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正岡子規 どんな時でも平気で生きる

 ターミナルケアを考えるという集まりに参加してきた。基調講演は当地の病院の院長先生がされた。ご実家は禅宗の寺だそうで、そのせいかメンタル系の話が多かった。たとえば座禅は、いつでもどこでも誰にでもできる、というような話。また正岡子規に言及されたのは興味深かった。子規は「どんな時でも平気で生きる」ことをモットーにしていたというのだ。  

 正岡子規といえば高校の授業で『病牀六尺』を習ったのだが、それで読んだつもりになっていた。が、じつは読んだことはないのだと気がついて早速図書館の本を借り出して読んでみた。

 『病牀六尺』は子規の最晩年(享年35歳)に書かれた随筆集である。肺結核が深刻になり脊椎カリエスを発症し、激痛で身動きもままならないなかで書かれたという。もともと新聞に連載されたもので、明治35年5月からおよそ4カ月、子規が亡くなる2日前まで続いたのだそうだ。

 そのころの日本の時勢は日露戦争へと突入する風雲急を告げる時代。同郷の親友、秋山好古、真之兄弟はそれぞれ陸軍、海軍の第一線で活躍していた。体の自由の利かない子規はというと、ふとんにへばりついて生きるよりなかった。けれど病床の中から新聞雑誌を読み、見聞したことを論評し発信したのだった。

 そのコラムでは天下国家を論ずることもあれば、米の値段とか、身の回りの些細なことにも目をとめ、おもしろい発想をしめしていることもある。子規は“炊飯会社を興すのはどうだろう”と提案している。子規が寝ながら女たち(子規の母親や妹)を見ていると、休む間もなくご飯炊きや家事に追われている。これをなんとかして家事に費やす時間を短縮できないものかと考えたのだ。

 だがな~、とつおいつ子規は頭をめぐらす。メシのやわらかいのやら固いのやら、またオイラのような病人やら、メシの出来具合ひとつとっても好みはまちまちで一律というわけにはいかない。たかがメシされどメシ。やっぱり炊飯会社は無理かな~、しかしこれからはもっと女子教育に力をいれねばならんような気がする、といった具合だ。

 『病牀六尺』を飛ばしとばし、ななめに読んでいったせいか、子規がどういうときに“どんな時にも平気で生きる”と言ったのかはわからなかった。けれどわずか35歳でこの世を去らねばならなかった子規はどんなにか無念だったことだろう。 編集者が「先生もお疲れでしょうから、しばらく投稿をお休みになったらいかがですか?」と言ってくると、いや、これは私の生きがいなのだから身体の続くかぎり書かせてくれ、と必死に頼んでいる。

 とめどもなく書きたいテーマはあり、話題は尽きないのだ。たとえその身は病に呻吟していても、病に屈服せずに平気を装い前向きに生きること、それがどんな時にも平気で生きるという子規のポリシーだったのだろうか。

 私は読んでいて、子規の書いていることは、今でいうブログによく似ていると思った。もちろん子規は当代きってのインテリだ。なんってったって東京帝国大学(中退)出なのだ。

 しかし現代においては、私のようにたいして知識も教養もないのに、こうして自分の文章を発表し、世の中の不特定多数(私の場合はごく少数)の人々に読んでもらえるのだ。もっとふかーく感謝して書かせていただかなくてはと思ったことだった。

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