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なんてったって女は強いな~^^

Pict0043 夫が、「もうあの妻と一緒には暮らせない、外に好きな女のひとがいるので、そのひととやり直したい」という意向をまず打ち明けたのは、その母にであった。家系を乱す行いを忌み嫌っている母こそ、まず説得せねばならないのであった。そしてそのことを嫁は姑から伝えられたのであった。

 それから姑上は付け加えて言った。「この際、あなたにも言っておきますけど、文彦(冬彦ではありません)がこんな気持ちになったというのは、あなた側にも多分に責任があるってこと、よく考えておいてちょうだいね。私から見ても、あなたはこの頃、なんだか書くことに夢中で、家のことには上の空よ。それが文彦にも伝わるんです!」

 それからまた言った。「あなた、最近何のかんのと理由みつけて、教会から遠ざかっていますね、それがいけないのよ、神様を忘れているのが。それが根本の原因よ、分かって? これを機にちゃんと教会へいらっしゃいね。」

 へんによそよそしいと思ってはいたがなんだ、そうだったのか。夫からの別れ話を聞いて妻は思った。よし、こうなったからには、文彦にはなるべく平静に接しよう。おそらく別れも近いのであろうから、、、。ところが夜更けて夫が帰ってくると、冷静ではいられなかった。 以下少々、とても迫力のあるシーンを抜粋してみることにしましょう。

 “夫の顔を見るや私は煮え湯を浴びた猫のように跳ね上がり、いきなり 「女がいるんだってねえ」とヤクザのような口調で叫んでしまったのだった。「おかあさんに打ち明けたんだって?お嫁さん替えたいんですけどって。まあまあ、いつまでもお母さんが怖くてお気の毒なこと。私に直接言って下されば良かったのに。私もそれほど物分りは悪くないつもりですよ。嫌われてまであなたにしがみついていようなんて気は、サラサラありませんからね。(中略 )いつだって出てってさしあげます!」 

 「いや…」と夫が口を挟もうとした。それをさえぎるように押入れの戸を力まかせに開くと、文彦の寝具一式をわし掴みにして、文彦めがけてポンポン投げ始めた。こんなはずではなかった、と思いながら。そう思えば思うほど、きたないものでもつまみ出し、放り出すように、蒲団を、枕を、寝巻きを、夫に向けて投げつけた。(後略)

 翌日から私は意識的に文彦をさけ、その持ち物にさえ触れるのを嫌がるそぶりを、わざとのようにして見せた。夫は私の際限もない嫌がらせに耐えねばならなかった”

 しかし、妻を取り替えることはかなりな難事業なのだ。夫だけならともかく、夫の背後にデンと控えている難攻不落の手ごわい母上がいるとわかったら、果たして「ではお嫁に参ります」などと言う殊勝な女がいるのだろうか。

 さて私は物語を読んだあと、我が夫に言った。あの赤いプルトニウムの女の子みたいなポーズで、余裕で半分笑いながら。 「女がいるというのであれば、ささっと出ていってあげますけどね。お気の毒だけれど(うちの、あのおかあさまがあなたの後ろにがんばっているようであれば)なかなか再婚までこぎつけるのは難しいんじゃないかしらぁ~?」

 すると夫はあっさりと、かつにこやかに言った。「大丈夫だよ~、オフクロだったらすぐに施設に入れるから~♪」

 ムムッ、なんということを言うのだ。ってぇーことは何ですかい、古女房(と自分で言いたかぁないが、古いことは古い)には無理難題を平気で押し付けておいて、新しいヨメハンのことはチヤホヤご機嫌をとろう、ってんですかい? ウーム、敵がそのような心根であれば、こちらも策を練り直さねばならぬ。女のいくさはきりもはてもないようだ、まったく。

 さて物語にかえって、伊吹家で冷戦状態が続き、泥沼化していた頃、これは神の恩寵というべきか、夫にアメリカ出張が命じられたのであった。夫は「留守を頼むよ。僕も少し頭を冷やしてこよう」と言って出かけて行った。そして一年後、帰ってきたときに、「ごめん、悪かった」と妻に謝り、、、ヨリを戻したのでありました。

 ほんとうに、それぞれのうちにドラマがあるものだ。たとえそれが家庭内の出来事であれ、能力のある者は、読む者をうならせるような作品を残すことができる。ところが圧倒的多数のものはそんなことは出来はしないのだから、そのドラマは歴史の片隅にひっそりと埋もれていく、ということになるのでしょうねー。  おしまい。

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主のみ心ならば

Pict0061 自由とは自らに由(よ)る、ということであり、それは判断し決断するのも自分なら、行動を起こすのも自分だ、それが自由というものらしい。ところが、この物語の著者であるお嫁さんには、姑さんが張り巡らす要塞の中で、自分で優先順位をつけて家事をやる自由はなかった。

 NHKが募集したラジオドラマの脚本が認められて、脚本家として出発できたのだが、思うように原稿用紙に向かう時間がとれないのであった。子供が外で遊んでいる間に、、、と思っているとお姑さまがカシャカシャと茶碗など洗いはじめる。もうどうぞほっといてください!あとでまとめて洗いますから、と言いたいところだが、姑上は家の中に汚れ物やゴミが停滞しているのが大っ嫌い、というのは骨の髄まで染み透りわかっていることであるから、そう言うわけにはいかない。

 そのうち子供が表で泣いていたりすれば姑上は「子供が泣いてますよ。」といちいち教えに来るのだ。おやおや、どうしたの?とみずからめんどうを見てくれるようなことはない。お姑さまは聖書のお勉強やら、短歌を詠むのにお忙しい。あなたの子供でしょ、あなたが責任持って育てるべきです、ということなのだ。これまたほっといてください!と言うわけにはいかない。「私は自分の子供を怪我ひとつさせずに育てました」というのがお姑上のご自慢なのだ。

 そうこうするうちまたもや昼のご飯だ。お姑さまにちゃんとしたご飯を食べさせねばならぬ。 おぉ御飯 ゴハン ごはん。トシヨリにとって三度三度のご飯をぬかりなくキチンと食べることは、天下の一大事なのだ。(しかし我々もいずれそうなる。年寄りわらうな 行く道だ、と世間さまでも言っている)

 ある日のこと、そのころは夫の転勤に伴い、一家は東京に住んでいた。そしてその日、夫はアメリカに出張中のことであったのだが、ラジオドラマの収録があり、夜遅くまで時間がかかることはわかっていた。姑上には「遅くなりますから玄関を閉めてどうぞ先におやすみください」と言い置いて出かけたのだった。

 録音取りが終わったのは12時を過ぎていた。大急ぎで帰ろうとすると、若いディレクターから「これからちょっと付き合ってくれない?」と誘われた。彼はいつも「あなたは羽目板を一枚つきやぶらなくてはいけない」とけしかけていたのだ。「いえ、なりませぬ、姑が待っておりますゆえに」などと、どうして断ることができるものかは、、、? なんという甘美なお誘いだろう。窮屈な要塞暮らしの身には史上初の出来事なのだ。

 夜のとばりが下りた六本木。だがしかし地下にあるBARの重たいドアの中には、急いでオウチに帰らなくてもいい自由を獲得した男や女が紫煙をくゆらし、ワイングラスを持つ手もしなやかで垢抜けていて、高級そうな話に興じているではないか。初めて浸る深夜の世界。初めて食べる料理。これが自由の味なのか!

 夜の世界の魅力とワインの酔いも手伝って、陶然とした気分で家にたどり着いたのは午前三時を回っていた。そおっと玄関の鍵をまわすとややっ、鍵は開いているではないか。敷居をまたいだ瞬間、仁王立ちになったお姑さまの激しい叱責が飛んできたのだ。「何時だと思っているの!遅くとも12時までには帰るべきです。パパも留守だってのに、いったい責任をどう感じているんです。ガミガミガミガミ、、、」

 そんなことこんなコトがあってのち、お嫁さんはとうとうペンを措くことにした。払う犠牲のほうが大きいような気がしてきたのであった。それに夫婦仲もだんだんあやしくなってきていたのだ。テレビドラマ『ただいま11人』とか『みなしごハッチ』などの作品があるそうだが、残念ながら私は見ていない。

 あの結婚の日から40年。最年長者、家長として君臨しつづけて、もうじきに100歳になろうかというのにお姑さまはまだ元気。お姑さまは年の初めの日記帳にこう書いた。「元旦を 日記開きてヤコブ書の 四章十五節つつしみて記す 主のみ心ならば、生きながらえもし、あの事、この事もしよう」

 著者である伊吹仁美さんは昭和二年生まれとあるから、今生きて在りませば81歳くらいであろうか。お姑さまの覆いかぶさっていない青い空を仰ぎ見る時間があったのだろうかと、私はひと事ながらかなり気にしているのである。

 さて私はもういい加減にこのシリーズを終了したいのだけれど、この物語のハイライトとでもいうべきシーンにふれたい気もするので、もう一回書くことにいたしますねー。なんと夫に愛人ができて、お家の騒動が始まってしまうのですね。ではまたのちほど。

 

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明るい灯をともしてほしい・・・

         Pict0016 『嫁を生きる』の物語は戦争が終わって二年もたたない頃の浜松で始まる。

 その町のキリスト教の教会がやっと再建され、献堂式が行われるというとき、信者を代表し、ゆきとどいた立派な祈りを捧げたのが、のちに著者の姑になる女性であった。そのそばに立っていたその人の息子にも会ったのであるが、その時は、わぁ素敵!この人のお嫁さんになりたい、などと思ったわけではなかった。

 ところがその後、牧師夫人の引き合わせにより、もう一度、会うことになった。そのあと追いかけるように彼からきた手紙は女心をふるわせるような、珠玉のような言葉に満ち溢れていた。「どうか、母と二人きりのさびしい暮らしに加わって、明るい灯をともしてほしい」

 この手紙と、メガネの奥の目がやさしそうだった、という理由だけで気持ちは決まった。母一人子一人がひっそりと暮らす小さな家に嫁いでいくことになったのである。おぉこわ~!なんとそれは30数年前の我が家の構図とまったく一緒ではありませんか!

 思えば若いということは恐れを知らない、ということだろうか。竹やぶの中にヘビの巣があるかもしれないというのに、まるで無防備に丸腰のまま、ヤブの中へ分け入っていこうとするのだから。

 姑になった人はどんな人だったのか。おっとその前に夫たる人は、というと、その人となりについてはほとんど記述がない。まぁ、若くして未亡人になった母が、女手一つで自分を育ててくれた、という恩義もあることから、母親に対して、まったく頭があがらなかったであろう、ことぐらいは推測できる。夫はひたすら会社へ出かけていき、家では姑と嫁がしのぎをけずることになったのであった。

 姑(おかあさまと呼ぶことにした)は熊本は細川藩に代々仕えた武家の出であった。維新によって、武士が失業を余儀なくされるころ、一族のうちの出世頭が横浜で成功をおさめていたことから、こぞってそちらへ移動していき、姑上はそこでキリスト教に出会い、信奉するようになった。姑上は武士道とキリスト教の二刀流でガチガチに武装したような60歳であった。

 一方、嫁のほうはというと。両親は長くアメリカで暮らしていたそうだから、その考え方や暮らし方は自由な家であっただろう。戦争のさなかでもハイネやチェホフを愛読していたそうであるから、文学少女で夢見る乙女であったのだ。女学校出たての19歳であった。

 姑上はまず、一日の終わりには必ず、自分に三つ指ついてのおやすみなさいを言うように要求した。ある時、両手がふさがっていたとき、どさくさに紛れこの三つ指ついてを省略しようとした。姑はそれを見逃さず、「荷物はそばに置いてごあいさつをしなさい」と命じた。

 子供が生まれてからのこと、ちょっとだけ姑上にめんどうを見てもらうと、それも必ず三つ指ついてのごあいさつをせねばならなかった。客がおつりを待つように、お礼を言われるまで、じっと正座して待っていた、というのだ。(別にめんどうみてもらわなくても、二人の子供くらい一人でなんとかできるのですが、、、)

 封建時代の遺物のような姑上との暮らしが、つまらなくて楽しくなくて不機嫌でいると姑上は言った。「あなたね、イライラしているようだけど、それは教会から遠ざかっているからですよ。これから教会へは必ず行きなさいね」 なんとシュウトメとはうっとうしい存在であろう。そうじゃありませんッ、あなたとこうして密着しているのが苦しくてイライラするんですッ、という訳にはいかない。たしかイエスさまは “あなたの目の前にいる人を私(イエス・キリスト)と思いなさい”と教えられたはずである。著者自身もキリスト教徒であるからこそジレンマも深いのであった。

 何年かたって、、、格子なき牢獄のような暮らしに、一条の光明が見えてきた。こっそり書いて応募したラジオドラマの脚本が、二千篇の中から、一等に選ばれたのであった。注文も舞い込むようになり、だんだんと忙しくなってきた。ヤッホー!これで姑の支配圏から抜け出し、オソトのおいしい空気を吸えるぞー!

 と喜ぶのは早かった。この姑を家に置いて外にでるのは、生半なことではなかったのである。 つづく

 

 

         

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