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焼くな 埋ずむな 野にさらせ

 “ 我死なば 焼くな埋ずむな 野にさらせ 痩せたる犬の腹を肥やせよ”

 (もし自分が死んでも、焼いたり埋めたりしなくてよろしい。野に放り出して痩せ犬に喰わせてやってくれ)

 この過激な歌を詠んだのは小野小町だ、というので私は驚いた。小野小町といえば、高校のときに習った 『花の色は…』で有名な歌人で、美女の誉れ高いエレガントな貴婦人、というイメージを持っていたのだから、おや小町さんはヤケクソになっているのだろうか、いったいこの歌はどうしたことだろうかと、たいそう気になったものだ。

 図書館で調べてみたら小野小町の研究書といったら数え切れないほどある。司書の方に選んでもらって、そのうちの3冊ほどを県立図書館から借りだしてもらった。

 小野小町という人は確かに実在したのだが、その実像は伝説の靄にかすんでいるという。清少納言や紫式部などの時代よりもっと前の、平安初期の人で、任明天皇の更衣だったのではないかと言われているそうだ。更衣といえば、帝(みかど)の後宮のなかではいわば末席の身分で、大部屋を几帳か何かでちょっと仕切ったくらいの部屋を与えられる程度だったらしい。

 その彼女が宮廷で行われる歌会に召され、だんだんと評判になっていった、というのは、彼女のたぐいまれな美貌と、歌を詠めばその抜群のセンスで、人々をうならせる才気と教養があったためらしいのだ。しかしその大胆な詠みっぷりは物議をかもすことになる。

   いとせめて 恋ひしきときは むばたまの 夜の衣をかへしてぞ着る

   思いつつ 寝(ぬ)ればや 人のみえつらむ 夢と知りせば さめざらましを

 更衣という身分で人を恋うる歌を詠むとなると、その対象は帝になるわけだから、まわりでは、「帝に向かって畏れ多いこと、非常識よっ」という声もあがれば、「それは別の男、きっと昔のイイ男よ」とか「仮想のオトコじゃない?」 「とりすましているけれど、あれで結構好色なんじゃないの?」などとあれこれ噂し、想像の羽根を伸ばしては言いたい放題で楽しむのだった。

 『出る杭は打たれる』というのだから、打たれないように、これからはでしゃばらずに引っ込んでおきましょうと、ひるむような小町ではなかった。皮肉のひとつも言われれば、すかさず返歌で応酬するというのが小町流。その時代では考えられないような積極性で恋の歌を詠み、選ばれて『古今集』にも収められたのだった。

 しかし、ねたみやらやっかみやらで、うるさいながらも華やかな宮廷生活は長くは続かなかった。帝がにわかに崩御なさったのだ。となると後宮の者たちも総入れ替えが行われる。小町もまた更衣の身分を失いハーレムを出ねばならなかった。

   わが身には 来にけるものを うきことは 人の上とも 思ひけるかな 

  (つらいことは他人の上に訪れるものと思っていたのだが、それが今、自分のうえにおとずれた。せつないものだ)

 さて退出して自由の身になった小町のもとには、次から次に求愛やら求婚の文(ふみ)が届けられるようになった。来る日も来る日も、それは小山をなすほどの量なのだった。思いついて、それらを糊でベタベタとはり観音像を作った。何体作ってもまだ文は届き、「いったいどれだけ観音像を作ったらいいのぉー?」と嘆くほどに、とめどもなく文は届くのだった。それでも、そのなかの誰かと結婚しようという気にはなれないのだった。

 しかし小町にも確実に人生の秋はやってきた。ちやほやしてくれていた男たちは、仕事や女房子供を養うのに忙しくなり、もう小町にかまっているヒマはなくなっていた。右に左に男たちをなぎ払ってきたというのに、今や男たちの影すらないのだった。そこで憂愁にみちた有名な歌が詠まれた。

   花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに

   色見えで うつろうものは 世の中の 人の心の 花にぞありける

   秋風(台風)に あふたのみ(田の実 稲穂)こそ かなしけれ わが身むなしく なりぬと思へば

 だんだんと京の都にいづらくなった小町はついに京を出る。あちらの庵、こちらの庵と放浪することになったのだった。かなり長生きしたらしく、90歳から100歳くらいまで生きたのではないかと言われている。夫も持たず強力なパトロンも持たず、女の身一つで生きていくのは並大抵なことではなかっただろう。

 小町をめぐる伝説伝承は小町の没後すぐに始まり、鎌倉室町~江戸明治と様々な書物にも取り上げられ、謡曲や歌舞伎の演目として今なお引き継がれている。最近では内館牧子の脚本で、『ミュージカル小野小町』が上演されたと聞く。かつて宮廷で華やかな暮らしをしたこともある美しい女が、落ちぶれて各地を流浪したとなると、人々の興味は募り、たくさんの虚々実々の物語が生まれてきたのだろう。

 日本全国に「ここで小町さんは亡くなりました、ここが終焉の地ですよ、ほら、これがお墓です」と主張する所が30か所くらいあるそうだ。それは北は秋田県 湯沢(そこで出生し、没したという伝説があり、“あきたこまち”という米の銘柄がある) 西は山口県の下関にも立派なお墓があるそうだ。

 それにしても小町は誇り高く、いさぎよい生き方をしたのではないかと私は思う。誰にもよりかからず、もたれず、毅然として生きたのにちがいない。冒頭の歌にあるように、自分の臨終のときにも、だれにも世話になりたくない、野にさらしたままで結構、と言いたかったのだろう。(この歌は政権の変動で失脚したある皇后の歌とも言われているそうで、真偽のほどは闇の中だ。)

 これまで小町伝説として伝えられてきたものの中には、後世の人による創作であったり、とんでもなく脚色されていたりして、小町の真実の姿には程遠いものが混じっているかもしれない。それでも波乱万丈の生涯を送った小野小町という人が、人の心を惹きつける十分に魅力的な人だったということに変わりはないのだ。 

 スーパーのチラシを見ていたら、“千葉産 あきたこまち 新米 10キロ2880円 お一人様1袋限り 売り切れ御免”というのがあった。おぉ、こんなところにも小町さんは健在だ。小町人気は衰えることなく、ずっとこれからも人々の心の中に生きていくことになるのだろう。明日さっそく“あきたこまち”を買いに行こう。

 

    

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メマイの季節(その2)

 九月の中ごろのことだったのだが、私はひどいメマイにおそわれた。頭がくら~っとしたかと思うともう目がまわり、立ってはいられなくなった。目を開ければ天と地がひっくり返るし、吐き気もするしで、じっと寝ているほかはなかった。三日間は水を飲むことさえ出来なかった。それなのに半日に一回はトイレに行きたくなるのだった。

 で、いつになく低姿勢で夫に「トイレに連れていってください」と頼むことになる。うつむくと吐き気がするので仰向けのままズルズルとひきずってもらうことになる。ところが私の体重のあまりの重さに耐えかねたのか、廊下のなかほどでしばらく放置された。どうしたのかなーと思っていると、ゴロゴロと引っ張ってきたのは、ビールなど重たいものを運ぶときに使っているキャリーだ。

 その上にエイヤッと私の上半身は乗せられ、ゴロゴロ、下半身はズルズルとトイレまで引っ張られていったのだった。文句を言う気力もなく、それはもう死体になって運ばれているような気分だった。

 河岸のマグロのようにじっと横たわったまま、いろいろなことを思った。松下幸之助は“四百四病の病いより貧(ひん)よりつらいものはない”と言ったそうだけれど、本当にそうだろうか。ベッドを半分起こしてもらって、美味しいものをパクパク食べたり飲んだり、読みたい本を次つぎと読んで、というようなことができる病人なら大歓迎だが、ふつう病人といったら、熱があったり痛みがあったり吐き気があったりして、おいしいものを食べるどころではないのだ。メマイがすれば目も開けていられないから本も読めない。

 貧しくても健康だったら、一日の労働が終わったあと、おいしく水をのみ、ささやかでも「オイシー!」と言って食事をすることができるだろう。どんな病いより、貧のほうがいいような気がするのだけれど、どうなのだろう。

 欲も得もなく寝ているとき、豊臣秀吉の辞世の歌を思った。

  “つゆと落ち つゆと消えにしわが身かな  浪速のことも夢のまた夢”

 来る日も来る日も、あくせくと暮らしているけれど、死んで行く日には一体なにを思うのだろうか。なにもかも夢のまた夢であったよなー、という感慨を持つのだろうか。メマイくらいでは死なないと思ってはいるのだけれど、ずーっとこのままだったら死んだほうがマシ、と思えてくるのだった。

 四日目にやっと一人で歩けるようになり外に出てみると、鉢植えの私の可愛いい子ちゃんたちが瀕死の状態になっているのを見た。私がメマイで寝ているあいだ、外はカンカン照りで水切れになっているのだった。

 黄色い花がポッカリと咲いてかわゆいアラマンダ、大株になっていた初雪カズラ、ピンクの小さい玉が可憐なジュズサンゴ(数珠珊瑚)、めずらしいツバキの幾鉢か。ワ~~ンと泣きたくなるのを我慢して大急ぎで水やりにはげんだら、あ~ら不思議。メマイはどこかに飛んでいってしまったのだった。残念ながら初雪カズラは枯れてしまったのだけれど。

 この前メマイになったのはいつだったのだろう。たしかブログに書いたよね、と調べてみたらなんと奇しくも!ちょうど三年前の同じころだったのだ。ということは、三年後にもメマイが起きるかもしれないぞ。その時は、、、キャリーの上に一枚、毛布でも敷いてもらって、それから死体を、ノン まだ生きているはずだけれど、もっとゆっくりと引っ張って欲しいものなりと夫に頼んだことでしたー^^。

 

 

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