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春の風のように

012 30数年前、五島へ来た頃、近くに90歳を過ぎてもなお「この家ではワタシがタイショ(大将)」といってはばからない豪気なばばさまがいた。もう何十年も息子夫婦の庇護のもとにあるのだから「ワタシがタイショ」もないと思うのだが、なんだか知らないけれど一人で威張っているばばさまだった。

そのうちのお嫁さんという人は、もと先生だったので、私たちは「先生」と呼んでいた。笑顔でいそいそとよく働き、ばばさまがどんな嫌味を言っても辛らつなことを言っても、柳に風と受け流し、口でも顔でも反発してみせる、ということはなかった。それを見ていて、私はよく “気に入らぬ 風もあろうに柳かな” という川柳だか都々逸だかを思い出したのだが、先生のまわりにはそよそよと春の風が吹いているかのようだった。

ある日のこと、私は用事があって先生のうちへ行きあがりこむと、ばばさまがコタツでうたた寝をしているのを見た。それに気づいた先生は、つと立ち上がると奥へ行き、ばばさまのはんてんを持ってくると、やさしく肩にかけてやったのだった。いつも理不尽なことを言っては先生を困らせているばばさまなのに、先生はそんなことを気にしているふうはなく、徹底的にばばさまに尽くしているのだった。

私はほかの人から聞いたのだが、このばばさまは最晩年、先生のうしろ姿を手を合わせて拝んでいたそうである。死ぬ日まで口の悪かったばばさまだけれど、先生の真心はしっかりばばさまの心に届いていたのだろう。

生きた観音菩薩さまみたいな先生のすることなすことを、いつも見ていたのだけれど、私はちっとも先生みたいな心優しいヨメにはならなかった。したがってうしろ姿を拝まれる、、、というようなこともないであろうなぁ~と思われる。

私のヨメ友達もみな、「先生は偉かったねー、でもああいうふうにはなれない」と口々に言い合っている。なれないはずだよね、だって先生は観音菩薩さまの化身なんだから、、、。今、先生はF市に住む息子さん夫婦のところで幸せに暮らしていらっしゃいますよ。

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怨憎会苦 会いたくないひとに会わねばならぬ苦しみ

013 つい最近まで私はお釈迦様の教えの“四苦八苦”は全部で12この苦があるのかと思っていたが、実際は8こ、なのだそうである。まず生老病死といわれる四苦、それからこれは精神的な悩みであろうか、あと4つの苦しみをお釈迦様は計上されたのだそうだ。

私はそのなかに“会いたくない人に会わねばならぬ苦しみ”がある、と知ったとき、いっぺんにお釈迦様に親愛と尊敬の念を抱いたのであった。お釈迦様が悟りすました、はるかかなたの雲の上の方ではなく、我々と同じようにつまらぬことで泣いたり笑ったり、腹を立てたりかんしゃくを起こしたりする生身の人間であったのだ、という認識を得たからである。

さて私はこの世に「できることなら会いたくない」と思ってしまう苦手な人(女性なのだが)がいる。その人に会わねばならぬと思うと、2~3日前からアタマの働きが鈍くなり、体も固まってくるような気がしてくる。そのうち息絶えだえになり瀕死の白鳥?状態になるので、わが夫などは「あの人はなぎさの天敵だねー」と言って笑うが(笑うな!)なんと言われようとどうしようもない。

お釈迦様も「アイツにだけは会いたくないものよ、会わずにすむ手立てがないものか」と煩悶されたのだろうか。人並みに苦しまれたのであろうなー。これは自分で味わってはじめてわかる感情であって、頭で考えて「人間にはこういう苦しみがあります」と言えるようなものではないと私は思うのだ。

私の‘天敵’から、とって食われる訳じゃなし、切り裂かれるわけでもないのに、ひたすら怖いのはどういうことなのだろう、、、と鈍いアタマで考えてもわからず、、でもやっとわかったことがある。それはその人の発する言葉が怖いのだなーということがだんだんとわかってきたのである。

言葉…あなおそろしや、言葉は人の心を生かしもするし殺しもする。「なぎささんてワタシの天敵なのよー」と陰でひそかに言っている人がいるかもしれない。はじめに言葉ありき、という。言葉には言霊(ことだま)がこもるのだそうだ。言葉使いには注意しようっと!と自戒しながらついつい後悔のほぞをかむようなことを言ってしまうのだよねー困ったもんだ。

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できることなら順番に

004 私は亡き両親の介護らしきことは一度もしないうちに別れてしまったのだが、それは兄や姉たちが、五島は海外だとみなしてくれて、なにひとつ要求してこなかったのに甘えてしまったからである。

けれどふつうは老いた親の介護をめぐっては夫と妻、兄弟姉妹、親戚などの間ですさまじいほどの葛藤がくりひろげられるものである。そのうんざりするほどのごたごたは介護時代に突入している私のヨメ友達をみていてもその大変さがよくわかる。

年老いた人間のなにが一番大変かといえば、それは排泄問題であるらしく、よるとさわるとこの話で盛り上がる。今は紙おむつという便利なものがあるが、これも表と裏を間違えて穿いてしまえばあふれてしまうし、ビショビショになったものを後生大事にタンスの中にしまいこんだおばあちゃんもいる。なにをしでかすかわからないからと見張っているのも疲労困憊であろう。

いざ介護に直面すれば私などは「どうして私ばっかりこんなことしなくちゃならないのっ!あなたの親でしょ?(ワタシほとんどお世話になってないのよ)」と叫ばずにいられないのではないか、夫とは大喧嘩、冷戦、はては別れ話に発展するであろう、、、と自信もなにもないのである。

中江衆一著『黄落』は介護をテーマにした私小説風ものがたりである。こんなこと書いてしまっていいのだろうか。これが実話だったら、あとで兄妹の間で大もめにモメたのではないかと心配したものである。しかし老老介護という重たいテーマなのにささっと一気に読めたのは著者の巧まざるユーモアの精神がそこはかとなく感じられたせいではないだろうかと思った。

さて我が家のおかあさまといえば、下半身はいささかのトラブルがあるとはいえ上半身はいたって元気、頭の中も冴えわたっておいであそばすから、この調子ではヨメとシュウトメ、一体どちらが先にあの世に召されるのであろうか、とフト思ってみたりもするが、

良寛さまは“親死ね 子死ね 孫死ね”という言葉を残された。 親が死んだ後に子が死ぬ。そして孫が死ぬ。これが幸せな姿なのだよ、と教えられたのだそうだ。

であるとするなら、親の看病も介護も多少はさせていただいて、「はぁー、やっと逝ってくれたか、、」と安堵の胸をなでおろし、そののち「ではぼちぼち行くとするか、、、みんなありがとね、さよなら」と言って旅立つことができれば、それが一番の幸せではないかと思うこの頃である。

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