神は細部にのみ宿る

Pict0131  “神は細部に宿る”という言葉に出会ったのは二年前くらいだろうか。台湾からやって来た金美麗という人が書いていたのだが、『神は細部に宿ると申しますから、日常生活の些細なことも大切にして生活しましょう』と言っていた。

 次にお目にかかったのは新聞記事なのだが、ある日本の建築家が外国のある美術史家と対談したとき(例によって切り抜きがすみやかに出てこないので、はっきりした名前がわからない) 二人は“神は細部にのみ宿る”ということに見解の一致をみて、大いに話が盛り上がった、というものであった。

 さてそれだけでは具体的にはどういうことなのかわからない。それはおそらく、キリスト教的な発想であろうと思っていたところ、ある日のこと、きれいな身なりをした女の人が二人、我が家の玄関に立ち言った。

 「私たちは聖書のことをもっと広く皆様に知っていただくために、こうして家々を回らせていただいております」 それは日頃の懸案について意見を伺うちょうど良い機会だったのだが、タイミングがじっつに悪かった。 

 それはお昼の12時前であり、台所ではうちのおかあさまが早くから「今日のお昼ご飯は何?」といってテーブルで待機していたのだった。 そんな焦っているときに、“神は細部に宿る”とはどういう意味でしょう?などとのんきに質問している訳にはいかない。申し訳ありませんが、ただいまちょっと急いでおりまして、とお帰り願ったのだった。

 ある人はそのことに関してこんなふうに言った。後世に名を残すような偉業を成し遂げた人、というのは誰でも賞賛するものだが、名を残さなくても世の中の片隅でコツコツと世のため人のために働いている人も神はちゃんとご覧になっているのだ。神は隠れた所にいて、隠れた所を見ておられるのだから。

 さて私は今のところは“神は細部に宿る”という言葉についてよくはわからないでいる。しかしながら、めんどうな、ややこしくて楽しくなくて骨が折れる仕事がある時、ほんとうはしたくないのだ。 けれどもそこに神様が宿ってござるのであれば、やらずにおくわけにはいかない。

 ではいっちょう気合を入れてやることにするか、と自分のお尻をたたいてやりだすときの呪文に“神は細部に宿る 神は細部に宿る”と唱えることにしているのである。

 

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手でアイロンを

Pict0148 ある朝のこと、洗濯物を干していると、ご近所のおばば様が手押し車をおしながらやってきて、それに腰かけると、私が乱暴にバサバサと(はやければいいのだ)干すのをじっと見ていた。

それからおもむろに言った。「私はね~、タオルなんかは縦に伸ばし横に伸ばし、パンパンと叩いてキチーンとたたんでから干したものでしたよー。それからね、息子達のカッターなんかもね、広げて皺をのばし、手でアイロンをかけて干したもんです。それで皆さんが私の洗濯物を見て“○○さんの洗濯物はいつ見てもきれいですねー”と言われたもんですよー」と誇らしげに言うのだった。

お言葉ですがワタクシ、手でアイロンしなくちゃいけないものなんか干していません。たかがタオルを、なんでそんなに手間ヒマかけて、叩いたり伸ばしたりしなくちゃなんないの。手や顔を拭くだけでしょうが。それにカッターなどは形状記憶になっておりますのよ。と私は言いたいのだがガマンガマン。

かわりにこのおばば様を褒めたたえることにした。じっさいのところ、このおばば様のうちは食料品店を経営していて、大変に忙しいうちであったのだ。「ふつうのうちの三倍も忙しかったのに、ていねいな暮らしぶり、誰にもマネをできないことをよーくやってこられましたねー!」

そんな話をやっとのことで終わって家にはいると、お姑さまが言った。私の若いころはねー、川に洗濯に行ったものですよ。水が冷たくてねー。手がちぎれるくらいに痛かったもんです。(それにくらべると、この頃の若いもんときたらー、、、)

考えてみると、洗濯に関して、女たちの世代間の思い入れはずいぶんと落差があるものだ。電気洗濯機もずいぶんと進化した。小さいころ、家に初めて洗濯機にローラーがついたものがやってきたときのことを思い出す。それに衣類を挟み込みゴリゴリまわしながら脱水するのだが、欲張ってたくさん挟めばこれはなかなか動かず苦労した。急がば回れ、で少しずつはさめばいいものを、どっさり詰め込んで大汗をかいたものだ。

この頃では乾燥機がついたものが主流だという。ところがある若い人が、(実は我が娘なのだが)ウールのセーターをうっかり洗濯、乾燥してしまい、縮んで小さくなってしまったそうだ。それは知人の小学一年生の娘さんに差し上げたら喜んで着てもらっているそうである。それはそれでいいのだが、なんとまぁ迂闊なことよ、と私などは思ってしまう。もっとしっかりしなさい!と喝をいれたいのだが、時すでに遅し、、、だ。

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たかが洗濯 されど

 Pict0141_2                                         用事があって近くのNさんのうちへ行き、そこの若いお嫁さんが洗濯物を干すのを見ていた。そこには3歳くらいの坊やがいるのだが、洗濯物のかごの中からは、その子の脱いだ物がそのままの形で出てきた。パンツとズボンはいっしょに。下着とトレーナーも重なったまま。靴下はコロンと丸まったまま。それをほぐしながらお嫁さんは干しているのだった。

うちの嫁さんがそういうことをしていたら、ココロ穏やかでいられるだろうか。私的にはインナーとアウターは分けて洗って欲しいものである。靴下は特にしっかり洗って洗濯機に入れて欲しいものなりよ。

しかし私の姑ともだちが言っていたけれど(私はまだ姑になったことはないが)この頃の嫁というのは、ちょっと注意したり教えたりすると、「私には私の流儀があります」だの「今は時代が違います」だのと反駁してくるそうである。だから家庭の平和を守るためには、なぁ~んにも言わないほうがいいのだとか。(以上、現役のヨメなのにちょっと言ってみました)

何年か前のことだけれど、遠縁の娘さんが二人、我が家に一週間ほど、遊びに来ていたことがある。ジーンズが干してあるのを見たら、竿にアラヨッという感じで二つ折りにして投げかけてあるのだった。こういう干し方では腰周りのポケットなど、ゴテゴテとしたところがいつまでたっても乾かないであろうし、ヘンなところが日に焼けたりもするであろうから、ちゃんと裏返しにして干したいものである。テレビで言っていたが、ズボンなどは人が穿いている姿のようにして干すのがベストだそうである。だからピンチハンガーのような物に吊るすのがいいのだ。

言うか言うまいか迷ったけれど、お嬢さんたちについに「こうした方がいいんじゃない?」とやさしくていねいに言ったら、おメメを丸くして「えーっ!そうなんですかー?」と驚いていた。あら、そんなコトもおかあさんは教えないの?と言いたくなるが、実は私も娘たちにそんなことを教えたりはしなかったのである。そういうことを言う間もなく、高校を卒えたらささっと出ていってしまったのであった。つづく

さて写真はうすいピンクの色をした孔雀サボテンにてございます。今年初めて一個だけ咲きました。来る人ごとに見せたり、写メールで送ったり大騒ぎでしたー^^

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きのうのお礼

Hanabana_025 沢村貞子の随筆に『きのうのお礼』というのがある。どういう内容かというと。

沢村さんが仕事場に到来物のぶどうなどを持っていってスタッフに配ったとする。すると若い人などは「きゃぁーおいしそうーありがとうございますぅー」と素直に喜んでくれるのだが、さて翌日になって彼等に会うと、さっぱりお礼を言わない、というのである。だからこちらから「きのうのぶどう、おいしかった?」と訊くわけにはいかないし、ちょっとばかりモンモンとしてしまう、というような話だった。

この年になると私も若い人たちがなかなかお礼を言わないことに「?」と思うことが増えてきたような気がする。

親戚の若いモンのためにいささか時間を割きました、というようなことがあると、次に会ったときには「先日はどうもー」くらいのご挨拶がありそうなもんだ、と思っているところへそのコが通りかかり

にこにこしながら「コンチハ~♪」などと言いながらさっさと行ってしまうと、おテイさんでなくても「これこれ、なにかひとこと、お忘れでないかい?」と言いたくなるではないか。

とかようなことを言っている私も、しょっちゅう、きのうのお礼を言い忘れる。つい先日、すぐ近くのSさんが「湯布院に行ってきましたので」と言っておみやげを持ってきてくれた。「このおまんじゅうおいしいねー」と言いながらパクパク食べてしまったというのに、翌日会った時にはそんなことはすっかり忘れていて、どうでもいい話を30分くらいしたあと「ではまたね」とサヨナラしてきたのだった。

なぎささんたら、「“きのうのお礼”も言わない人ねー」と思われたかもしれないなー。

しかし私は、確実に“きのうのお礼”を言う人を知っている。その人、Uさんはきのうどころか、一週間前のことでも一ヶ月前のことでもきちーんとお礼を言う。そんな時こちらはたいてい何をどうしたか忘れているので「なにかいいことしてあげたのかしら」といぶかるのだが、その人は「おかげさまで助かりました」とかの感謝を添えて必ずお礼を言うのである。

となるとしみじみとUさんのお人柄がうるわしく思われ、Uさんみたいになりたいものよ、と思う。で私はこの頃誰にでも、会ったらすかさず「先日はありがとうございました」と言うことにしている。すると相手がなにがなんだかわからないものの「イエイエ、こちらこそ」と言ってくれる。そのうちにこの前会ったときの状況を思い出し、今度はていねいに「わざわざおいで頂いて」などと付け加えればよろしいのである。

そうこうしているうちに“きのうのお礼”の達人になれそうな予感がしますね~~^^

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今どきの歌を

007 コブクロの歌を初めて聞いたのは一年くらい前のことだった。カラオケで甥っ子のS君が歌う“桜” という曲を聞いたとき、その耳馴れない旋律は斬新だった。

「あらそれ誰の歌?」「コブクロというんだよー」へー、変な名前、花の名前のホタルブクロなら知ってるけど、、、。

次に注目したのは何かの記事で、この頃の若者の結婚式ではコブクロの“永遠(とわ)にともに”という曲が盛んに使われている、と読んだ時である。そして最近では甲子園の入場行進曲に“蕾”が選ばれたのだという。うーん、そんなに有名だったら一度聴いてみなくちゃ、、、。

数日前のある日、私は友達のMさんのうちのコタツでおしゃべりしていた。BGMに若い男のコの歌声が流れていた。フームなかなかいいねー、甘くてソフトで、、、昔聴いていた奥田民生の声と似ているような、、、トクナガヒデアキっていうの?徳永英明っていうのかー。

Mさんの話によると、Mさんの従妹なる人が大の徳永英明ファンで追っかけをしてるのだそうだ。その従妹が言うには「彼の声を聴いていると、、、背中からやさしく抱かれてるような気がしてくるのよね~~!」 ……というわけで追っかけが始まったのだそうだ。

Mさんのうちからの帰り道、私はCD屋さんに寄ってコブクロと徳永英明のCDを三枚借りた。さてと、背中からやさしく抱かれてるような気分になれるのかねー、どらどら、、、。ほんとにそうだったらもっちろんCDを買いますとも!

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これから買うなら十年連用日記を

Imokarinntou_019 去年の今頃はどの日記帳を買うべきか、迷っていた。というのはその前の三年間というものは、ある雑誌の購読を予約したときにプレミアムとして貰った三年連用の日記帳を使っていたのだが、それが実に楽しかったので、今度も何年分かの連用日記を買いたいと思っていた。

それまでも大学ノートに時たま書いてはいたのだが、特に読み返すこともなく、これといった思い入れもなかった。けれど初めて三年分のを使ってみると、一年目はなんでもないが、二年目、三年目は俄然おもしろくなってきた。日記を書き始めると、前年の分、その前の年の分がいやでも目にはいり、ついつい読んでしまう。これが小説を読むがごとくになんともおもしろい。

で、それからどうなったの?とずーっと後のページまで読み始めることになり、これがなかなか止められない。おうそうか、去年こんなことがあったのかー、と思い出し、ブログの記事をふたつかみっつは書いたりもした。

ちょっと旅行に出かけるときも必ずメモ用紙にちょこちょこと書いてきては帰宅してのち、本体にベタベタと貼り付けるほど、一日として空けずに熱心に日記を書くようになった。

さて三年分の日記を書き終わろうか、という去年の今頃、次はどれを使おうか、と考えた。三年というのはすぐに終わるし、五年、、、十年、、、。どうせなら十年連用を使うか、、、。しかしこれから先、十年も生きてるのだろうか、、、。美女はたまゆらのごとく、そう長々と生きてはいないものなのである。沢山の余白を残してあの世に旅立つなんて、もったいながり屋のワタクシとしては身につまされる、、、。

で、よくよく思案の末、十年連用日記を買うことにした。というのは五年連用とくらべても、お値段がほとんど同じだったからである。(5千円ほど)いささかスペースは狭くなるが、A4版を10段に分けたスペースは十分に広いのである。

さて来年はその二段目に書いていくことになる。ただ書くのではなく、前年分を読む楽しみがあるのは嬉しい。5年目、8年目などになったら、読み返すのに時間がかかるだろうな~、ブログを書く時間があるかな~などと今からおもわれる。

十年目、、、生きてたワ~、と思いながら書くのかしら~~。その前に「鬼籍におはいりになりました!」てなことになってないかしらぁ?願わくば最後まで書きおおせて、「さ、次は何年連用の日記を買おうかしら」と楽しく悩みたいものである(^^)v

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チンパンジーをわらったらいけません

Kannkoro_004 チンパンジーを生け捕りにするのはさほど難しいことではないそうである。チンパンジーが通りかかりそうな所に小さな穴をこしらえ、中に彼らの好物を入れておく。すると、おっ、こんな所にオイラの大好物が!と手を差し込んでそれを掴む。

ところがその手を穴から抜こうとしても、大事な食べ物を掴んでいるので、その手が穴から抜けない。それでギャーギャー騒いでいるうちに人間どもが駆けつけ、あっさりと生け捕りにされてしまうのだそうだ。

チンパンジーっておばかさんねー。掴んだその手を離せばスタコラサッサと逃げ出せたのに、どうしていつまでも離そうとしなかったのぉ?

と言いたくなるけれど、チンパンジーをわらえない出来事が最近のある日のこと、起きた。

近くのスーパーで2千円くらいの買い物をすると、どうぞ一回クジを引いてください、と言われた。それは牛肉やら、お米やらリンゴが当たるものだったけれど、私のはハズレだった。すると、ではこちらをどうぞ、と差し出されたのは6面体の箱で、その一面には7~8センチほどの穴が開けてあった。

その中のキャンディをどうぞ沢山お取り下さいということである。ではでは、と手を差し入れてキャンディを掴んだ。で、手を抜こうとしたら、穴の関所からその手が出てこないのだ!

ウーン、そこで私はやっとチンパンジーの教訓を思い出した。何個のキャンディーをつかんでいるのかわからないが、これを少なくとも半分くらいは減らさないことには、この手は永遠に出てこないだろう、、、と理解した。

キャンディーを5っくらいつかんで私の手は出てきた。ということは大きな手の人がつかめる数もかなり限定されるということなのだ。はぁやっぱり人間って賢いのだなーと感心することしきりの出来事だった。

チンパンジーの記事を先に読んでいて良かった~~!読んでなければ「手が抜けないんですー!」とか言って大騒ぎしたかもしれませんからねー^^

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ケネディ家のスマイル

Ukonn_008 “わが子ケネディ”(Times to remember)という本は、故ケネディ米大統領の母上、ローズ夫人が栄光と悲劇の日々を思い起こし、自分の生い立ちから結婚、9人の子供達の家庭でのしつけや教育の実際を赤裸々につづった回想録である。この本を勧められて読んだのはずっと若いときだった。

この世にこういう賢夫人がいるのか、と思うくらい夫人は聡明な人なのだったが、読後、忘れられなかったことは、、子供達を3週間ごとにワゴンに乗せて歯医者に連れて行き、それは一番小さい子が自分でケアをできるようになるまで20年間に及んだ、ということであった。

それでケネディ家の人々がにっこりと微笑むとその口許からは真っ白い真珠のような歯がこぼれ、それは“ケネディ家のスマイル”とよばれ、世界中の人々から賞賛されたのであった。

治療より予防だ、ということは頭ではわかっていても実際に我が子を3週間おきに歯医者に連れて行くということはなかなか出来ることではない。私はいつも子供がワ~ン、歯が痛いよ~と泣いて初めて歯医者に連れていったものである。ローズ夫人のように賢いかあさんだったら、うちの子供たちも痛い思いをせずにすんだかもしれないのに、と思うがあの頃はなにもかも、身も心も頭も余裕がなかった、としかいいようがない。

さて私はこの頃になって初めて、電動歯ブラシを使うようになった。贈り物として頂いたのである。まだ使い慣れないせいもあるけれど、ブーンと震えている歯ブラシを手にするとかなり緊張する。あちこち飛沫を飛ばしてしまうので、この暑いのに割烹着を着て首にタオルを巻き、まなじりを決して歯磨きに挑んでいる。やっと終わるとふ~~、肩を凝らしてるのである。

しかし治療より予防が肝心ということはよおくわかっているのだ。遅きに失した感はあるけれど、ローズ夫人の歯への意気込みを見習うことにしよう。なぎささんの素敵なスマイル、と言われるためには、あの歯ブラシをてなずけ、思いのままに使いこなせるようになろうぞ(^^♪

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ホタルを見るにもタイミングが

003_1 天(あめ)が下のよろずの事には季節があり、すべてのわざには時がある。

生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたるものを抜くに時があり、、、、、。

これは旧約聖書の中の「伝道の書」とよばれる有名な一節だけれど、実はホタルを見るにも時があるのである。

Sさんに「もうホタルを見に行ったのぉ?」と尋ねたら、「行ったけどねー、さんざんだったのよー」ということだった。コトの顛末はこんなふうだったとさ。

Sさんの夫がにわかに「さ、これからホタルを見に行こう」と言い出した。Sさんは「えーっ、こんな時間にィ?」と思ったけれども言い出したら撤回しない夫のことであるので、シブシブついていくことにした。その夜、遊びに来ていた者とあわせて、大人3人と子供二人の5人編成であった。

ふつうホタルが大挙してお出ましになるのはモワモワとして湿気が多く、雨が降ってきそうな感じの夜、時間でいえば7時半から9時ころまでが見ごろと言われている。Sさん達が出かけていったのは9時をかなり過ぎていたらしかった。

ホタルの里へ着くと、車を降りてテクテクと、かなりの距離を歩かなくてはならないが、ホタル見物の人々の姿はすでになく、もともと人家のない所ではあり、あるのはくら~いオレンジ色した街燈(それがまたなんともオドロオドロシイ色なのである)がところどころに。

茂みの中にはいくばくかのホタルがチカチカと点滅をしてはいたが、ホタルの本隊ははやばやとお宿に引き揚げていたものらしく、しんがりをつとめるほたるが数匹、ツーと横切るのもわびしいものであったとか。

まるでオバケ屋敷の中を進むような気持ちで歩いていたら、小学二年生の男の子が「おばちゃーん!コワイヨーォ」としがみついてきたそうな。それでやっと大人もホッとして引き返すことにしたそうである。

さて私たちがホタル見物に出かけた時は、人出もホタルのお出ましも申し分なく盛大であった。橋の欄干にもたれてホタルの乱舞にみとれていると、すぐ隣で、おとうさんに肩車をしてもらっている男の子が言った。「おとーさーん、もうボチボチ帰ろう」

それは「こんな薄暗い所はもうイヤ!早くおうちへ帰りたい」という切実な気持ちがじわ~と伝わってくるような声音であった。ボチボチだなんて、こんな小さな子供が言えるのねー、と思い、その子に「何歳?」と訊いてみたら「よんさーい」と言っていた。それから私たちもボチボチ帰ることにしたのでした。

(去年の6月6日にもホタルの記事“今宵会ふ人 みなうつくしき”を書いています、よろしかったらまた読んでくださーい^^)

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ハーイ ビル!と呼ばれたら

009 自分の娘より若いような女性から「なぎささ~ん」と呼ばれた時、外面の良い私は、「はいはい、御用はなぁに?」と上機嫌にしていたけれど、内心はおもしろくなかった。べつに「おくさま!」と呼んで欲しいなどと言っているわけではないが、アナタなんかより何十年か多く生きていた人をつかまえてファーストネームで呼んで欲しくないのですよね。

超整理法や超勉強法などで有名な野口悠紀雄センセイの本を以前はいろいろ読んだものだが(その割には進歩しなかった) ある本に書いてあったのだが、アメリカの大学の先生でも自分がどう呼ばれるかについては実に気をもんでいるというのである。

アメリカの学者の慣行では、学生が教授を呼ぶときは「プロフェッサー」をつけて名字を呼ぶが、学位を取得すれば同僚となって、ファーストネームで呼んでもいいことになっている。けれど教授の方からすると、教え子の若造がいつ自分のことを「ハーイ ビル!」などと呼んでくるかと戦々恐々としている先生方も多いのだそうである。アメリカ生まれのアメリカ人でも、ファーストネームでよばれることを快く思わない人もいるということである。

大学のセンセイでさえ、自分がどう呼ばれるか、煩悶し思い煩うのであるから、人をどう呼ぶかについては、細心の注意を払うべきではないかと思う。どう呼ばれたかで「あの人感じいいわねー、うちの娘を貰ってもらおうかしら」と思うかもしれないし、「いやーな人ね、もう会わなくて結構」と思うかもしれないのである。

それで野口センセイはアメリカにいる間中、ユキ、とかユキオとか呼ばれることはなく、ノグチと呼ばれたそうである。イギリス人だと名字を呼び捨てにされるのが、もっとも親密と考えられることもあるそうで、野口先生はそれがとても満足だったらしいのである。

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こんな名前でどうかしら

010 この間カラオケに行ったとき、さ、なにか歌って!と言われても自分が何を歌えるのかわからないでいたのだが、ふと思い出して中島みゆきの“あの娘(こ)”を歌った。並み居る人々がえ?なんであなたがこんな歌?という顔をしていたけれど、わたくし実はずーっとみゆきちゃんの歌好きだったのよね。

歌詞の一部はこんなふう。

‘ゆう子 あい子 りょう子 けい子 まち子 かずみ ひろ子 まゆみ

似たような名前はいくらもあるけど私じゃ駄目ネ’

さてここには‘子’のついた子はいくらもあるけど、先日小学校入学者の名簿を見せてもらったら、女の子で‘子’のついた子は22名中わずかに一名だった。あとは宝塚のスター級の輝かしい名前ばかり。

男の子では流星クンとか宇宙(そら)クン、陸クンが二名もいるのはテレビドラマのヒーローかなんかの名前かな。すでに保護者の名前からして現代の若者の名前なのであった。

先日あるうちを訪ねて行くのに、似たような家ばかりだったので付近の2,3軒の表札を見た。すると一家四人のうち多分子供の名前だと思うけれど“青空”“星空”とあった。ふ~む、実に悠久な名前だな~。この子たちは一体何歳くらいなのだろう。両親はどんな人達なのだろう、と思いをめぐらした。

そうしているうちに、そのうちの主婦らしき人が家の中から出て来た。色白でぽっちゃりしていてフリフリのエプロンをしていた。あー、青空ちゃんと星空ちゃんのおかあさんなのねー。

母性に満ちみちて勇気もありそうなこの女の人についついみとれてしまったわたくしでした。

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手も足も惜しみなく

1811242526_04311月末日に、今をときめく養老孟司氏の講演を聴く機会に恵まれた。ステージに現れたセンセイの頭髪はたっぷりのロマンスグレイ、黒いタートルネックと髪の色によく似たジャケット、長いおみ足。

右手にマイクを持ってるときは、左手はズボンの左のポッケの中に、左手にマイクを持つ時は右手は右のポッケの中に、ステージの右から話しかけたかと思えば、左から、、、時には白板に歩み寄りサラサラと板書なさって。軽妙洒脱にしてソフトな話しぶり。ひと言でいえば、とってもダンディーなおじさまでした。

講演の内容といえば、石炭、石油などのエネルギー問題、ブッシュ政権がなぜイラクにご執心なのか、マスコミのいうことを鵜呑みにしないこと、、、など盛り沢山であった。

脳に関する話でとりわけ興味をそそられたのは、手や足が運動をしなくなると、脳から何も出てこなくなる、という話だったろうか。実は私は、1週間くらいの間、旅行にでかけて、その間ずっとご飯炊きから解放され、つくづくとシアワセをかみしめていたのだった。人様の作ったご飯をよばれるだけだなんてシアワセー!!

けれどもセンセイの話によると、手も足も惜しみなく使ってこそ、脳も活発に活動するようになるのである。料理をするというのは体力的にも大変なことだが、実は知的な作業でもある。冷蔵庫や冷凍庫の在庫を考え、何を作ろう、どういう手順で作れば、手早く効率よくできるか、賞味期限はどうだ、材料を無駄なく使い切るにはどうしたらよいか、、、。熱いものは熱く、冷たいものは出来るだけ冷たくして提供するには時間の配分も配慮せねばならない。

などなど考えることは際限もなくある。そうだ、脳のために一番良いことは、ご飯を真面目に作ることだ。身も心もアタマも惜しみなく使ってこそ、第三のステージ、つまり老年を輝かしく生き抜くことができるのではないか。

養老センセイの講演を聴いたおかげで、老人3人世帯の食卓もちょっとばかり華やかになったような気がしておりまする。

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ある夏の日の思い出

_016_1 これは身も心も焼き尽くした、ひと夏のアヴァンチュールの恋の、、、などでは全然なくて、なぎさが4年前の夏、海で溺れて死にそうになったお話である。

その年の夏はなにかと忙しく来客、(しかも泊り客)も多く、私は民宿のおばさん並みには忙しくしていた。這いつくばって草を引き、ガラスを拭き、本来、光っているべきものは磨き上げ、玄関に花など活ける、ビールを冷やす、スイカも冷やさねばとてんてこまいの忙しさ。

客が来る当日ともなれば魚市場に出向きあれこれ魚をみつくろい、魚ばかりではよろしくないと思えば普段は買いもしない五島牛など調達して、と三度のご飯と二度のおやつに翻弄されておった。

はぁ~、やっとお客も帰ってくれたね~、ちょっと海につかりに行こうかと相談まとまり私達は車で10分ほどの海水浴場へでかけた。

私はこのナイスバディを黒の水着(高校生の時から使ってるなんの変哲もないやつ)で包み、背泳ぎの真似事などしていた。その時なんだか急に心臓の具合が悪くなってきたのだった。立つことも浮かぶことも出来ずに、

近くにいたT(ハズですね)に、陸(おか)の方を指差して「具合悪いからもう帰りたい、引っ張っていって!」と目と顔で言うのだけれど、なかなか通じず「せっかく来たんだからもっと楽しめば?」なんてトンチンカンなことを言うのだった。もっと楽しむヒマなんかないんだよ、こっちは、ブク、ブク、、、、。もう死ぬぅ。

やっとのことで妻の危機に気がついてくれてTはズルズルと私をひきずっていった。それはちょうど青木繁の絵にあるでしょう、男の人が大きな魚を引きずって歩いているのが。ちょうどあんな感じだったと思いますね。

潮(しお)が引いたところにくたっと横たわり、救急車を呼んでもらわなくてもいいかなー、だけどこんな格好でイヤだなー、まるで砂だらけのアザラシみたいじゃないの、病院には知り合いがいっぱいいるんだよー、、、なんてこと考えてた。あ、だれか背中になんかかけてくれたのね、ありがとね。でもまさかコモ(菰)じゃないよね。

いかほどの時間がたったのか、、、。ムッ、何者かがしのびよる気配あり、ジョーズか?! ガバと起き上がってみればなんと、はるか彼方まで引いていた潮がすぐそこまでひたひたと押し寄せてきていたのだった!ジョーズも怖いけれど音もなく寄せてくる水も背筋が凍る、というものである。

元気になったような気がしたので気付け薬にビールを飲んでみることに。なんだなんだこのビール、生ぬるいじゃないの、もっとキーンと冷たいビールはないのかえ?  もうすっかり元気になっていたなぎさでした。救急車で運ばれなくてよかった~~!!

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93歳にしてアンドレ・モロワを読む

 雑誌を読んでいたら一人暮らしの達人(人生の達人というべきか)今年93歳になるYさんという方の記事に惹きつけられた。

 Yさん夫婦には三男一女があったが、50代の頃、家を建てたのを機に子供夫婦と同居することにした。けれどもこの同居は惨憺たるもので、長男、次男、三男夫婦ともすぐに音をあげ、退散してしまった。Yさんが何事にもはっきりものを言ってしまう性格であることと、勿体ながりやであるため、たとえばホウレンソウを茹でた汁でみそ汁を作りなさい、とヨメに強要するため摩擦が絶えず、家の中は全然楽しくなかったからである。

 Yさんの夫が亡くなったとき、誰がこの母と暮らすか、伴侶を含めた子供全員とYさんで話し合ったが誰一人として希望者はなかったそうである。

 Yさんは深く傷ついたがどうしようもなく潔く一人で暮らす決心をした。そしてもったいながりの精神を発揮して古い裂(きれ)で貼り絵(フランス語でコラージュというそうだが)をして楽しみ、その作品はうず高く積もっていたそうである。

 あるきっかけから、その作品は人々の目にとまり、高く評価され、去年、Yさん92歳のとき個展を開くことが出来た。、作品は全部売れてしまって‘古裂コラージュ作家’としてデビューできたのだった。Yさんは「生きがいを持てば人は一人でも強く生きていくことができます」と語っていた。

 さらにYさんは90歳の時、アンドレ・モロワの言葉に出合い勇気を得ることができた、と言っていた。それは「老いに伴う一番悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることである。」という一連の言葉であった。

 自分自身が93歳になった時のシミュレーションをしてみるが、まるで見当がつかない。果たしてその歳まで生きているのだろうか、オツムの程度はどのくらい機能しているだろうか、等々、イメージはわいてこない。

 

 わたしも93歳になるYさんにあやかりたくなりアンドレ・モロワ著『私の生活技術』という本を借りてきた。第1章、考える技術、第二章、愛する技術、第三章、働く技術、第四章、人を指揮する技術、第五章、年をとる技術。まず第五章、年をとる技術から読んでみようか、、、。

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忘却なくしては

自転車で出かけたのに帰りは歩いて帰ってきたり、車を発進させてしばらく行ったところで、ハテどこへ行こうとしていたのか、わからなくなってウーンと考え込んだりと、この頃ではよく忘れるなぁと自分でもあきれることが多く困ったものである。若年性認知症と言われるとき、若年とは何歳くらいを言うのだろうか。

一方、忘れたいのになかなか忘れられずに困ることもある。あの人に言われたあんなコト、こんなコト。ひどい仕打ちをされたこと。

はたまた心にもなく言ってしまったあんなコト、軽率にもしでかしてしまったあんなコト。嫌な記憶ははすみやかに忘れ去りたいものだが、執拗に覚えているものである。良きことだけしみじみと反芻していればいいものを、である。

アンドレ・モロワは「忘却なくして幸福はあり得ない」といったそうである。もし人間に忘れるという能力がなかったら私達はいやな記憶で満杯になりこの身が持たないであろう。してみると忘却力は神の慈悲であり恩寵かもしれない。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓うこころの哀しさよ」 えーっとこれは「君の名は」の菊田一夫の名言ですね。

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今宵あふ人 みなうつくしき

_006_1 今宵、ダーリンとホタルを見に行った。(このところ小栗左多里著「ダーリンは外国人」を読んでいるので今日はダーリンと呼んでおこう。)

ホタルの名所は車で10分、それより5分ほども歩いていると川沿いにホタルがふわ~り、ふわ~りと飛んでいるのが見えてくる。木々の間にもチカチカとまたたいているのが見える。ほら、足元にも、、、。

夜空には上弦の月、水を張ったたんぼにも月影が映っている。おや、なにかいい匂いが、、、と近寄ってみれば夜目にも白きすいかずらの花。

三々五々と行き交う人に「今晩は!」と声をかける。あちらからも「今晩は!」 ほの暗くて誰がだれやらわからないけれど、、、。

「あら、さちこさん?」と声をかけた人がいたけれど「ハーイ」といっておく。さちこさんみたいにきっと美しくみえたのね。

ホタルのお出ましはそんなに多くなかったけれど、今年もホタルを見に来ることが出来てしあわせ。

ホタルを写せるかしらと思ってデジカメを持っていったけれど、無理だった。かわりにもう三ヶ月も咲いている我が家の蘭を登場させました。

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大きな誤算

池田満寿夫が書いていたのを読んだことがある。

   古来、女は待つものであった。

   子供が大きくなるのを待ち

   親が死ぬのを待ち

   夫が死ぬのを待ち

   そしてやっと解放されたのであった。

   しかし今、女は待たなくなった。

池田理論によると私は今やっと、子供が大きくなるのを待った、というステージにいる。あと1ステージ、2ステージ・・・・

このあいだ私は夫に聞いてみた。「私っていつ頃、解放されるのかしらねー?」

夫はしばらく考えていたが、やがて言った。

「ウーーン、誰が先に逝くかわからんからなー。」

それはそうだ、誰が先やら後やらわからないものである。世代順でもないし年齢順でもない。まったくもって順不同である。

私は浅はかにも自分が最後まで生き残りそうな気がしていたが、これは勝手な思い込みというものである。

もしかしたら我が家の最高齢者に見送ってもらう、、、ということもあり得るのである。

そう考えていたらきゅうに身の回りの整理整頓が気になってきた。机の中もタンスの中もゴッタゴタでは「お先に失礼」といってあの世へ旅立つ訳にはいかない。どこもかしこもキレーイにして「さすが、なぎささんね!」といわれたいものである。それが私の解放の日だと思うことにしよう。

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夢は 飛鳥 に乗って~♪

_021  先日、急用ができて朝一番の高速船に乗ることになった。その日は風が強くて海がシケていそうなことはわかっていたが、切符を売るお姉さんが「海上はシケていますのでお手洗いなどはすませてからご乗船ください」といったときにはしっかり覚悟をしたつもりであった。

しかしそんな覚悟も吹っ飛ぶほどに海はシケていて1時間半ほども地獄の底で伸吟していたのであった。はぁ~やっと着いたみたい。人々は「大分シケてたねー」とか言いながらテキパキと毛布をたたんだり、枕を所定の位置にしまったりしながらサササと降りていった。私はといえば河岸のマグロみたいに横になったまま打ちのめされていた。

すると船のおじさんがいった。「おくさ~ん、ころがって こっちまでこんですかぁ~。」                 

なんと非情なことを言うのか?!  河岸のマグロに出口まで転がって来いとは!

さぁここでスックと立ち上がらねば女がすたる、というものである。私はよろよろと立ち上がりやっとのことで上陸したのであった。その生涯において船になど乗らずに過ごせる人はその身の果報を神に感謝すべきである、と私は思った。

帰りの船はというと、まるで極楽で遊んでいるみたいに快適で鏡の上を滑るがごとくに船は進んだ。あら、もう着いたのォ?まだいいのにィ。帰ったってどうせ日常の些事しかしないんだからもうちょっと本でも読んでいたいよォ~。、、、とこの前我が身の不幸を嘆いたのも忘れ果てているのだった。

ほら、いつかブログで見たよねー、清水港に浮かんだ豪華客船、あれは多分 飛鳥 だよねー、あれに乗って世界一周の旅に出たいもんだよねー、誰か 「さ! これをお使いください!」なんて言って金一封差し出してくれないかしら。あり得るかもよ。よし、その日のために足腰鍛錬しとかなくては、、、。世界中の港に着いたら真っ先に飛び出してあちこち見て歩くんだからね! 一緒に行きたいという人、手をあげて!!

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家の中だって怖いよォ~~!

この美貌ゆえにマムシに噛まれて、あの世に召されたくないと思った私は、野にも山にも近づかない決心をした。それで日曜日に友達から「ワラビ採りに行かない?」と誘われた時にも丁寧にお断りしたのである。美貌ゆえに、、、なんてことは言わなかったけれど。

だがしかし、家の中にも危険は満ちみちていたのである!

その日の朝、台所に立った私は流しの中になにやらうごめく物を見た。ヒェーッ、ムカデだーっ!!誰か~っと叫んでも誰もかまってくれないことはわかっておる。ホレホレなぎさちゃん、どしたの?ア、ムカデね、ヨシヨシ、ぼくちゃんが退治したげる!というような展開には断じてならない。

それで私はすばやく小ナベにポットの湯を移し、横目でムカデを見張りながらガスの火をつけ、沸騰したところでそれをムカデにジュワッとかけたのである!

まぁ~、なぎささんて虫も殺さぬような顔して、よくもそんな残酷なことおできになるわねー、 とか言う人もいるかもしれないが、こうするほか我々が生き残る道はないのである。

何年前だったか、鉛筆の太さ程もある巨大なムカデを取り逃がしたときなど、畳を何枚も持ち上げ家族総出で大捕り物を演じたが発見できずに、その晩私達は枕を高くして眠ることが出来なかったんだよ。

こんなこともあった。息子がまだ小さい頃、昼寝をしている所にムカデがドボッと落ちてきたこともあった。あんなに足が沢山あるというのにどういう訳か、足を踏み外したらしいのである!(^^)!

そういうことなのでムカデをみたら慌てず騒がず迅速に最善の行動をとらなくてはいけない、ということですね。

さ、これでカントリーライフも思うほどラクチンではないことがおわかりいただいたと思う。ただムカデに噛まれるというような大事件は10年に一回くらいしか起きないのだから、普段は冷静にして暮らし、ムカデを見た時だけ大騒ぎすれば良いのである。

ムカデの話なんかして驚かしてごめんね!機会があったら五島に遊びにきてね~。もしムカデがでたら、なぎさが守ってあげるからね~~(^^)v

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山菜採りは怖いよぉ~~!

_016 先日、山菜採りに出かけた。ワラビが生えている所までかなりの行程である。道中でイノシシの罠を見学した。おぉ、これが噂の罠ね、どんな仕掛けかな、と近々と寄って見ていると、「危ないよ、イノシシの代わりに自分が入ってどうする。」と声あり。いそいで離れた。

ワラビが自生している所はもともと畑だった所である。ご先祖さまが一鍬、また一鍬と開墾したのであろうが、人の手がいらなくなった今は、畑は荒れ果て潅木や笹竹が生い茂っている。

ワラビは沢山あったけれど、私達は戦々恐々であった。というのは前日「マムシば見たバイ」と言った人がいて、ワラビがスックと立ち上がっているのを見ても、マムシが鎌首もたげてこっちを見ているように思われて、この手を出していいものか、、、と悩んでしまうのだった。

さ、今度は団子の葉っぱを探しましょ。(山帰来の葉のこと、これで団子を包むのである。) 葉っぱを求めてさまよっている時、私達は頭上高く今まで見たことのない花をみつけた。私は不覚にもカメラ携行するのを忘れていたため、残念ながら写真を撮ることはできなかった。一枝、家に持ち帰り写したのが、この写真である。

自然のさまざまな表情をかいま見た山菜採りだった。ちょっと怖かったけれど。

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時化(しけ)の日には英国風ティータイムを

五島地方は今日はひどい時化でした。お船はすべて欠航しました。、、、と思っていたらなんと佐世保行きのフェリーだけが勇敢にも出航したのだそうです。

雨の中を友達が3人遊びに来てくれました。女4人のおしゃべりのあいだに私は日向夏のマーマレードを作りました。夏みかんのマーマレードに比べるとほんの少しお上品、レモンイェロウの淡い感じが素敵でした。

友達の一人が言いました。「マーマレードを手作りするなんてもう何年もしてないのよ。忘れていた事を思いださせてくれてありがとう」

おしゃべりで口を動かすばかりでなく 手も動かしましょ、と今度は紅白の餅をさいの目に切りました。これは忘れるくらい長々と乾燥させていずれ油で揚げて、あられ、にするつもり。

「まぁ~、よくこまめにいろいろするのねー。うちの冷凍庫にお餅がいっぱいあるから今度、もってきてあげるねー。」  等々 感謝されたり少し褒められたりしながら、こいそがしくすごしたのでした。

あ~、誰かホントの英国風ティーにお誘いしてくれませんこと?

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夜桜を見に

行ってきました夜桜を見に。誰もウンと言わないのでたった一人で、、、。20本ほどの桜の木がある公園にはだぁれもいなくて冷たい風が吹いていました。

花冷えというのかしら 凍えるほど寒くて、大急ぎで公園を横切って帰ってきました。熱いココアでも飲まなくちゃ。ココアって冬の季語ですってね。

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