断捨離はイタイ

 ラクター(がらくた)コンサルタントを名乗るやましたひでこさんが提唱する片付け術「断捨離」 我が家でその断捨離の嵐が吹き荒れていたころのこと。私たちはひたすら、いろいろな物を捨てまくっていた。断捨離の基本軸は“私” と“今”だから、その範疇にないものはいさぎよく捨てるのが、その奥義なのだ。物置を整理していた時、夫が「これ 要る?」と私に見せたのは、レコードプレーヤーだった。私は数秒考えたあと、「イラナイ」と答えた。レコード針はびっくりするほど値段が高いし、もうレコードを聴くことはないだろう、と思ったのだった。その後、プレーヤーは分解して燃えないゴミの日に捨ててしまった。

 それからまた数週間後、私たちはまた物置に入り込み断捨離に励んでいた。その時なんと、昔聴いていたレコードの数々が出てきたのだった。その中には何十年も前、大好きでよく聴いていたバイオリニスト 前橋汀子さんのアルバムが二冊あった。「亜麻色の髪の乙女」とチャイコフスキーとメンデルスゾーンの「バイオリン・コンチェルト」

 う~~ん、なんということだ。はじめにレコードを見つけていたならば、決してプレーヤーを捨てたりしなかっただろう。落ちついて考えれば、いつかまたゆっくりと、レコードを聴く日が来るかもしれないのだった。シュウトメを見送り、オットを見送り、一人になって自由の身になったら、おごそかにレコード針を落とし、至福の時間を持つことができたかもしれないのだ。早まってしまったーと、後悔のほぞをかんだ。(最後まで生き残るつもりなのです ごめんね^^)

 それにしても前橋汀子さんは今頃何歳くらいになられたのだろう、と思っている頃、新聞記事で、デビュー50周年のリサイタルをやるという記事を読んだ。旧ソ連に留学されたのが17歳の時。20歳でデビューしたとしても70歳ではないか。小さな写真なのでよくわからないが、まだまだ綺麗なお顔だ。4月14日に後楽園・トッパンホールで演奏会は行われる予定で、ロシアものばかりを取り上げるとのこと。行きたいよーと言ってもどうにもならないことなので諦めるほかはないけれど。

 それからその数日後、山形県にあるレコード針の会社「ナガオカ」の社長さんの記事が眼にはいった。それによると “CDに続く音楽配信の登場でレコードは衰退の一途だが、アナログの音域の広さや臨場感が見直され、若いころに集めたレコード盤を再び聴き始める中高年も徐々に増えている。レコードがある限り針を供給していかねばならない”と書いてあった。そうか~。またレコードに戻ってくる人たちがいるのか。ナガオカの社長さんには廃業しないで、がんばっていただきたいものだ。

 入ってくる要らない物を「断」ち、家にはびこるがらくたを「捨」て、物への執着などから「離」れると、身の回りが片付いて、人生までが劇的に変わるらしいのだ。それで私も、そうだそうだ、まったくその通り!と一気にダンシャリアンへの道を突っ走ってしまった。が、嵐が止んでふと立ち止まってみれば、思い切りよすぎたかもしれない、、、と後悔することも多いのだった。

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愛車はタント~♪

 自動車の教習所に通った日々からず~っと私はトヨタの普通車しか乗ったことはなかった。けれど車検を前にしてトヨタにさようならをして、ダイハツのタントに乗ることになった。初めてタントを見たとき私は悪い予感がした。こういうオートマティック車というのは海に落ちた時、助からないんじゃないだろうか。で私はディーラーのおじさんに訊いた。海に落ちた時どうしたらいいんですか?彼は言った。「落ちないようにしてください」

 タントに乗るようになって3か月ほど経ったある暑い日のこと、私はタントの左後ろの席におかあさま(正確にいうと夫の母なのですが)を乗せて、知人の家まで送った。左後ろはスライドするドアだ。いつものように後ろに回ってドアを開けようと降りかけた時、おかあさまは言った。「そのへんのどれかを押したら自動的に開くんじゃないの?」

 私はまだその時、どのボタンを押したらドアが自分で開くのか知らなかった。あいにく老眼鏡も持たなかったので、あてずっぽうでどれかを押した。、、、開かない。ではともう一つ押した。、、、開かない。ではではといつものように後ろに回って開けようとしたら、開かない。それで右後ろのドアからはいって内側から左後ろのドアを開けようとしたら、、、、開かない。ヘンね~?

 で、右後ろの席から運転席へ身を乗り出してまたいろいろさわった。さぁどうだ!するとあろうことか、左後ろのドアが開かないばかりか、右後ろのドアまでがっちりと閉まって開かなくなってしまったのだ。その頃にはもう汗ボーボー。

 それでは運転席のドアはどうかなと開けてみたら、、、あーよかった、開いた。やれやれと運転席の背もたれをヨイショと倒してその上から這い出してやっとのことで脱出できた。

 けれどそんな荒技をおかあさまにさせるわけにはいかない。というのは母上は上半身は全然遜色ないが、下半身はポンコツ、もとい少々不具合であらせられるのだ。ハイハイして外に出れるような身体ではないのだ。どうしよう困ったなぁ~~。

 よし!もう一回とばかり、またいろいろさわって、さぁどうだ!と右後ろのドアをバンと開けたら、、、開きました~~!それでやっと右後ろのドアから出てもらうことができたのだった。

 だから私はこういう車って苦手なのよね。かの大震災でもオール電化された家ではがっちり施錠されていて、停電のとき締め出された人も多かったと聞いた。思うになんでも原始的なのがいいんじゃないかしら。というので私はストーブでもマッチで火をつけるのが一番好きなのだ。コンセントに差し込むタイプって非常時にはまるでお役にたたないではないか。

 とはいうものの、タントがご主人さまが近づくとジャンと開錠してくれて、立ち去ればまたジャンと施錠してくれたりすると、おお!ゆいヤツじゃ、とかわゆくなってくるのもたしかだ。問題はちゃんとマニュアルを読みこなさないといけないということなのだろうけれど、これがまたおばさんはめんどうで、“余計なものにはさわらない”をポリシーにして読まずにすごしているズボラさだ。おかあさまもあれ以来、どれか押してみたら?などとは一切言わなくなったのけれど、よほど懲りたのかしらね^^

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どろぼうの思い出

 先日我が家では、タダで引き取ってくれるというので、使えなくなったエアコンやらパソコン、鉄製品などを回収してもらったのだが、そのとき、ずーっと物置の片隅に置いてある銅板も持って行ってもらおうということになった。で、私はそこへ急いで取りに行ったのだが、なんと20数年も置きっぱなしだった銅板が忽然と消えてなくなっていたのだった。

 いったい誰が移動させたのだろう。けれどどう考えても家には銅板に用事がある人間などいないのだ。ということは夜闇にまぎれて、もしくは白昼堂々と誰かが持ち去ったということなのだろうか。見知らぬ誰かが家の周りを巡回しているのだろうか。ちょっと気持ち悪いな~。

 そんなことどもを考えているうちに、私は大昔の若い日の、ある出来事を思い出していた。まだ学生だった頃、私は駅の近くの小さなアパートに住んでいた。階下には大家さんがいて、二階に4室あり、部屋の窓から下を見るとレンコン畑が広がっているようなアパートだった。ある日の昼下がり、私は自室で本を読んでいた。すると、すっとドアが開き、(もちろん鍵をかけていたのだが、それは内側からボチッと押すだけの簡単な鍵だった)ハッと見ると2人の男が立っていたのだ。そして一人が言った。「あ、スズキさんじゃないですね」 で私は「いいえ、違います」と言った。二人は失礼しました、と言って立ち去った。

 私はしばらく呆然として、今のはなんだったのだろうと考えた。そしてやっとのことで「あーっ、どろぼうだー」と気付いたのだった。いやな気分になった私は気分転換しようと、昼ひなか銭湯に行くことにした。ついでに下の大家さんにカクガクシカジカのことがありました、と告げたあと出かけたのだった。

 銭湯から帰ってくると三台ものパトカーが来ていた。それからというもの「私は、、、」で始まる調書とやらを取られることになった。なんとそれは3時間以上もかかったのだった。「それはもうさっき言ったでしょ!」と叫びたくなるくらい何度も同じことを訊かれたのだ。ヤレヤレ。

 あとでわかったことだが、アパートの住人のなかで、日中は勤めに出ている女の人のところで、タンスの引き出しの中の2万円がなくなっていたそうだ。そのとき在宅していたのは私一人だったらしいのだが、驚くべきことに私は何一つ物音らしきものを聞いていないのだった。ドアやタンスを開け閉めする音、話し声はもちろんのこと、アパートの外側の鉄製の階段はどんな人が昇降してもいつだってギコギコいっていたというのに、まるでそんな音は聞かなかった。彼らが「失礼しました」と言って降りていくときも、まったく音を立てなかったのだ。

 さてその後、居心地が悪いと感じた私は駅の向こう側に引っ越すことにした。そこにはちゃんとした管理人のおばさんがいた。有難いような有難くないようなおばさんだったが、あとで有難いおばさんだったことがはっきりわかる事件が起きたのだ。

 そこは女の子ばかりが住むアパートみたいな長屋みたいなものだったのだが、共同の炊事場があった。ある日のこと、それは土曜日だったが、ちょっとお茶を飲みたいと私はヤカンでお湯をわかしていた。お湯がわくまでのあいだに部屋に戻った私は「きょうは土曜日だから泊まりに行こうかなっ」という気になり横浜の姉のところへそのまま出かけてしまったのだった、ヤカンはそのままで、、、。

 そして翌日の日曜日の夕方、横浜から帰ってきたのだが、そろそろ降りる駅が近づいたころになって、私は火にかけたヤカンのことを思い出したのだった。私はホームから背伸びをして、あたりが焼け野原になっていないかどうか見渡した。家々はいつものように立っていて、あぁよかった、どうやら火事にはならなかったようだと胸をなでおろしたものだ。管理人さんからは大いに叱られたけれど、ありがたくお小言をちょうだいした。

 女の子ばかりが住んでいるというのに、そのうちの一人がアメリカ人の男の子と同棲を始めたりして、蜂の巣をつつくような騒ぎにになったことなど、もう何十年も昔のことどもが次々と浮かんできたのでございましたよ^^

追記 それから二カ月ほどたって、アメリカ人のジョーくんは出ていくことになった。そのころには私たちは ハ~イ ジョー♪とあいさつするほどに仲良くなっていたのだった。去る日の前の晩、ジョーは共同炊事場で一所懸命にハンバーガーを作り私たちも手伝った。ハンバーガーでお別れ会をしたのだった。 

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こう忘れっぽいのでは

027 三月の終わりころ小さな旅をした。羽田空港に着いて迎えに来ているはずのムスコの姿を探すが見当たらない。携帯もうっかり充電切れで、やっとのことで公衆電話を探し出しコールすると、今まで寝てました、の声が聞こえてきた。

京急線に乗って品川乗換え新宿東出口まで一人で来てよね、と言うのだ。えーっ京急線だなんて初耳。おのぼりさんのおっかさんをなんと心得ておると言いたいところだが、気を取り直し前進することにする。

切符を買おうとしたところで気がついた。これまで引っ張ってきたキャリーバッグ(これより省略のためキャリバ)を公衆電話の前に忘れてきているのだった。

あたふたと走って行ったら、、、おりこうさんにちゃんと立って待っていてくれた。中にはムスメの卒業式に着ていくべく、春の装いをばっちり詰め込んできているのだった。(ところがその当日、26日はめちゃくちゃに寒くてとても伊達の薄着をする気にはなれず、とうとう出番なし)

さて、このキャリバを忘れてしまったのはこの時ばかりではなかった。4泊5日の旅をほぼ終えてさぁこれから五島行きの船に乗ろうか、という時。なんとタクシーのトランクにキャリバを忘れてきているのに気がついた。タクシーの運転手さんも忘れていてさっさと走り去ってしまったのだった。

さぁどうしよう!ここまで来て船に乗り遅れました、と言ったんでは家の者に「アホか」と言われるに違いない。出航まであと10分だ。

するとその近くにタクシードライバーの人たちが数人タバコを吸いながら話していた。青くなって「荷物が~」と言う私に、どこから乗ったのか、何色の車だったのかなど訊いてテキパキと連絡を取ってくれたのだった。その車が戻ってくるまでに5分くらいはかかっただろうか。すぐにお客を乗せていたらとてもこう首尾よくはいかなかったにちがいない。

脱兎のごとくに走り出した、といってもキャリバをゴロゴロと引っ張るのだから思うようにはいかないのだが、なんとかセーフで間に合った。あぁ良かった~ついてた~!

それから私は考えた。これから旅をするなら荷物を極力少なくするのも一考すべきだが、リュックサックを背負うというのはどうだろう。旅はハイキングスタイルでルンルン!素敵なリュックサックを探してみることにしよう、、、。と思いつつ或る人に相談したら「戦時中じゃあるまいし、そんな格好じゃみっともないですよ」ときた。

そうねぇでもこう忘れっぽいのでは、格好の良し悪しなど言ってはおれないのだ。

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これはなんと美しい花でしょう!

Y_011 三年前の今日は忘れがたい日である。ちょうどお昼ころだったか、姉が危篤になり、ドクターから覚悟をしておいてくださいと告げられた、と連絡がはいったのだった。

大急ぎで高速船に乗り込むも、涙がボーボーと流れるのをどうしようもなかった。けれども今では姉はすっかり元気になり、この世にいてくれるのはほんとうに有難いことである。

生死の境をさまよったあの頃から一年くらいたったある日のこと、姉はこんな話をしてくれた。

手術のあいだじゅう、姉は一面、紫色の花が咲き乱れる花畑の上を浮遊していたそうである。その中でも特に大きく美しい花を見つけ、姉はもっとしげしげと見てみよう、とその花に近寄った。その時ぱっとなにもかも消え去ったのだそうだ。その紫色というのは、えもいわれぬ気高い色であって、あれからずっとその紫色を探しているけれど未だみつからず、あれはこの世にある色ではないのかもしれない、と言っていた。

それからこんな話もしていた。オペのあと自室に戻されて一人でベッドに寝ていると、コンコンとドアをノックする音がした。姉は「おとうさん?」(姉の夫のことですね)と言いながらベッドの右方を見た。すると誰もいないので左方を見た。するとそこにはずらりと6人の人が同じ服を着て並んでいたというのである。

えーっ、そんなことってあるのぉー?ねぇねぇ、その人たちねー、背の高低とかあった?どんな服?男女の割合は?なにかしゃべった?どんなふうにして部屋を出て行ったの?訊きたいことはてんこ盛りにあった。

ところが姉は「あなた なにもかもブログに書くでしょ?いやぁよ」と言ってプイとあっちを向いてしまったのだ。残念!きっと好奇心丸出しで身を乗り出したものだから引いてしまったのかもしれない。

その姉という人は、ブログなんかで世間さまにいろいろ発表するなんて、よおくそんな気になるわねー、という人なんである。ところがほかの兄や姉は面白がって読んでいるらしいのだから、人って、ま、いろいろですね。

このたびは姉夫婦が全然パソコンをいじらない人たちなので、こういう記事を書いたのだけれど、そういう訳だから、甥っ子や姪っ子の良い子のみんなは、この記事のこと、あのSおばさまにはオフレコにしといてくださいね。そのうちおばさまのご機嫌のよいときに、根掘り葉掘り、くだんの六人の使者?のこと、聞き出そうと思ってますからねー。

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火曜日は水曜日

003_2 ある朝のこと、きょうは水曜日だから可燃物を捨てる日だよねー、と持っていったら、そこにあるのは、カン、ビン、ペットボトルばかり。まぁ皆さんそろいも揃ってどうして間違えていらっしゃるのでしょう、今日は水曜日でしょうが、と思いながらも、一人だけ異質な物を置いてくるわけにいかず持ち帰りカレンダーを見たら、、、なんとその日は火曜日だった。

それからお昼ころに会った人に「きょうは水曜日ですよねー」と言ったら「あら、なぎささん、きょうは火曜日ですよ」と言われてしまった。

夕方になってちょっと新聞のテレビ番組をチェックしましょう、と新聞を探したけれど、どうしてもないのだ。回収に出しましょう、とて数日まえに紐でくくっていたのも念のためほどいてみたけれどナイ。

今まで一度として、配達を忘れることなどなかった配達の人に電話してみた。「ひょっとしてもしかして、、、お忘れではないでしょうかぁ、、、」

配達の人は、「たしかに届けたと思いますが、予備がありますのでそれを届けましょう」と言ってくれた。

それから私はテーブルの上にある新聞をもう一度眺めた。それはもう10回くらい手に取ってみては「これは昨日の新聞だよねー」と確認の上にも確認した新聞だった。9月25日火曜日かぁ、、、。

その時になって頭の後ろの方から「きょうは9月25日、火曜日だよォー」という声が聞こえてきたのだった!

キャータイヘーン!急いで電話に飛びつき「あ、ありました~」と言おうとした時すでに遅し、玄関の方でバイクの音がしていた。ゴ、ゴメンナサイネー、人騒がせねー、まったくー!と平謝り、、。気持ちはドヨヨーンと暗く重く落ちてゆく、、、。私の脳はどうかなってしまったのか、これってオトシのせい?

そして本日10月9日火曜日、私は「今日は水曜日、英会話の日」と朝から思い込んでいて、夕食後ササッと片付けると勢いよく出かけて行った。そして半分くらい行った所で、、、「今日はもしかして火曜日では、、、」という気がしてきて確認のため戻ってきた。家の者に「今日はえらく早いね~」などと言われながらカレンダーを見たら、、、やっぱり火曜日でしたー。

で実はこれは初めてのことではなく、2ヶ月くらい前にも火曜日なのに出かけていったことがある。その時は教室のドアをさっと開けたら、異様に黒~い服のおじさんたちが一斉にこちらを見て、、、おっ、やーさんたちの集まりか?とドッキーン。

入り口にてあの方達はどなた達か、と行事予定のボードを見たら、校長先生方のお集まりだったのでした^^

さて写真は正真正銘我が家に咲いた夕顔(夜顔)です。

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野球オンチ

Petyunia_002 野球にはあまり関心がなくて、プロ野球の選手で識別できるのは、イチロー、松井、城島、松坂くらいなものだろうか。

このあいだ、スポーツ欄を読んでいたらイチロー選手がランニングホームランの快挙を遂げたという記事があった。ランニングホームランって何だろう、、、。  でTに訊いた。「ランニングホームランてなに?」 こういうものだよ。あー、そういうことか。

それから数日して今度は、長島監督の手記を読んでいたら「あの時の3ランは、、、」と書いてあった。で、また訊いた。

  ミー「3ランてなに?」

  T 「……たまごを産むことじゃないの?」

  ミー「は?」

3ランはサンランではなく‘スリーラン’というらしかったのでしたー。

今日お昼過ぎから、少しは野球に強くなった私は、甲子園の長崎日大を応援していた。ピッチャーの浦口クンは五島の子なのよね。けれど勝利の女神は全然微笑まなくて、あえなく敗退してしまった。

明日はいよいよ決勝だー。知り合いはどちらにもいないのでもうどちらが勝ってくれてもいいのだけれど、、、。

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忘れてました~ ではすまされません

004_1 アイスコーヒーを作りましょうと思って1リットルの水を鍋に入れ火にかけた。お湯が沸くあいだにちょっとゴミを出してきましょうと裏口から出て行った。

それからちょっとだけのつもりで玄関近くの花壇の草を引いていた時Kさんがやってきた。ちょっとだけのつもりでおしゃべり。

Kさん「うちのおばあちゃんがねー、便秘をして困ってるのよー」

ミー 「あら、それなら野菜ジュース飲ませたらぁ?ホウレンソウとかレタスとか、人参、トマト、リンゴ、バナナ なぁ~んでもいいんだから。私なんかね、野菜ジュース飲んでるとね、走っていっても間に合わないくらいなのよー」

kさん「それがねー、うちのおばあちゃんねー、野菜ジュース嫌いなの。青臭いって言うのよねー。コーヒーだったら飲むけど」

ミー 「あらそう、おたくのおばあちゃんハイカラねー」

……とこういうふうに話が進展したところで、え?コーヒー?

バータバタと走って台所へ急ぎ、見たら1リットルの水の最後の一滴がまさに蒸発せんとしていたところだった。話題がコーヒーに及ばなかったら、これより先、一体どうなっていたというのでしょう、、、?

今からさかのぼること30数年前のこと、私は大学の近くの(駅の近くでもあったが)女の子ばかりが住む寮みたいな長屋みたいなところに住んでいた。そこではそれぞれの小さな台所は一ヶ所に集められていて、さながら理科の実験室のようであった。

今にして思えばこの構造は、なにをしでかすかわからない女の子たちを預かるのに、まことに先見の明があったといえる。私はそこである日のこと、ヤカンに水を入れ火にかけ、そしてそのことを忘れて、泊りがけで遊びに行ってしまったのだった。

数日経って帰りの電車に乗ったときにフッと火にかけたヤカンのことを思い出した。あーどうしよう、あのあたり一帯が焼け野原になっていたらどうしよう。死んでお詫びをするか、このまま行方不明になってしまおうか、、、。

私は背伸びをして電車の窓から長屋の辺りを見た。あらら、異常ナシじゃん!なにもかも平常通りだぁ~!ヨカッタヨカッタ!

あとで番長のおねえさまから「お湯が煮えたぎってるのを、私が消したのよッ!」と言われてしまったが、なに言われても結構でございますよ、火事にならなかっただけで有難きしあわせ~~!

さてここでは発表しないけれども、聞いたらうちのお姑さまが卒倒しそうなことも実はしでかしたのですね。これはあの世へ旅立つまで黙って誰にも言わないつもりですけど(^^)v

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そこまでしていただかなくても

Kamomiru_001 長崎では県会議員の選挙があって、昨日までは何かと騒々しかった。次から次と選挙カーはやってきて連呼していくのでとてもにぎやかだった。

そんなある日、二階の窓から今度は誰かな~、とちょっとだけ外を見たら、選挙カーに乗ってる運動員の方々がこちらを見て盛大に手を振ってくれるのだった。家から道路まで50メートルくらいあるだろうか。それで私もお立ち台の皇后陛下みたいに片手で少しだけ手を振った。「もう少しですからがんばってくださいねー」言葉に出すとしたらこれくらいの軽いノリだったつもりである。

車はやがて去り行くはずだったのに……なんということか、ドアをガバッと開けて候補者が我が家めがけて走ってくるではないか!

きゃー!そこまでしてくれなくていいのに、と思いながら私もドタドタと階段を駆け下り玄関へ急いだ。そしてこの前見たときより日焼けしてたくましくなった候補者のおじさまと固い握手をかわしたのであった。恐らくリスト上ではなぎさの名前の上には、《確実》の二重丸◎が付けられたことであろう。

さてそれ以来、選挙カーが近づいてくると、外にいる時は急いで家の中へ引っ込み、窓際にいるときはカーテンの後ろに隠れることにした。また走って来て頂くわけにはいかないのである。いくら気前がいいといっても、票はたったの一票しかないのですからねー。今、開票が進んでいる頃だと思うけれど、ちょっとばかり気になってるところなんですよ(^^)

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オクサマ!といわれたものだから

_007_8 この前のごみ出しの日の私の格好といったら、かなりの見ものだった。エプロン着た腕にはアームカバーをかけ、ゴムの手袋、頭にはヨレヨレの帽子、長靴は自分のが見当たらなかったのでオットのをブカブカと履いていた。右手にはこれ以上ムリ、というくらい詰め込んだゴミ袋、左手にはデッキブラシとジョウロ。

ゴミを出したら返す刀で、カラスが空から落としたものをデッキブラシでこすり水をザーザーと流し、そのあと可愛いいとしのチューリップちゃんにやさしく水をかけてやるつもりだったのだ。

そして表に出たところで見知らぬ男の人に「オクサマ!」と声をかけられた。こんないでたちしているところに「オクサマ!」と言われても、と一瞬思ったけれども一応「ハイ」と答えた。

その人は言った。「あちらで商品の説明をしておりますので、よかったら、、、」 あちらを見たらご近所のオバサマ達がこちらを見てニコニコしながらオイデオイデをしているのだった。あら、なんか面白いことあるのかしら?

で、デッキブラシをそのへんに立てかけ、ゴミをゴミ置き場に放り込むとあちらへ行った。するとすぐにもう一人の男の人から、ビニールの袋に入った3点セットを渡された。ティッシュ1箱、ふきん1枚、ラップ。どうしてこんなにタダで物を呉れるのかしら、と思いながらもオバサマ達とおしゃべりしていると、ほかの隣組のオバサマ達もぞくぞくと集められてきた。

それからすぐ近くの倉庫に案内されると、そこには小人さんが座るような小さな椅子が5列縦隊で並べられていた。なんだかミニ劇場のハジマリハジマリって感じねー。

年配の男の人が前に立つと面白くおかしく話をした。それはまるであの綾小路○麻呂を思い出させるようなお話で私達はアハハーなんて笑っていたのだった。しばらくしてその人はおもむろに入浴剤を手にすると言った。「みなさーん!、これが欲しい人は大きな声でハーイと言って手を挙げてくださいねー!」

その時初めて私は、これから何が行われようとしているかわかったのであった。私は小人さんの椅子から急ぎ立ち上がると、その辺に立っていた男の人に言った。「ゴ、ゴメンナサイネ、ワ、ワタシネ、ジュ、ジュウジに約束があるんですッ」 

十時に約束があるのはほんとうだった。だからずっと時間を気にしていたのだけれど、話があまりに面白かったものだから立ち去り難かったのだった。

走って家に帰りふと手許を見たら、しっかり3点セットを持っていた。デッキブラシとジョウロは後で、何時間もたってから、もうみんな帰ったよねー、と思われる頃、そおーっと取りに行ったのだった。おしまい。

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