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学童保育願望

Pict0013 一番下の娘が高校を卒えて家をでたあと、空の巣症候群になった、とは思わないが、いささか気が抜けた状態になっていたのは確かだ。

家の近くに小学校があって、朝夕には小学生が登下校するのを眺めることができる。そのうちの二人くらいを我が家で預かってみるのはどうだろう、などと考えるようになった。

夕方になると預かり子はランドセルをカタカタいわせながら帰ってくることになるだろう。

 子供A 「おばちゃーん、ただいまー、オヤツちょうだーい」

 ミー  「はいはい、ちゃんと手を洗ってからねー(そうだ、おばちゃんじゃなく“ママ”って呼ばせようかな)」

 子供B 「ママー、遊びに行ってきまーす」

 ミー  「ダメー、宿題がすんでからよー、これこれ、その筆順は間違ってるでしょ(と言う前に『漢字の正しい書き方』などで確認すること。案外思い込みってものがあるんだよね)」

そういうことどもを夢想していたある日のこと、近所の男の子が三人(小学四年生)我が家の玄関に立ち言った。「おばちゃん、ぼくたち、おばちゃんちのテレビの部屋で遊んでもいいですか?」

その日は私のほかには誰もいなかったので、「ちょっとくらい騒いだっていいや」くらいの気持ちで「どうぞー」と愛想よく言った。

坊やたちはしばらくはゲームなどして静かに遊んでいた。ところが30分くらいするとドタンバタンくんずほぐれつの大騒動。しかも発する声といったらキーキーと甲高くてこちらの脳みそが溶けてしまいそうになってきた。

もうウルサイなー、男の子ってこーんなに暴れまわるものだったのかねー。カクランされてまるで考えがまとまらないじゃないの。

で、用事を作って我輩はでかけることにした。途中で 男の子の一人のママと出会った。

ミー「こんにちはー、おたくのお坊ちゃま、うちで遊んでいますよー」

ママ「えーっ、騒いでいますでしょ、早く家に帰るように言ってください」

ミー「いえいえ、おとなしく遊んでいますよ(と、くちだけはおじょうず)」

一時間ほどして帰ったら、家にはもう男の子たちはいなかった。その時わたしは悟ったのだった。うちの子だったら「やかましー!外であそびなさーい!」と一喝し外に追ン出せるのだけれど、よそ様のお子ちゃまは追ン出すわけにはいかないのだ、ということを。外で交通事故に遭ったり誘拐されたりしたら、重大な責任問題なのである。

さてそんなことがあってからというもの、学童保育をしようなどと、だいそれたことは考えないようになったのでありました。

                      

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捨てるのも美学

Tubaki_014 二階のおかあさまの部屋へ行くと、、、キチーンと片付けられて無駄な物など何一つない。“何もないのは美しい”というポリシーの持ち主だから徹底的に余分な物は排除するのである。

おかあさまは寝ながら考える。この家の中にもう使っていない物はないか、きたない物はないか。そして朝起きてきたら嫁たるわたくしに言うのだ。「なぎささん、もうアレね、捨てたら?」もしあとで、「やっぱりアレ、要るんだったわ」ということがあっても、ちまたには美しくきれいな物がいっぱい売っているんだから、その時また買えばいい、というじっつに明快にしてドライな考え方である。

そんなこと言われても、私としましては世界中の人々がこれだけ不自由しているのであるから、そんなに右から左へ捨てることなどできないのだ。いつかテレビで見たのだけれど、流れ着いてきたビンを「これ、私のものよ!」と喜んで拾っていた人たちがいたではないか。ちなみに母上と私は同じ干支でちょうど二周りの年齢差がある。それなのにどうしてこんなに二人は違うんでしょ?

さてうってかわって、私の部屋はいろんな物であふれかえっている。まだ読んでいない新聞雑誌、あとでシミジミと読み返すつもりでいる切抜きの山。(これは肝心なときに掘っても掘っても出てこないことになっている) 子供たちが遊んだ人形。誰かが作った木彫りのオルゴール。これがまたけっこうな空間を占めていて、ときおりあらぬ時にキンコーンと鳴るのだ。

ずっと前一念発起、こころざしを立て、尼僧のごとくにすっきりと何も持たずに暮らそう、としたことがあった。けれどなにかと不自由なことがわかってまた、もとの木阿弥でモノは徐々に増えていく暮らしになってしまった。

そんな私にある人が言った。「捨てるのも美学だからなー」

そうだろうなーと私も思うよー。エイヤッと捨てられたらどんなにすっきりすることだろう。すがすがしい一陣の風が吹き抜けていくのをこの身で感じることができるだろう。しかしながら、捨てるにもかなり頭脳労働が必要なのだ。持つべきか、持たざるべきか、じーっと考えていると頭痛がしてくるではないか。

このあたりでは“嫁は姑に似る”とずっと昔から言われてきた。共に暮らしていたら、いつのまにか似たような考え方をするようになるものらしいのだ。だとしたら、似てきたら問題ないわけねー。じゃぁ、いっそのこと煩悶するのはやめて“何もないのは美しい”の信奉者になって、あれもこれも捨てることにしようかしらー。

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