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たかが洗濯 されど

 Pict0141_2                                         用事があって近くのNさんのうちへ行き、そこの若いお嫁さんが洗濯物を干すのを見ていた。そこには3歳くらいの坊やがいるのだが、洗濯物のかごの中からは、その子の脱いだ物がそのままの形で出てきた。パンツとズボンはいっしょに。下着とトレーナーも重なったまま。靴下はコロンと丸まったまま。それをほぐしながらお嫁さんは干しているのだった。

うちの嫁さんがそういうことをしていたら、ココロ穏やかでいられるだろうか。私的にはインナーとアウターは分けて洗って欲しいものである。靴下は特にしっかり洗って洗濯機に入れて欲しいものなりよ。

しかし私の姑ともだちが言っていたけれど(私はまだ姑になったことはないが)この頃の嫁というのは、ちょっと注意したり教えたりすると、「私には私の流儀があります」だの「今は時代が違います」だのと反駁してくるそうである。だから家庭の平和を守るためには、なぁ~んにも言わないほうがいいのだとか。(以上、現役のヨメなのにちょっと言ってみました)

何年か前のことだけれど、遠縁の娘さんが二人、我が家に一週間ほど、遊びに来ていたことがある。ジーンズが干してあるのを見たら、竿にアラヨッという感じで二つ折りにして投げかけてあるのだった。こういう干し方では腰周りのポケットなど、ゴテゴテとしたところがいつまでたっても乾かないであろうし、ヘンなところが日に焼けたりもするであろうから、ちゃんと裏返しにして干したいものである。テレビで言っていたが、ズボンなどは人が穿いている姿のようにして干すのがベストだそうである。だからピンチハンガーのような物に吊るすのがいいのだ。

言うか言うまいか迷ったけれど、お嬢さんたちについに「こうした方がいいんじゃない?」とやさしくていねいに言ったら、おメメを丸くして「えーっ!そうなんですかー?」と驚いていた。あら、そんなコトもおかあさんは教えないの?と言いたくなるが、実は私も娘たちにそんなことを教えたりはしなかったのである。そういうことを言う間もなく、高校を卒えたらささっと出ていってしまったのであった。つづく

さて写真はうすいピンクの色をした孔雀サボテンにてございます。今年初めて一個だけ咲きました。来る人ごとに見せたり、写メールで送ったり大騒ぎでしたー^^

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木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』

Pict0138 はじめ『奇跡のリンゴ』の本の表紙を飾る木村さんの笑顔を見たとき、私は80歳くらいのおじいさんかと思った。ところが1949年うまれとあるから、まだ60歳にもなっていないのである。野外での作業によって日にも焼けるであろうし皺も深くなるであろうけれども、歯がないのには驚いてしまった。

木村さんはリンゴの葉と自分の歯を引き換えにした、と笑っているそうだが、木村さんはもう貧乏ではないのだし、今では日本国内はもとより海外まで、講演や農業指導に出かけられるそうなのだから、歯がなければ発音が悪かったりして、聞き取れないこともあるのではないか。やはりちゃんとメンテナンスなさったほうがよろしいのでは、と私は言いたいが、まぁいいか、よそのうちのだんな様のことだから、、、。

さて木村さんは無農薬、無肥料でのリンゴ栽培に挑んで6年目にして自殺することにした。農薬に代わるあらゆる物を使って実験をしてみたが手ごたえはなく、一家は窮乏のどん底にあった。

津軽のリンゴ生産農家で800本のリンゴの木を所有していればお大尽とよばれ、バーへ行けば上客、雪の積もる冬にも出稼ぎなど行かずとも裕福に暮らせる身の上ではあった。それなのに今では“かまど消し”と後ろ指をさされ、水田は売り払ってしまい7人家族が満足に食べる米もなく草を食べる日もあったのだ。親戚からの冠婚葬祭にもお呼びはかからなくなった。しかも木村さんは入り婿である。義父母も妻もこの試みに一言の反対もせず、どん底の生活を共に耐えてくれていた。

自分がいなくなれば、今よりも家族は幸せに暮らせるであろう、、、。木村さんはロープを肩にかけ岩木山を登った。満月の夜であった。2時間ほども登りちょうどいい具合の木を見つけると、持ってきたロープを枝に投げた。

するとそのロープの端があらら、指をするりと抜けあらぬ方向へ飛んでいった。この期になってもヘマをする、と思いながら山の斜面を降りかけて、木村さんは冴えわたる月の光の中であるものを目にしたのだった。それは天啓のごとくに木村さんに次になすべきことを教えてくれた。 

木村さんがそれまで見ていたものはリンゴの幹、枝、葉など地上に出ているものであった。けれど岩木山へ行き、山の木々が農薬もふらないのに青々と葉を繁らせているのを見て、目に見えないリンゴの根、土壌の働きに目を向けねばならないことに気がついたのであった。

そうして苦節9年目にしてようやくのことで白いリンゴの花が咲き、11年目にやっとのことで、こぶりながらリンゴを収穫することができたのであった。めでたしめでたし。

我が家にリンゴの花が咲いた、という話をしていたらある人が、○○さんのうちにもリンゴの木があるよーと教えてくれた。さっそくその木を見に行ってきた。幹は15センチほどの太さで枝は茂り、20個ほどの実をつけていた。かわいいねー。(写真がそうです)それで五島でもリンゴの実はなるのだということがわかった。するとうちのリンゴの木にも実がなる可能性があるということなのだ。それで私は前にもましてうちのリンゴの木に声をかけることにした。「来年は花を咲かせて実もならせてねー」と。

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リンゴの白い花が

信州を旅したのは19の秋。初めて松本駅に降り立ったときの凛とした冷気は忘れられない。深々と霧が立ち込める美ヶ原を歩いたものだ。そのときPict0113 リンゴの紅い実が生っているのを初めて見たのだった。なんとかわいいのだろう。それは道端にぽつんと立っている一本のリンゴの木だったのだが、誰に採られることもないらしく、たわわにみのっていた。

それからというもの、リンゴの花が咲く季節にまた、信州を旅したいと思い続けてきたが、この歳になるまでその機会にはめぐまれていない。

おととしの今頃のこと、園芸店でリンゴの木を見かけた。三割引で660円也。王林とつがる。植える所もろくにないのにと思いながらも買わずにはおれなかった。実なんかならなくてもいい、花さへ咲いてくれれば、、、。そんな気持ちだった。

ひょろ~んと長いだけの苗木を持ち帰り早速植えた。狭くて日当たりのよくない場所しかなかった。そして今年、五月にはいってすぐ、そのうちの一本(それはちょっとは日当たりのましな方の木だったのだが)にたくさんのつぼみがついているのを見た。

数えたら全部で40個もあった。リンゴのつぼみは初めは紅い球体だった。ほころびはじめるとだんだん薄紅いろ、そして開ききるとほとんど白くなってきた。私は木村さんのようにリンゴの木に声をかけた。

「リンゴの木さん、花を咲かせてくれてありがとう。来年もまた花を咲かせてねー」 さすがに実をならせてねー、とまでは言えなかった。

木村さんとは世界で初めて無農薬、無肥料でのリンゴの栽培に挑戦した人である。農薬で作ると言われるくらい、リンゴの栽培にはきめ細かな農薬散布を必要とするそうだ。『防除暦』というのがあってそれにしたがってせっせと農薬を撒くのである。そうしないとリンゴは病害虫に負けて立派なリンゴを生産できなくなるのだ。

通常は春先のリンゴの発芽前から農薬の散布が始まり、秋の収穫期の約半年の間に十数回の農薬を散布するそうだが、木村さんはその一切をやめてしまったのだった。

木村さんが「枯れないでくれ」と頼んで回ったリンゴの木は、枯れた木もあったけれども枯れない木もあった。けれど、声をかけなかった木はおしなべて枯れてしまったというのである。それらの木は道路沿いであったり、隣のリンゴ園との境に面していたために、木村さんが気後れして、声をかけることができなかった木たちであった。木村さんはリンゴの木に話しかける姿を、周りの農家にみられたくなかったのだった。

そうか、木にも人の心は伝わるのか。私は育てている花々、木々、それらのすべてにこれからは声をかけることにした。  つづく。

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あの日に戻って

Pict0080 今朝ラジオを聴きながら仕事をしていたら、こんな川柳が紹介されていた。“プロポーズ あの日に戻って断りたい” 私は思わず一人で笑ってしまったのだった。

女にとって、いや男にとってもだろうけれど、結婚というのは乱気流に突入するのと同じくらいに一大事である。それまで親の庇護のもと、のんきに楽しく無責任に暮らしていたのが、にわかに、もろもろの煩雑な事態に丸腰で対処しなければならないことになるのだ。

皇后様が「こんなおうちに嫁いでこなきゃよかったわ~ほかに選択肢もあったのに~」などと思われたことがあったかどうかはわからないが、このたびめでたくも結婚五十周年を迎えられたという。

私は新聞記事で天皇陛下のお言葉を検証してみました。

『私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います』 さて私はほとんど考えたこともなかったのだが、皇室の方々は大勢で暮らしていらっしゃるというのか。それはまるで、年がら年中合宿をやっているようなものではないだろうか。

クラブ活動の合宿だったら私も経験がある。それははじめのうちこそ楽しいが、日にちがたってくるとだんだん疲れてきて、早くオウチへ帰りたい、と思うようになるものである。

しかもそこでは沢山の人が皇后様の指示や決定を待っているであろうから、「まー今日は大変な一日だったわ~」と言ってのんびりしている暇などないことであろう。それに家の外でも中でも人目にさらされ続ける、というのでは身も心も休まるときがないであろう。

それでも皇后様は『何事も静かに受け入れ』られたのである。何事も静かに受け入れることができない私。しょせん庶民レベルの出来事ではあるが、なぜ?どうして?とジタバタするか欝っぽくなるかして、受け入れるまでにはそうとうな時間がかかるのだ。静かに受け入れられた、と聞いただけでも皇后様の偉大さがわかるというものである。

さて最後にきわめつけの川柳をひとつ。(どこかで読んだのですが)

“玉の輿 乗ったつもりが欠陥車”

もうほんとに、言いたい放題ってかんじですねー^^ 私たち皇后様の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいんじゃないでしょうかー。

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