メマイの季節(その2)

 九月の中ごろのことだったのだが、私はひどいメマイにおそわれた。頭がくら~っとしたかと思うともう目がまわり、立ってはいられなくなった。目を開ければ天と地がひっくり返るし、吐き気もするしで、じっと寝ているほかはなかった。三日間は水を飲むことさえ出来なかった。それなのに半日に一回はトイレに行きたくなるのだった。

 で、いつになく低姿勢で夫に「トイレに連れていってください」と頼むことになる。うつむくと吐き気がするので仰向けのままズルズルとひきずってもらうことになる。ところが私の体重のあまりの重さに耐えかねたのか、廊下のなかほどでしばらく放置された。どうしたのかなーと思っていると、ゴロゴロと引っ張ってきたのは、ビールなど重たいものを運ぶときに使っているキャリーだ。

 その上にエイヤッと私の上半身は乗せられ、ゴロゴロ、下半身はズルズルとトイレまで引っ張られていったのだった。文句を言う気力もなく、それはもう死体になって運ばれているような気分だった。

 河岸のマグロのようにじっと横たわったまま、いろいろなことを思った。松下幸之助は“四百四病の病いより貧(ひん)よりつらいものはない”と言ったそうだけれど、本当にそうだろうか。ベッドを半分起こしてもらって、美味しいものをパクパク食べたり飲んだり、読みたい本を次つぎと読んで、というようなことができる病人なら大歓迎だが、ふつう病人といったら、熱があったり痛みがあったり吐き気があったりして、おいしいものを食べるどころではないのだ。メマイがすれば目も開けていられないから本も読めない。

 貧しくても健康だったら、一日の労働が終わったあと、おいしく水をのみ、ささやかでも「オイシー!」と言って食事をすることができるだろう。どんな病いより、貧のほうがいいような気がするのだけれど、どうなのだろう。

 欲も得もなく寝ているとき、豊臣秀吉の辞世の歌を思った。

  “つゆと落ち つゆと消えにしわが身かな  浪速のことも夢のまた夢”

 来る日も来る日も、あくせくと暮らしているけれど、死んで行く日には一体なにを思うのだろうか。なにもかも夢のまた夢であったよなー、という感慨を持つのだろうか。メマイくらいでは死なないと思ってはいるのだけれど、ずーっとこのままだったら死んだほうがマシ、と思えてくるのだった。

 四日目にやっと一人で歩けるようになり外に出てみると、鉢植えの私の可愛いい子ちゃんたちが瀕死の状態になっているのを見た。私がメマイで寝ているあいだ、外はカンカン照りで水切れになっているのだった。

 黄色い花がポッカリと咲いてかわゆいアラマンダ、大株になっていた初雪カズラ、ピンクの小さい玉が可憐なジュズサンゴ(数珠珊瑚)、めずらしいツバキの幾鉢か。ワ~~ンと泣きたくなるのを我慢して大急ぎで水やりにはげんだら、あ~ら不思議。メマイはどこかに飛んでいってしまったのだった。残念ながら初雪カズラは枯れてしまったのだけれど。

 この前メマイになったのはいつだったのだろう。たしかブログに書いたよね、と調べてみたらなんと奇しくも!ちょうど三年前の同じころだったのだ。ということは、三年後にもメマイが起きるかもしれないぞ。その時は、、、キャリーの上に一枚、毛布でも敷いてもらって、それから死体を、ノン まだ生きているはずだけれど、もっとゆっくりと引っ張って欲しいものなりと夫に頼んだことでしたー^^。

 

 

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メメント モリ

 このところ、私のまわりでは立て続けに二人の人が亡くなった。一人は後期高齢者であったので、佐賀のガバイばあちゃんに言わせれば「惜しくない、寿命じゃ、潮時じゃ」ですんだのだけれど、Kさんはまだ63歳でしかなかったので、その突然の死は私たちに衝撃を与えたものだ。

 Kさんの訃報を聞いたとき、私はすぐに冷凍庫の中を見に行った。そこには私たちがふつう“クロ”とよんでいる魚が3匹、しっかり固まっていた。それは一カ月ほど前にKさんが我が家に持ってきてくれた魚だったのだ。Kさんが魚を持ってきたとき、私は家にいなかったので、あとで会った時にお礼を言った。するとKさんは「今度釣れたらまた持っていってあげますよ」とさわやかな笑顔で言ったのだった。 Kさんの奥さんはおおいに取り乱していた、と聞いたけれど、元気にしていた人があっというまに天に召されてしまったのだから、驚天動地の出来事だったにちがいない。

 実はわたしはこの年になっても、近親者の死に立ち会ったことがない。その時はいったいどうしたらいいのだろう。そんなことをMさんと話していたら、Mさんは少し前に実母を見送っていたので、そのときの話をしてくれた。なんでも「ご臨終です」とドクターから言われたあと、看護師さんが「ゆかたがありますか?」と訊いてくれたのだそうだ。Mさんは大急ぎで家にゆかたを取りに行った。看護師さんは清拭のあと、そのゆかたを着せてくれて、「おうちに帰ったら本人の好きだった着物などを上から着せてやったらいいでしょう」と言ったのだそうだ。「・・・だからなぎささん、ゆかたと細い帯をちゃんと準備しておいたほうがいいですよ」 

 私は早速準備に取りかかることにした。ゆかたなんてあんな暑いもの、もう何十年も着たことないけれど、あったかな、と探してみたらありました。紺地に白抜きの麻の葉もようのゆかた、まだ袖を通していないのが出てきたのだ。麻の葉というのは、なにか霊力があるらしく、赤子が首尾よく育つようにと、昔から産着として麻の葉もようの着物を着せたものだ。生まれ落ちたときに麻の葉もようの着物を着せられ、また死にゆく時に着せられ旅立つ、というのはなかなかいいものだ。そして白い絹の伊達締めを合わせたらワンセットできあがりだ。

 おぉ、そうだ。うちには男二人、女二人いることだし、順不同で誰から先に死ぬにせよ、男物も用意しておくべきではないか。で、白地のゆかたと博多織の帯もそろえた。(けれどこの帯は燃やして灰にするのはちと惜しい気もするなぁ・・・)では、今は暫定的にこれを置いておくけれど、あとでもっとチープな物にとりかえることにしようか^^ 

 それから私は、ある会合に出て貰ってきた“人が亡くなった後に行う手続きチェックリスト”という冊子とゆかたを赤いふろしきに包んだ。行方不明にならないようにタンスの上に置いておくことにした。私はいやでも通りすがりにこの赤いふろしき包みを見ることになった。

 ラテン語で、“メメント モリ”とは“死を思え”という意味だそうである。カトリックの学校へ行ったりすると、幼稚園の時から自分の臨終の時のために祈る癖をつけられ、しょっちゅうチリに還る人間の生涯を考えるように教育されるそうである。

 私は全然そんな教育は受けたことはないけれど、これからは赤いふろしき包みを見るたびに死を思うのだ。メメント モリ いい響きだ。このふろしき包みのことは家の者にも周知させておかねばなるまい。私は今のところずーっと長生きして、家族をちゃんと見送ってあげるつもりではあるけれど、ひょっとしたらもしかしたら、我が家で一番最初にあの世へ旅立つのはこのワタクシかもしれないのだ。私って薄命かも、、、。

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メマイの季節

 私は10日くらい前に、起きぬけに猛烈なメマイにおそわれた。ちょっとでも動くと目が回るし吐き気がするのだった。それでじっと目をつぶり静かに寝ていたのだが、そのうちトイレの限界がきた。上半身を起こしても横をむいても下をむいても、メマイと吐き気がするので、仰向けに寝たまま 夫に両足を引っ張ってもらってトイレに連れていってもらうことにした。ズルズルズル。

 イタタタッ ちょっと!敷居では減速してよね、背骨も頭もガタガタと痛いじゃないのさ。あら、ひょっとして笑った?笑うなっ!・・・こんなぶざまな格好してるのをシュウトメさんには見られたくないもんだ、と思いながら引っ張られているうちについに見られてしまった。母上は「病院に行ってくれば?」と言ってくれたのだが、ほんとうに具合が悪い時には病院に行く体力も気力もないものなのだ。

 それからというもの、動けば具合が悪くなるので枕元にラジオを持ってきてもらってボンヤリと聞いていた。ある時、生物学者で早稲田の教授だという池田清彦さんという人と女性のアナウンサーの対談があった。池田さんは次のようなことを言っていた。“僕たちの命というものは38億年前から連綿と続いてきているものであるから、この世で早死にだとか、長生きだとかいうけれど、その長さは大して問題ではない。だからボクは是非ともガンの早期発見をしなくちゃいけない、などとは思わない。あと三カ月の命です、と宣告されてから慌てたり泣いたりして、従容と死んでいけばいいと思っている、、、”というような発言だったのだ。(聞き間違えてたらごめんなさい)

 私はそれを聞きながら、あぁ~それもいいなぁ~、いちいち検診など行かなくてもいいか。と思ったものだ。子供たちは大きくなったことだし、ガンの発見が遅れたためにちょっとばかり早く死にました、ということがあっても誰も困らないのだ。なにがなんでも長く生きてやろう、と意気込むこともないのだ。

 さて三日間も寝て、やっと起き上がれるようになってから私は病院へ行った。あれやこれやの検査をしたのち、ドクターからは「あなたの身体の状態はベリーグッドです!」と言われたのだった。それでもしばらくは飲んでおくようにと沢山の薬を貰ってきた。ベリーグッドと言われても、まだ頭はふらふらするし、いまいち元気が出ない私は薬局でいろいろ買った。滋養強壮 肉体疲労  肩こり 栄養補給 ストレス緩和、、、。

 これまで私は、誰かが食後に薬の袋を取り出し、馬が食べるほどの薬を手のひらに乗せるのを冷やかに見ていたものだ。それがどうしたことだ。この私が、さっ!クスリ飲まなくちゃ!とばかりにいそいそと薬を取り出すのだ。っっったく、いつ死んでもいいわ!というのはあれは本心ではありませんね。池田先生はほんとうのところ、どうなのかしら?

 知り合いの薬剤師さんに聞いたのだけれど、この頃、中高年でメマイや吐き気を訴える患者さんがふえているのだそうだ。ある人は一晩中 便座にしがみついていた人もあったという。お肌の曲がり角ならぬ お年の曲がり角で、中高年はいろいろトラブルに見舞われる、ということかもしれませんね。

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このモモはおいしい!

 私は福島県にはいささか思い入れがある。大学に入学してすぐに仲良くなった友達は、筝曲の生田流名古屋派の師範だった。私は誘われるままに琴の手ほどきをうけるようになった。

 ある年の夏休みに、総勢10名ほどがそれぞれ琴をかかえ、電車を乗り継ぎ、福島県は磐梯山のふもとにある民宿に夏季合宿に出かけたのだった。

 見るからに温厚そうなおじさん おばさんが経営する民宿で、私たちは野菜を切ったり刻んだり、配膳やら皿洗いやら積極的に手伝った。民宿の裏口から外に出ると、そこには手入れの行き届いた野菜畑がひろがっていた。キュウリにナスにトマト、インゲンにカボチャ とうもろこし スイカに黄色いウリなどが、まるでアートのように美しく実っていた。

 キュウリやトマトをざっと洗い、チョンチョンと醤油につけて食べるとそれはもうおいしかった。新鮮な採れたての野菜はとくにどうしなくてもおいしいものだ。

 そして畑のまわりにはモモやナシなどの果樹が植えられ、ブドウの棚は心地よい日陰を作っていた。それはなんという豊かな美しい光景だったことだろう。

 うらうらとのんきに学生生活を過ごしたあと、私は南下することになり、五島列島に棲みついてしまったので、福島県より北には行く機会もなかった。現在のところ私の北限は福島県なのだ。

 先日、スーパーに行くと、大きくて立派なモモがかなり安い値段で売られていた。見ると福島県産のモモで、県知事さんの“このモモはだいじょうぶですよ~”というメッセージも添えられていた。けれどあまり売れ行きはよくないようで、近くにいたおばさん達は「皮をむけば、だいじょうぶなのかしらね」などと言ってはいたが、買わないで立ち去る人が多かった。

 けれど私は大の福島県びいきなのだから、誰がなんと言おうと買わずにはいられない。安くてありがたいな~、こんなことメッタにないわよね、とドサドサと買い込み、家族にも客にも食べさせた。福島県産のモモだとは言わなかった。というのは、私の友達が言っていたけれど、サクランボを買って「福島県のサクランボよ」と言ったら、だれ~も手を出さないので、一人でぱっくんぱっくん食べちゃった、という人がいたのだ。

 うちの者はみな、そのモモを「おいしィ~!」と言って喜んで食べていた。それは少々かたくて歯ざわりがよく、みずみずしくて、ほんとうにおいしかったのだ。

 私にとっては、まるで桃源郷のように思われたあの野菜畑は今ごろはどうなっているのだろう。原発と地震でみるかげもなく荒れているのだろうか。新聞記事によると、福島県は全国4位と日本有数のコメ所だそうだ。農家では早場米の収穫が始まるというのに、さっぱり引き合いがないというのだ。

 “まんざいらく”という品種は東北地方に古くから伝わる、地震時に無事を祈願して繰り返し唱えるまじないの言葉だそうだ。私は“まんざいらく”が店頭に並ぶことがあればきっと買うだろう。そして家族には黙ってこれを食べさせることにする。うちには一日でも長く生きていよう、と心がけている者もいるので、これはトップシークレットということにしよう。

 

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半径5メートルの幸せ

Pict0004 それは一年前のことだったか、二年前のことだったか、わからなくなってしまったのだが、テレビをつけたら一見して(失礼ながら)大年増に見えるのに何故か振袖を着て、背中には大きなチョウチョ結びの帯をして、ピアノの弾き語りをしている女の人が映っていた。

 何を歌っているのかな~と耳をすましたら、、、“スーパーでこっちのレジ係りの方がベテランで速いぞと並んでいたら、自分の番になる前に忘れていた牛乳かなにかの買い物を思い出し、ダッシュで取りに行き、やーごめんねごめんね、待たせたかしら”といったどたばたの歌詞なのだった。

 それからその人、秦万里子さんがインタビューで話していたのだが、彼女は半径5メートル以内のなんの変哲もない情景を、ある局面で切り取って歌にしているのだと言っていた。バーゲンセールで活躍する女たち、レジで待つ女たち、、、。なんでもハイクラスの音楽教育を受けているそうで、真面目に活動していたのだが、ある頃より主婦の視点で身の回りの出来事をピアノに乗せて歌うようになった。それが中高年の女性にうけて、今やひっぱりだこの活躍をしているのだそうだ。

 それを聞いていて私は、それは私のブログの記事と同じようなレベルだなーと思ったものだ。一年のうち350日ほどはこの小さな島にいて、行動半径としてはたかだか半径5キロメートルくらいだろうか。どこそこへ世界遺産を見に行きました、ということもなく、おしゃれなレストランで、こぉーんな美味しいごちそう食べました!というような話もまるでなし。華々しい話題など何もないのだ。そんな意味では秦万里子ワールドとまったく一緒なのだ。

 私はもう何年このブログを書いてきたのだろう。3年か4年くらいだろうか、と調べてみたらなんとすでに丸5年も書いているのだ。あいだでは長いブランクもあったけれど、それでも飽きもせずによくも書いてきたものだと思う。それもざっと読み返してみたらしょうもない話ばっかり。洗濯物の干し方についてだとか、外に置いたビールの中で、ナメクジが死んでいた話だとかどうでもいいような卑近な話題ばかりだ。

 しかしこのたびの大震災の被災者の方々にとっては、あの日、3月11日以前のありふれた暮らしは、どんなにかのどかで甘美なものであっただろうか。おじいちゃんは磯へ魚を釣りに行き、おばあちゃんは、もうそろそろかなと孫を迎えに行き、奥さんはご飯の支度を気にしながら近所のおばさんと立ち話。時には大量に獲れた魚で総出でかまぼこを作ったりしていたことだろう。それは当たり前のような幸せな日せ々だったに違いない。

大切な人を失い、津波に家をのまれ、職場を失った人々にとってありふれた日常生活がどんなにか幸せな営みであったことだろう。喪失感でうちのめされた人々にどういう慰めや励ましができるのだろう。私はノーテンキなブログなど書いていていいのだろうか。そんなことを思っていた今朝のこと。

 私は前回の記事で、岩手県の銘菓“かもめの玉子”のことを書いた。そして今朝、(4月7日)7時ころのニュースで「岩手県の菓子メーカーで操業が再開されました」とのアナウンサーの声を聞いて、私はもしや、と思い画面に見入った。するとそこにはベルトコンベアーからコロコロと流れてくるお菓子があった。あっ かもめの玉子だー!とすぐにわかった。それは ほんとうにゆで卵の形をした、“かもめの玉子”だったのだ。私はいっぺんで心がパーッと軽くなったような気がした。さぁこの勢いでどなたもこなたも元気になって欲しい。皆さんが元気になってくだされば、私もしょうもないブログをまた、書き続けることができるというものだ。

 

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時にはコバンザメのように

Cimg0019 お取り込みが続いたのち、疲れ果てている私を見て息子が言った。

「おかあさんもさ、コバンザメのように、もっとちゃっかり要領よくやればいいんだけどねー」

 へ~、コバンザメっていったい何?と訊いてみた。コバンザメというのは、姿形はサメそっくりなのだけれど、実はサメではないのだそうで、頭の上にある小判型の吸盤で、サメやらエイ、ウミガメなどの体にくっついて大海を泳ぎまわり、そろそろボスともお別れしようかと思うとあっさり離れていくような、そんな世渡りじょうずな魚なのだそうだ。

 大きな魚に寄生しているおかげで、天敵からは守られ、エサもおこぼれにあずかり、労なくして生きていけるのだ。

 どこでそんなコバンザメのことを学んだかというと、小学生のときTVでドラえもんの漫画を見ていて、そうだ、おいらもコバンザメのような生き方をしようと心に決めた、というのだった。なんでも“いただき小判”というアイテムがあったそうだ。

 うちのムスコも、このところ、なにかと口うるさい両親(我々のことだが)や祖母と同じ屋根の下で暮らし、ウンザリすることや、ヘキエキすることも沢山あるだろうけれど、自分なりの処世術で生きているのであろうと思ったことだった。

 しかし考えてみると、私なども小判ザメ的生き方を知らず知らずのうちに実践しているのだった。「家には老母がおりまして~」とか「ハハがこのように言っておりまして~」とか、ひとこと言えば世間様も納得してくれて、この私は世の中にしゃしゃり出ていかなくてもすむ、という素晴らしい特典を得ているのだ。有難いことだともっと感謝しなくては!!

 私はネットでコバンザメの生態を見た。大きなジンベエザメに鈴なりにひっついた コバンザメも見た。神様はなんとおもしろいものを創られたのだろうと唸ってしまったのだった。

 

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お金持ちでなくてよかった

035  ブラジルの大富豪というのは、日本の金持ちとは比べられないほどの金持ちだそうだ。とにかくスケールが違うのだと雑誌で読んだが、日本の金持ちがどんなふうだか皆目わからないので比べようがないが、ちょっとこの頃わかったのは鳩山さんちの金持ちぶりくらいか。

 さてブラジルの大富豪はお金がある割には不自由な暮らしをしているのだそうだ。まず大邸宅を出る時には、使用人が使っているような普通の車に乗り、それも一日に何度も乗り換えねばならぬ面倒さ。それとわかる上等クルマに乗っていると、交差点で止まっているときピストルでズドンとやられることもあるので、貧乏人風の風情でいなければならないのだ。

 大富豪の奥方もひとかたならぬ苦労がある。出かける時はメイド程度に身をやつし、これまたボロクルマでお出かけ。然るべき安全な所へ着いてから、化粧をしなおし、ドレスアップし、宝飾品などで身を飾ることになる。

 お子ちゃまもそうだ。お金持ちの息子、娘と一目でわかる立派な身なりをしていると、すぐに誘拐されてしまうので、ふつうの格好をして、ふつうの子供たちのあいだに紛れていないといけない。

 ではせめて、おうちの中では美衣美食して、のんびりしていられるかというと、これまたそういう訳にはいかないそうだ。使用人の中には悪党に手引きをする者もあるから常に細心の注意を払っておかねばならない。じゃ、警察に守ってもらおうか、とすると、あちらの警察というのはまったく信用ならず、オフの日には強盗団の一味として働いている輩もいるのだという。 

 お金持ちって大変。お金があるがゆえの苦労というものがあるものだ。貧乏人の子供が誘拐されたという話は聞いたこともないし、命を狙われるということも、まんず、ない。

  数日前の新聞記事におもしろいものがあった。“普段より多くの現金を手許に置いておく必要ができたとき、いくらぐらいあると心配で、そわそわするか”を訊いたところ、全体の半数が20万円未満でも心配になるという回答だったのだ。それでどうするかというと、「ゴミを捨てるために少し家を離れる時にも鍵をかけた」という人や、「一睡もせずに翌朝銀行に行った」という人、「誰かにつけられていないか、常に後ろを気にした」という人もいた。

 ほらね。一般庶民は20万円未満のお金でも大金であると認識し、なくしたり盗られたりしたら大変と、かなりのストレスを感じているのだ。 家の中に金目のものなんか何もない、となると戸締りすることさえどうでもよくなる。うちなんか、朝玄関を開けたら夜閉めるまで、家人がいようがいまいが開けっ放し。押し入ったところで何もない、ということが周知されていると気楽なものだ。

 障子の向こうのガラス窓が開いたまま、網戸一枚、ということを知らずに、朝になって「ワァ、あいてた!」と驚くこともあるが、天下泰平とばかりにクーツと寝ていたことも数知れず。ま、都会の暮らしではこんなふうにはいかないと思うけれど。 それで私は、お金がないってことはシアワセ、ありがたいわね~と思うことにしているのですよ^^。

 

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ロイヤルスマイル

Pict0023 左の写真はわたくしが撮りました、と言いたいところだが、実は友達の娘さんが撮影したものである。

その娘さんの職場ではオーナーはじめ全員が臨時休業して、両殿下の追っかけをしたのだそうだ。お二人がお見えになる日は朝早くから桟橋で待機していたそうだが、そこではいくらでもシャッターチャンスがあったというのだ。 おじいさん、おばあさんがしわくちゃな手を差し出しても気軽に握手に応じられたと言う。

近々と両殿下を見た友達が言っていたのだが、紀子さまが船から降りて来られたとき、まるで天女が舞い降りてきたかのような錯覚を覚えたと言っていた。シミひとつない白い美しい顔。絶えることのない笑顔。そそとした物腰。気品に満ちみちていたという。

私も近くの国道に出て、ご尊顔を拝したが、その昔、古典の時間に習ったように、“はづかし”はこちらが恥ずかしくなるほどに相手が立派だ、という意味合いだということを思い出させるような風情であったのだ。

さて私は送って貰った紀子さまの写真のうちの一つを携帯の待ち受け画面に貼り付けた。修養の足りないこのわたし。何かといえばすぐにイライラしてくるのだが、イラッときたらすばやくケイタイを取り出し紀子さまの笑顔を見ることにしたのだ。私は典型的な、外づらよくて内づら悪い人間なのだが、家の中でもにこやかにしていたらよさそなものなのに、それがなかなか出来ないでいるのだ。ほんとうに紀子さまはあの若さで、人知れぬ苦労もあろうというのにご立派だ。これからはあの笑顔にあやかり、こちらの機嫌も引き立てていくことにしようか。

さて友達は秋篠宮様にはあまり関心がなかったそうだが、パッと見た瞬間、何故かはわからないが、全身に鳥肌がゾクゾクと立ってきた、と言っていた。ああいう方たちには何か特別なオーラが出ているのだろうか。私も桟橋まで行けばよかった!なぜ行かなかったかというと、ほんとうはミーハーなのに、ミーハーじゃないふりをしていたかったからなのだ。なりふり構わず車をぶっ飛ばし、桟橋まで行けばよかったのになー。なにしろ天地開闢以来初めて、この島に皇族が足を踏み入れられたのだ。

マァしかしよかったよかった。高貴な方はちょっと波が高くてもおいでにならないところだったという。その日は少々暑かったがとてもいいお天気で、両殿下の素晴らしい笑顔を見れたのだ。希望者には紀子様の写真、無料配布しておりますよ(^_^)

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ガンジス川のように

 Pict0078 腹を立てるにもいろいろレベルがあるものだ。ちょっとカンにさわる、イラっとする、カチンとくる、猛然とむかっ腹がたつ、、、。その様相は様々だ。 しかし私としても腹を立てたいなどとは思っていないのだ。どうしたら腹が立たなくなってエレガントな淑女になれるのだろう。

 沖縄や奄美大島などに棲息するハブの話を聞いたことがある。発生の段階で、ヒトはハブと同じところにいたことがあって、その頃は同じような毒をもっていたのだそうだ。人がハブから咬まれるとたちまちにしてその人の筋肉が溶けてしまうそうであるが、実は人も依然として体内にハブの毒に匹敵する毒をもっているそうだ。ただしそれは普通の状態では現れないのだが、ひとたび人が怒ると、その毒が触媒かなにかになって、自分自身のたんぱく質を溶かすのだそうだ。それは科学的に正しく証明されていることかどうかはわからないが、怒ることが人の身体にとって、ちーっともよくないことだ、という訓戒のための話なのである。

 『怒らないこと』(アルボムッレ・スマナサーラ著)という本を買って読んだ。フムフム、なるほど。お釈迦様がそういうふうにおっしゃいましたか。徹頭徹尾いいお話だった。やはりそこでも怒りが内臓その他に悪影響を与えるということが書いてあった。腹を立てるのってほんっとによくないことなのね!じゃ、腹を立てるのは今日ただいまからやめましょ、と思ったとしても腹は立てずにおらりょうか、私は相変わらず腹を立てているのである。

 著者は書いていた。“ガンジス川のように、何があってもびくともしない心を作りましょう” 他人から何かを言われて腹が立ちそうになったら、“私は何を言われても、ガンジス川のような心で接します”と心で思いなさいというのだ。ガンジス川の流れに怒りの炎で燃えさかっている松明を浸しても、ガンジス川は痛くもかゆくもなく、平然としているではないか。ああいうふうになりなさいと。私はガンジス川を見たことなどないが、源流がどこにあるかもわからないほどに遠くからはるばると流れてくる川は、さぞかし悠然として逆巻くこともなく、王者の風格をもって流れているのだろう。

 一方日本には大中小3万本の川が狭い国土にひしめいているそうである。外国の川の専門家は日本の川を見て言ったそうだ。「日本の川は川ではなくFALL(滝)だ!」と。日本の川は忙しい。五月雨をあつめてはやし最上川、ではないが、超特急で駆け下る。日々あくせくと動き回り、人にまみれ、腹を立てる私自身のようだ。 

 この著者は驚くべきことに「見るもの聞くもの、まったく腹がたたない」境地になっているそうだ。しかし私は思った。スリランカから東京へやってきている偉いお坊さんを怒らせるような人が回りにいないんじゃないかと。職場へ行けば、おとりまきはメンタル的にはかなり高尚な人々ばかりに違いない。それからまた、お坊さんであるから妻帯していないかもしれない。奥さんがいればたいてい腹がたちそうなものだ。であるがゆえに外でも腹が立たず、家に帰っても怒らせる人がいないので腹も立たない、のではないか、というのが私の勝手な独断なのだけれど、よそのおうちではどうなのでしょうか?

 まぁそんなことはどうでもいいけれど、この頃身体のあちこちが痛いのは加齢のせいだと思っていたが、そうではなく、あまりにも腹を立てるので、ハブの猛毒に似たようなものがたんぱく質を溶かしているのではないだろうか。筋肉や骨が少しずつ侵食されていたりして。長生きするためには本気で腹を立てないように努力してみるかなー。何を言われようがされようが、ガンジス川のように慌てず騒がず泰然と。一番古いと言われている仏教の経典の最初に、「怒りを死に至るくらいの猛毒としてみてください」とあるそうなのだから。  

 

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雑種がええ

Pict0082 “ 雑種がええ”とは島田神助クンが何かの番組で言った言葉である。おもしろかったので、もう一回録画を見てみようと思ったのだが、どの番組だったかわからなくなってしまったので、記憶!で書いてみます、関西弁がおかしかったら笑ってやー。

 彼はこんなふうに言ったのだった。「メッチャきれいな女と付き合ってるとクタクタになるねん。けどな、付き合うんやったらきれいな女がええ。犬やったら、ミニチュアダックスとかポメラリアンやな。

 けど結婚するのやったら雑種がええ。何でもよぅ食べるし、病気もせぇへんし、外に寝かしておけばいい。」

 それを聞いて私はなーるほどねー、さすが神助クンと感心してアハハと笑ったものだ。やんごとない良家のお姫様をヨメに貰ったりしたら大変だ。食べ物着るもの寝る所、一挙手一投足に気をつかい、今日はご機嫌がうるわしいかどうかと、しょっちゅう顔色をうかがって暮らさねばならぬ。その点、出自が凡庸な雑種は気らくでよろしい。あくびをしようが寝転ぼうがよそに遊びに行こうが、どおってことはない。

 だがしかし、偉そうに“雑種がええ”などと言っていたらこのご時勢、ヨメハンをもらえるのだろうか。女だって男を選ぶ権利もあるし、断る権利もあるのだ。

 一昔前、女性が男性に求める結婚の条件として「3高」と言われるものがあった。高学歴、 高収入、高身長の三つだ。ところが今や「3低」と言われるそうである。低姿勢、低リスク、低依存。

 どういうことかとご説明いたしますと、まず威張らずに女性を大事にする人。安定した職業で確実にお金を稼ぐ人。 そして互いの生活を尊重して束縛しない人。こういう解釈なのだ。要するに扱いやすく、女性が主導権を握れる男性がいい、ということなのだ。

 しかも調査によると、東京では女性の4割が年収600万円以上を稼ぐ伴侶を求めているそうだ。それほど沢山稼ぐ男性はわずか3.5パーセントしかいないというのに、女性の要求水準は非常に高い。身の程を知らぬ彼女らの要求を満たすことが出来る男性は、、、残念ながらわずかだ。

 それに結婚とは実に煩雑な、くそおもしろくもない、、、(おっとっと、こういう言葉づかいではお里がしれますわね)人間関係を必然的に抱え込むことになっているのだ。シュウトシュウトメオオジュウトコジュウト、ムラジュウト(これは近所のうるさいおじさん、おばさんたちのことですね)その他もろもろ。そういうことをクリアして、嫁にきてくれる女はそうザラにはいないのだ。

 もはや結婚するのが当たり前の世の中ではなくなったのだ。日本人の95%が結婚できていた時代は今は昔の物語だ。縁談を持ち込んでくる親切なバーサマはもういない。会社はぎりぎりの雇用しかしないので、社内結婚の可能性も少ない。そんなこんなで巷には、結婚できない男や女があふれかえることになった。

 そういう社会現象もあるだろけれど、なにはともあれ、うちのムスコにもお嫁さんが来てほしいものだ。しかしムスコにすれば家にはうるさい父母、祖母が背後に控えているものだから雑種がええ、くらいではすまない。有言 無言の圧力に耐える強靭な精神力を持った雑種じゃないとなぎささんちにはつとまらないのだ。そんな雑種がいたら、誰か教えて!すぐにお迎えにいきますから。

 

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