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お気の毒なクレオパトラ

Pict0100 (つづきまして)宮尾登美子著『クレオパトラ』によると、エジプトの古代王朝では富と権力の保持のため、血族結婚をすることも多かったという。父と娘、兄と妹、姉と弟、、。

 それも形式的なことではなく、神の前で宣誓したからには神をあざむくことはならぬとて、ほんとうに子を為すこともあったのだそうだ

 先日の新聞記事には、あのツタンカーメン王の父母は、きょうだいであった、と書いてあった。最新技術を駆使してミイラのDNA鑑定がすすんだ成果であろう。

 クレオパトラも母亡きあと、国王である父の后になるよう想定されていたが、父がそうなる前に死んでくれたことでその難を逃れた。しかし代わりに弟と結婚することになった。国王となったこの異母弟というのは、あまり賢くなかったようで、燦然と輝く黄金でよろいを作らせたのはいいが、あまりの重さに耐えかねて海中に沈み溺死したのであった。 次にまた10歳にもならない弟と結婚。

 国王といえど子供の弟に代わって、政務にはげむことになったのがクレオパトラ18歳のときであった。そして21歳のとき、52歳のシーザーと運命的な出会いをする。強力な後ろ盾が欲しいクレオパトラの「帰らないでー、ずーっと私のそばにいてー」と言うせつない哀願に負け、ずるずると逗留を続けるうち、一子が誕生するまで長居をしてしまったのだった。となると留守にしていたローマでは、シーザー打倒の機運たかまり、若手によるクーデターがおこり、シーザーはブルータスの凶刃に倒れてしまう。一説にはブルータスは、名うてのプレイボーイであったシーザーの実子ではなかったかと言われているそうである。

 次にローマの覇者となったのはマーク・アントニーであった。ローマを敵に回す訳にはいかないクレオパトラは窮地におちいった。というのは数年前、クレオパトラは、ある男に、亡き父が亡命中庇護をうけた恩義を返すつもりでたいそうな貢物をしたことがあった。しかし今その男はアンとニーと敵対関係にあるのだった。またアンとニーがローマのトップに立って久しいのに、何故すみやかに表敬訪問しないのだ、という咎をうけていたので、なんとか釈明をしなければならないのだった。

 クレオパトラは知恵をしぼりこの難しい局面を切り抜けた。のこのことアントニーの陣地に出かけることをせず、豪勢な女王船をこしらえた。山海の珍味を山ほどそろえ、さぁさぁさぁとご一行さまをご招待。ほかの重臣の方々はお帰りになって結構でございますが、アントニー様はどうぞどうぞ我がベッドルームへ。アントニーがシーザーほどの器量の持ち主ではないことは、クレオパトラにはすぐにわかったが今はのんびりと品定めをしている時間はないのだ。一国の浮沈がかかっているのだから、一刻もはやくトラのような男を懐柔せねばならぬ。ベッドへお誘いするのは国家戦略なのだ。

 クレオパトラに魅了されてしまったアントニーはおうちへ帰ることを忘れ3人の子をもうけるまで甘い休日を楽しんだ。本国には貞淑な妻が待っているというのに。そしてお決まりのコースが待っていた。シーザーの甥、オクタヴィアヌスが攻めてきたのであった。

 もはやこれまで。アントニーは自刃しクレオパトラは決断を迫られた。そしてローマ市中を引き廻されて辱めをうけるよりは、みずから死のうと手をのばし、アスプ(エジプトコブラ)を掴み取り、自らの胸に這わせたのであった。享年35歳。それは紀元前30年の8月末のことであったが、このときプトレマイオス王朝は最後のページを閉じたのだった。

 思えば若い女の身で、一国の命運を担い、“悩み多く、快楽の少ない人生”を送ったのがクレオパトラであったように思われる。女王は泡沫のような夢を追うよりも、常に国民全体のことを考え、なによりも国益を優先せねばならなかったのだ。(また続きます)

 

 

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もう二度とこんなことは

Pict0091 もう三年か四年前のことである。友達の結婚式に出席した娘が、会場に飾られていたバラの花を両手いっぱいかかえて帰ってきたことがあった。

 このバラをしばらく家のあちこちに飾って楽しんだあと、さてこの花をどうしようか。ドライフラワーにする、という手もあるが、うちのおかあさまは、しおれた花などはビンボーの波動が出ているからダメだ、というのだ。

 そこで思いついたのが、クレオパトラが愛好したというバラの風呂だ。さぁ、誰も彼も早く出かけてくれないかなぁー。こういうお楽しみごとは誰もいない時に実行するにかぎる。私はバラの花びらをむしりながら、その日が来るのを待った。

 あらら、おかあさま、お出かけでございますか?行ってらっしゃいませー、どうぞごゆっくりー。あら、だんな様もお出かけでございますか?行ってらしゃいませー。留守中のことは、あんじょうやりますよって、お気遣いなくー。

 さてと、では取りかかりますかな。お湯を張ってと。ザザっと花びらを浮かべてと。おぉ、湯気の中にバラのかぐわしい香りがたちのぼるではないか。アロマオイルの匂いなんかと全然違うわね、やっぱり本物はいいなー。クレオパトラやマリー・アントワネットなど、王侯貴族の姫君たちは、こうしてバラの湯を楽しんでいたのね、恐ろしい運命が口を開けて待っているとも知らずに、、、。

 至福のひと時をすごしたあとは風呂掃除だ。あとかたもないように綺麗にしなくちゃ。さて花びらを何ですくったらいいのだろう。台所のザルを使うわけにはいかないし。それで外に出て土をふるうためのザルを取ってきた。ところがこやつらときたら、全員水面に浮かんでいてくれたらいいのだが早や、水底に沈んだものもあれば側面に引っ付いたのもある。それでまた外に出て長い火箸を取ってきた。こんなことしてたら風邪ひいてしまうよ~~!姫君たちには召使がたくさんいて、後始末をちゃんとしてくれるだろうけれど、一から十まで何もかも自分でしなくちゃいけない人は、もうこんな大変なことは思いつかない方がいいですよー。

 ところでクレオパトラ特集というと、テレビの画面に色とりどりの豪華なバラが映し出されることが多いが、あの当時、なにしろ紀元前のお話なのに、現代の豪華絢爛なバラがあったとは考えられず、せいぜい野バラのたぐいだとアタシは思うのですがいかがなものでしょうか?なぁんてこと言うと、亡き父が時代劇を観ていて、「江戸時代にあのような大きな道があったはずはない」などとケチをつけていたのを思い出したのでした。

 さて私は、先ごろ宮尾登美子著『クレオパトラ』を読んだ。この項続きます。

 

 

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