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天風先生のおっしゃることなら

Cimg0011 誰が読んだのか知らないが、我が家の本棚にあった『成功へ導く言葉』というのを手にとったら、メガネなしでも読める大きな文字だったので一気に読んだ。なんでも中村天風という人は、庭のニワトリが、コココとせわしなくエサをついばんでるところへ、カーッとなにやら気合をかけると、たちまちニワトリが不動の姿勢をとり、かたまってしまうほどの念力やら馬力があった人なのだそうだ。

 さて本には驚くべきことが書いてあった。“自分が嫌いだと思う相手には、つとめて親切にし、優しくするような気持ちに自分を仕向なさい。どうだい、言われてみると、訳ないだろ?”

 へぇ~?そうすればいいのか。私は、「嫌いだ」 というほどではないが、なんとなく苦手、できることなら遠ざかっていたいと思う人は何人もいる。内心(ヤなヤツ)と思っている人に対して、顔と心はうらはらでもいいから、いい笑顔で「こんにちは~♪」と明るくご挨拶をし、「何か、あなたのお役にたちたい」というキモチを見せればいいのか。訳なく、はないけれど、天風先生のおっしゃることなら、そのように努力してみるとするか。

 しかし、次なるはウルトラC級でむずかしそうだ。先生は言葉遣いにはことのほか厳しい。“言葉はねえ、言霊というのが本当なのよ。言葉というものは、魂から出てくる叫びなんだから。人間は造物主から思考を言葉にするというような、本当に考えてみると考えきれないほどの、有難いお恵みを受けている。その考えきれない有難いお恵みを、乱暴につかっちゃだめだよ。”

 “絶対に消極的な言葉は使わないこと。否定的な言葉は口から出さないこと。悲観的な言葉なんか、断然もう自分の言葉の中にはないんだ、と考えるぐらいの厳格さを、持っていなければだめなんですよ。”

 消極的、否定的、悲観的な言葉が具体的にどういう言葉か、という説明はないが、人の感情、言動において、“消極的というのは、およそ十ある”のだそうだ。第一が怒ること。次は悲しむこと。恐れること。憎むこと。うらやむこと。恨むこと。悩むこと。取り越し苦労すること。煩悶すること。それから第十番目が迷うこと。

 そういう悪しき言葉は、もう自分のボキャブラリーの中にはないんだ、という強い意思を持たねばならないと先生は言っているのだ。ナポレオンは「我が辞書に不可能という言葉はない」と言ったそうだが、そんなのよりももっと複雑で高尚で至難だ。

 だとすれば 「ここだけの話だけどぉ~」に始まり盛り上がる、そこに居ない人のワルクチ、これはブー。 ダンナにひとこと文句を言ってやりたいところだが、これも否定的な言葉だからダメー。少し気をつけてチェックを入れたら、自分の発言の8割方はあまりよろしくない言葉のようだ。日常生活で何気なく発している自分の言葉が、いかに乱暴で思慮に欠けたものであるかがわかってきたのだった。

 それで、こういう言い方はよくない、これもダメと細心の注意を払っていたら、だんだんしゃべる言葉がなくなっていき、無口にならざるを得なくなってしまった。肩も凝ってきたような気がする。モノ言わぬは腹ふくるる技なり、と昔の人も言っているが、やはり少しは小出しにしないと身が持たないと実感。穴を掘って「王様の耳はロバの耳~」と叫んでしまった男のキモチ、わかるわかる。

 しかし、私はこの年末からずっと押し寄せてくるモロモロの煩雑事を、このか弱い(!)身体でやり通せるものだろうか、と不安があった。けれど天風先生はこんなふうに励ましてくれたのだった。“病や苦難から逃げたり避けたりせず、「矢でも鉄砲でも持ってこい」と苦しみ悲しみに挑戦し、乗り越えていき、自分の力で、これを打ち砕いていく気持ちになれ” と。

 そうなのか。「矢でも鉄砲でも持ってこい!」と迎え撃つ気持ちになればいいのか。逃げ腰だから苦しいのだ。それではと、「矢でも鉄砲でも持って来い!」と呪文のごとくに唱えていたら、、、なんとかこの非常時を乗り越えることができたのだった。天風先生ありがとね。

 先生はまたこんなことも教えてくれたのだった。“人生はまこと心ひとつのおきどころ。夜の寝ぎわ、考えれば考えるほど嬉しくなることや、思えば思うほど楽しくなることだけを、もう、心にありありと、描いて寝るようにしてごらん。どれだけ命が強くなるかわからないから、、、。”

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