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主のみ心ならば

Pict0061 自由とは自らに由(よ)る、ということであり、それは判断し決断するのも自分なら、行動を起こすのも自分だ、それが自由というものらしい。ところが、この物語の著者であるお嫁さんには、姑さんが張り巡らす要塞の中で、自分で優先順位をつけて家事をやる自由はなかった。

 NHKが募集したラジオドラマの脚本が認められて、脚本家として出発できたのだが、思うように原稿用紙に向かう時間がとれないのであった。子供が外で遊んでいる間に、、、と思っているとお姑さまがカシャカシャと茶碗など洗いはじめる。もうどうぞほっといてください!あとでまとめて洗いますから、と言いたいところだが、姑上は家の中に汚れ物やゴミが停滞しているのが大っ嫌い、というのは骨の髄まで染み透りわかっていることであるから、そう言うわけにはいかない。

 そのうち子供が表で泣いていたりすれば姑上は「子供が泣いてますよ。」といちいち教えに来るのだ。おやおや、どうしたの?とみずからめんどうを見てくれるようなことはない。お姑さまは聖書のお勉強やら、短歌を詠むのにお忙しい。あなたの子供でしょ、あなたが責任持って育てるべきです、ということなのだ。これまたほっといてください!と言うわけにはいかない。「私は自分の子供を怪我ひとつさせずに育てました」というのがお姑上のご自慢なのだ。

 そうこうするうちまたもや昼のご飯だ。お姑さまにちゃんとしたご飯を食べさせねばならぬ。 おぉ御飯 ゴハン ごはん。トシヨリにとって三度三度のご飯をぬかりなくキチンと食べることは、天下の一大事なのだ。(しかし我々もいずれそうなる。年寄りわらうな 行く道だ、と世間さまでも言っている)

 ある日のこと、そのころは夫の転勤に伴い、一家は東京に住んでいた。そしてその日、夫はアメリカに出張中のことであったのだが、ラジオドラマの収録があり、夜遅くまで時間がかかることはわかっていた。姑上には「遅くなりますから玄関を閉めてどうぞ先におやすみください」と言い置いて出かけたのだった。

 録音取りが終わったのは12時を過ぎていた。大急ぎで帰ろうとすると、若いディレクターから「これからちょっと付き合ってくれない?」と誘われた。彼はいつも「あなたは羽目板を一枚つきやぶらなくてはいけない」とけしかけていたのだ。「いえ、なりませぬ、姑が待っておりますゆえに」などと、どうして断ることができるものかは、、、? なんという甘美なお誘いだろう。窮屈な要塞暮らしの身には史上初の出来事なのだ。

 夜のとばりが下りた六本木。だがしかし地下にあるBARの重たいドアの中には、急いでオウチに帰らなくてもいい自由を獲得した男や女が紫煙をくゆらし、ワイングラスを持つ手もしなやかで垢抜けていて、高級そうな話に興じているではないか。初めて浸る深夜の世界。初めて食べる料理。これが自由の味なのか!

 夜の世界の魅力とワインの酔いも手伝って、陶然とした気分で家にたどり着いたのは午前三時を回っていた。そおっと玄関の鍵をまわすとややっ、鍵は開いているではないか。敷居をまたいだ瞬間、仁王立ちになったお姑さまの激しい叱責が飛んできたのだ。「何時だと思っているの!遅くとも12時までには帰るべきです。パパも留守だってのに、いったい責任をどう感じているんです。ガミガミガミガミ、、、」

 そんなことこんなコトがあってのち、お嫁さんはとうとうペンを措くことにした。払う犠牲のほうが大きいような気がしてきたのであった。それに夫婦仲もだんだんあやしくなってきていたのだ。テレビドラマ『ただいま11人』とか『みなしごハッチ』などの作品があるそうだが、残念ながら私は見ていない。

 あの結婚の日から40年。最年長者、家長として君臨しつづけて、もうじきに100歳になろうかというのにお姑さまはまだ元気。お姑さまは年の初めの日記帳にこう書いた。「元旦を 日記開きてヤコブ書の 四章十五節つつしみて記す 主のみ心ならば、生きながらえもし、あの事、この事もしよう」

 著者である伊吹仁美さんは昭和二年生まれとあるから、今生きて在りませば81歳くらいであろうか。お姑さまの覆いかぶさっていない青い空を仰ぎ見る時間があったのだろうかと、私はひと事ながらかなり気にしているのである。

 さて私はもういい加減にこのシリーズを終了したいのだけれど、この物語のハイライトとでもいうべきシーンにふれたい気もするので、もう一回書くことにいたしますねー。なんと夫に愛人ができて、お家の騒動が始まってしまうのですね。ではまたのちほど。

 

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嫁と姑」カテゴリの記事

コメント

いやいや怖いお姑さんですね・・・。
これではどんなお嫁さんでも息が詰まってしまうと思うのですが、
これくらいのことは昔なら当たり前だったのでしょうか。
なんてったって昔の結婚とは二人のものではなく、互いの家のことだったんですからね。
現代の私たちからしてみれば考えられないことですわ。
ほんで次回は夫に愛人っすか?
そこらへんはなぜだか理解できますよ~(^^;

投稿: 便利屋 | 2009年8月19日 (水) 11時24分

わあ~~・・・すごいです。面白いです。
本もですが、なぎささんの解説が。
すっかりファンになってしまいました。

そうだ!!旦那は一体なにしているんでしょう?
奥さんにこんな苦労をさせて・・・
愛人???
も~~~~~!!!

投稿:  ジャスミン | 2009年8月19日 (水) 13時28分

便利やさま

家族も大勢で暮らすと、緊張度が緩和されて、さほどでもないのでしょうが、こういうタイプの姑さんと1対1で暮らすのは難儀なものですねー。

昔、嫁がご飯を炊いたカマドの前のムシロは、嫁の流した涙の結晶が、すなわち塩分が浮き上げっていたものだそうですよ。

そうして今はヨメが反撃する時代になったのかしらー^^なにも怖いものなし、というヨメが多いような気がしまーす。

投稿: | 2009年8月20日 (木) 07時52分

ジャスミン様

解説?あぁそうですね、解説しているのかもしれませんね。ただし、私の解説は少々、下品になっているかもしれません。アイジンだなんてイヤな響きがあるし、イヤだなーと思いますが、本にはそう書いてあるものですから、、、。

夫も大変ではあるのです。家には気の強い女が二人、せめぎあっているし安息の場がなかったかもしれません。オソトの花畑には美しい花々が咲き乱れていることでしょうから、その中から、気立てのよさそうな花を一輪、手折ってみたかったのでしょうねー^^

投稿: | 2009年8月20日 (木) 07時59分

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