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 源氏物語は永遠に

Hanabana_093 この私などは一通りの一日の家事を終えただけで、疲れた~~と言ってくたばっているというのに、世の中にはこころざしの高い立派な女性がいるのだなぁ、と感慨深く思ったことがあった。

新聞記事によると、上野栄子さんという(現在80歳)かたが母上の介護をしながら18年かけて、源氏54帖すべての現代口語訳を終えたというのである。そしてそれはこの度本になり刊行された。(全8巻二万五千円也日本経済新聞社刊)

源氏物語は学生の頃、半年間くらい講義を聴いたことがあるが、その文章というのは、句読点もなく長ながと連綿と続き、迷路を行くがごとく入り込んでいて、いつどこで誰がどうした、は判然とわからなかったことだけ覚えている。

けれど上野訳によると、『桐壷』の巻の有名な冒頭のくだりは “どの帝の御代であったか。女御や更衣が沢山お仕えしていたなかに、特に高貴な身分というほどではないが、ひときわ目立って帝のご寵愛を受けていられる御方があった”というように、たんたんとわかりやすい言葉を選んで訳してあるのだという。

源氏物語の現代口語訳は今ではたくさんの人が手がけ、漫画もいろいろ出ている。娘たちが読んでいた『あさきゆめみし』を手にとってみたら、光源氏は細面の今ふうイケメン。身の丈は6尺もあろうか。労働などしたことなさそな細く長い指。まるでイメージが違うような気もするが、若い人たちがどんな形であれ、この物語に親しみを持つようになればとてもいいことだと思う。

しかし稀代のプレイボーイ光源氏が次から次へと女に手を出す物語、、、おっとっと、こういう品のないことを言ってはいけない。源氏物語は全編これ敬語で書かれているのであって、何故なれば、それは宮中の出来事であり、登場人物はすべて、上流の高貴で品格のある方々なのである。だから我々がはしたない言葉をつかってしまったら「みやびでなかったわ、品よくしなくちゃー」と恥ずかしくなるような典雅な世界なのである。

で私としては光源氏の女性遍歴の物語が、さぁこれが王朝文学の傑作、最高峰でございますよ、と言われてもなぁ、という気持ちがあったが、ほんとうのところはそればかりではない、というのだ。今では世界中の言語に翻訳され、愛読者を獲得している確固たるわけがあるそうなのだ。

『男読み 源氏物語』高木和子著 によると、この物語には人間のあらゆる心理が網羅されており、鋭い人間観察、深い洞察力、強靭な思想に満ちみちた、高度に洗練された古典文学、日本の豊かな財産である!ということらしい。

そうだとしたら、あの世へみまかる前に一度はしみじみと読んでみたいものである。現代口語訳もいろいろあるが、訳者のそれぞれの恋愛観、人生観などで、その雰囲気はがらっとかわるそうである。読んで楽しいのは誰の訳だろう。

源氏物語は過去の遺物ではなく必読書である、とも書いてあった。千年の時を超えて日本人の愛の心ともののあわれを知ることができるのだと。いつか『源氏物語』の世界に足を踏み入れることができるだろうか。

全8巻もあったらたいへんだなー、、、と思ってしまうが、母上の介護のかたわら、うまずたゆまず鉛筆で書いては消し、消しては書いて訳しつづけた上野さんの努力を思えばいつかは読まねば申し訳ないような気持ちになってくるのである。

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きのうのお礼

Hanabana_025 沢村貞子の随筆に『きのうのお礼』というのがある。どういう内容かというと。

沢村さんが仕事場に到来物のぶどうなどを持っていってスタッフに配ったとする。すると若い人などは「きゃぁーおいしそうーありがとうございますぅー」と素直に喜んでくれるのだが、さて翌日になって彼等に会うと、さっぱりお礼を言わない、というのである。だからこちらから「きのうのぶどう、おいしかった?」と訊くわけにはいかないし、ちょっとばかりモンモンとしてしまう、というような話だった。

この年になると私も若い人たちがなかなかお礼を言わないことに「?」と思うことが増えてきたような気がする。

親戚の若いモンのためにいささか時間を割きました、というようなことがあると、次に会ったときには「先日はどうもー」くらいのご挨拶がありそうなもんだ、と思っているところへそのコが通りかかり

にこにこしながら「コンチハ~♪」などと言いながらさっさと行ってしまうと、おテイさんでなくても「これこれ、なにかひとこと、お忘れでないかい?」と言いたくなるではないか。

とかようなことを言っている私も、しょっちゅう、きのうのお礼を言い忘れる。つい先日、すぐ近くのSさんが「湯布院に行ってきましたので」と言っておみやげを持ってきてくれた。「このおまんじゅうおいしいねー」と言いながらパクパク食べてしまったというのに、翌日会った時にはそんなことはすっかり忘れていて、どうでもいい話を30分くらいしたあと「ではまたね」とサヨナラしてきたのだった。

なぎささんたら、「“きのうのお礼”も言わない人ねー」と思われたかもしれないなー。

しかし私は、確実に“きのうのお礼”を言う人を知っている。その人、Uさんはきのうどころか、一週間前のことでも一ヶ月前のことでもきちーんとお礼を言う。そんな時こちらはたいてい何をどうしたか忘れているので「なにかいいことしてあげたのかしら」といぶかるのだが、その人は「おかげさまで助かりました」とかの感謝を添えて必ずお礼を言うのである。

となるとしみじみとUさんのお人柄がうるわしく思われ、Uさんみたいになりたいものよ、と思う。で私はこの頃誰にでも、会ったらすかさず「先日はありがとうございました」と言うことにしている。すると相手がなにがなんだかわからないものの「イエイエ、こちらこそ」と言ってくれる。そのうちにこの前会ったときの状況を思い出し、今度はていねいに「わざわざおいで頂いて」などと付け加えればよろしいのである。

そうこうしているうちに“きのうのお礼”の達人になれそうな予感がしますね~~^^

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こわ~いお話 シンドバッドの冒険『おんぶジジィーの巻』

024_2 022 うちの息子の一人がまだ低学年だった頃のはなしである。そのクラスでは母親が順番に物語を読んできかせる、という企画があった。私の番が回ってきた時、『おんぶジジィーの巻』を読むことにした。

それもただ読むのではなく、紙芝居にして読んでやろう、と考えたのであった。それでその頃高校生だった長女にお絵描きを頼んだところ、なにかの考査中だった娘は一瞬絶句したようだったが、やがてイイヨー、と言ってくれて、それから二人がかりで作品に没頭したのだった。

難行苦行の末にやっとのことで出来上がった紙芝居を持ってクラスに乗り込み子供たちの前で披露すると、、、やんやの拍手喝さい「モッテコーイ」の大合唱!なんてことはなく、子供たちはボーッとしていて特に感動した様子もなし。一人担任の女先生が「大変だったでしょう」とねぎらってくれたのだった。

さて『おんぶジジィーの巻』はどんな物語かというと。

“シンドバッドはまたぞろ冒険の虫がうごめきだし、知り合いの船長に頼んで船に乗せてもらうことにした。その船はまたもや定石どおりに難破してしまいシンドバッドは一人小さな島に流れついた。するとそこにやせこけて心細げなおじいさんが座っているのだった。シンドバッドはかわいそうに思い親切にすることにした。

そのおじいさんが自分をおんぶしろ、というのでそのようにすると、じいさんはあっちへ行けこっちへ行けと命令し、自分ひとりが木の実をムシャムシャと食べ、シンドバッドが食べようとするとか細い足でキックをしてくるし、しっこもうんこも背中で垂れ流し、、、。さぁやっと眠ったぞ、とそおっと離れようをするとぐいぐいと首を締め付けてくるしで、シンドバッドはじいさんをおんぶしたままよろよろと島中を歩かされたのだった。

こんなことでは殺されてしまう、、、なんとかしてジジィーを背中からほうりださねば、、、と思っていたある日のこと、シンドバッドはひょうたんが落ちているのを見つけた。そうだ、この中にぶどうの実を入れてぶどう酒をつくろう、そしてジジィーに飲ませて酔っ払わせて背中から振り落とすのだ!

まもなくいい匂いの立派なぶどう酒ができあがると、シンドバッドはそれを飲み酔ったふりして「あ、こりゃこりゃ」と踊りだした。するとジジィーもそれを欲しがり一息に飲み干した。あ、こりゃこりゃ どっこいどっこいと大騒ぎ。シンドバッドは今こそジジィーを振り落とす時だと思った!

いきなりジジィーの首すじをつかんでドボーンと川に叩き落した。わーいこれでやっと助かったー!

いかだで海に乗り出し風のふくままに流されていると、通りかかった船に助け上げられたのだった。船長さんは言った。おんぶジジィーにつかまって生きて帰った者は一人もいないのだよ,お前さんは幸運な子だと。”

さて今この紙芝居を取り出して見ると、表の絵はともかく、裏側は文章を切ったり貼ったりつないだりで、悪戦苦闘したのがありありとみてとれる。どうしてこんなややこしい、めんどうくさいことが出来たのだろう。あの頃はまだ若かったのだねーとしか言いようがないのだ。

それにしても遠いアラブの国で、こんな物語を思いついた人がいただなんて、おもしろいですねー。

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