« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »

女は美しくないと軽んじられる

003 坂東眞理子著『女性の品格』が世に出た頃は、品格のかけらもない私は、品格うんぬんを書いた本など読みたくないと思っていたので手を出さなかった。私の書くブログでは品格のなさを露呈しているので、品格を意識しだしたら、ブログから撤退することになるだろう、、、と思われたからだ。

ところが2ヶ月前くらい前のことだが、ぱっとテレビをつけたら、その坂東さんがテレビに出ていらして、話がはずんでいた。その絢爛豪華な学歴経歴肩書きからは想像できないほど、気さくで小太りの全然気の置けないおばさま、というタイプで感じがよかったので、読んでみることにした。

図書館の司書の方によると、今は第二次ブームで、貸し出しを待っている人が多いので、しばらくお待ちください、とのことだった。ということは、私のように、テレビでその人柄をみて、読んで見る気になった人も多いということだろうか。

読んでおもしろかったのは、“女性は美しくないと軽んじられる”といいう言葉である。これは旧前田公爵家に生まれた酒井美意子さんの母上の教えだそうである。天の与えたもうた美醜は変えようがないが、人間は外見で判断されることが多いので、せめて身なりだけでも美しく装うのは断然トクなのである。中身で勝負よ!といったところで、中身に到達する前に、選別されてしまうことだってあるのだ。

ある人がヨレヨレの格好で荷物を送りにいったところ、そこのおじさんから「そこに置いときな」と軽くあしらわれたそうである。数日後、キチーンとした服装で行ったところ、ご親切にも外まで出てきて荷物を運んでくれたそうであるから、やはり見た目に美しいことは大いにトクするのである。絶世の美女である必要はないが、やはり髪の毛はボーボーで、洗いざらしの顔をしていたのでは軽んじられること、必定であろう。

さて写真はこのへんではシビとよんでいる、マグロみたいなカツオみたいなサカナである。6~7キロくらいはあるこのサカナをさばくには大きな包丁を振り回し、なりふり構わず格闘しなければならない。けれどそれが終われば、ばばっちいエプロンなどかなぐり捨てて、どこの貴婦人?と言われるくらいに美しく装うくらいでないと品格のある女性とは言えない、ということなのでしょうねー^^

さていよいよ押し詰まってまいりました。皆様いいお年をお迎えくださいませ、また来年もよろしくお願いいたします (^.^)/~~~

| | コメント (8) | トラックバック (0)

これから買うなら十年連用日記を

Imokarinntou_019 去年の今頃はどの日記帳を買うべきか、迷っていた。というのはその前の三年間というものは、ある雑誌の購読を予約したときにプレミアムとして貰った三年連用の日記帳を使っていたのだが、それが実に楽しかったので、今度も何年分かの連用日記を買いたいと思っていた。

それまでも大学ノートに時たま書いてはいたのだが、特に読み返すこともなく、これといった思い入れもなかった。けれど初めて三年分のを使ってみると、一年目はなんでもないが、二年目、三年目は俄然おもしろくなってきた。日記を書き始めると、前年の分、その前の年の分がいやでも目にはいり、ついつい読んでしまう。これが小説を読むがごとくになんともおもしろい。

で、それからどうなったの?とずーっと後のページまで読み始めることになり、これがなかなか止められない。おうそうか、去年こんなことがあったのかー、と思い出し、ブログの記事をふたつかみっつは書いたりもした。

ちょっと旅行に出かけるときも必ずメモ用紙にちょこちょこと書いてきては帰宅してのち、本体にベタベタと貼り付けるほど、一日として空けずに熱心に日記を書くようになった。

さて三年分の日記を書き終わろうか、という去年の今頃、次はどれを使おうか、と考えた。三年というのはすぐに終わるし、五年、、、十年、、、。どうせなら十年連用を使うか、、、。しかしこれから先、十年も生きてるのだろうか、、、。美女はたまゆらのごとく、そう長々と生きてはいないものなのである。沢山の余白を残してあの世に旅立つなんて、もったいながり屋のワタクシとしては身につまされる、、、。

で、よくよく思案の末、十年連用日記を買うことにした。というのは五年連用とくらべても、お値段がほとんど同じだったからである。(5千円ほど)いささかスペースは狭くなるが、A4版を10段に分けたスペースは十分に広いのである。

さて来年はその二段目に書いていくことになる。ただ書くのではなく、前年分を読む楽しみがあるのは嬉しい。5年目、8年目などになったら、読み返すのに時間がかかるだろうな~、ブログを書く時間があるかな~などと今からおもわれる。

十年目、、、生きてたワ~、と思いながら書くのかしら~~。その前に「鬼籍におはいりになりました!」てなことになってないかしらぁ?願わくば最後まで書きおおせて、「さ、次は何年連用の日記を買おうかしら」と楽しく悩みたいものである(^^)v

| | コメント (12) | トラックバック (0)

チンパンジーをわらったらいけません

Kannkoro_004 チンパンジーを生け捕りにするのはさほど難しいことではないそうである。チンパンジーが通りかかりそうな所に小さな穴をこしらえ、中に彼らの好物を入れておく。すると、おっ、こんな所にオイラの大好物が!と手を差し込んでそれを掴む。

ところがその手を穴から抜こうとしても、大事な食べ物を掴んでいるので、その手が穴から抜けない。それでギャーギャー騒いでいるうちに人間どもが駆けつけ、あっさりと生け捕りにされてしまうのだそうだ。

チンパンジーっておばかさんねー。掴んだその手を離せばスタコラサッサと逃げ出せたのに、どうしていつまでも離そうとしなかったのぉ?

と言いたくなるけれど、チンパンジーをわらえない出来事が最近のある日のこと、起きた。

近くのスーパーで2千円くらいの買い物をすると、どうぞ一回クジを引いてください、と言われた。それは牛肉やら、お米やらリンゴが当たるものだったけれど、私のはハズレだった。すると、ではこちらをどうぞ、と差し出されたのは6面体の箱で、その一面には7~8センチほどの穴が開けてあった。

その中のキャンディをどうぞ沢山お取り下さいということである。ではでは、と手を差し入れてキャンディを掴んだ。で、手を抜こうとしたら、穴の関所からその手が出てこないのだ!

ウーン、そこで私はやっとチンパンジーの教訓を思い出した。何個のキャンディーをつかんでいるのかわからないが、これを少なくとも半分くらいは減らさないことには、この手は永遠に出てこないだろう、、、と理解した。

キャンディーを5っくらいつかんで私の手は出てきた。ということは大きな手の人がつかめる数もかなり限定されるということなのだ。はぁやっぱり人間って賢いのだなーと感心することしきりの出来事だった。

チンパンジーの記事を先に読んでいて良かった~~!読んでなければ「手が抜けないんですー!」とか言って大騒ぎしたかもしれませんからねー^^

| | コメント (14) | トラックバック (0)

はらたち日記

Botann_015 斉藤茂太著『いい言葉はいい人生を作る』を読んだ。それによると、モタさんは腹が立ったり、悔しかったり、つらかったりすると、“はらたち日記”に書いてしまうのだそうだ。

曰く“いいニュースは皆に話すが、つらいこと、悲しいこと、怒りなどはできるだけ人に伝えないようにしている。つらい話を聞かされれば、相手もつらくなってくるであろう。だから私はネガティブな感情の動きは自分一人の胸にしまい、楽しいことだけを口にするようにしている”

“ではつらいことの方はグッと飲み込んで耐えているかというと、そこまで人格者ではないし、神経科医の立場からいっても精神衛生上、よろしくない。かわりに私が実行しているのが「はらたち日記」に書き連ねることである”

なるほど「はらたち日記」ねぇ、それはいい考え。ある人に対してなんかちょっと腹が立ったことなど、ほかの人にしゃべったりして、舌禍事件に発展したりすることだってあるのだ。何も言わずに一人胸におさめているのがよろし。けれども気持ちが治まらない時は、「はらたち日記」に一度その思いを放出すれば、書く、という行為をなすことによって悪い感情は浄化されるかもしれないのだ。

私は早速、新しいノートの表紙に「はらたち日記」と書いた。12月4日より。 あら、なんだかわくわく楽しくなってきたゾ。早くなんか書きたいな~。誰か私を腹立てさせてくれ~~!

、、、と思っているところへ、頭にコチンと来ることを言ってくれた人がいた。さ、さっそく書きましょう、と思ったらなぜだかフンワリやわらかな気持ちになって一人で笑ってしまったのだ。「はらたち日記」って効用あるのねー、書かないうちから怒りがおさまってしまうではありませんか^^

モタさんも言っている。“後になって、この日記を読み返してみると、人は案外つまらないことに腹を立てたり、悔しがったりしていることがわかり、自分の器の小ささを反省する良い機会にもなる”と。

| | コメント (20) | トラックバック (0)

技芸天は紀子様似?

021 奈良は秋篠寺に行った。本堂にはあまたの仏さまが鎮座なさっていたが、一番の人気は技芸天という優美な仏さまで、タクシーの運転手さんはたしか「ふくよかなところが紀子さまに似ておられまして」と言っていた。

なんでも衆生の吉祥と芸能を主宰なさるので、芸事の上達を願う人々がお参りに来るのだそうである。一応天女とされているが、頭部は女性的、首から下は男性的な摩訶不思議な仏さまなのだった。

お庭は一木一草にも人の手が届いているのが感じられ、もみじの紅葉も素晴らしかったが、萩の黄葉もまた良かった。7~8メートルもあろうかと思われる紅と白のさざんか、分厚い絨毯をしきつめたような苔、これが本当のモスグリーンという色なのだろう。

あらら、お庭の一角にくちなしの木が、、、。黄色いようなオレンジ色のような実をたわわにつけて。じつはくちなしの実を探していたのよね。というのはさる方のブログで“大根の甘酢漬け”というのを拝見したのだが、その大根をほんのりくちなしの実で色づける、と書いてあったので、どこかにないかな~とアンテナを張り巡らしていたところだったのだ。

それで畏れ多くも、ほんの3個だけ、頂いてくることにした。どこからかお咎めがあるとは思わないけれど、このことはオフレコにしておいて下さいねー。

ところが昨日のこと、近くのお寺さんの掲示板を見たら、ご住職さまの達筆でこう書かれていた。

“みてござる いつでも どこでも みほとけは”

なんだそうなんだ。緘口令をしいたところでほとけ様はすべてお見通しだったのか。斑の美しいアイビーを5センチほどとか、ゼラニュームの白い花の咲いているのを少々、断らずに頂いてきたりしたが、ぜ~んぶほとけ様に見られていたというのねー。

ところでこの頃聞いたのだが、知恩院のエライお方が、大金をごまかしていたそうだけれど、ほとけ様がいつでもどこでも見てござる、ということをご存知なかったのだろうか。

| | コメント (6) | トラックバック (0)

« 2007年11月 | トップページ | 2008年1月 »