私は、長靴(冬だろうが夏だろうがいつも長靴をはくように指導された)を脱ぐ時に中からパラパラと砂やら泥やら出てきて困るのよねー、と言ったことがある。

するとMさんは言った。まずジャージーのような、下にはいてるズボンを長靴の中にたくし込み、上からはいてるヤッケの裾はわざと長靴の上にパラリと出しておくといいのだ、と言ったものである。へぇ~、そうなんだ。目からうろこ。簡単なことだけれど、これは訊かねばわからなかったことである。まさにコロンブスのたまごであった。それ以来、長靴の中にはいるゴミからは解放された。

家の近くには銀行の社宅、教員住宅、医師住宅などあるけれど、奥様がたは草取りが苦手らしく、家の周りを草ボーボーにしているうちも多い。私は思うのだが、奥様がたは草取りの仕方や、使う道具や服装について、学んだことがないのではないだろうか。学んでしまえば草取りは実はとっても楽しいものなのである。

いろいろとモノ想いながら、あるいは誰かとおしゃべりしながらの草取りはとても楽しい。この頃だとウグイスがホーホケキョと(今年のウグイスはとてもお上手!)さえずるのを聞きながら草取りに励む時、幸せだな~、これが至福と言わずになんと言おうか、、、と草取りおばさんは思うのでした。

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幸福の黄色いスイカ

_049 _047_2 黄色いスイカを42個、産出したスイカ畑を視察に行ってきた。タタミ12畳くらいのなんの変哲もないスイカ畑。

それでもゴロゴロとスイカが転がっていた。畑の両端には太さも長さもまちまちの竹が差し込んであって、それは台風が来ればひとたまりもなさそうに、はかなげに立っていた。(今年はまだ台風はきてなくてラッキーだった。)

 竹と竹の間を黒いナイロンの糸と、透き通ったつり糸が適当に張られていて、真ん中へんでは、たら~りと垂れ下がっていた。その糸の間隔も高さもまことにいい加減で、これがほんとうに、カラス除けになったのだろうか、と半信半疑なのであった。

私は、畑の持ち主 H さんに言ってみた。カラスはこのスイカ畑のこと、知らなかったんじゃない? それでつつきに来なかったんじゃないかと思うケド。 すると Hさんは断固として言うのだった。カラスは確かに知っていた、けれどなぜだか近寄らなかったのだと。

 まぁ、いいや、どっちでも。実は Hさんが畑にあるスイカ、もう家ではいらないから全部なぎささんに差し上げます、9月半ばまでに貰っていってね、次の段取りがあるから、、、と言うのだ。

 いっぺんにスイカ長者になってしまってどうしましょう?ざっと数えても15個くらいはあった。うれしい悲鳴ってこういうことね。ほんとに黄色いスイカは幸福のスイカ。

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私のアイビー

_007_6 5,6年前のことだけれど関西空港のコンコースを歩いていた私は我が家にはないうるわしいアイビーを見た。葉っぱの色はオリーブ・グリーンとでもいおうか、こぶりで、その枝垂れているさまは王侯貴族のお姫様という風情であった。私は「失礼」と言ってだれにも断らずに先端部分を5センチほど頂いてきた。

家に大切に持ち帰り、慈しみ育てていたら、数ヶ月もたつとア~ラ不思議、昔日の面影はどこへやら、その葉は深緑、葉脈も浮き出て、筋骨たくましいおあにいさんみたいになってしまったのだった。

深窓の令嬢とみたのは日照不足と栄養不良のせいだったのかしら、、、。五島の野や山に自生している‘つたかづら’とそっくり。

さて私は葉っぱに斑がはいったのやらフリルがあるのやら数種類のアイビーを持っているのだけれど、それらはどのような経緯をもってうちに来たかは、、、ご想像におまかせしたい。

先日、左官さんに薪ストーブのまわりにレンガを積んで貰ったとき、余ったレンガで玄関まえに小さな花壇を造ってもらった。土を入れてそこには迷わず私のアイビーをどさっと植えた。

おお、アイビーとレンガは実によくマッチするではないの!イギリスに行ったことなどないが、まさに英国風の趣がある。チャーチル英首相はただ、レンガを積む、という趣味があったそうだけれどそのレンガにもいつかアイビーが絡まっていったかもしれない。

レンガの花壇に植えられたアイビーを見ながら道行く人々にわたしはいいたい。「皆さーん!このアイビー、きれいねー、と思われたら、どうぞ黙って貰って行ってください。どうせ拾った恋だもの、じゃなくて、どうせよそ様から黙ってもらってきたアイビーなんです。ささ、どうぞ、どうぞ!!」

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くちなしの花

_001_1 水木かをる作詞、遠藤実作曲、渡 哲也が歌った「くちなしの花」は男心も女心も惹きつけたものか、30年以上たった今でも愛好者は多く、カラオケに行ったからにはこの歌を歌わずにはおれない、という友達もいる。

先日新聞を読んでいてこの歌がどのようにしてできたのかを知った。まずあるところで、著名人に戦没学徒の遺書を朗読してもらう企画があった。その担当者である山口光昭氏は依頼に行った曽野綾子宅で宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集「くちなしの花」を見せられた。その中に恋人を思って綴った詩があった。

俺の言葉に泣いた奴が一人

俺を恨んでいる奴が一人

それでもほんとうに俺を忘れないでいてくれる奴が一人

俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人

みんな併せてたった一人、、、。

    (大光社刊『遺稿くちなしの花』から)

この詩のことを山口氏はずっと忘れることができなかった。渡 哲也の新曲をてがけることになった時、詩からにじみでる男の強さと優しさを秘めた曲を作って欲しいと依頼したのが遠藤実氏だったという。遠藤氏もこの遺稿集を読み、曲想を得て「くちなしの花」という不朽の名曲(とわたしは思っているのだが)が出来上がったのであった。

うちの庭のくちなしは例年だと6月20日頃咲くのだけれど、ことしはなぜだか遅かった。ふっと匂うので足元をみやればくちなしの白い花が咲いていた。これからこの白い花を見る度に、24歳の命を大空に散らせた若きパイロットのことを思うであろうし、『くちなしの花』を聞けば「いい歌ね~」だけではすまないことになるであろう。

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死ぬほどビールが好きだったのね

_012 この4月はじめにキュウリとオクラの種を蒔いたのだけれど、かわゆい芽が出てきたと思ったら何者かに食べられ、また蒔いて、また食べられ、もう無理ね、と諦めかけていた。すると、犯人はナメクジだからビールを置いていたらいいですよ、と教えてくれた人がいた。

それでゼリーのはいっていたプラスティックの容器などにビールをいれて楽しみに待つことにした。(残り物のビールを知り合いの割烹やさんにわざわざ貰いにいった)

翌朝、見に行くと、ワォ!幾万ともしれぬ(これはちょっとオーバーですね)ナメクジがビールの中で溺死していたのである!ナメクジ退治用の薬もいろいろあるらしいけれど、ビールがこんなに霊験あらたかだったなんて知らなかった。

今、キュウリは家の中で大切に育てている。もう少し大きくなるまでオンバヒガサで育てるつもり。オクラはご近所から苗を頂くことになった。

さ、これがそのナメクジですといって、ナメクジの写真をお見せする訳にはいかないので、バラの花の写真を。このバラはなにを隠そう去年の母の日に自分で買って自分で植えたバラの木である。

その名は センチメンタル (フロリバンダローズ)

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あかい孔雀サボテンが咲きました

Monn_003 今朝見たら紅い孔雀サボテンが咲いていた。これは我が家で初めて咲いた紅いサボテンである。もう何年もうちにいたけれど、冬の寒さに耐えられなかったり、台風でコケたり、蕾をつけたなー、と思っていると何者かに食べられてしまったりの悲運に見舞われ、なかなか花をつけることが出来なかったのである。

ちょっと遊びにきた親戚のおじさんに「ほらね、きれいでしょ。」と言って、うつむいていたサボテンのお顔を上げて見せたら、なんだか気のなさそうな素振りなのである。「あら、ちっとも感動しないんですね!」と言ってみたら「うちのには20も咲いてるからねー。」ですって。おじさんの勝ち~!

ヒロインの名前をなんとしたらいいものかと「風と共に去りぬ」の作者マーガレット・ミッチェルは大いに悩んだそうである。燃えさかる火のような烈しさを秘めた美貌の女性にふさわしい名前をなんとしよう。そして膨大な資料に当たり、選び抜かれた名前がSCARLETT。語尾のTがひとつ足りないSCARLETは緋色、深紅色の、という意味なんだそうである。緋色ってどんな色かしら。もしかしたら紅い孔雀サボテンのような色かも知れない。そうだとしたら緋色はスカーレットに最も良く似合う色のような気がする。ミッチェルってさすが。

(スカーレットとレットの愛の行方について早く書きたいんだけど、なかなかそこに到達できないでいます。明日とあさってもブログはお休みです。福岡、三越までこの夏のパリ・モードの帽子、見に行こうかと思っていますの。それってホントーですか?って調べに来る人いないよね!)

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ほったらかしててごめんね アボカドの木

_006 _007_4              このところブログ上ではアボカドがクローズアップされているので私は急いでアボカドの鉢を見にいった。庭の隅にションボリと立っていたアボカドの木をよいしょと広い所に連れてきて、葉っぱの埃を拭いたり根元の草を引いたり水をかけたりとかいがいしく世話をした。

アボカドの木にしたら「なんで今頃になって私のこと振り向いたの?」と言いたくなるかもしれない。今までずーっと日陰の身で忘れ去られていたのに、にわかに陽の当たる場所に引き出され、さ、写真を撮るんだからきれいにしましょう、とかいって大事にされはじめたのである。この世の有為転変を身をもって味わっている事であろう。

さてこの木は4年まえの6月に種を埋めていたものである。5個の種は首尾よく発芽してスクスクと大きくなっていたのだが、冬の寒さに耐えられなくて二本はすぐに枯れてしまった。私がもうちょっと優しい人であれば、寒くなってきた時家の中に入れてやっただろうが、私はあまり優しい人ではないので放っておいたのである。

その頃私はアボカドの種を、ヒヤシンスの水栽培みたいにして育てたことがある。窓際において観察日記まで書いて眺めていたある日、硬い皮がポッカリと割れて、小さな根が伸びてきたのだった。それからやがて可愛い芽もでてきて私達を楽しませてくれたのだった。

そうだ、またヒヤシンスのガラスの鉢で育てよう、と思った私はアボカドの種をガラスの口に置いてみた。ところがそれはちょっと小さくて、中にポチョンと落ちてしまったのである。やはり二個で158円のアボカドの種では小さくて無理ということですね、せめて128円か150円のアボカドの大きさでないと、種はスルリと水没してしまうことになるでありましょう。

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どうして今まで気づかなかったのだろう

      知らなかったよ

      こんなにきれいだったなんて

      すぐそばにいて

      知らなかったよ

         星野富広著  「かぎりなくやさしい花々」より (どくだみ)

あるうちの玄関に待宵草と、どくだみが生けてありました。竹で編んだ籠にさりげなく生けてありました。花材となったどくだみを初めて見たときはっとしました。よく見るとどくだみの花はとてもきれいでした。

草取りをする時、「どくだみははびこるからねー。」などといいながら引き抜いていましたが、それからというものはじゃけんに出来なくなりました。

もうすぐどくだみの花が咲く頃だと思います。

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この木をあなたのために

_007_3 今日は五島は春の嵐が吹きあれています。私のかいどうも風に大きく揺れています。

この木がうちにやってきた日のことを思い出しました。

5年前の今頃のこと、知り合いの植木屋さんがこんなふうに言ったのでした。

「おくさ~ん、この木はね~、かいどう、と言ってね~、おくさんのために買うてきたんですよ~。」 とのんびりとした口調でいったのでした。

わたしは「えっ?私のために? でもどうして?」 これはプレゼントなのか有料なのか判然としないまま、かいどうの美しさに心奪われたわたしは、大いに喜び感謝しお礼をいって

「では、ここに植えて下さい」と頼んだのでした。

数日後、請求書の明細を見て、このかいどうは贈り物ではなく有料であることが判明したのでありました。

でもいいのです、贈り物でなくても。 私はこの世にこんなに美しい花があるとは知らなかったのです。それをはるばると海を越えて我が家にもってきて‘わたしのために‘植えてくださったのです。

植木屋さん 有難うございます、心から感謝します!

それから何日かたって、私は近くの知り合いのうちに行きました。するとそこの玄関横にもうちのと同じようなかいどうが植えられているではありませんか。聞いてみると、あの植木屋さんが植えていったのだそうです。ここでも「おくさんのために~。」と言ったのかな、とちょっとおかしくなりました。

植木屋さんは確実に二人の女を幸せにしてくれました。「おくさんのために」 と言ってくれて幸せ、毎年この可憐な美しい花を眺めて幸せ。

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ぼたんの花が咲きました

皇太子妃雅子さまの婚約発表があった頃、小和田家の玄関前に置かれていたぼたんの木。テレビの画面に写る時その美しさに見入りました。_003 _038 それからぼたんの花は見過ごせなくなりました。写真のぼたんは我が家で一番最初に開いたぼたんです。朝、つぼみが開きかけたと思ったら、お昼ころには満開になっていました。

         _047_1      1年のうちぼたんの花を楽しめるのはせいぜい10日間くらいでしょうか。けれども小さなつぼみがだんだんと大きくなり、やがて 大輪の花を咲かせるようになるまで、これほど楽しみなものはないように思わ

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ホーホケホケ

やわらかい春のひざしをあびながら草とりをしました うぐいすが鳴いていました

それがホーホケホケと聞こえるのです 修行中なんだろうか それとも五島弁なんだろう

とみんなで笑ってしまいました 

もみじが小さな芽を出しているのをあちこちで見つけました _023_1 _031

小さいけれど一人前にお手々広げていました

こんな所で大きくなっても困るだろうなぁ~

とおもいましたが、それはずっとあとのこと 当分の間このままで大きくなってもらうことに

します

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この花は

_014 洗濯物を干そうと外に出てみると、ふんわりとなにかいい匂いが漂ってきました。あらあら、薄い黄色の小さな花が咲いているではありませんか。

これは10年くらいまえに植えた月桂樹の花なのです。買ってきた時は30センチくらいでしたが今では3メートル位になりました。10年たってやっと花を咲かせたのですね。

花冷えのするこのごろ あたたかーいシチューなど食べたくなりました。(^_^)

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かいどう は

_008_1こんな花 です 写真をクリックしてみてください 

きれいでしょう(^_^)

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外に出て

写真を撮ってはきたものの それから先の操作がわからないので助っ人の出現を待ちます('_')

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