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明るい灯をともしてほしい・・・

         Pict0016 『嫁を生きる』の物語は戦争が終わって二年もたたない頃の浜松で始まる。

 その町のキリスト教の教会がやっと再建され、献堂式が行われるというとき、信者を代表し、ゆきとどいた立派な祈りを捧げたのが、のちに著者の姑になる女性であった。そのそばに立っていたその人の息子にも会ったのであるが、その時は、わぁ素敵!この人のお嫁さんになりたい、などと思ったわけではなかった。

 ところがその後、牧師夫人の引き合わせにより、もう一度、会うことになった。そのあと追いかけるように彼からきた手紙は女心をふるわせるような、珠玉のような言葉に満ち溢れていた。「どうか、母と二人きりのさびしい暮らしに加わって、明るい灯をともしてほしい」

 この手紙と、メガネの奥の目がやさしそうだった、という理由だけで気持ちは決まった。母一人子一人がひっそりと暮らす小さな家に嫁いでいくことになったのである。おぉこわ~!なんとそれは30数年前の我が家の構図とまったく一緒ではありませんか!

 思えば若いということは恐れを知らない、ということだろうか。竹やぶの中にヘビの巣があるかもしれないというのに、まるで無防備に丸腰のまま、ヤブの中へ分け入っていこうとするのだから。

 姑になった人はどんな人だったのか。おっとその前に夫たる人は、というと、その人となりについてはほとんど記述がない。まぁ、若くして未亡人になった母が、女手一つで自分を育ててくれた、という恩義もあることから、母親に対して、まったく頭があがらなかったであろう、ことぐらいは推測できる。夫はひたすら会社へ出かけていき、家では姑と嫁がしのぎをけずることになったのであった。

 姑(おかあさまと呼ぶことにした)は熊本は細川藩に代々仕えた武家の出であった。維新によって、武士が失業を余儀なくされるころ、一族のうちの出世頭が横浜で成功をおさめていたことから、こぞってそちらへ移動していき、姑上はそこでキリスト教に出会い、信奉するようになった。姑上は武士道とキリスト教の二刀流でガチガチに武装したような60歳であった。

 一方、嫁のほうはというと。両親は長くアメリカで暮らしていたそうだから、その考え方や暮らし方は自由な家であっただろう。戦争のさなかでもハイネやチェホフを愛読していたそうであるから、文学少女で夢見る乙女であったのだ。女学校出たての19歳であった。

 姑上はまず、一日の終わりには必ず、自分に三つ指ついてのおやすみなさいを言うように要求した。ある時、両手がふさがっていたとき、どさくさに紛れこの三つ指ついてを省略しようとした。姑はそれを見逃さず、「荷物はそばに置いてごあいさつをしなさい」と命じた。

 子供が生まれてからのこと、ちょっとだけ姑上にめんどうを見てもらうと、それも必ず三つ指ついてのごあいさつをせねばならなかった。客がおつりを待つように、お礼を言われるまで、じっと正座して待っていた、というのだ。(別にめんどうみてもらわなくても、二人の子供くらい一人でなんとかできるのですが、、、)

 封建時代の遺物のような姑上との暮らしが、つまらなくて楽しくなくて不機嫌でいると姑上は言った。「あなたね、イライラしているようだけど、それは教会から遠ざかっているからですよ。これから教会へは必ず行きなさいね」 なんとシュウトメとはうっとうしい存在であろう。そうじゃありませんッ、あなたとこうして密着しているのが苦しくてイライラするんですッ、という訳にはいかない。たしかイエスさまは “あなたの目の前にいる人を私(イエス・キリスト)と思いなさい”と教えられたはずである。著者自身もキリスト教徒であるからこそジレンマも深いのであった。

 何年かたって、、、格子なき牢獄のような暮らしに、一条の光明が見えてきた。こっそり書いて応募したラジオドラマの脚本が、二千篇の中から、一等に選ばれたのであった。注文も舞い込むようになり、だんだんと忙しくなってきた。ヤッホー!これで姑の支配圏から抜け出し、オソトのおいしい空気を吸えるぞー!

 と喜ぶのは早かった。この姑を家に置いて外にでるのは、生半なことではなかったのである。 つづく

 

 

         

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コメント

私のような反封建的、反社会的なやつは単純に
「嫁姑問題なんてくだらん!」とか言ってしまいがちですけど、
「生きる」こと自体がとても厳しく大変な昔の風習を、
贅沢三昧の現代でタルんだ生活に慣れきってしまった私たちが、
安易にどうのこうの言うのも変な話しかもしれません。
でもな・・・
私はこういった昔の生活は絶対に無理ですわ(^^;

投稿: 便利屋 | 2009年8月 8日 (土) 18時31分

便利やさま

はいはい、そもそも二匹のメスが狭いエリアに
生息するということが、自然界には不自然なことでして。

シロクマだろうが、エリマキトカゲだろうが、おそらく他方を追っ払おうと死闘をくりかえすことでしょう。

人間だけが、理性とやらで自分を押さえ込もうとするのでしょう。

けれどもこういう人間関係も、経済的に豊かになったりすると、違った様相を見せることになるんでしょうね^^

投稿: なぎさ | 2009年8月 9日 (日) 07時41分

コメント、わざわざありがとうございました。
またもや遊びに来てしまいました。

続きが・・・気になります!!
こんな人と密着していて生活していたら、本当に病気になりそうです。
・・・がお姑さまの方は大丈夫なんでしょうか?息苦しくないんでしょうか??
ババさまの心が知りたいです。

投稿:  ジャスミン | 2009年8月 9日 (日) 18時15分

ジャスミンさま

トラックバックのヘンなのを消していたら
コメントまで消してしまいました。

そちらは台風、地震、だいじょぶですか?

投稿: なぎさ | 2009年8月11日 (火) 12時15分

ジャスミンさま

もう一度、まじめに書かせていただきます^^

お姑さんというかたはとにかくキチンとした人で、小さな机の前で、聖書のお勉強や短歌を詠んだりされるものですから、嫁さんは行儀悪くしていられないから窮屈なのですね。

それから住宅事情も悪かった。はじめはちいさなバラック。のちに東京へ移ってからも借家や公団住宅などのせせこましさ。お互いの寝息やセキまで筒抜けだったといいますから、緊張の連続だったことと思いますねー。

ですから、どちらが悪いというものでもなく、別々にくらせば問題はあるはずもないのですが、、、。

やはり二匹のメスは遠く離れて棲息すべし!かしら?

でも私は異世代が一緒に暮らすのはまた、いい面もあり、お得なこともあるのだ、ということ、よおくわかっているのですよ。

投稿: なぎさ | 2009年8月11日 (火) 20時26分

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