それは時間の無駄です

 ある日の夕方テレビをつけたら、京都・大原に住んでいる、ガーデナー、エッセイストとして有名なベニシアさんが出ていた。なんでも彼女の母ジュリアナさんの墓参をかねて、兄弟姉妹に会うためにアイルランドを旅している、ということのようだった。

 番組をはじめから見ていたわけではないので、詳しいことはわからないのだが、ベニシアさんの母は貴族出身だったらしい。しかしある理由から(多分もっと自由奔放に生きるため)その身分を捨てたということだ。そして4回結婚し、4回離婚したのだった。ベニシアさんによると「母は辰年うまれで、(イギリス人なのに干支に関心があるらしい^^)スケールが大きく、力強く 情熱的、人生をとことん楽しもうという精神が、誰にも止められないほど強かった」ということである。

 母上が4回結婚したので、ベニシアさんには異父の兄弟姉妹が大勢いることになる。ジュリアナさんは晩年はアイルランドでホテルを経営していたので、そこの近隣の人々や彼女の子供たちが、ジュリアナさんの人柄について語っていた。なかでも義理の娘に当たるという人の述懐は特に興味深かった。 彼女は言った。「私はすごくSHYだったけれど、ジュリアナから、それは時間の無駄だ、と教えられました。」

 SHYであることは時間の無駄なのかと私はおおいに驚いた。恥ずかしがっていたり、人の後ろに引っ込んでいたり、繊細すぎたり優柔不断であったりすることは時間の無駄なのか。

 それから数日たった或る日のこと、朝からいろいろと腹立たしいことばかりが起きてきて、私のイライライリイリはつのっていた。「こういうのがヒステリーっていうんだよね」と自分で思いながらも、どうにも気分はおさまらないのだった。 そんな時ふと天の一角から聞こえてきたのだった。「それは時間の無駄じゃよ~~!」

 それで私は理性を取り戻すことができた。ここで誰かに八つ当たりしても事態は好転しないばかりかますます悪くなるだろう。しかも泥沼に浸かったような気持ちでいたら、ただでさへ残り時間は少ないというのに、まったくの時間の浪費なのだ。私はようやく気持ちを切り替えることができた。ありがとね、ジョリアナさん、いいこと教えてくれて。

 ジュリアナさんは突然の交通事故でこの世を去ったということだ。けれどその人生は、すべて自分の責任において決断し実行したものであったろうから、十分に満足のいくものであったろうと思う。私も今度生まれ変わったら、そういうふうに生きてみたいものだ。今生は無理ね、私ってこうみえてもSHYなのよ。いや、今からでも遅くはないか、、、。 

 

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それとなく紅き花みな友にゆづり

 与謝野晶子(当時は鳳 晶子)山川登美子、与謝野鉄幹(当時は寛)の三人が初めて会ったのは1900年の8月であった。晶子22歳、登美子21歳、鉄幹27歳の運命的な出会いの日であった。

 その時から二人の若い女は鉄幹への恋のとりこになってしまったのだった。しかし鉄幹には滝野という妻があった。しかも鉄幹の主宰する新詩社の経営、短歌集「明星」の発行の資金のほとんどは妻の実家から提供されていたのだ。そういう事情もなんのその、晶子は鉄幹と初めてあった翌年の6月には故郷を捨て鉄幹のもとへと出奔。その間わずか10カ月。

 “狂ひの子われに焔の翅(はね)かろき百三十里あわただしの旅”(晶子)

(あなたへの恋心に身も心も焦がれんばかりとなった私は、恋の焔の翼をもって東京への百三十里の道をあわただしくやってきました。)

 そしてその年の10月には電光石火の早業で妻の座を奪取したのだった。そんな行動力のある晶子に対して、福井の裕福な家でおっとりと育った登美子が張り合ったとしても、太刀打ちできない相手であったろう。登美子は心の中でひそかに決心をする。紅い花をみな友にゆずるのだ。

 “それとなく紅き花みな友にゆづりそむきて泣きて忘れ草つむ”(登美子)

 (それとなく友人のあなたに紅い花をみなゆずり、自分自身の恋心にそむき、泣きながら忘れ草を摘み、すべてを忘れようとしている私なのです。)

 それからの登美子は山川一族のホープであった山川駐七郎と結婚。しかし結婚生活は長くは続かず、二年もたたないうちに夫は胸部疾患で亡くなってしまう。その後、実家に戻った登美子は日本女子大の英文科に進むも、自身もまた夫と同じ病を得て、中途退学を余儀なくされるのだった。 夫もなく子もなく、まるで挽歌を歌うために生れてきたのではないかと評された登美子の歌。

 “わが柩まもる人なく行く野辺のさびしさ見えつ霞たなびく”(登美子)

 一方晶子のほうは、11人の子供を育てながら、歌人として評論家として教育者として大車輪の働きをするのだった。のちに、晶子の名声があがり、鉄幹先生ではなく、晶子先生に来ていただきたい、と講演の依頼がきたりすると、夫のプライドを傷つけないよう巧妙に手配をする賢婦人でもあったのだ。

 “筆硯煙草を子等は棺に入る名のりがたかり我れを愛できと”(晶子)

(子供たちはあなたが愛用していた筆や硯や煙草を棺にいれているけれど、あなたが一番愛していたのは、このアタシなのよ、ということを言いかねました、、、。)

 若狭とは福井県西部の日本海に面した一帯をさす言葉だそうだ。登美子の生まれた小浜も日本海をのぞむこの一隅にあり、古くから開けた港町で教育に熱心な土地柄でもあるという。登美子の父は女子教育にも理解のある進歩的な考えの持ち主であったので、当時としては珍しく大阪の梅花女学校で英語を学ぶことができたのだった。そんなころ短歌をつくりはじめ、鉄幹に出会ったのだった。

   “髪ながき少女とうまれ白百合に額(ぬか)は伏せつつ君をこそおもへ”登美子

(黒髪の長く美しい少女と生まれ育った私は、白百合の花に額を埋めるようにして、あなたのことを思っているのです)

 「明星」では同人の女性たちを白い花にたとえて呼ぶならいがあり、登美子は白百合の君とよばれたのだった。 

 登美子が永眠したのはまだ29歳9か月のときであったという。 こころざし高く、人に譲るという美徳をそなえていた登美子の生家はまだ当時の面影を宿したまま残っているそうで、石垣積みの上に赤芽モチの生け垣が続く堂々たる構えの住居なのだそうだ。

 いつかそのあたりを歩いてみたいと思っていたところ、 今日(7月29日)のTVで、若狭のサバを使った「なれ寿司」のことを放映していた。なんと 2年間も漬け込んだままにしておくのだそうだ。初めて見た「なれ寿司」。おいしそうなものも沢山ありそうな若狭。

 わかさ、、、。なんと響きのよいことばなのだろう。いつか若狭の海を見てみたい。鯖街道というのがあるそうなので、そこをのんびりバスで行ったら、どんなにロマンチックな旅になることだろう。

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あの日に戻って

Pict0080 今朝ラジオを聴きながら仕事をしていたら、こんな川柳が紹介されていた。“プロポーズ あの日に戻って断りたい” 私は思わず一人で笑ってしまったのだった。

女にとって、いや男にとってもだろうけれど、結婚というのは乱気流に突入するのと同じくらいに一大事である。それまで親の庇護のもと、のんきに楽しく無責任に暮らしていたのが、にわかに、もろもろの煩雑な事態に丸腰で対処しなければならないことになるのだ。

皇后様が「こんなおうちに嫁いでこなきゃよかったわ~ほかに選択肢もあったのに~」などと思われたことがあったかどうかはわからないが、このたびめでたくも結婚五十周年を迎えられたという。

私は新聞記事で天皇陛下のお言葉を検証してみました。

『私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います』 さて私はほとんど考えたこともなかったのだが、皇室の方々は大勢で暮らしていらっしゃるというのか。それはまるで、年がら年中合宿をやっているようなものではないだろうか。

クラブ活動の合宿だったら私も経験がある。それははじめのうちこそ楽しいが、日にちがたってくるとだんだん疲れてきて、早くオウチへ帰りたい、と思うようになるものである。

しかもそこでは沢山の人が皇后様の指示や決定を待っているであろうから、「まー今日は大変な一日だったわ~」と言ってのんびりしている暇などないことであろう。それに家の外でも中でも人目にさらされ続ける、というのでは身も心も休まるときがないであろう。

それでも皇后様は『何事も静かに受け入れ』られたのである。何事も静かに受け入れることができない私。しょせん庶民レベルの出来事ではあるが、なぜ?どうして?とジタバタするか欝っぽくなるかして、受け入れるまでにはそうとうな時間がかかるのだ。静かに受け入れられた、と聞いただけでも皇后様の偉大さがわかるというものである。

さて最後にきわめつけの川柳をひとつ。(どこかで読んだのですが)

“玉の輿 乗ったつもりが欠陥車”

もうほんとに、言いたい放題ってかんじですねー^^ 私たち皇后様の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいんじゃないでしょうかー。

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なぎさのひとめぼれ

009 011 それは二月半ばの冷たい雨の降る日のことだった。私は近くの小学校でのある会合に出席すべく傘をさして出かけた。玄関のあたりでしばらくのあいだ連れを待っていると、背後から銀の鈴をふるようなうるわしい声がした。「お外は寒いですからどうぞ中にはいってお待ちください、、、。」

ハッとして振り向くとそこにはうら若い女性がにこやかに微笑んでいた。色白にしてふっくら、小首をかしげたさまは一幅の絵をみるごとくに美しい!(おぉ、こういう女性が五島にもいるのか、、、!)

家に帰った私は夫に言った。「……ああいう感じの良い人がうちの子のお嫁さんになってくれたらいいわね~。(なにしろうちには未婚のムスコが複数いる) でもうちみたいなガラガラで品のないうちには来てくれないよね~」

すると夫は意外にもこう言った。「そりゃわからんよ。“長者どんの娘もいうてみよ”というからなー」

へ?そんな格言だかことわざだかあったかなー?あったとするなら出典はずーっとまえ子供たちとテレビで見ていた『日本むかし話』だろうか。そういえば水呑み百姓のせがれが長者どんのお姫ィさまをゲットする話はいろいろあるよな。

さて数日たって、私はPTAの用事でしょっちゅう小学校へ出入りしているAさんにその女性のことを尋ねてみた。キーワードは「色白、ふっくら、声よし、笑顔よし」それだけ。

するとAさんは即座に言った。「それは○○先生でしょう」そして聴きもしないのに付け加えた。「残念ながら結婚してるのよね」

なぁ~んだ~。ふくらみかけた風船がしょぼんと空気が抜けていくぅ~。

まさかワタシったら華岡青洲のハハみたいに一人乗り込んでいって「おたくの娘さんをうちの息子の嫁にいただきたい」なんて言うつもりはなかっただろうねー。

で、そのハハはというと、息子が京都へ医家の修行で不在のあいだは嫁と仲良くしてるのだけれど、息子が帰ってくるとたちまち豹変してただの意地悪ばぁさんになってしまうんだよね。

ま、それにしてもほんとに素敵な笑顔のひとでした。たったの5秒ほどしかお顔を見ていないのに忘れがたい強烈な印象を受けたのだった。

けれどもおかあちゃんがひとめぼれしたところでどうにもならない世界であることは確かだ。たで食う虫も好きずき、TASTE DIFFERなんだよねー。

(さて写真は京都駅のケーキ屋さんで見たケーキたち。おのぼりさんは見るもの聞くものみな珍しく、なんでも写真にとりたがるのでした^^)

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身辺の整理ができてないものですから

Pothuraka_001 最近のある日のこと、私は朝早くからお墓の掃除、庭の草取りなどに精を出しがんばっていた。すると夕方にはなんだか具合わる~くなってきて頭もズキンズキンと痛み、ご飯の支度どころではなくなってきた。

私はT(夫)に言った。「なんだか死にそうー、だけど身辺の整理がまだだから死ねないワー」

するとTは優しく言った。「そんなこと全然気にしなくていいよー、なにもかも燃えるゴミと燃えないゴミに分けて捨ててあげるからねー」

へ?なんだそんなことなの?わたしゃこれまで、立つ鳥、あとを濁さず、などと聞かされ、死にゆくときは綺麗に片付けてのち旅立たなくては、、、などと思い込んでいたのだよ。そういうことだったら後顧の憂いなく、さようならすればいいのねー!よおくわかりましたわー。

それから私は痛む頭を抑えながら、先ほど聞いたばかりのWさんに関する情報について考えを巡らせた。海の男であったWさんは定年退職をしてさぁ、これからおくさんと陸(おか)でゆっくり楽しく過ごそう、としていた矢先に、おくさんを急な病で亡くしたのだった。

そして三年もしないうち(正確には二年半くらいか)再婚して、その新しいおくさんをトラックの助手席に乗せ、趣味で始めた畑仕事に連れ出している、ということは以前から聞いていた。Wさんの前夫人とは子供同志が同級生だったこともあり、かなり頻繁に行き来をしたこともあったのだ。

しかしながら、新夫人が東京の人でバツイチで、しかもネットで知り合った人だというのは初耳であった。

考えてみればWさんは港々で浮名を流した、かどうかは聞いてないが、まぁイイ男、もともと資産家のうえに、寝てようが転がってようが、人もうらやむほどの年金が払い込まれる、という申し分のなさ。子供達と言えば結婚して遠くで暮らしていて問題なし。

はるばると東京からこちらへお嫁に来るだけの強力な魅力がWさんにあった、ということなのだろう。

けれどもですよ、たとえばWさんちには母親が一人おりまして(父親でもいいのだが)毎食きちーんとご飯を提供してくださいなー、という条件があったならば果たして、この平成の御世に「はいわかりました、喜んでそうさせて頂きますわ」という殊勝なご婦人がいるだろうか、、、?

                     (この項続きます)  

写真はこの頃初めて、10年ぶりくらいに咲いた、夏に咲く蘭です、えもいわれぬ高貴な匂いがあたりに漂っています。

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ちょっとだけもったいぶらせて

003_2 ヨメ友達のEさんが来て言った。長女が結婚することになり、先方から婿どの、その父母などがやってきたという。そして父上は言ったそうだ。「本来ならば、、、あと二度ほどはこちらにお邪魔して娘さんを頂かねばならないところであるけれど、、、お互い忙しいことではあるし、この度のこの訪問で幾久しく婚約が整ったことにして欲しい、、、。」

それを聞いてEさんは驚いた。結婚は恋愛期間があって若い二人が決めたことであるからそんなに何度も来ていただく必要はないのである。(それにそう何度も来て頂いたら、諸経費かかりすぎ~~デス) だからハイハイ、それで結構でございます、と答えたのだそうだ。

あとでわかったことだけれど、長崎市近郊のその町ではお嫁さんを貰うのに少なくとも3度は娘宅へ足を運ぶ決まりがあるそうなのだった。

この楽しい話を私はSさんに教えた。するとSさんは知人から聞いた話だけど、と言って次のような話をしてくれた。

Oさんは息子が結婚したいという娘さんのうちへ息子と共に出かけて行った。するとその娘さんの母親が、顔を覆ってさめざめとかつ長々と泣くのだそうだ。Oさん困ってしまって、そのうち「そんなにうちの息子との結婚が嘆かわしいのなら、、、別にィ、、、」という気になりかけた頃。

そこのご主人が(泣いてるおくさんの夫)「これっ!いい加減にしなさい!」とおくさんを一喝した。するとおくさんはピタと泣き止みそれからは普通にニコニコとしていたそうである。

これもあとでわかったことなのだが、その地方(Sさんはそれがどこだか聞いていなかった)では娘をヨメに、と使者が来たりすると、母親が泣いてみせる風習があるのだそうだ。

ふうん、フクザツな心理合戦があるものだ。そんなことを聞くと、私は数年前、うちのムスメがヨメに行った時のことどもを思い出さずにはいられない。婿殿やあちらの両親がうちへやってきたとき、私は終始一貫に~こにことして、たいそう機嫌よくしていたものだ。あれだけ機嫌良くしていれば、あちら様では生まれたての仔猫を一匹貰っていくほどの難しさも感じなかったのではないだろうか?

よしっ!うちにはもう一人ムスメがいる。今度こそは少々勿体ぶってみせるか泣いて見せるか……と思ってみたけれど、もったいぶってるあいだに「もう要りません」などと言われたら、、、。「おかーさんのせいで結婚しそこなったー!」とムスメに生涯恨まれてもイヤなもんだわねー。やっぱりにこにこしてよっと。

それに結婚は自己責任でして欲しいものなり、と思っているので、結婚するゥー、と言えばあら、そうなの?離婚するゥーと言えば、あらそうなの?と言って、はなはだ薄情な母親ぶりを露呈しそうな気がするのですねー(^.^)

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男も女も見た目が9割

026 「千の風になって」を歌って、押しも押されぬエンターテイナーになった秋川雅文クンが言っていた。学食ですれ違っただけの女の子に一目惚れしてしまい、一年間想い続けて告白したら、アッサリふられてしまったそうである。それで、「くそーっ、オレをフッた彼女が後悔するくらいの男になってやる、見返してやるーっ!」というのがイタリア留学を決意した動機だったそうである。(こんなに下品な言葉ではなかったようでしたがーーー)

そして「一目惚れということは、結局その恋の決め手は、“顔”でしたね、外見です」と語っていた。

…ということは、ある女性が手に負えないほど気が強くて、家事を一切しないような女で、のちに百年の不作と言われようとも、はじめはまず外見で選ばれる、ということなのですね。

私は「人は見た目が9割」(竹内一郎著)を読んだ。アメリカのある心理学者の研究によると、人間が他人から受け取る情報の中で、「話す言葉の内容」が占める割合はたったの7パーセントだそうである。ほかは声や表情や、その人の人間性全体が90パーセント以上を占めるのだそうである。

「これは京都の銘菓でございます」と言われて、新聞紙にくるんだお菓子を差し出されても、じゃあ、よばれてみましょうか、という気にはならないものだが、同じものが、はんなりほんのり綺麗な和紙に包まれていたら、すぐに手を出すに違いない。欲張って3つくらいは食べてしまうことだろう。

かくほどさように外見も包装紙も大事だということですね。それで私はうちの子供達に伝えた。「内容はともかく、これからは外見をパリッとしないとダメよー。車もポンコツに乗ってたってダメ! せめてスカイラインくらい乗らなきゃ女の子が振り向いてもくれないかもよー」

適齢期のムスメやムスコがおりますと母親といたしましてはいろいろと気がかりが多うございますよ(^^)v

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時間励行の島、六島

_029 五島列島の数ある島の中に六島(むしま)という島がある。この島は別名“時間励行の島”と呼ばれ、その島に住む人々は極めて時間に厳格であることで知られている。六島の近くの島に住む人から聞いた話なのだけれど、、、。

六島ではずっと昔、人々が時間を守らなかったために、恐ろしい海難事故が起き、それ以来人々は時間に厳格になっていった、ということである。

たとえば、2時に会合を持ちましょう、と決めたとすると、人々は1時には全員集合する。だったら、もう始めたら?と私などは思うのだが、それはいけませんね。じゃ、みんなが1時に集まれるのだったら、これから1時に集まるようにすれば?と私は思うのだが、、、そうすると人々は12時に集まってくるし、奥さんは11時には昼ごはんを食べさせねばならないことになる。とにかく1時間前には、全員が集合することになっているのである。

ムスメやムスコが帰省するときなどは、JTBなみに綿密なスケジュールがたてられ、家は何時に出て、列車は何時に乗って、汽船は何時のに乗るようにと指令が出される。さすれば我々は1時間前から桟橋にて待つ。というわけである。

その島で去年の暮れに 「田舎に泊まろう」というテレビ番組の録画があったそうである。お笑いタレントの誰それ、という人が来たのだけれど、誰一人として「さあ、我が家に泊まってください」という人はいなかったということである。それでスタッフの皆さん困ってしまって急遽、別の島へ船で渡り、やっとのことで宿泊先を見つけた、のだそうである。

何をするにも1時間前から待機して事を為すのをポリシーとしている人々であるから、「ささ、どこでもいいから、今すぐ泊めて!」と頼むのは無理なことだろう、と私は思った。島の人たちの応対ぶりを私も見たかったのだが、このニュースを聞いたのは、ごく最近のことで残念なことであった。

島には厳しい‘掟’もいろいろとあるそうである。結婚式のときはこう、葬式のときはこう、、、。いろいろ。知人の話を聞いたあと、シミジミと思ったものである。「六島に嫁がなくてよかった~~!」  こういう厳格な島ではつとまらないと悟った私は、多分夜闇にまぎれて、脱走したに違いない、と確信するからである。

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つつしんでお断りを

天皇家に男のお孫さんが生まれたというニュースを聞いた時、私は不意に、何十年も前に歌っていた歌を思い出した。それはこんな歌。

 ♪ 鳴ったなった、ポーポー サイレン サイレン ランランキンゴン…  天皇陛下 お喜び……きれいな赤ちゃん 皇太子様お生まれなった♪

…のところは歌詞が不明であるが、ここで皇太子様というのは、今の天皇陛下のことなのである。天皇陛下ってお幾つなんだろうか。私は7名の人に聞いてみたが、誰もサァーネ~というばかりで知らないのだった。

それで私は独断で75歳くらいではないか、と思うことにした。すると私とは20歳くらい年差がある。(ちょっとサバよんでるかもしれません) それから、その歌を覚えるまでには5年くらいはかかるであろうから、、、天皇陛下がお生まれになって25年くらい経っても私の実家ではその慶祝歌が歌われ続けていた、ということなのだろうか、、、? どうでもいいことのような気もするが、あとで姉達に詳細を聞いてみることにしよう。

しかしテレビで見ていると、天皇家の人々ってほんとうに大変だと思うのだ。ロイヤルスマイルとよばれるあの微笑みもなんか痛々しい、と感じることが多い。

ふつう私たちは疲れたー、という時、タタミにゴロンと転がって、その辺にある座布団を二つに折って、 マクラにしてひとやすみ、、ということがないだろうか。アタシなんぞはシュウトメさんが見てないところでは、足が疲れたー、と思えば柱に足を投げかけて、、、イエ、そんなふうに一度はしてみたいものだなぁ~と思っているだけですが。

けれども高貴な方々は、タタミにころがるなんてとんでもないこと。ソファーにそっとかけるだけ。ユメ、長々と横たわるなんてこと、ぜーったいにしてはいけないことなんだそうだ。なんと不自由で窮屈なことでしょう!

それでもしかして、なぎささん、是非とも皇太子妃になってください!と所望されたら、つつしんでお断り申し上げよう、と心に決めているのである。けれどあと100回、生まれ変わったとしても、そんなご縁談が舞い込むことはまずなさそうだから、心配ご無用なのだが。

私はこんなふうに、天皇家のことを結構、心にかけているのである。日本には3千万軒くらいの家があるそうだが、その中でも特に大変な家であろうと、心から同情申しあげてもいるのである。

けれど庶民はあずかり知らぬひそかなお楽しみがあるのかもしれない。なんといっても私たちが見るのは、テレビの中のひとこまだけである。

それでも、、、やはり庶民のほうがラクチンみたい。不機嫌なときにはぶーっ、とふくれて。(私って、今、不機嫌な果実なのよっ)  疲れたら座布団まくらにネンネして。足は柱に投げかけて! こんなに自由で楽しいことがこの世にあろうか?

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一人は最高!!

この連休中、家族はそれぞれ出かけてくれて、私は一人で家にいた。「一人でさみしいでしょう?」といってくれる人には「ええ!それはもう、、」と人並みなごあいさつをしていたが、じつは私は(大きな声では言えないが)一人が大好きなヒトなのである。一人、家にいるのは心が晴ればれとして解放感があってなによりも自由で楽しかったのである。

        家庭では外にいる時より努力が必要である。

        家族に対しては社会に対してよりもっと努めなければならない。

                                      曾野綾子

そうなのだ、家庭というところは大変に気難しい所なのである。安息の場所にもなれば修羅場にもなる。日々心して努めなければたちまちにして崩壊するであろう。

             そういうストレスだらけの場所から一時的であれ解放された_041のである。わたしはシミジミと幸せを感じた。

庭にさいているカモミールが風に揺れながら言ったように思えた。「一人でさみしくないの?」  「いいえ、全然!」とわたしは言った。するとカモミールの白い花たちが口々に言ったように思えた。「なぎささんたらさぁ~、ちっとも可愛げのないヒトなのね~、だんなさんから離婚されてもわたしたち、知らないわよ~!!」

一人暮らしはたまにはいいものである。ふだん考えもしないことを考えさせる時間がたっぷりとあるのである。

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