嫁を生きる
去年の秋も深まったころのこと、近くの図書館で古本まつりというのがあった。これは図書館が廃棄図書として処分する本や、家庭からもうイラナイといって持ち込まれた本を、タダでもらえる催しである。
ちょっと見てまわっているうち、私は『嫁を生きる』という本に目がとまった。厚さが2.5センチほどもあるその本は伊吹仁美著、講談社刊であった。さぁこれを貰って帰ろうか、どうしようか。
考えてみれば、 私はもうウンザリするほど長々と嫁を生きているのである。嫁の考えそうなことはもうぜぇ~んぶ聞かんでもわかっておりますよ。もうよそのうちのすったもんだまで追体験することはなかろう。要らない、と思った。
このごろ、泉ピン子さんが姑役のドラマが始まった、と教えてくれた人がいる。おもしろいのよ~とその人は言った。けれど私は嫁姑の話は苦手だ。どうせ姑が次から次へと無理難題を持ち出し、それに若い嫁が、オロオロハラハラしながら、あるいは腹をたてながらなんとか姑の意に沿うよう努力奮闘する、というストーリーであろうと思う。そんなことはわかってますってば。もうじめじめした愚痴っぽい話しは聞きたくもないのだ。
しかし待てよ。今までにこういった極めて家庭的な題材で書かれた作品を読んだことがあっただろうか。ノンだ。数年前のことだけれど、著名人と言われる人々が寄稿した『嫁姑論』というのを読んだことがある。さぁて先生たちはどんなことを書いているのか、私は喜び勇んで読みだした。ところがそこには通りいっぺんなこと、大昔からの家庭制度の変遷だとかどうでもよいことしか書かれていなかった。「あなたのおうちではどうですか?」と聞きたいのに。
それは仕方のないことではあろう。先生がたにも大事に守っていたい家庭があるのだ。本気でまじめに嫁姑論など書いたらその先生のうちは一瞬にして崩壊するであろう。それほど家庭内のことはデリケートで壊れやすいのだ。だから誰も手を出しにくいテーマであろうと思う。
それなのに、この著者は勇気をもってこの本を書き上げたのだ。 ではありがたく頂いていくことにするか。なんてったてタダなのだ。読む気になれないときはまた、そっと返せばいいのだ。
で私はその本を持ち帰り本棚に並べた。(背表紙はあちら側にむけて) そしてやっとこのたびその本を読んだ。いや~おもしろかったです。息もつかせぬおもしろさ。ヨメの心理というものをこんなに深くあからさまに、そしていさぎよく書いたものに出会ったのは初めてであった。
“おもしろいことに、愚痴でさえ、表現が下手だとうんざりする話になるが、整理がいいと芸術になり得る 曾野綾子 ”
そうでした。ほんとうに整理のいいお話で、たいした文学作品だったのでした。つづく
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