おくちをミッフィーちゃんにしときましょう

002 その昔、子育てに励んでいた頃、子供の着ている服を見て、おかあさま(姑)から、「そんな格好じゃ風邪ひかせます!もっと着せなさい」などと言われると、うるさいなーこれでいいのに、と思いながらも一枚また一枚と着せかけていたものである。そのとき、これから先“若い人たちにはヤンヤと口を出さないことにしましょ”と心を決めたはずだったのだが、、、。

今、家には娘とその赤ん坊がいるのだが、朝になって娘が赤ん坊を抱いて居間に現れオハヨと言うとき。赤ん坊がいと涼しげなる格好をしている(と私には思われる)のを見ると、たちまち何かを言わずにはいられない。「まぁー、そんな服では風邪ひかせます!」

すると娘はいくつか服を持ってきて「じゃ、これは?」「ノー」「ではこれは?」「ノー」

それはあたかもキャッチャーがいろいろサインをだすのを、ピッチャーがかぶりをふって、「ノーノー」と言っているみたいなのだが、そのうち娘が「もぉ!おかあさんが好きなもの、なんでも着せて!」と言い出す始末で、これが嫁さんだったら、とっくの昔に嫌われていることだろう。

斎藤茂太さんがどこかで書いていたのだが、たとえ身内の者であっても、よけいなお節介、よけいな干渉はしてはいけない。たとえば孫がどこかへ出かけようとしていたら、「どこへ行くの?」とは訊いてはいけない。孫には孫の、誰にも知られたくない事情があるかもしれないのである。だから斎藤家では「どこへ行くの?」の代わりに「気をつけて行ってらっしゃい」と言うのだそうである。

まぁー、なんとハイカラで高尚なおうちでしょう!と私は思う。これがうちだったら、「どこへ行くの?」はもちろん訊くし、そんな服装じゃそぐわないんじゃない?とか誰に会うの?とか、アブナイ所へアブナイ時間に行ったらいけませんとか、言わずもがなのことを連発するに違いないのだ。

うちなどはつい先ごろ山奥からポッと出てきた山ザルみたいなものだから、まだまだ進化の途中であるからこの程度のレベルであることは仕方がないとしても、 「気をつけて行ってらっしゃい」 とだけ言えるようになるまでにはあと100年くらいかかるのではないだろうか。

そんなことを話していたら娘が言った。先ごろお笑いで「お口をミッフィーちゃんにしときましょう」と言ってウケた芸人さんがいたそうである。なるほどミッフィーちゃんはいつだっておくちをバッテンに結んでいる。どうしても過干渉になってしまうこの私も、お口をミッフィーちゃんにしといたほうがいいのかもしれない。

そして赤ん坊が風邪をひいたら「あらあら、風邪を引いたのォー、かわいそうにィーおォーヨチヨチ」と言えばいいのだね。

そうは思うがお口をミッフィーちゃんにしとくのはじっつに難しいことなんである。

| | コメント (4) | トラックバック (0)

ヘイヘイじゃなくハイと言いましょう

Tenntyann_029 うちのおかあさま(マイ姑)という人は人のすることなすことをじっと見ていて、いろいろ注意したり教えたり、説教をしたりということがだぁ~い好きな人である。

初めて夫の母なる人に会ったとき、とてもじゃないが逆らってみても勝ち目がないと確信を得た私は、何か言われたら自動的に無条件に「ハイ」と言いましょうと決心をした。

ところがなかなか素直に「ハイ」と言いたくないときがある。それで、そぉーんなこと、わかりきったことでございましょ?と言いたいときは「ハイハイ」と言ってみたり、モウうるさいな~、しばらく黙っててくださいません?と言いたいニュアンスを漂わせたいときは「ハイハーイ」と言って少々抵抗してきたものであった。

数日前のこと、うちの息子(すでに30歳をすぎている)を相手におかあさまの“言葉遣いはかくあるべき”というレクチャーが始まったとき、息子はハイハイと神妙に拝聴しているようにみえた。私はオー、我が子ながらあっぱれなるかな、うるさがりもせずハイハイと聞いておるではないか、と思いながら近づいてみると、なんと息子は「ヘイヘイ」と言っているのだった。

で私はあとで息子に言った。「あなたさぁ~、風呂屋の三助じゃあるまいし(今どきそういう職業があるとは思わないが)ヘイヘイはないでしょう、ちゃんとまじめに聞かねば」と立派な母親らしくたしなめたのでありましたが、この「ヘイヘイ」は何度思い出しても可笑しくて一人でアハハと笑っておりました。

つい先日のこと、マゴ(娘の子供で生後4ヶ月)を抱っこしているとき、にわかにこのヘイヘイを思いだし、クククと体を震わせて笑い出したら、眠っていたマゴがびっくりして目を覚まし、何を思ったのかニッコリと笑ったのでしたー^^

さて写真は綿(ワタ)の種が芽を出してきたものです。真ん中にぽちんと赤い色がついていてなんとも可愛らしいのです。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

怨憎会苦 会いたくないひとに会わねばならぬ苦しみ

013 つい最近まで私はお釈迦様の教えの“四苦八苦”は全部で12この苦があるのかと思っていたが、実際は8こ、なのだそうである。まず生老病死といわれる四苦、それからこれは精神的な悩みであろうか、あと4つの苦しみをお釈迦様は計上されたのだそうだ。

私はそのなかに“会いたくない人に会わねばならぬ苦しみ”がある、と知ったとき、いっぺんにお釈迦様に親愛と尊敬の念を抱いたのであった。お釈迦様が悟りすました、はるかかなたの雲の上の方ではなく、我々と同じようにつまらぬことで泣いたり笑ったり、腹を立てたりかんしゃくを起こしたりする生身の人間であったのだ、という認識を得たからである。

さて私はこの世に「できることなら会いたくない」と思ってしまう苦手な人(女性なのだが)がいる。その人に会わねばならぬと思うと、2~3日前からアタマの働きが鈍くなり、体も固まってくるような気がしてくる。そのうち息絶えだえになり瀕死の白鳥?状態になるので、わが夫などは「あの人はなぎさの天敵だねー」と言って笑うが(笑うな!)なんと言われようとどうしようもない。

お釈迦様も「アイツにだけは会いたくないものよ、会わずにすむ手立てがないものか」と煩悶されたのだろうか。人並みに苦しまれたのであろうなー。これは自分で味わってはじめてわかる感情であって、頭で考えて「人間にはこういう苦しみがあります」と言えるようなものではないと私は思うのだ。

私の‘天敵’から、とって食われる訳じゃなし、切り裂かれるわけでもないのに、ひたすら怖いのはどういうことなのだろう、、、と鈍いアタマで考えてもわからず、、でもやっとわかったことがある。それはその人の発する言葉が怖いのだなーということがだんだんとわかってきたのである。

言葉…あなおそろしや、言葉は人の心を生かしもするし殺しもする。「なぎささんてワタシの天敵なのよー」と陰でひそかに言っている人がいるかもしれない。はじめに言葉ありき、という。言葉には言霊(ことだま)がこもるのだそうだ。言葉使いには注意しようっと!と自戒しながらついつい後悔のほぞをかむようなことを言ってしまうのだよねー困ったもんだ。

| | コメント (12) | トラックバック (0)

今のあなたに今の夫がちょうどいい

お釈迦さまの教えにこのようなものがあるそうです。

  今のあなたに今の夫がちょうどいい

  今のあなたに今の妻がちょうどいい

  今のあなたに今の子供がちょうどいい

  今のあなたに今の親がちょうどいい

  今のあなたに今の兄弟がちょうどいい

  今のあなたに今の友人がちょうどいい

  今のあなたに今の仕事がちょうどいい

  死ぬ日もあなたにちょうどいい

  すべてがあなたにちょうどいい                                                                                                                                                                                                                                                                                     

お釈迦様にこんな教えがあったとは初めて聞いたけれど、

もうグー、とも言えなくなってしまったワタクシです。

すべてが私にちょうどいい天の配剤だったということですねー。

これから呪文のごとく「ちょうどいい」と言って暮らしましょ^^

  

| | コメント (8) | トラックバック (0)

はらたち日記

Botann_015 斉藤茂太著『いい言葉はいい人生を作る』を読んだ。それによると、モタさんは腹が立ったり、悔しかったり、つらかったりすると、“はらたち日記”に書いてしまうのだそうだ。

曰く“いいニュースは皆に話すが、つらいこと、悲しいこと、怒りなどはできるだけ人に伝えないようにしている。つらい話を聞かされれば、相手もつらくなってくるであろう。だから私はネガティブな感情の動きは自分一人の胸にしまい、楽しいことだけを口にするようにしている”

“ではつらいことの方はグッと飲み込んで耐えているかというと、そこまで人格者ではないし、神経科医の立場からいっても精神衛生上、よろしくない。かわりに私が実行しているのが「はらたち日記」に書き連ねることである”

なるほど「はらたち日記」ねぇ、それはいい考え。ある人に対してなんかちょっと腹が立ったことなど、ほかの人にしゃべったりして、舌禍事件に発展したりすることだってあるのだ。何も言わずに一人胸におさめているのがよろし。けれども気持ちが治まらない時は、「はらたち日記」に一度その思いを放出すれば、書く、という行為をなすことによって悪い感情は浄化されるかもしれないのだ。

私は早速、新しいノートの表紙に「はらたち日記」と書いた。12月4日より。 あら、なんだかわくわく楽しくなってきたゾ。早くなんか書きたいな~。誰か私を腹立てさせてくれ~~!

、、、と思っているところへ、頭にコチンと来ることを言ってくれた人がいた。さ、さっそく書きましょう、と思ったらなぜだかフンワリやわらかな気持ちになって一人で笑ってしまったのだ。「はらたち日記」って効用あるのねー、書かないうちから怒りがおさまってしまうではありませんか^^

モタさんも言っている。“後になって、この日記を読み返してみると、人は案外つまらないことに腹を立てたり、悔しがったりしていることがわかり、自分の器の小ささを反省する良い機会にもなる”と。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

微妙・・・

Photo 何年もの間、電話だけで話していた女性(70歳くらい)と初めておめもじした時のこと、その人はにこやか~に言った。「電話でお話していると、とってもお声が美しいので、お顔も美しい人だろうなー、と思っておりましたぁ~」

で、わたくしもにこやか~にして次なるフレーズを待っていたがそこまでで途切れた!はてさてそのオバサマの真意はどこにあったのだろうか、、、。

だいたい2通りの言葉が考えられる。その1「とってもお声が美しいので、、(これもただのリップサービス)お顔もさぞ美しいであろうと思っておりましたが、想像に違わずほーんとにお美しくていらっしゃいますこと!)

その2「……お顔もさぞお美しいであろうと思っておりましたが、お顔はさほどでもございませんわねー」

そのどちらかであろうけれど、まぁ後者のほうが確実であろうという結論を得た。

うちのハハ上(夫の母でござる)に来た年賀状を見ていたら、、、(特等に当たっているのを見過ごしているといけませんから検査してました)面白いのを見つけた。

「おめでとうございます…いつも若々しくしていらっしゃいますが、ほんとうはお歳でいらっしゃるのですから、くれぐれもご無理をなさいませぬよう、ご自愛くださいませ…」

これを読んで「まぁ、やさしいお心配りですこと」とすんなり喜べるだろうか。それとも「あなたにそんな事言って頂かなくても結構です!」とムッとするだろうか。

どうでした?とハハ上に訊いてみたりはしなかったのでわからないが、これも微妙なところである。

ところで私はこの賀状の差出人を知っているのである。ごく最近ご主人を亡くされたと聞いた。ご主人はまだまだ若くて、お歳、と言われるほどの歳ではなかった。しかも柔道何段とかの猛者だったのである。

ていねいなお悔やみを言うつもりがとんでもない言い間違いをしないように気をつけなくては、、、。言葉って微妙に人を傷つけてしまうことがありますからねー。

| | コメント (18) | トラックバック (0)

このハミ肉を

Ukonn_005 先日の夜10時くらいだったか、テレビでも見ながら洗濯物たたみましょ、と思いテレビをつけたら、、、腰周りの余分な肉を取りましょう!という体操をやっていた。

そしてアナウンサーも講師のセンセイもその贅肉を“ハミ肉”と言っていて、ご丁寧にテレビ画面下方にも“ハミ肉”と解説していた。この言葉はいつから市民権を得たのだろう。

そうかー、この頃ではハミ肉というのだなー。きっとハミだした肉という意味なのね。いったい誰のネーミングなのだ?

それにしても世界の一流のアスリートの肢体を眺むれば、まるで余分な肉などどっこにもない!(かわゆいオヘソにもピアスがしてあった子もいたよねー^^  )長~い、スラリと伸びた両手に両足。これを美しいと言わずにおれようか。私はこれぞ“生きてる芸術品”だと思いましたね。

で私は夫・Tに言った。「私もこのハミ肉をなんとかして、もっとスリムになりたいもんだワー」

するとTは言った。「そんなこと全然気にしなくていいよー」

あら?ひょっとするといたわってもらったのかしら、、、と思いかけてるところへ、また言った。「誰~も見てやしないからな~」

なんだそういうことかー。「人は他者から見られることにより美しくなる」、、、これは真理かもしれませんねー(^^)

| | コメント (8) | トラックバック (0)

血はカオルのか?

ずっと前のことだけど、テレビで料理番組を見ていたら、板前さんが、カツオを捌きながら言った。「こういう血のカオリのするものはですね~。」 オイオイ、血はカオルのかい?と私は言いたくなった。まぁ、料理人さんはテレビカメラの前で舞い上がっているのかもしれないから、ユルシテあげよう。

しかし、そばに立っているアナウンサーが、いつもいつも鍋の中で煮え立ってきたものを見て「あっ、いいカオリがしてきましたね~。」というのは感心しない。ふつう、いい匂いがしてきました、と言うんじゃないかなー。

それからある時、誰か知らないけれど若い女のタレントが、タラバガニを大きな口の中に放り込みながら言った。「わぁ~っ、甘くていいカオリ~ィ」  あらあら、このごろじゃぁ、タラバガニもカオルのね。

テレビを見てると、誰も彼も、カオリ、カオリというもんだから、嫌になってラジオを聴いていた。するとホラキタ、DJの女が言った。「私って、糠みそのカオリが大好きなんです~!」(誰もあなたの嗜好など聞いてません!)

どうしてこうみんな、カオル、とか カオリと言って、匂う、匂い、と言わなくなってしまったんでしょう。カオル、カオリの方が、匂う、匂いという言葉より、ずっと上品で美しい言葉だと思うようになったのかな。

私の感覚では匂い、匂う、の守備範囲はかなり広いのでたいていの場合使える。けれど香り、香るの使用範囲はかなり限定される、と思うのですね。だから注意深く使わないといけないんじゃないかしら。

言葉というものは世につれ、人につれ、その使い方も意味合いも、移り行くものだということは、私にだってわかっておる。けれど匂い、匂う、と言う美しい言葉が 「21世紀初頭まで使われておりました」 ということになれば悲しい。

それにしても‘匂う’という言葉、とってもいい言葉だと思う。ほら、あの有名なあの曲 「夏は来ぬ」にあるでしょう。

♪卯の花の匂う垣根に  ほととぎす  早やもきなきて…                  

この歌詞の‘匂う’ にはそこはかとなく立ち込める卯の花の匂いが、ふんわりと包み込んでくれるような優しさが感じられると思うのですねー。これは‘香る’ではどうしても代用できないと、おもうんですけど。(なぎさの遠吠えみたいに聞こえたかなー。)

| | コメント (12) | トラックバック (0)