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かもめの玉子はあひるのたまご

Cimg0025 岩手県というのは私にとって遠いとおい所だった。まず誰一人として知り合いはいないし、思いつくことといえば、宮沢賢治と遠野物語くらいだろうか。

 けれどこのあいだ、岩手県に急接近したのだ。近くのマーケットで岩手県の物産展が開かれたので、私は喜び勇んで出かけていった。

 塩ネギ、とか漬物などもあったが私はもっぱらスウィーツの方をうろうろして、沢山買いこんできた。ごま摺り団子4種、黒砂糖や栗を練りこんだ羊羹、(幻の)アンドーナツ、手焼きせんべいetc.。中でも気に入ったのは佐藤製菓の“かもめの玉子”だ。

 これはちょうど小ぶりの鶏卵ほどの大きさで、ほくほくの黄身餡がはいっており、外側はホワイトチョコでコーティングされているので、いかにも ゆで卵を食べてます、という感じの、甘くやさしくグーな食感なのだ。私はまた翌日も出かけていって、今度はバナナ風味だとか栗あんだとか、ミニサイズのかもめの玉子を買ってきた。それらをばっちり冷凍し、ちょっとなにか甘い物が欲しいというとき、そろそろ引き出しては、渋いお茶とで至福の時間を過ごしていたのだった。

 娘とマゴのケン(仮名 もうすぐ三歳)が我が家へやってきたとき、ほらほら、これは かもめのたまごだよー、と言ってマゴに渡したものだが、なぜかマゴはカモメが覚えられないらしく、「あひるのたまごちょーだーい」といって走ってくるのだった。

 さて、二週間ほどたって、マゴと娘は大阪へ帰っていった。送り出して、ふぅヤレヤレと一息ついた私は、たったひとつ残った貴重なあひるの玉子で、もとい、かもめの玉子で、一人お茶を飲むことにした。私はその時、マゴと出がけに交わした問答について、思いをめぐらしていた。 

 さぁ今日は大阪へ帰るのだ、という日の朝、マゴはウキウキとしていた。そんなマゴに私は言った。「おばあちゃんも一緒に、大阪へ行こうかな~」 するとマゴは言った。「大阪にはパパがいるからぁ~(来て欲しくないニュアンスだ)」 で、私は言った。「あら、ケンちゃん、おばあちゃんのこと、大好きでしょ?」するとマゴは言った。「好キクナーイ!」

 ムッ、好キクナイだと?そんなことを言うんだったら もう おばあちゃんのうちに来ないでっ! とあやうく言いそうになったが ガマンガマン。私はそのとき、20年ほども前に亡くなったkさんのことを思い出していたのだ。(つづきます)

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時にはコバンザメのように

Cimg0019 お取り込みが続いたのち、疲れ果てている私を見て息子が言った。

「おかあさんもさ、コバンザメのように、もっとちゃっかり要領よくやればいいんだけどねー」

 へ~、コバンザメっていったい何?と訊いてみた。コバンザメというのは、姿形はサメそっくりなのだけれど、実はサメではないのだそうで、頭の上にある小判型の吸盤で、サメやらエイ、ウミガメなどの体にくっついて大海を泳ぎまわり、そろそろボスともお別れしようかと思うとあっさり離れていくような、そんな世渡りじょうずな魚なのだそうだ。

 大きな魚に寄生しているおかげで、天敵からは守られ、エサもおこぼれにあずかり、労なくして生きていけるのだ。

 どこでそんなコバンザメのことを学んだかというと、小学生のときTVでドラえもんの漫画を見ていて、そうだ、おいらもコバンザメのような生き方をしようと心に決めた、というのだった。なんでも“いただき小判”というアイテムがあったそうだ。

 うちのムスコも、このところ、なにかと口うるさい両親(我々のことだが)や祖母と同じ屋根の下で暮らし、ウンザリすることや、ヘキエキすることも沢山あるだろうけれど、自分なりの処世術で生きているのであろうと思ったことだった。

 しかし考えてみると、私なども小判ザメ的生き方を知らず知らずのうちに実践しているのだった。「家には老母がおりまして~」とか「ハハがこのように言っておりまして~」とか、ひとこと言えば世間様も納得してくれて、この私は世の中にしゃしゃり出ていかなくてもすむ、という素晴らしい特典を得ているのだ。有難いことだともっと感謝しなくては!!

 私はネットでコバンザメの生態を見た。大きなジンベエザメに鈴なりにひっついた コバンザメも見た。神様はなんとおもしろいものを創られたのだろうと唸ってしまったのだった。

 

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