三人の殿様に

Pict0086 長男が家に戻ってきてくれたのは喜ばしいことであったが、三人だったのが四人に、家業も二つという状態になると、私の賦役も大幅に増えて、なかなか忙しい日々を送ることになった。

久しぶりにKさんと出会った。Kさんは我が家から二番目に近い隣人である。一人暮らしということもあり、到来物のおいしいものなどがあるときはKさんの所へ持って行き、20分ほどはおしゃべりを楽しんだものだった。けれどもこの頃ではそんな時間もなくなっていた。

私はKさんに言った。「この頃ぜんぜん余裕ないんですー」するとKさんは言った。「そうでしょうよ。なぎささんは三人のお殿様に仕えているんですもの、忙しいはずですよ」

え?三人の殿様に? そう言われてみると、、、。そんな気がしてきたぞ。三人が暴君だというわけではないが、有言無言の要求、強制によって、したくもないことをしていることは多々あるのだ。

たとえば、「今日はトーストとコーヒーだけでいいんじゃない?」と私自身は思う日でも、旅館で出されるようなヘビーな朝ごはんを並べざるをえない、ということもあるし、磨きたくもない鍋の底をみがく、ということもしょっちゅうなのだ。

そうなんだー、今まで気づかなかったけれど、わたしって三人のお殿様にお仕えしてたのね、かわいそうななぎさちゃん!

それで私は夫に言った。「今日、Kさんに会ったんだけど、なぎささん、三人のお殿様に仕えて大変でしょう?って言われたのよー。それからね、(これより先はなぎさの創作)このあたりで、なぎささんほど朝から晩までよく働く人はいないと思う、って言ってた。ホントに世間さまってなにもかもよくご存知なのねー」

それを聞いた夫は言った。“自分は一度として、お殿様のように仕えて貰った覚えはない。それどころか、じゃじゃ馬の女房のご機嫌をとるために、朝から晩まで、馬車馬のごとくに働いておる”と、まぁこんなふうに言ったのですね。

それを聞いて私はへーっと驚いた。現象は一つなのにどうしてかくも主観に落差があるのだろう。私は滅私奉公してるつもりなんですけど。ぶー。

そういうオソマツなやりとりをしているころ、私は天皇皇后両陛下の記者会見をテレビでみた。両陛下は物静かに、かつにこやかに、感謝状をおたがいにやりとりなさっているのだった。

皇后様などは「これだけでは足りないような気持ちがするのですが、このたびも感謝状を」と限りなく謙虚でおくゆかしくいらっしゃる、、、。     つづく

    

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こんな夫もいる(3)

Tenntyann_107 Oさんは定年退職して3年目か4年目だが、退職してにわかに農業に目覚め、友人と畑仕事をして楽しんでいる。以下はOさんの奥さんのSさんから聞いた話である。

ふつうの人だったら、、、(とSさんは言った)ジャガイモを掘って家に持って帰ってきたら、ジャガイモを車から降ろすよねー。ところがうちのダンナときたら降ろさないのよねー。

先日のある日のこと、Oさんは愛車のMAXの後部座席を倒して、プラスティックのケース二杯分のジャガイモを収穫してきた。二段に積んで上段にはジャガイモを山盛りに積んでいたそうである。なぜかOさんはジャガイモをそのままにしてお風呂にはいり、食事をして、黒い服に着替えると知人のお悔やみに出かけた。

次の日の午前中もMAXを駆ってあちこち出かけ、昼になるとご飯を食べ、黒い服に着替え、二時にはお寺へ葬式に出かけた。ジャガイモとともに。帰ってくるとまた着替えをし、どこかへ出かけた。

夕方になって玄関で夫が大きな声で呼ぶので何事かとSさんが急いで出てみるとなんと車の中はジャガイモの大洪水だった。ちょっと危ないことがあって急ブレーキをかけたら、後ろに積んでいるジャガイモが雪崩れのごとくに運転席の方までゴロゴロと押し寄せてきたのだそうだ。

Sさんは夫のふだんがふだんだけに「知らないっ!一人でやって!」とあっちを向いていたそうだが、日も暮れてくるのでとうとう手伝うことにしたのだが、ジャガイモを集めたり、掃除機をかけたりとたいそう手間ひまかかったそうである。夫ときたら、「この車もそろそろ掃除をする時期だったんだよねー」とのどかなことを言っていたのだそうだ。

さて夫のOさんのふだんがどうであるかというと、、、テレビの前の定位置に陣取ったOさんは、何でも手が届くところにないと機嫌が悪く、360度回転する座椅子に座ったまま用を足し、ゆえに居間は片付くときがないのだそうである。

Oさんのことだぁ~い好き!といって、職場結婚したSさんなのだが夫がこーんなにものぐさだとは知らなかった、と言っていた。

そ、そうなのよねー。ヒトって同じ屋根の下に暮らしてみないとわからないことっていっぱいあるのよねー、と私も大いに同情したのでありましたが。

この世のさまざまな修行の中でも最大のものは何か、というとそれは“共同生活”だそうである。「共同生活は最大の忍耐である」という言葉も生まれたそうである。人それぞれに修行があるものみたいですね。

さて写真は去年の秋訪れた秋篠寺にて、畏れ多くも三つほど押し頂いてきたクチナシの実を、埋めておいたところ発芽してきたものです。かわいいでしょ。

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栗原はるみさんて感心!

019 今をときめく料理家、栗原はるみさんの記事を読んだ。

“心地よく暮らすためにいつも大切にしていること”が書いてあった。

☆楽しみながら部屋を心地よくする。花は欠かさない。

☆残り物を上手に使う。冷蔵庫冷凍庫のチェックも忘れない。

☆夫を玄関で送り迎えする。

☆夫の好きなものを知っておく。

☆どんな時も機嫌良くいる。

☆家にいる時も身ぎれいにしておく。

正直に言ってしまうが、私はこのどれも×である。夫を玄関で送り迎えする、、、などは簡単なようで実は結構大変なことである。私はたいていそのへんで「いってらっしゃい」と言い、なかなか玄関まで行こうとしない。あ、帰ってきたみたい、と思ってもそのうちこちらへ来るのだから、その時「お帰りなさい」と言うつもりでいると、、、ン?なかなか来ないなぁー、というので急いで玄関に行ってみたらよそのおじさんが立っていた!ということもよくある。

どんな時にも機嫌良くいる、ということも実にむずかしい。なにかというとすぐにブーっとふくれる私

そうそう、こんな発言もありましたよ。「ものにすると決めた英会話は毎日30分勉強します」……ムムム

「私は急に人が来たときに家に上がって頂けないようではダメ、と決めています、どうせしなければならないなら家事は楽しく」……いつも片付いていないから「どうぞ」と言えないでおります

あぁしかし、はるみさんのような、美貌の女性に、夫として立てられ、かしずかれ、家の内外はいっつもセンスよく整えられ、しかもこのうえもなく美味しそうな料理を食べさせてもらって、栗原玲児さんて男冥利につきるだろうなぁ~~!それにひきかえうちの夫はヨメの貰い方がハズレだったかもねーお気の毒に・・・・・・

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一人暮らしを愉しむ

Sikuramenn_001 統計によると、日本女性の65歳以上の過半数は、死別、離別、未婚、非婚によって、配偶者がいないのだそうである。ということは二人のうち一人は独り身なのであるから、夫がいない、という状態は全然珍しいことではないのである。

であるからして、今配偶者のある人も、なにかことで伴侶を亡くすことがあっても、いつまでも呆然としてないでささっと態勢を立て直し、元気に一人暮らしを愉しむのが賢明だと私は思う。

吉沢久子著『一人で暮らして気楽に老いる 夫のいない自由な生き方』を読んだ。吉沢家には子供はいなかったらしく、ずっと夫婦と夫の母の三人暮らしであった。三人とも知性、教養あふれる方々であり、日常の家事をはしょったりすることなどはなく、ていねいな暮らしぶりであったそうだ。

(ここで私見を述べるとするが)ワタクシの長年の経験と観察によると、キチンとした人々と共に暮らすということはなかなか気骨の折れるものである。キチンとしていない人々だと、、、「お昼はラーメンでも食べててねー」とか言いおいて出かけることができるが、「ちゃんとした食事をするべき」と信じて疑わない人々だと、、、ほったらかすわけにはいかないのである。

そいうことなので、久子夫人は地方へ講演に出かけるときでも超特急で我が家へ立ち戻り、夫と姑のご飯をこしらえていたものであった。

しかし姑も夫も死んでくれると、もとい、お亡くなりあそばすと、夫人も遠方へ出かける時には前泊後泊して名所を観光したり、美味しいものを食べたりすることも可能になったのだそうである。

また夫の生前中のあるとき、夫人はよその家で試したウォッシュレットのトイレがたいそう気に入り、夫に「うちでもあれにしましょう」と提案したことがあった。すると夫は「うちには必要ない」とあっさり却下した。夫人は夫に逆らうことなど思いもよらない人であったので、「そうですか」と引き下がったのであったが。

夫の死後すぐにトイレの改装にとりかかり、くだんのトイレを設置したのであった。(「わぁ~~、やっぱり快適だわぁ~~」)

それで夫人は書いていた。“年をとったら少しでも生活を快適にすることがあれば、早く取り入れる方がいい、と私は思っています”

私も全くの同感である。少しでも快適になるようであれば、早く取り入れたほうがいいのだ。どうぞ時間のあるお方は私が2006年5月に書いた記事『ダイヤモンドはいらない』を読んでくださいませ。そこでは夫の死も姑の死も待ってらんないワタクシがエイヤッとばかりに成し遂げたことを書いたのですが、そうするまでに18年くらいはかかっているのですねー。我慢しないで、どうせいずれやるのなら、早めにやってしまいましょうね~^^

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あとはよきにはからえ

Pothuraka_007 さて私は痛む頭で考えた。

ずっと前に曽野綾子の短編『ママのため』というのを読んだことがあるが、それはママのために結婚できないイタリア人男性の話だった。ママのために結婚できない男は世界中にいくらでもいるのである。うちでは今3人で暮らしているのだが、またあらたな三角関係を構築するのも難儀であろうなー、と同情したりもする。

Tに言ってみようかしら、、、お気の毒だけれどぉ、、、なぎさ亡きあと後釜にすわりましょうという奇特なお人はいないんじゃないでしょうかぁ、、、。

けれど言ってみる前に思いとどまった。先に死にゆく者は何を言っても無駄であり僭越というものなのだ。捨てがたく思い入れのある、あれもこれもがすべて、ゴミとして処分され、遺影は戸棚の奥深くしまいこまれ、残された者はまた元気を取り戻し好きなように生きていくのだ。

前W夫人も、よもやまさか夫がネットで新しい妻を探し出し、二人で仲良くキュウリや茄子を育てたりするとは、夢にも思わなかったに違いない。

そして私はふいに思い出したのだ。前W夫人がよく言っていた。待ちかねた夫がやっと帰ってくると、よもやまのことども、相談したくて切り出すと、二言めには「よきにはからえ」と言ってちっとも取り合ってくれないのだと。お前さんのいいようにしなさい、と言われても妻一人では思案に余ることもあったのである。

よきにはからえ、、かぁ。いい言葉だ。ではちょっと借用して私の臨終のときにはこう言うことにしよう。「長い間お世話になりました。あとはよきように、はからってください、さようなら」

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きょうはいちだんとかわいいねー!

004_2 全国の20代以上の既婚婦人に対してインターネットで「夫に言われて傷ついた一言」を尋ねたところ一位は「君も太ったね」だったそうである。「波打ってるねー」と言われてショックをうけた人もいる。次いで「家にいるんだからヒマだろ?」オレは仕事で疲れているんだ、誰のおかげで生活できてるんだ?片付けが下手だなー、(子供の素行が悪ければ)「お前に似たんじゃないのか?」等々夫たちは言いたい放題のことを言って妻を傷つける。

一方嬉しかった言葉についても尋ねたところ、「おいしいね、ごちそうさま」うちのごはんが一番おいしい、いつもありがとう、がんばってるね、君と結婚してよかったー、など言っては妻を喜ばせてくれる。極めつけは「今日は一段とかわいいね-」だろうか、この言葉には20代だろうが50代だろうがおしなべて妻たちは喜んでいるそうだ。

さて大人が三人で暮らしていると一日に最低5回はカチンとくることがあるものである。その日は朝からすでに7回くらいカチンコチンときて、ダーリンが、もといオットォが何か言ってるようだったが、聞こえなかったふりして、ブーとふくれて不機嫌な果実となっておった。すると背後から「きょうはいちだんとかわいいねー!」とオットォの声が~~!

ムッ、なんだなんだ、テキもあの記事を読んだのか?なにさ臆面もなくそんなこと言ってー、ヤなヤツ……と頭で思いちっとも喜んだつもりはないのについつい「アッハッハー」と笑ってしまいついでに機嫌も直してしまったのでありました。

そんな訳でして、こういう事例もあることですから、奥方の機嫌が悪くてお困りの方々は、一度「今日は一段とかわいいねー」と言ってごらんになったらいかがでしょうか?ほんとうのところ特に可愛くなくても後ろから口先だけでも言えばよろしいのでありますからね。

たいていの女は(このワタクシのように)かなりひねくれている女でも、まぁだいたい一発で機嫌を直すのではないかと思うのですが、、、。どうぞ試してみてくださいませ~(^^♪

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夢みるのが恋人たち 目覚めているのが夫婦だ ポープ

Petyunia2 「結婚したての頃、妻が可愛くて、食べてしまいたいと思った。今にして思えば何故あの時、食べてしまわなかったのだろう」……と言ったのは誰だったのだろう、日本人ではなく外国の有名な人だったのだけれど、、、、。思い出せない。

食べてしまいたい程可愛かった女性と念願かなって結婚できた人がいた。彼は結婚式の時、並み居る参列者を前にして宣言した。「ボ、ボクは、、、これから毎月(年に一度ではありませんからね)結婚記念日には、ボクの妻にバラの花束をプレゼントします!」

妻のほうもこれまた初々しく可憐ではかなげであった。結婚前ふたりでドライブしている時、彼女はにわかにトイレに行きたくなった。しかし「あのぉ、トイレに行きたいのですが、、、」のひとことが言えなくて、真っ青になって我慢していたというのである。

このトイレの件は、あとで彼女自身から聞いたことで今では笑い話なのだが、30年近くたってみると、トイレもおナラも遠慮はしないし、すべての決定権は夫ではなく妻にあり、このあたりでいち早くトイレをウオッシュレットにしたのは彼女であった。

バラの花束はどうなったかというと、妻の方から「そんな勿体ないことヤメテー!」と言われて月に一度はおろか、年に一度も贈呈していないそうである。財布が一つになるとバラの花を一週間愛でるよりも、食料を一週間分買いこんで生き延びたほうがいいと、ふつうの女は考えるものなのであるな。

最初のうちはなんともういういしく、可愛らしく、うぶだった女も長い年月の間には変貌する。けれどそんな変わりようを目のあたりにできるのも、これはこれで見応えがあって楽しい見ものだと思いませんか?

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こんな夫もいる(2) うちのおとうさんったらね~

001 月に二回、土曜日に生け花のお稽古に行くのだが、時間帯がほぼ一緒になるMさんが話し始めた。「うちのおとうさんったらね~、、、」

なんとMさんの夫は、今日はうちの奥さんが生け花の稽古に行く日だと思うと、くたびれてきた花を抜き取り、汚れた水を捨て、水盤をきれいに磨き上げ、そして新しいきれいな水を張って、さ、生けてください、という状態にしてくれているのだそうである。

わたし達はそんな話を聞くと、まぁ~Mさんのご主人ておやさしいのね~、と口々に賛嘆の声を上げるのだが、二週間に一度は「うちのおとうさんったらね~」を聞かされているので、いまさら驚いたりはしない。

すると隣で花を生けていたYさんが言った。「Mさんのご主人ね、昼前に会った時、きょうはお花の日ですよー、と教えてくれたのよー」

Yさんは実は、お稽古日だということをしばしば忘れることがある。それで、いつも先生が7時半過ぎになると「Yさん忘れてるみたいだから、電話しなくちゃ」といって電話をかけているのである。そんなことを知ってか知らずか、よその奥さんにまで注意を喚起してくれているのである。

はばからずに申し上げれば、ワタクシの夫もじっつに優しいヒトである。私が、あ、今日はお花の日だった、などと突然思い出すと、「行っておいで、なにもかもほっといて行っておいでよ」とやさし~く言ってくださる。

ではではと出かけていって(ひょっとして、、、と淡い期待をしながら)帰ってみれば、別にィ、台所はちっとも片付いてはいないのでありました。

Mさんちではどうなのかな~。さ、行ってらっしゃい、と送り出したあと、シャカシャカとお茶碗洗ってくれてるのかな~。今度の時、聞いてみようっと。

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こんな夫もいる

004 Yさんがバレーボールの練習から帰って一風呂あびて、さ、これからビールを飲むぞ!と居間へ行ったら、待ちかねたように夫が言ったそうだ。「立ってるついでに、二階の子機(電話の)を持ってきてくれ」

Yさんが「いやよ、これからビール飲むんだから」とあっさり断ると、夫は、じゃあイイ、と言って自分の携帯で話し始めた。そのうち通話料がもったいないと思い始めたのか、またどうしても必要な書類が二階にあったためか、いったん切って自分で二階へ子機を取りに行ったそうである。その親機というのはちょっと立ち上がり2歩、歩けばそこにあるのに、それをめんどうくさがるのよねー、とTさんは呆れながら言っていた。

ある日のこと、Tさんが夫に「あそこにこんなふうに棚をこしらえて欲しい」と頼んだところ、夫は「釘とカナヅチと板と脚立をここに揃えて置いておけば作ってやろう」と請合った。それでTさんがそうしたけれど、一ヶ月たっても実行しなかったそうである。Tさんは「モウイイッ!」と言って片付けてしまった、ということだった。

Tさんのうちには介護が必要なおじいちゃんがいる。(夫の父である)Tさんが風邪を引いて声が出なかった時、電話くらい出てよねー、と夫に頼んだのだけれど、そんな非常時でさえ、夫は電話に出ようとしなかった。

少しは声が出るようになった時、Tさんは叫んだ。「もう介護放棄するからねっ!!」

それから夫はちょっとばかりマシになったそうである。

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ああ、これで私が生きられる!

006 友達の友達のKさんはずーっと離婚願望があったのだが、なかなか踏み切れないでいた。Kさんの夫という人は、大酒のみで金遣いが荒く、ひねもすパチンコはするし、短気者で何もかも放り投げるしで、Kさんにとっては居てくれない方がいい夫だったのであった。(しかしkさんもなかなか負けてはいない人で、夫が一口言えば十口くらい返す人だったから、どっちもどっちではあったのだけれど)

さてkさんは子供達の結婚式の時、両親が揃っていないと、子供達が可哀相だというので、それまでは我慢していたのだが、さぁ!これからいよいよ離婚だと張り切った頃になって、夫は急な病気で不帰の人になったのだった。

私はそれからしばらくしてKさんが「やっぱりどんな夫でも、いないよりいた方がいいよねー」と述懐した、という話を聞いた。それで私もどんなお粗末な夫でも死別してみれば評価は変わるのであるなーという考えに傾いていたのだった。けれども「三岸好太郎と節子・その結婚生活について」という論文を雑誌で読んだらまた考えは変わってしまった。

画家同士の結婚生活は波乱に満ちたものだったそうである。好太郎は夫としては最悪で“典型的なうそつきで女たらし”であり、まるで経済観念というものがなく、三人の子供がありながら外泊を繰り返し、家庭を省みないのであった。

ある時夫は、自らある女性との恋を告白し「一週間だけ彼女と暮らしてやりたい」といって出て行ったそうである。それから待てど暮らせど帰って来ないものだから、妻は三人の子供を引き連れ二人の住む家に乗り込み、強引に夫を連れ戻したこともあったそうである。 (この私だったらそういう局面ではどうするだろうか?お金さえ沢山渡してくれればいいから、好きなようにして!と言ってしまいそうだなぁ~^^)

ところが夫は若干31歳で急逝してしまい、節子は未亡人となった。夫の死後、元気になる妻がいるが、節子もそうであった。「ああ、これで私が生きられる!」と切実に思った、というのである。問題児であった夫から解放され、絵に十分エネルギーを注げるようになった。そして子供を育てながらたくましく生きていき、ついに第一人者となり、文化功労者にもなったのであった。

そんなわけで、伴侶が死んだら、死んでくれて有難う、と感謝されることもあるのですね。

しかし実のところでは節子は夫の業績を高く評価し、また妻である自分に人生というものを教えてくれたのは莫大な遺産であったと語ったそうである。そしてまた「私はこの良人によって芸術というものを知った」と言って心中深く感謝していたそうである。よかったよかった。

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それは‘保留’です

Ikebana_029 昨日の夜はお花の稽古日だったので先生のうちへ出かけていった。お正月用のお花を活けたあとしばらく皆でおしゃべりを楽しんだ。Sさんがこんなことを言っていた。

Sさんの夫はとてもよく働く人で、休日など家の中、外、畑の作業など気づいたことは何でも自分から進んでやる人なのだそうである。

暮れの大掃除なども計画的にやってくれて、Sさんがウロウロしている間に天井板(!)から、電灯の笠、冷蔵庫の中、食器棚とあらゆる所を綺麗にしてくれた。

Sさんはたいそう嬉しく思い、また普段から夫のことをふか~く尊敬し、アイしてもいたので、夫の頼もしい背中ごしに夫に言ったそうである。

「おと~さぁ~ん、今度生まれ変わってきても私と結婚してねぇ~!」  すると夫はにべもなく「イヤダ」と言ったというのである。

Sさんは私たちに「あれは本心じゃないのよね、照れくさいだけよねー。」と言うので「そうそう」と言っておいたが、私は「案外、本心じゃないの?」と言いたくなるのをガマンするのに困ってしまった。(イジワルばァーさんになる素質大いにアリなもんですから)

我が夫と私は、次の世において共に暮らすかどうかは、すでに審議を終えている。「どうしようか?」と話し合ったことあったが、いみじくも同時に発声したのだった。「オレは(私は)保留!!」

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600人に聞きました

1811242526_039 今年もまた来年用の月のカレンダーを買った。月のカレンダーはなかなかいいものである。今宵は立待の月であるな、とか寝待月であるなとかわかって楽しみがある。

多分全国的にそうであると思うのだが、13夜から17夜くらいまでは月夜間(つきよま)とよばれ、船団を組んで出漁していた漁師さん達が、家へ帰って来る日である。

ある漁師さんの奥さんから聞いた話なのだが、その奥さんは夫が帰ってきた日には盛大にご馳走を作ることにしていた。ところが夫はあまり嬉しそうな顔をせず、不機嫌にしているので、どうしてかな~、とわからないでいた。

そしてやっとわかったことは、夫は、妻や子が自分の留守中、いつもご馳走を食べているのではないかと勘違いしていて、おもしろくなかったのだった。それでその奥さんは、方針を変え、夫が帰る日は質素な食事にすることにしたそうである。

私は雑誌の投稿欄を読んでいた。そこにある妻が投書していた。その妻は夫が在宅のウィークエンドにはあまりバタバタせず、夫と共にゆっくりしようと考えた。夫もそれを望むのではないかと思ったからである。ところが夫はどうも喜んでいないように思われ、どうしてかな~とわからないでいた。

そしてやっとわかったのだが、夫は、(自分が職場で大変な思いをして働いているというのに)妻がウィークデイにもいつもゆったりとのんびり遊んで暮らしていると勘違いして、おもしろくなかったのであった。その事がわかったのでその妻は、週末にはわざと「あー、イソガシ、イソガシ」とバタバタ動き回り、ふだんは磨かない鍋の底なども磨くようにし、窓ガラスを拭き、トイレ掃除にも励み、庭の草取りも這いずりまわってがんばるようにしたそうである。そうしたら、、、たちまち夫の機嫌は良くなり、子供のめんどうもみてくれるようになった。というお話だった。

新聞記事に、首都圏の20~40代の既婚男性と主婦計600人に実施したアンケートの結果が出ていた。男性が感じるストレスの60%は上司、36%は同僚。主婦は59%が夫、51%が子供、と答えたそうである。(複数回答) ちなみにストレスから想起する一字は男性が“耐” 主婦が“怒”だったそうである。

なるほどね~。妙に納得できる数字なのでありました。

(写真は12月6日、朝5時ころの満月ですがあまりぱっとしませんね~)

 

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女性は全生涯が結婚適齢期

_048 『おはん』を図書館に借りにいったら、「こんな本もありますよ」と言って、司書の方が宇野千代関連の本を数冊だしてくれた。これらを読むと、宇野千代のだいたいの生涯のあらましはわかった。

千代さんは98歳まで生きたのであるが、4度の結婚と4度の離婚をして、なおかつ2度の倒産をしてもめげることなく、雄々しく人生を生き抜いた人である。『私の幸福論』」を読めば、千代さんがいかに真摯に幸福を追い求めたか、どのように考えたら幸せになれるのかと考え抜いたのがわかろうというものである。。

千代さんによれば、「私は幸福、今も昔もこれからも」、、、これを呪文の如くに唱え、幸せだな~、と自分に言い聞かせればおのずと幸せになっていくのだそうである。またオトコが去って行く時も、1日くらいは泣いてもいいが、翌日にはきれいにお化粧して、一番良い着物を着て街へでていくように、寸時も別離の悲しみなどに浸っていてはいけない、との教えなのである。

千代さんはいうのだが真の才能の花咲く時期は60才を過ぎてからではないかと、、、。60才までは言ってみれば人生が騒々しいのである。体も心も騒がしい60才までは人生の修行をする時代であって、人生の本番を迎えるのは60才からなのであると。千代さんの代表作といわれるものは、すべて60才になってからの作品だそうである。

このあいだ私は「くたびれたぁ~」といってゴロンと転がっていた。自分でもまるで里へ下りてきた山姥(やまんば)の如しとは思っていたのだが、、、。

その時通りがかったオットが「コレコレ、結婚適齢期だろ!」と一声かけた。千代さんが「女性は全生涯が結婚適齢期ですから、いつでも身ぎれいにして、ゆめゆめ、年だからもういいやなどとあきらめてはいけない」と言っているのを私はオットに話したことがあったのである。

そうだよ、こんなふうにいぎたなく寝転んでいてはいけないよ。いつでもお声がかかるように寸暇を惜しんで女を磨いておかねば、、、。と起き上がろうかとしたけれど、やっぱりやめた。

たとえ「なぎささんをお嫁に貰いたい」という候補者が現れたとしても、、、。私は多分インタビューしまくることだろう。「あのォ、年金は年額いかほどで?」とか 「親御様の介護問題は?」 とか 「うるさいムスコやムスメの存在は?」 とか聞き出そうとする。そしてきっと言われるだろうね、「あなたのような心根の悪い嫁さんは要りません!」と。

「私ってね、死なないような気がするんですよ。」と千代さんは口癖のように言っていたそうである。永遠に死なないとは信じ難いことだけれど、そんな気がするものだから、毎日机の前に座り、もっといい作品を書こうと努力した千代さんは偉いな~、と思うのである。『私の幸福論』は95才のときの作品だけれど、そのお歳にして原稿料をゲットできるなんて、やはりたいしたものではないか、と思ったものである。

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名も知らぬ遠き島より

島崎藤村は、友人から、海岸に流れ着いた椰子の実の話を聞き、その実物を見ることなく、『椰子の実』の詩作をしたそうである。今、その『椰子の実』を読み返してみると、詩人の想像力と感性に畏れ入ってしまう。

私はY さんとは面識がなかったけれどある短歌集に寄せられた Y  さんの短歌を読んだことから、Y さんの人となりや生涯をいくらか知っていた。

Yさんはいわゆる戦争未亡人であった。夫は Y さんの住む小さな入り江から出征していき、二度と帰ることはなかったのである。 Yさんは来る日も来る日も浜に下りて夫の帰りを待った。戦死が決定的になってからも浜に下りずにはいられなかった。

そしてある日のこと、Y さんは浜に流れ着いたひとつの椰子の実を見つけたのだった。それを大切に持ち帰り仏前に供えた、という。Y さんにはこの椰子の実とともに夫の魂が帰ってきたように思われたのではないだろうか。

  生涯を忘るるなけむ遺児抱きて

         還らぬ君をひた待ちし夏  (Yさんの歌である)

Y さんは少しの野菜を作ったり、短歌を詠んだり、奈良や京都のお寺巡りをしたり、遠いところではドイツの西本願寺(だか東本願寺)のお寺に参ったりして穏やかな晩年を過ごされたということだった。

私は今朝、近くの83歳になるおばさまに、このあたりの五島の海に、椰子の実が流れ着いたことがありますか、と尋ねてみた。おばさまは、ずーっと前、何十年も前に一度だけそんな話をきいたことがあると言っていた。その椰子の実は Y さんが拾い上げた椰子の実ではなかったかと、私は思った。椰子の実が漂着した話はほかには聞いたことはないのである。

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Mさんのしあわせ

 Mさんが病院を辞めて結婚すると言ったとき、私たちは、Mさんは社長夫人におさまるのだね、と思った。Mさんは手持ちの縁談が沢山あったのである。ところが意外にもMさんの嫁ぎ先が、病院のすぐ近くの農家であるとわかった時、私たちは「え?」と顔を見合わせてしまった。

 Mさんはそれまで病院の近くを散歩する時、その農家のご主人と立ち話をしたり、きゅうりや茄子など少々もらったり、癌で奥さんを亡くしているご主人を慰めたり励ましたり、そういうお付き合いがあったということだった。けれどまさか結婚しようとまでは、、、思っていなかったのではないだろうか。

 あの暑い夏の日に悲劇がおきてしばらくして、散歩を再開したMさんは、通りすがりに畑で仕事をしている農家のご主人の所へ行った。そして何も言えずに黙って立っていた。そのご主人もなにも言わずに黙々と仕事をしていた。そんな事が何回もあったのちにMさんは不意に「この人のお嫁さんに貰ってもらおう!」という気になった、ということだった。

 冬のある日、私は友達と連れ立ってMさんの新居を訪ねた。白衣を脱いだMさんは白い割烹着を着て、農家のおかみさんらしくなっていた。ご主人はと見ると、もうどこをケチつけようもなく立派な人だ、ということはすぐにわかった。私はしっかり見ていたのだが、Mさんがコタツに座るとき、必ず、ご主人のすぐそばに寄り添うように座るのだった。コタツは四辺あるのだし、人間は四人いるのだから一辺に一人座ればちょうどいいんじゃないの?とわたしは思ったんですけどね。

 元荒川の流れに沿った道を歩きながらMさんは言った。「うちの人ったらね、とってもやさしいの。近所の人もね、お釈迦様に輪をかけたくらい、立派な人だって言ってるのよ。」  Mさんの実家も農家で、お百姓仕事はちっとも嫌じゃないとMさんは言っていた。

 じつは私は一人で憤慨していたのだった。「アイツメ(←Mさんの元の夫のことである)、 Mさんのこと、ろくろく探しもしないでほかの女と結婚したりして、許さん!! 」 ……とこんなふうに腹を立てていたのだけれど、Mさんのとろけるような笑顔を見ていたら、もう怒りは雲散霧消、あとかたもなく消え去っていたのだった。

  今、Mさん生きて在りまさば、90歳前後のお年だろうか。凛とした素敵なおばさまになっておられるに違いない。 

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新潟美人のMさんのこと

 今から40年くらい前のこと、私は埼玉県のK市に住んでいた。K市はこの頃では東京のベッドタウンとして発展して、マンションが建ち並んでいるそうだけれど、当時は水田が広がる中を元荒川が悠然と流れ、両岸には葦が生い茂り、白鷺が優美に舞う、のどかな田園地帯だった。

 その川のほとりに親戚のものが経営する病院があり、私はそこの看護婦寮に住まわせてもらって大学に通っていた。その病院に婦長として働いていたMさんはとても美しい人で人柄もよく、きびきびと立ち働くさまはまるで白百合のごとく、年の頃は50歳前後だったろうか、魅力的な人だった。

 Mさんは‘待つ人’としても有名だった。Mさんの夫は出征したまま生死が確認されていなかったが、いつかきっと会えると信じてひたすら待っているということだった。病院のドクターや、世話をした患者さんがMさんのことを気に入って何人もプロポーズしたそうだが、バッサバッサと断り続けてきたのだそうである。「なんだかすぐそこで 生きてるような気がしてー。」とMさんは言っていた。

 そんなMさんが夏の暑い日に白っぽい日傘をさして出かけて行った。古い友達に会うのだと言っていた。そして帰って来たとき、Mさんの美しい顔は蒼白でその手は小刻みに震えていた。Mさんはなにも言おうとしなかったし、私たちもなにも尋ねなかった。

 その日の出来事についてMさんが語ったのは何ヶ月も経ってからだった。Mさんと友達がよもやまの話をしている時、友達は言った。「ねー、あなたは今までこうして一人でがんばってきたのにねー、彼ったらねー、さっさと結婚したりして!」

 Mさんは「彼って誰のこと?」と聞いた。すると友達は驚いて叫んだそうである、「あなたって、知らなかったのぉー?!」

 なんということか、Mさんの夫は戦地から戻ってきて、Mさんが働いていた病院、及び宿舎のあたりが灰燼に帰しているのを見て、もうMさんがこの世の人ではないと判断してしまったのだという。そしてほどなく結婚したのだった。そしてすぐそこ 、Mさんのいるところから電車で30分もかからないところに、新しい妻と娘二人とともに暮らしている、ということがわかったのだった。

 Mさんの友人たちは誰かがそのことをMさんに教えたハズ、と思い込んでしまっていた。けれど誰もMさんに教えた人はいなかったのである。しかもMさんと会って話をする時、深い思いやりの心から誰も、Mさんの夫の新しい家族のことについて触れようとしなかったのであった。Mさん一人が何も知らず、降るような縁談を断り続けながら待っていたのだった。

 その日のことをMさんは言っていた。「あの時ねー、まるで煮え湯を飲まされたような気がして涙も出なかったのよ。どんなふうにして帰ってきたのか、全然、覚えてないの。」  そんなことがあった数日前に、長い間、Mさんのことを待ってくれていた男の人に、やはり結婚できません、と伝えたばかりだった、とも言っていた。

 私は未練がましく言ってみた。「もうそのかたとはチャンスはないんですか?」  するとMさんは笑いながら言った。「もう、終わったことですからねー。」

(さてこの話には続きがありますがそれはまた今度、書かせて頂きます。)

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どこにもいないのでここに来る

_071 一年くらい前のこと、テレビで俳句の番組を見ていた私は、おもしろい句だなーと思って急いでメモをした。

   夫(つま)逝きて  どこにもいないので  ここ(墓所)に来る

このぶっきらぼうな感じが忘れがたかったのだが、時々このメモをながめているうちに、だんだんと作者の深い悲しみが伝わってくるような気がしてきた。作者は、夫がすでにこの世の人ではなく、どこにもいないことは頭ではわかっているのだけれど、姿が見えないのでついにお墓までやってくる、ということだろうか。

30数年前に五島にヨメに来た私は、女の人たちが毎朝こぞってお墓参りに行くのに驚き、少し呆れた。実家の方でも折々にお墓の掃除をしてお参りはするものの、毎日ヤカン持参でお参りに行く習慣はなかった、と思う。

けれどもこのお墓参りは義務でも賦役でもなく、一つの愉しみであることはすぐにわかった。お墓参りは大手を振って家を留守に出来るチャンスでもあるし、ついでに社交にもはげめる有効な時間なのである。私は「今朝、お墓で聞いた話なんだけどね」といった話をこれまでいくらも聞いてきた。

そしてまたお墓参りは、船乗りをしている、また漁に出ている夫や息子の無事をご先祖さまにお願いに行く大切な日課なのである。むしろこのお願いがあるからこそ人々は、朝な夕な、お墓に詣でる習慣を身に付けたのかもしれない。

驚くべきことにこの頃では私もすっかりお墓参り大好き人間になってしまった。喜こばしい出来事があればご先祖さまに報告したいと思うし、精神的に辛いことあれば、黙って水を取替え、お花を差し替えるだけで心は不思議と安らいでくる。お墓のいいところは、なにも言わなくてもいいことである。ここは魂が交信する所なのだから、いちいち説明は要らないし、黙っていてもご先祖様はわかってくださるのである。

お墓の在りようやお骨の扱いについて、いろいろな考え方があると思うけれど、今の私は、お墓もお骨も善きものかな、と思っている。

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シャガールの妻、ベラは

_013       

画家にとって美しい霊感源であり、

勝手知ったる助手であり、

最良の理解者であり、

もっとも恐るべき批評家であり、

こまやかな秘書であり、

語彙豊かな通訳であり翻訳者であり、

交渉上手なマネージャーであり、

人脈豊かな外交官であり、

有能な家政婦であり、

しかも愛すべき妻で、二人の間に生まれた子供のやさしい母であった。

                       (日経 美の美 より)

こういう女性がほんとうにこの世に存在したのでしょうか?信じられな~い('_')

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