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他人どんぶり + 船 = 他人船 + どんぶり

 車を運転しながらラジオを聞いていると、作詞作曲家の遠藤実さんの内弟子だった人と、アナウンサーのやりとりが聞こえてきた。「他人船」が出来たころのエピソードが話されていた。

 遠藤さんはある日のこと、小さな食堂にはいった。そこに他人どんぶり、というメニューを見つけたので、店員さんに「これはどんなものですか」と訊いたそうだ。店員さんは、鶏肉と卵の取り合わせが親子どんぶりなら、豚肉と卵で他人どんぶりです、と答えたそうだ。

 それから数日たって遠藤さんは、さる港へ行き、人々(他人同士)が桟橋から船に乗り込むのを見た。それからひらめいて「他人船」という曲ができたのだった。

 関係者の中には「遠藤さ~ん、歌謡曲なのに、他人だなんてフレーズはダメですよ」という人もいたのだが、遠藤さんは、うんにゃ これで行く、と言って譲らなかったということだ。

 そうしてふたを開けてみたら「他人船」は大ヒット。今でもカラオケの定番として歌い継がれているのだそうだ。

 さて、その日の夜のこと私は夢をみた。なぜだかわからないが、私はステージで「他人船」を歌うことになっていた。それなのにまるで歌詞を知らないのだった。私はおおいに慌て、「だれかぁ~歌詞を教えて~~!」と叫んでいるのに、みなさん忙しそうにして取り合ってくれないのだ。楽屋とおぼしき所に姉達がいた。私は、「さっ、はやく教えてっ!てのひらに書くから」と言っているのに「なんだかうろ覚えなのよね~」とか言ってラチがあかないのだった。モウッ これで私の歌手生命も終わりねっっ!と覚悟したところで目が醒めた。

 翌朝、そうだ、ネットで調べればいいのだと気がついて早速検索してみたら、わかりました。“♪あ~~この黒髪の先までも あなたを愛しているものを~~引き離す 引き離す 他人船~~” とつづくのですね。 ちょっと気恥しいような歌詞だけれど「他人船」はカラオケで私のおはこになりそうだ。歌詞を忘れていてもダイジョウブだから^^。

 

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断捨離はイタイ

 ラクター(がらくた)コンサルタントを名乗るやましたひでこさんが提唱する片付け術「断捨離」 我が家でその断捨離の嵐が吹き荒れていたころのこと。私たちはひたすら、いろいろな物を捨てまくっていた。断捨離の基本軸は“私” と“今”だから、その範疇にないものはいさぎよく捨てるのが、その奥義なのだ。物置を整理していた時、夫が「これ 要る?」と私に見せたのは、レコードプレーヤーだった。私は数秒考えたあと、「イラナイ」と答えた。レコード針はびっくりするほど値段が高いし、もうレコードを聴くことはないだろう、と思ったのだった。その後、プレーヤーは分解して燃えないゴミの日に捨ててしまった。

 それからまた数週間後、私たちはまた物置に入り込み断捨離に励んでいた。その時なんと、昔聴いていたレコードの数々が出てきたのだった。その中には何十年も前、大好きでよく聴いていたバイオリニスト 前橋汀子さんのアルバムが二冊あった。「亜麻色の髪の乙女」とチャイコフスキーとメンデルスゾーンの「バイオリン・コンチェルト」

 う~~ん、なんということだ。はじめにレコードを見つけていたならば、決してプレーヤーを捨てたりしなかっただろう。落ちついて考えれば、いつかまたゆっくりと、レコードを聴く日が来るかもしれないのだった。シュウトメを見送り、オットを見送り、一人になって自由の身になったら、おごそかにレコード針を落とし、至福の時間を持つことができたかもしれないのだ。早まってしまったーと、後悔のほぞをかんだ。(最後まで生き残るつもりなのです ごめんね^^)

 それにしても前橋汀子さんは今頃何歳くらいになられたのだろう、と思っている頃、新聞記事で、デビュー50周年のリサイタルをやるという記事を読んだ。旧ソ連に留学されたのが17歳の時。20歳でデビューしたとしても70歳ではないか。小さな写真なのでよくわからないが、まだまだ綺麗なお顔だ。4月14日に後楽園・トッパンホールで演奏会は行われる予定で、ロシアものばかりを取り上げるとのこと。行きたいよーと言ってもどうにもならないことなので諦めるほかはないけれど。

 それからその数日後、山形県にあるレコード針の会社「ナガオカ」の社長さんの記事が眼にはいった。それによると “CDに続く音楽配信の登場でレコードは衰退の一途だが、アナログの音域の広さや臨場感が見直され、若いころに集めたレコード盤を再び聴き始める中高年も徐々に増えている。レコードがある限り針を供給していかねばならない”と書いてあった。そうか~。またレコードに戻ってくる人たちがいるのか。ナガオカの社長さんには廃業しないで、がんばっていただきたいものだ。

 入ってくる要らない物を「断」ち、家にはびこるがらくたを「捨」て、物への執着などから「離」れると、身の回りが片付いて、人生までが劇的に変わるらしいのだ。それで私も、そうだそうだ、まったくその通り!と一気にダンシャリアンへの道を突っ走ってしまった。が、嵐が止んでふと立ち止まってみれば、思い切りよすぎたかもしれない、、、と後悔することも多いのだった。

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