神は細部にのみ宿る
“神は細部に宿る”という言葉に出会ったのは二年前くらいだろうか。台湾からやって来た金美麗という人が書いていたのだが、『神は細部に宿ると申しますから、日常生活の些細なことも大切にして生活しましょう』と言っていた。
次にお目にかかったのは新聞記事なのだが、ある日本の建築家が外国のある美術史家と対談したとき(例によって切り抜きがすみやかに出てこないので、はっきりした名前がわからない) 二人は“神は細部にのみ宿る”ということに見解の一致をみて、大いに話が盛り上がった、というものであった。
さてそれだけでは具体的にはどういうことなのかわからない。それはおそらく、キリスト教的な発想であろうと思っていたところ、ある日のこと、きれいな身なりをした女の人が二人、我が家の玄関に立ち言った。
「私たちは聖書のことをもっと広く皆様に知っていただくために、こうして家々を回らせていただいております」 それは日頃の懸案について意見を伺うちょうど良い機会だったのだが、タイミングがじっつに悪かった。
それはお昼の12時前であり、台所ではうちのおかあさまが早くから「今日のお昼ご飯は何?」といってテーブルで待機していたのだった。 そんな焦っているときに、“神は細部に宿る”とはどういう意味でしょう?などとのんきに質問している訳にはいかない。申し訳ありませんが、ただいまちょっと急いでおりまして、とお帰り願ったのだった。
ある人はそのことに関してこんなふうに言った。後世に名を残すような偉業を成し遂げた人、というのは誰でも賞賛するものだが、名を残さなくても世の中の片隅でコツコツと世のため人のために働いている人も神はちゃんとご覧になっているのだ。神は隠れた所にいて、隠れた所を見ておられるのだから。
さて私は今のところは“神は細部に宿る”という言葉についてよくはわからないでいる。しかしながら、めんどうな、ややこしくて楽しくなくて骨が折れる仕事がある時、ほんとうはしたくないのだ。 けれどもそこに神様が宿ってござるのであれば、やらずにおくわけにはいかない。
ではいっちょう気合を入れてやることにするか、と自分のお尻をたたいてやりだすときの呪文に“神は細部に宿る 神は細部に宿る”と唱えることにしているのである。
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