四歳児はたのしい

 いつもは大人ばかりがウロウロとして過ごしている我が家だが、出産後の娘とその子供、ケン(4才)とミー(0・3才)が長逗留しているので、なかなかに小忙しいものではある。そのうえケンの友達が出入りするものだからまことににぎやかだ。

 ケンぐらいの年頃では仮面ライダー系のドラマ「ゴーバスターズ」というのが流行っているらしく、さまざまなグッズ、機能満載の剣だとか銃だとかそろっているのだ。(ふりかけやらソーセージなんてものも売っている。)そういうもので四歳児たちは飽くことなく遊ぶのだ。

 ある日のこと、ケンの友達 Mクンが遊びに来ていて、私は隣の部屋で用事をしながら、二人のおしゃべりを聞くともなく聞いていた。するとMクンが不意に言ったのだ。「ニンゲンテ イソガシイネ」

 オヤ、たしか今 Mクンは「人間テ 忙シイネ」と言ったよね?はっきりとはわからなかったが、そのように聞こえた。Mクンのうちは家業が大繁盛で、老いも若きも総出で働いているような忙しい家だから、Mくんのママが「人間て忙しいね」とちょっとばかり愚痴めいて言うのを、Mクンが聞いているのかもしれない、と思ったものだ。

 それから数日後のこと、夜も九時を過ぎて、ケンを寝せようとしたときのことだ。オネショ対策として紙おむつをはかせているのだが、それを切らしていることに気がついた。困ったなぁ~。オネショをするかもしれないし、しないかもしれない。けれど外はシノ突く雨が降っているし買いに出たくはないし、赤ん坊の紙おむつでは小さいし。頭をめぐらしていた私は「オォそうだ!おばあちゃんの紙おむつがあるじゃないの」とひらめいた。(正確に言うとマゴからみればヒイおばあちゃんの紙おむつのことで、ヒイおばあちゃんは外出のときのために常備しているのだ)

 ケンはおばあちゃんのパンツなんかイヤだぁ~と激しく抵抗したが、私とてもこの梅雨空にふとんなど濡らされたくないからつかまえて無理やり装着!

 その翌日、二人で出かけて“大きい男の子用”の紙おむつを買ってきた。ケンはハサミで器用に袋を切り開き、カゴにイソイソと紙おむつを並べていた。そして言ったのだ。「ニンゲンテ イソガシイネ」・・・ということはケンもしっかり「ニンゲンテ イソガシイネ」発言を聞いていたということなのか。

 さて娘とマゴ達もそろそろ帰る段取りになってきた。ケンのあまりのやんちゃぶりに、「うちにはこんなにワルサをする子はいなかった」(つまりなぎささんの子供はたいそう行儀がよくておとなしかった、ということ)などと口走ってしまい娘のヒンシュクを買ってしまうこともあったのだけれど、ごめんね~つい言ってしまって^^

 ま、おうちへ帰ったら、ダンナと二人でしっかり子育てしてください。くちうるさいバ~バは手を引きますのでね^^

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四世同堂

四世同堂とは四つの世代が同じ屋根の下に暮らすことである。古来、中国では富と長寿と子孫繁栄を人生の最大の幸福とする伝統的な思想があった。十分な富に恵まれ、孫の子供の顔を見るまで長生きすることが幸福の象徴なのだった。

 しかし家族が四世代もかたまって暮らすことなど、今どき本場中国でも見当たらないことかもしれないし、日本でもそういう家はめったにないことであろう。

 昨年の国勢調査によると、日本で一番多い世帯の形は独居世帯で、31.2%に達しているのだ。夫婦のみという世帯19.6%を加えると50.8%で、これで全世帯の半数を超える。だから二軒に一軒は独居または二人暮らしの世帯ということになる。

 夫婦と子供という世帯が全体の28.7%。三世代が同居している我が家のような家庭は“その他の世帯”というくくりになって全体の11.7%でしかない。正真正銘の四世代が住む家となったら微々たるものであろう。

 中国の人たちが昔から理想としてきた四世代同居ではあるが、世代ごとに価値観は違うのだから、四世同堂どころか、二世だって堂を同じくしがたいのが現状であろう。子の世代が親世代と共に住むのはまっぴらと思うこともあろうし、親世代が自発的に別居を申し出る家も少なくないことだろう。

  さて国勢調査によると、日本の世帯数は初めて5千万世帯を超えたそうである。一世帯当たりの平均世帯人数は2.46人。

 そういうご時勢なのに、昨年の11月に我が家では息子に嫁をむかえ五人暮らしとなった。(なんと平均の2倍だ!) 二階の部屋はガラガラに空いているのだけれど、舅 姑 大姑のツワモノが3人も待ち構えているような家に嫁に来てくれるような娘は当節いないであろう、別居はやむなし、、、と私は思っていた。

 しばらくは別居して、若い二人は人目のないところで命がけの喧嘩をしたり仲良くしたりして、そのうち家に戻ってくるという選択肢もいいかもしれない、とも思っていた。すると嫁さんは言ったのだ。「途中同居って難しいんですよね~!」 (あら、よおくおわかりになっているではないの、、、^^)

 そうなのだ。二人で自由にのんきに暮らしたあと親と同居したりすると、ストレスで胃潰瘍になったり、大爆発が起きて決裂したりと、世間ではよく見聞することなのだ。

 さて息子夫婦に首尾よく子供が生まれたりすると、我が家もめでたく四世代がそろうことになる。そうなるとうちのお姑さまも、昔から中国の人々が憧れてきた境地に達することができようというものだ。しかし四世代が一堂に暮らすことはざっと考えただけでも容易なことではない。その容易ならざることをこれからしようとしているのだから、我が家にとっては大冒険の始まり始まりぃ~!というところなのである。  

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大空と大地のなかで

Cimg0029 長女とその息子が我が家に逗留していたある日のこと。夕ごはんの支度ができたころ、私はふいに体調がガタガタと崩れるような気分がして、あとはよきにはからえと言いおき、自室で横になっていた。 台所のほうからは皿茶碗のかちゃかちゃいう音、娘が歌っている中島みゆきの歌、孫がぴょんぴょん飛び跳ねる音などが聞こえてきていた。

 あー、このまま死ぬのかもしれない。あの人たちを残して死んでいくのか。目尻から涙が落ちそうになってきた。そのうちそうだ、と私は思いついて手許の携帯で夫を呼び出した。へそくり用の口座の暗証番号を教えようと思ったのだ。ずーっと悪妻だったこのわたし。死ぬ前になにかひとつくらい良いことしてあげなくちゃ。

 なんだなんだとやってきた夫に私は言った。口座の番号はこれこれだから忘れないでねー。でもあなたも(妻亡きあと)大変ねー。子供たちは片付かないし、問題は山積だし、、、。そう言いながら涙はいまにもあふれそうになっていた。

 すると夫はあっさりと言った。“何も心配はいらないよ~。ほら、田中さんちね、前の奥さんが亡くなったあと、美人でよく働く新しい奥さんが来ただろ?夕方いつも二人で、手をつないで散歩してるんだってね。うちもそういうことになるかもしれないし、死んでいく人が後のことをあれこれ考えなくてもいいんだよ。残った人がいいようにするんだからね。台所はちゃんと片付けておくから、安心して寝ていていいよ~♪”とまぁこんなふうに言ったのだ。「あっ そう?」と言うまもなく涙は乾き、なぜだかペシャンコだった体が急に元気になってきた。

 そして過日、夫と私はあるホテルでのディナーショーなるものに招待され、“いっこく堂”の腹話術を観た。初めてみる腹話術には驚いたが、なにより圧巻だったのは、いっこく堂さんが松山千春のものまねで、『大空と大地の中で』を歌った時だった。髪の毛が一本もないかつらをかぶってほんとうにそっくり、それにしてもじょうずだなー、と感嘆したものだ。誰かが言っていたけれど、もともと彼は歌手志望だったこともあるそうだ。

 家に帰るとさっそく松山千春のCDを取り出し聴くことにした。『青春』『銀の雨』などは好きでよく聴いたものだ。大橋純子のシルエットロマンスなども同じころ流行っていたよね。私はしみじみと『大空と大地のなかで』を聴いた。そして初めて気づいたのだが、それは人生の応援歌だったのだ。

 “生きることが辛いだとか苦しいだとか言う前に、野に育つ花のように、力の限り生きてやれ”そして“いつの日か幸せは自分の腕でつかめ”と歌っているのだった。

 近くで聴いていて、「松山千春っていい声だねー」と言った夫に私は言った。口座番号だけど覚えてる?「もっちろん覚えてるよー、○○○○だよね。」(なーんだ、忘れてくれていいんだけどなー。ちょっと早まったみたいだ。 これからまだまだシブトク生きてやるのになー)とひそかに思ったなぎさでした。

 さて、年の瀬もいよいよ押し詰まってまいりました。いつもあたたかいコメントをお寄せくださる皆様、読んだだけでノーコメントの皆様も、どうぞよいお年をお迎えください。来る年にどんなことが起きようとも、野に咲く花のように、平然と風に吹かれていましょう。

 

 

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福井県の人たちってエライッ!

Pict0045  福井県はどこでしょう?と白地図を出されても、えーっと。能登半島は石川県で、佐渡島があるのは新潟県。あとはぼんやりしてわからないのだ。けれどこのあいだ、福井県に台風が上陸しました!とニュースで言っているのを聞いてはじめて、あ、あそこね、とやっと認識したのだが、よく考えてみると福井県に関しては、その他のことも何も知らないのだった。

 実は私はこの数ヶ月というもの、福井県には熱い視線を投げかけている。新聞記事によると、福井県では三世代の同居率が高く、共働き夫婦が全国一位で多いのだ。しかも兼業農家が多いそうで、ウィークエンドだからといって、のんびりしているヒマなどなく、家族全員が総出で働くのだそうだ。

 親世代子世代が同居するためには特殊かつ高等な技術が必要で、実は大変に難しいことだ。私のまわりでは、子供夫婦とは「考え方も違うし、食べ物も違うしぃー」といってはじめから同居をあきらめている人が多い。若い力がないから田も畑も荒れ放題。日本中がそういう傾向なのに、福井県の人たちはこの難事業を粛々とやってのけているというのだ。家族問題研究家を自認しているワタクシはさっそく福井県の県民性について調べてみた。

 福井県民は“浄土真宗の影響で、他人に親切、勤勉で、粘り強いといわれる。三世代同居が多く、共働き夫婦が日本中でもっとも多い。堅実で勤勉な県民性とあいまって、一世帯あたりの貯蓄現在高全国一位。一方、保守的、消極的であり、自ら積極的に主張することはない。社長輩出率は第一位。それは26年間連続トップである。” ネットで見たらそんなことが書いてあった。

 “みずから積極的に主張することはない”とあるが、これは私の私見だけれど、主張の強い人は親子で同居などは出来ないものだ。黒を白だと信じている人がいるとき、「そのようですね」とあっさりと認めてやるようでないと、ややこしくなる。「いいえ、白ではなく黒ですよ。」と正しいことを言っていては家庭内の平和を維持することはむずかしいのだ。

 福井県の人々はみかけは消極的にみえるけれども実は覇気のある人々ではないだろうか。人間というものが良くわかっている、人生の達人なのかもしれないと私は思う。家庭でも職場でも地域社会の中でも、人を責めず咎めず叩かず主張せず、人心の収攬に努めていたら、あらら、いつのまにか社長になっていました、というようなこともあるかもしれない。 

 次に特筆すべきは福井県の小中学生の学力の高さだ。秋田県、富山県などと並び常にトップクラスなのだ。まぐれではないことに毎年上位を占めるのは決まっているのだそうだ。私はざっとその成績順位を見てみたら、西高東低ではなく東高西低であるようで北国のほうが優勢だ。ちなみに成績の下位の方も常連でほとんど固定しているらしい。 

 学力テストは算数と国語(中学生は数学)の試験なので、それだけでどうということはできないかもしれないが、これだけ基礎学力、つまり読み書きそろばんが出来るのならば、高校も大学も行かなくてもりっぱに世渡りできそうではないか。どうして子供たちの学力が高いのか。私は考察に及んでみた。そして結論を得たのだが、それは学校の先生方の熱意もさることながら、子供たちの家庭が、おじいちゃんやおばあちゃんがいて(もしかしたらその上の世代が元気でいるかもしれないが)、ちょっとやそっとのことではゆるがない磐石の根を張った強さがあることも一因ではないだろうか。それは子供たちの情緒が安定することにつながることだろう。

 また大家族だと食糧事情が断然いいのだ。私はお母様(姑)の留守にはたちまち手抜きをして、家族にろくなものは食べさせなくなるのでよくわかるのだが、核家族ではどうしても食事は単調になりやすい。ところが老若男女がいろいろと揃っていると、まんべんなく種々雑多なものが食卓に並ぶようになるので食生活は豊かになる。それは子供たちの頭の働きをよくすることになるだろう。学校での指導、磐石の家庭、食生活、これが子供たちの成績に反映しているということですね。(と勝手なことを書いてみました)

 漢字の本場、中国の研究者もあっと驚く「白川文字学」を確立した白川静博士が、小学校を卒業して大阪に働きに出る時、その母は「福井の人間は厳しい冬を耐えて春を待つ。その粘り強さを忘れずに努力しなさい」と言って送り出したという。

 福井の母は偉いっ!私など子供を送り出す時、何かましなことを言った覚えなど何もないのだ。白川静さんの母のような女性が今でも福井にはたくさんいるに違いない。それで誰でもができないことを忍耐強く粘り強くやれるのだろう。

 今日は日曜日。福井県のお嫁さんは本当は疲れていてお昼まで寝ていたかったかもしれない。そんなことはおくびにも出さず、お姑さんと田畑へ出かけていったかもしれないな~と思いつつ、、、。  

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その子はきっと大物になるでしょう

Pict0065  今日は大阪に住む娘一家がとても仲良くしてもらっている、F さんのうちの一人娘 舞ちゃん(仮名)の話題です。舞ちゃんのママから娘が聞いて、それを私に話してくれたことですが、とてもおもしろかったのでご紹介しましょう。

 舞ちゃんは東宮家の愛子さまと同じ学年で、姿かたちもよく似ているそうで、誕生日も一日違い。一点豪華主義とかで、舞ちゃんは10本の指でも足りないくらいのお稽古事にはげんでいるそうだ。

 センダン(栴檀)は双葉のころよりかんばしいそうだが、舞ちゃんも小さいときから利発な子で、二歳のころから母親の話し相手をつとめることが出来た。ママが舞ちゃんのパパのことで愚痴を言うと、、フンフンと聞いてやりながら「それって○○○○のこと?」とママに言っていたそうだ。 (○○○○とは舞ちゃんのパパの名前だ。)

 舞ちゃんがテレビを見ていると、愛子さまがなかなか学校へ行けないという報道があっていた。すると舞ちゃんはテレビに向かって言い放ったそうだ。「どんだけ姫やっちゅうねん!」・・・舞ちゃんが学校へ行くと、そこにはドラえもんに出てくるジャイアンみたいなのが待ち構えていて、舞ちゃんの頭を叩いたり足をキックしたりするのだそうだ。それでもめげずに舞ちゃんは学校へ行く、、、。 

 両親の期待を一身に受けて、日々 刻苦勉励にはげむ舞ちゃんだが、ある日のこと、舞ちゃんの言動の何かがママの逆鱗にふれ、ママはたいそう怒りまくった。ママはあたりをなぎ倒すくらいの剣幕で舞ちゃんを怒り飛ばした。それでもなお何か言い足りなくて肩で息をしていたとき、舞ちゃんはのどかに言ったそうだ。「ママー、もう終わったぁ?」

 そんな余裕たっぷりの舞ちゃんだが、ときには小学二年生らしい顔をみせる。舞ちゃんの友達が、浅田真央ちゃんにファンレターを出したら、なんと返信がきたのだそうだ。それで舞ちゃんも真央ちゃんにファンレターを出したいとママに言った。それはバンクーバーの冬季オリンピックが終わった直後のことであったので、ママが言ったそうだ。「真央ちゃんは今はとても疲れてるだろうし、忙しいだろうから、もっとあとにしなさい」 すると舞ちゃんは言った。「だったら真央ちゃんはやめて、いとうあさこ にするぅー」 

 うちの娘に男の子が生まれて初めて舞ちゃんに見せたとき、「この子は○○○っていう名前なのよ」と舞ちゃんに教えたそうだ。すると舞ちゃんは速攻で言った。「ヘンな名前」

 さて私はいつか大阪の娘のうちに遊びに行くようなことがあれば、ぜひとも舞ちゃんにお目もじを願って、その小気味よい大阪弁を聞かせて欲しいと思っている。ピアノもなかなかの腕前だときいている。けれど舞ちゃんはとても忙しい人なので、そう簡単には会えないらしいのですねー^^。

 

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ココハ オカーサンノ オウチ

Pict0125  大阪に嫁いでいる、うちの長女とその子・ケン(仮称でござる)が、せんだって40日も我が家に逗留しゆっくり遊んでいった。今思い返せばいろいろと楽しいことがあった。

 二歳になったケンは、かなりおしゃべりができるようになっていた。「パパト ママト ケンチャント 三人デ ヒコーキ ノッタ」というようなことをなめらかに言うのだった。

 ところが娘が言うには、生まれてこのかた、「ありがとう」と「ごめんなさい」を一度も言ったことがないというのだ。 それはゆゆしきことだと、私も「ごめんなさいは?」「ありがとうは?」と事あるごとに強要するのだが、ケンは口をへの字に結んでぜぇったいに言おうとしない。その強情さはお見事!というほかはない。それでU字工事の“ごめんね ごめんね~♪”を教えたところ、これは気に入ったとみえ、一発で覚え喜んで言うようになった。けれども「ありがとう」はついに言わなかった。“ありがと ありがとぉ~~♪”を教えれば言ったかもしれないが、そんなにふざけた調子では、誰も感謝されたとは思わないだろう。

 ある日のこと、わたしとケンはオソトで1時間ほども遊んで、仲良くお手々つないで家に帰ってきた。娘がいる部屋の前までくると、ケンはにわかに私の方へ向き直り両手を広げた。ムッ、な、なんなのだ、それは。それはおそらく、オイラとおかあちゃんの部屋へ入るべからず、という進入禁止のポーズだったのだろう。「あら、べつにィー いいわよォー わたしゃ忙しいんだからね、お部屋にはいらなくても結構よ!」などと大人げもなく言ってしまったのだったが、ケンとしては自分たちのテリトリーにズカズカと侵入して欲しくなかったのだろう。

 この頃、私たちは、あの時ケンがああ言った、こう言ったと、言い合っては笑っているのだが、ケンが残していった語録の中で、一番の傑作は「オカーサンノ オウチ」だろうか。このオカーサンはケンにとっては、おばあちゃんである、この私のことである。ちょっと説明しておきますと、ケンはこのワタクシ・なぎさのことを「オカーサン」と呼んでいた。というのは娘が私のことを「おかあさん」と呼ぶので、それにならって、オトーサン、オカーサン、オニーチャン、オバーチャンなどと呼んでいたのだ。

 そういう次第であるのだが、ある日のことである。娘とケンが、よそから帰ってきて我が家の玄関に入ったとき、娘がケンに訊いたそうだ。「ここは誰のおうち?」するとケンは「オカーサンノ オウチ」と言ったというのだ。娘からそれを聞いて私は内心驚いた。二歳児にも真の実力者はわかるものなのだね?ここがオバーチャンノ オウチでもなく、オトーサンノ オウチでもなく、オカーサンノ オウチ、であることが。それで私は時々、いやひんぱんに夫に向かって言うことにしている。

 ミー 「ここは誰のおうち?」   夫「・・・オカーサンノ オウチ」

 ふ~~やれやれ苦節ン十年、やっとこの家 乗っ取ったかぁー、別に要らないけどね。ちなみにケンは迎えに来たパパとママとケンの三人で、大阪の自宅に帰っていったとき、玄関で娘が「ここは誰のおうち?」と訊いてみたら、「ケンチャンノ オウチ」と言ったそうである。二歳児の頭の中にも所有の概念はしっかり根付いているらしい、、、、。                        

 

 

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トリジン って知ってる?

Pict0038 我が家の子供たちが高校を卒えてささっと家を離れてしまうと、あとに取り残された老人三人の暮らしときたらまるで修道院のように静かなもので、テレビといえばニュースと天気予報を見るくらいなものだった。とはいっても修道院など見学したことはないので、実際のところはわからないのだが、、、。

 ところが息子の一人が家に戻ってきて、お笑いの番組なども見るようになると、たまにはアハハと笑うこともあるようになったのだった。

 この暮れから正月にかけて、私はなんどM-1を見たことだろう。息子や娘たちが一人また一人と時間差をつけて帰ってきては「今年まだM-1見てなーい」と言いながら録画を見る。友達が遊びに来てはまたいっしょに見る。私はまるでスナックのママみたいに、酒のつまみなど作りながらM-1を何度も見たのである。この頃の若いもんはごくふつうにお笑いを見るもののようだ。

 さて“M-1”というのはどういうものか。以前の我が家のようにNHKしか見ないのでお笑いなど見たこともありません、という方のために説明しよう。それは正式にはM-1グランプリというらしく、島田神助が企画し吉本興業主催の、いわば漫才の選手権大会なのだ。そしてお笑いで食っていこうかと志している若者にとってたいへん魅力的なことには、優勝者には1000万円その他が贈られのである

 2009年度の優勝者は『パンクブーブー』というコンビで、彼らの『陶芸家入門』はおもしろかった。さんざん入門したい旨を並べ立てたあとで「ここが自宅から一番近いんでー」という最後のオチにはつい笑ってしまったのだった。

 それで“トリジン”がいかなるものかというと、それは『笑い飯』(わらいめし)というコンビの二人が創案した、首から上が鳥で、下は人間という異形の架空の生き物なのだ。 で笑い飯が演った“トリジン”は島田神助くんがM-1史上初の100点満点をつけたりして最高得点を叩きだしたのだった。それでも優勝できなかったのは、M-1では演目が二本、秀逸でないとチャンピオンにはなれない仕組みになっているからである。つまり本選に残った10組の中から、まず三組が選ばれ、その三組が新たにネタを披露する。その中から選ばれた者がめでたく1000万円をゲットできるのだ。残念なことに笑い飯の二本目はイマイチだったために優勝をのがした。(と偉そうに書いていますが、WIKIPEDIAをちょこちょこ参照しながら書きました。)

 お笑いといえども一般教養がないと理解できないことも多く、私はトリジンの中で“マオウ”がわからなくて、これもネットで調べてやっと、そうか、シューベルトの魔王だね、とわかったのだ。それからまた、どういうつながりで魔王がでてきたのかとビデオを見直して、あーなるほどそうなのか、と合点がいったのだった。

 それやこれやでトリジンに気をとられて数日を過ごしてわかったことがある。それは、私はいつも「あー忙しい あー時間がない(自分以外の人のせいで)」とぼやいているのだけれど、お笑い関連で費やしている時間が結構長い、ということだったのでしたー。

 

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串を抜いてあげようか?

Pict0009  うちの下の娘は小さいころから愛想がよくない娘であった。親戚のばばさまなどから「おたくの○○ちゃんに会ったけれど、あっち向いてて挨拶しなかった」などと言われたものである。何故ちゃんとご挨拶ができないのだろう。むずかしいことではないのだ。この母のように、わ、うるさいばばさまが来た!と心の中で思っても、顔だけはにこやかに「おはようございます、今日はいいお天気ですね」と言えばいいのだ。

 それで娘に注意すると、ちゃんと挨拶した、と言うのである。まぁ、じゃ、それはタイミングが悪いんじゃないの?あちらがまだ遠くにいて、こちらに気がついていないときに挨拶してもわからないんだから、ちゃんと近くに来て、こちらを向いているときに 「おはようございます」と言うのだよ、、、とこまごまとこんな事をどれだけ言ってきかしたことだろう。

 今よりずっと若かった私は、ばばさまたちからクレームがくるたびに気にやみ、悩んだものだ。このあたりでは挨拶さへ人並みにやっておけば「なぎささんちの娘さんは実に申し分のない娘さん」で通るのに、だ。

 夫に、どうしてあの子は無愛想なのかしらねー、ほんとに世渡り下手なんだから、、、と言えば夫は言ったものだ。「気にしないでいいと思うよー、そのうち営業笑いでもなんでもするようになるさ。」 そして最近のことだが、夫の言っていたことが大当たりだ、ということが判明したのであった。

 娘は去年の春から社会人になり会社勤めをするようになった。暮れには我が家に帰省していたのだが、高校のクラス会があるというので、小さい頃から仲良くしている友達と出かけていった。その友達のママのKさんからあとでこんな話を聞いたのである。

 Kさんは言った。「うちの娘が言ってましたけど、おたくの○○ちゃんとっても変わったんですってねー。」

 「え~っ、どういうふうに変わったんでしょうかー?」と私は訊いた。Kさんが言うには、なんでもクラス会で、うちの娘はじつにフットワークよくてきぱきと動き、いろいろと人の世話を焼いていたそうなのである。そしてきわめつけは、友達に「食べやすいように(焼き鳥の)串を抜いてあげようか?」と言ったとのこと。

 それを聞いて私はアハハーと大きな声で笑った。Kさんも負けずに笑った。Kさんはうちの娘の人となりを小さいときから知っているので、笑う資格があるのである。うちの娘ときたら、人からサービスしてもらうのは当たり前と心得ていて、自ら体を動かし人様のお役に立とうとするなど、ちょっと信じがたい子だったのだ。

 あぁしかし、ありがたい事だ。親がどれだけ言ってもきかなかったのに、親の手の届かないところで、会社が世間様が社会の皆様が、娘を教育してくれているようなのだ。

 私は今でも時々この「抜いてあげようか?」を思い出すとおかしくなって、一人でクククと笑ってしまう。けれど昨夜テレビで、養老猛司さんが言っておられたが、小さいころ近所の人に挨拶することがどうしてもできなかったのだそうだ。人にはそれぞれに理由があるのかもしれない。

 近くの通学路に立って登校していく子供たちを見ていると、元気に挨拶する子もいれば、下を向いて恥ずかしそうにして通り過ぎていく子もいる。子供が明るくさわやかに挨拶してくれると、晴れやかな気持ちになっていいものではあるが、子供なりにあいさつができない理由があるのかもしれないと思ったことだった。

 

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『あかちゃんのドレイ』

Pict0116 娘の愛読書に『あかちゃんのドレイ』(大久保ヒロミ作)という漫画本がある。それを我が家に置いていったので、ちょっとばかり読んでみた。あとを引くおいしさ、ではなくおもしろさでなかなか止められない。あかちゃんのいる日常生活のなんでもない話題を描いてあるのだが、そうそう、わかるよ、家に小さい人がいると、そうなんだよねーと共感することばかりなのだ。ドレイのごとくに小さな王子様 王女様に振り回されているヤンママの忙しさ、苛立ちや心理が巧まざるユーモアでもって描かれている。 それでも作者はこうして漫画を描く時間を捻出しているのだからエライものだ。 うちでは娘も私も、たった一人の子供のことで気もそぞろで、何をする余裕もなくマゴに翻弄されかく乱されていたものだ。(ブログもほとんど書けなかったデス)

 マゴがうちにいた頃のことだが、子供というものはどうしても外へ出たがる。オソト、とはまだ言えなかったがウンウンと大人の手を引っ張って散歩へ行こうと要求する。まだ家の用事がすまないうちは、散歩になど行きたくないのだけれど、自分の靴を差し出して、さ、はかせて、とつぶらな瞳で見上げられたらもうお付き合いしないわけにはいかない。

 五分ほど歩くと、バスの整備工場がある。常時10台ほどのバスがとまっていて工場の人たちが忙しく立ち働いている。それを金網ごしにバ!バ!(バスのことです)と言いながら張り付いたように離れようとしない。これをやっとのことで引きはがし少々歩くと次は三叉路に出る。いちおう国道なので交通は頻繁で、大好きな車が次から次にやってくるものだから、右を見て左を見て、ブーア!ブーア!

 私たちがクルマと言うのでクルマと言っているつもりが、ブーアとなるようだ。 30分もそこにいれば排気ガスでだんだん眼もチカチカとしてくるし、家のことも気になるしで、早く帰りたいのだけれどこれまた離れようとしない。

 こういう事態になると娘などは携帯で「誰か連れに来て~この子が動かないの~」とかよく言ってきたが、そうすると私などは「そんなに子供の言いなりになってどうするの、しっかりしなさい!」と気合をいれたものだ。それでもなかなか帰ってこないので様子を見に行くと、マゴは大地にへばりついてまだ帰らんぞ、と抵抗しているのだった。

 「モォッ!いい加減にしなさいっ!」とジタバタするマゴを小脇にひっかかえ、問答無用とばかり連れ帰るのだったが、ある時、マゴが私たちを真似て「モォッ!」というのには笑ってしまった。口癖みたいにモォッ!を言っていたらしい。

 そんなことどもを思い出していると、娘から電話があった。「おかあさん、そちらから送ってくれてる荷物、何時ころ届くの~?」どうして~?と訊いたらば、マゴが散歩に行くと自分で決めていて、一人でバギーに乗っているのだという。留守中に荷物が届いたらいけないと思ってたずねてきたのだ。荷物は夕方届くように指定してあるので心配はないのだけれど、私にはマゴがあっちに行け、こっちに行けと指差す方に、ハイハイとバギーを押す娘の姿を想像すると、おかしさがこみ上げてきたのだった。

 娘とマゴが帰っていって、我が家も静かな暮らしが戻ってきた。マゴはなにかひとくち食べると、ニコニコしながら「ウマっ!」と大きな声で言っていたものだ。たいしておいしくないものでも必ず機嫌よく ウマッ!と言っていた。それにならい私たちも今、何かひとくち口に入れたらウマッ!と言ってみては王子様におつかえしていた日々のことを想うのである。

 

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もしも宝くじに当たったら

Pict0012 新聞記事によると、イタリアで宝くじに当たった人がいて、それが莫大な金額なのだそうだ。こんな幸運が突然舞い込んできたら、普通の人は人格を豹変させずにすむのだろうか。

 雑誌で読んだのだが、アメリカで、ある機関が過去、宝くじ(と言うのかどうか知らないが)に当たった人100人の追跡調査をしたところ、99人までが、訴訟中であったという。それまで家族仲良く暮らしていたというのに、大金を目の当たりにするや、夫や妻、親子のあいだで、「沢山あるんだから半分寄こせ」などと言い出して、お金をめぐるトラブルが発生したということなのだ。

 一人だけ、それまでと同じ暮らしをしている人がいた。その人はお金を銀行に預けたままにして、これまでどおり農業をしている、ということだった。

 さて、当たるといえば、私は数日前、ごま油を買ったのだが、それにはひらひらした紙切れがついていて、虫メガネでよくよく読んだら、「この応募券をハガキに貼り付けて送ったら、5000円当たります」と書いてあるのだった。ちょうど手元に未使用の年賀ハガキが一枚あったので、それに貼り付け投函することにした。するとなんだかとてもハッピーな気持ちになったのだ。忘れた頃に「ハイ、5000円当たりました~」なんてことになったら嬉しいものだ。

 友達によると、こういうものは割りと当たりやすいらしく、シリアルについていた券を送ったところ、全部当たりで、次から次にお皿が送られてきたというのだ。虫メガネで読まなくてはいけないとなると、誰でもおっくうになるものだから、これは意外と穴場で、確率は高いかもしれぬよ。 

 実は私はまだ、宝くじというものを買ったことがない。売ってるところを横目で見ながら素通りしているのだが、一度くらい買ってみて楽しい夢をみてみたいものである。なんでもバラで買ったり、ツヅキで買ったりするのもお楽しみのうちだそうではないか。

 けれどどうしようか、もしも宝くじが当たったら、、、。突如としてお金持ちになったがゆえに不幸になった人たちのことを私たちは知っている。それまでビンボーでも平和に暮らしていたというのに、お金をみたとたん、目の色を変え、骨肉の争いをやりだした人は多い。ではこっそり誰にも知られずに、当たったお金をゲットする方法がないものだろうか。

 けれど、それが出来たとしても、お金というものは盛大に無駄使いしてこそ楽しいのに、ひっそりと隠し持っていたとしても、なにが楽しいといえよう。う~ん、悩んでしまうな~。うちの子供たちがお金を見て、人格の荒廃を招くようだったら、宝くじで当たったお金のことは教えないほうがよかろう、と思うし、、、。悩ましいなぁ~。

   

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