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まゆみ

 奈良の町を歩いていると、商店や民家などの玄関先に樹木の鉢植えを置いている所が多いのに気がついた。イチョウ、紫式部、さざんか、柿など。草花もいいけれど、こういう木類もいいものだと思った。普段は家の裏に待機させておき、さぁ、若葉が美しく芽吹いたとか、つぼみが出てきたよ、という頃になって表に出せば、だいぶん手間ヒマがかからずにいいのではないかと思ったものだ。

  あるうちで、紅い実のついた木の鉢植えを見かけた。初めて見る木だ。根元をみると “まゆみ” と書いたプレートがあった。えーっ、これが “まゆみ”?

  じつは私はずっと前からまゆみのことは気にかかっていた。私の友達で万葉集に傾倒している人がいて、万葉集で詠まれている草花の写真集をカレンダーに仕立てたものを4年分贈ってくれたことがあった。計48枚の写真の中の二枚が“まゆみ”だったのだ。

  まゆみ 「ニシキギ科 大本類 落葉低木 花期は5~6月 淡紅色の花 実は赤紫色」という説明があるが、花や実よりも、その枝のしなやかさから、昔から弓の材料として重宝されてきたのだそうだ。

  みこも刈る 信濃の真弓 我が引かば 貴人(うまひと)さびて いなと言はむかも

(信濃の弓の弦を引くように、わたしがあなたの手をとって引き寄せたなら、あなたは貴人ぶって、いやと言われるでしょうか。)

  白真弓 斐太の 細江の 菅鳥の 妹(いも)に 恋ふれか いを寝かねつる

 (ひだのほそえに住んでいる菅鳥が妻を慕うように、わたしもあなたを恋い焦がれているのでしょうか、どうしても寝つかれないのです。) 

  “まゆみ”はそんなはるか昔から、人々の暮らしと密接に結びついて生きてきたのだ。

 五島にかえってすぐに私は近くの園芸店に行った。まゆみはなかったけれど、「今度、仕入れに行ったときに見てきましょう」と店主は言ってくださった。

  店のなかに「ネコヤナギ」をみつけた。これは万葉集でも“カハヤギ”として詠まれている。

 

 山の際(ま)に 雪は降りつつ しかすがに この川楊は 萌えにけるかも

  (山 あいにまだ雪は降っていますが、さすがに春が近くなったのでしょうか、もう川楊は芽がふいていることです)

 

このネコヤナギは半額だったのでゲット。ピンクのネコヤナギもあって、これは貧弱だから差し上げますと。わーい!

  「クレロデンドルムウォリキー」、舌を噛みそうな名前だが、簡単に言えば「クラリンドウ」。これはまるで藤の花みたいな咲き方をして、一つひとつの花びらが、チョウチョみたいで、とても可愛らしいのだ。これも初めて奈良で見た。まよわずゲット。それからワレモコウ(吾亦紅)が売れ残っていたので、これも買うことに。

  そして二週間くらいしてまゆみが届いた。30センチくらいしかない楚々とした細い苗だ。まぁようこそ、と私はしみじみとその苗をながめた。これからこのうちで大きくなるのだよー。ある人に話したら、まゆみは挿し木で増やすことができるのだそうだ。ますます楽しみ。

  私は家の中にいてもまゆみのことが気になる。ちょっくら見てきましょうと、ついつい外へ出てしまうのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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今うとまれる歳になり

 図書館で『カミさん川柳』という本を見かけたので借りてきた。身に覚えのある句にであうとつい笑ってしまう。

 

   食卓に並べる前にかなり食べ

   冷蔵庫二歳の息子が足で閉め

   誰くるの?ぞうきんがけに子がたずね

 

   美しい人に夫が会釈する 

   たのしそう 何か買ったね おかあさん

   「無理するな」と夫次々用を言い

 

 さてわたしは断然この句が気に入った。

   朝ごはん やれ昼ごはん 夕ごはん

 

 選者のみつはしちかこさん(そのムカシ、小さな恋の物語、ハーイあっこです、などよく読んだものだ)はこの句に次のような評をよせている。

 ❝「やれ」が効いていますね。子供たちがお休みだと、お母さんは急に忙しい。くるくるとご飯の支度におわれているお母さんの姿が浮かんできて、大変だよねー。同情したくなります”

  そうだ、まだ若い母だったころ、たしかに長期の休みに子供たちの三度のごはんに追われ、早く学校が始まって欲しいと願った日もあった。

  だが私はこの句には、何十年ものあいだ倦まずたゆまず、ごはん炊きにはげんできた老いた女のふか~い疲労感を感じるのだ。一日に二食だった時代もあるそうだから、うちでもそうしたい!なんて思っていないだろうか。それがこの「ヤレ」によく表れているような気がする。

 さて次の句は衝撃的だった。

   うとんだ日 今うとまれる歳となり(三重 岡田政子)

 

 ごはん炊きに追われる日々というのは実は人生の華とでもいうべき、うるわしい時かもしれない。人はやがて老残の身をさらす時が来る。100回も同じことを言い、ついさっき食べたご飯のことも忘れ、排せつ問題もあやしくなってくれば、さんざんご飯を食べさせてやった子供たちでさえ、だんだんと疎ましく思うようになるだろう。

 このところ健康寿命という言葉をよく聞く。あの世に旅立つ日まで元気でいられたらいいのだが、そううまくはいかないようだ。日本人は平均して10年ものあいだ、病気になったり、入院したり、介護が必要になったりして人手を煩わせているというのだ。そのためにかかる費用が30兆円。10年は長い。寝付いたら、せめて三日くらいでご臨終となってあらまほし。

 男性の投稿もあり、そこはかとないユーモアが微笑ましい。

   かすがいの犬も出かけて間が持たず

   ペラペラとしゃべるが尻には紙おむつ

   満点の妻でないからくつろげる

   押し売りが来たので妻を呼びに行く

   お眼鏡にかなった嫁だが曇ってた

 

 シメにわたくしの句をひとつ。

  日に2食 提案するも却下され    なぎさ

 

 

 

 

 

 

 

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