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このウサちゃんの運命やいかに?

015 うちの近くに住んでいるおばあちゃんから「うちのウサギを貰ってくれる人を探してください」と頼まれた。さぁ~これはなかなか難しい問題である。今時小学校でも諸般の事情から、こういう動物は飼わないのである。

それでも私は誰か引き取ってくれる奇特な人がいないかな~、と誰彼なくこのウサギのことを話した。

そのウサギというのはおばあちゃんの孫が東京から帰省する時に連れてきて「あとはよろしく」といって置いていったウサギであった。おばあちゃんは今までさんざん人間(息子や娘プラス孫たち)の世話をしてきたので、もう生き物の世話はイヤだと思ったが捨てるわけにもいかないので世話をしていた。毛の色は栗色とでもいおうか、襟巻きにすればとても豪華でお金持ちに見えそうな立派な毛並みなのだ。

ある時おばあちゃんが忙しくしていて取り紛れ、エサをやるのを2~3日忘れていたことがあった。ハッと気がついて「おーごめんよー、忘れてたねー」と言ってエサを差し出したとき、このうさちゃんはいきなり指に噛み付いた!その傷はかなり深くておばあちゃんは病院へ急いだこともあった。

誰も引き取り手がないのであきらめていた頃、私はMさんと会った。さっそくウサギの話をするとMさんは「ウサギだったら、ずっと前飼っていたことあるしぃー」と言った。おっ、希望ありだぞ、と喜び勇んで「それじゃMさん、貰ってくれるの?」と訊いたら、、、「食べてもいい?」ときたもんだ。

それ以来わたしはウサギの養子縁組の斡旋をあきらめることにした。おばあちゃんのうちに行くと玄関のすぐ内側にケージが置いてあって、その中でウサギは、直径2センチはあろうかという真っ黒なお目々をしてエサをもくもくと食べている。

エサは固形の、ウサギ専用のものを与えることになっているのだが、おばあちゃんがある時、緑の野菜も必要じゃないかとほうれん草を食べさせたら下痢をしたのだそうだ。

この頃のウサギは、水はお皿からペチャペチャと飲むのではなく、点滴のようにセットしてあるストローからチュッチュッと飲むのである。

つぶらな瞳をして無心に飲んだり食べたりしているウサギを見ると私は「うさちゃん、天寿をまっとうしてねー」と祈らずにはおられない。襟巻きも、もう要りませんからねー。

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忘れてました~ ではすまされません

004_1 アイスコーヒーを作りましょうと思って1リットルの水を鍋に入れ火にかけた。お湯が沸くあいだにちょっとゴミを出してきましょうと裏口から出て行った。

それからちょっとだけのつもりで玄関近くの花壇の草を引いていた時Kさんがやってきた。ちょっとだけのつもりでおしゃべり。

Kさん「うちのおばあちゃんがねー、便秘をして困ってるのよー」

ミー 「あら、それなら野菜ジュース飲ませたらぁ?ホウレンソウとかレタスとか、人参、トマト、リンゴ、バナナ なぁ~んでもいいんだから。私なんかね、野菜ジュース飲んでるとね、走っていっても間に合わないくらいなのよー」

kさん「それがねー、うちのおばあちゃんねー、野菜ジュース嫌いなの。青臭いって言うのよねー。コーヒーだったら飲むけど」

ミー 「あらそう、おたくのおばあちゃんハイカラねー」

……とこういうふうに話が進展したところで、え?コーヒー?

バータバタと走って台所へ急ぎ、見たら1リットルの水の最後の一滴がまさに蒸発せんとしていたところだった。話題がコーヒーに及ばなかったら、これより先、一体どうなっていたというのでしょう、、、?

今からさかのぼること30数年前のこと、私は大学の近くの(駅の近くでもあったが)女の子ばかりが住む寮みたいな長屋みたいなところに住んでいた。そこではそれぞれの小さな台所は一ヶ所に集められていて、さながら理科の実験室のようであった。

今にして思えばこの構造は、なにをしでかすかわからない女の子たちを預かるのに、まことに先見の明があったといえる。私はそこである日のこと、ヤカンに水を入れ火にかけ、そしてそのことを忘れて、泊りがけで遊びに行ってしまったのだった。

数日経って帰りの電車に乗ったときにフッと火にかけたヤカンのことを思い出した。あーどうしよう、あのあたり一帯が焼け野原になっていたらどうしよう。死んでお詫びをするか、このまま行方不明になってしまおうか、、、。

私は背伸びをして電車の窓から長屋の辺りを見た。あらら、異常ナシじゃん!なにもかも平常通りだぁ~!ヨカッタヨカッタ!

あとで番長のおねえさまから「お湯が煮えたぎってるのを、私が消したのよッ!」と言われてしまったが、なに言われても結構でございますよ、火事にならなかっただけで有難きしあわせ~~!

さてここでは発表しないけれども、聞いたらうちのお姑さまが卒倒しそうなことも実はしでかしたのですね。これはあの世へ旅立つまで黙って誰にも言わないつもりですけど(^^)v

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ホタルを見るにもタイミングが

003_1 天(あめ)が下のよろずの事には季節があり、すべてのわざには時がある。

生まるるに時があり、死ぬるに時があり、植えるに時があり、植えたるものを抜くに時があり、、、、、。

これは旧約聖書の中の「伝道の書」とよばれる有名な一節だけれど、実はホタルを見るにも時があるのである。

Sさんに「もうホタルを見に行ったのぉ?」と尋ねたら、「行ったけどねー、さんざんだったのよー」ということだった。コトの顛末はこんなふうだったとさ。

Sさんの夫がにわかに「さ、これからホタルを見に行こう」と言い出した。Sさんは「えーっ、こんな時間にィ?」と思ったけれども言い出したら撤回しない夫のことであるので、シブシブついていくことにした。その夜、遊びに来ていた者とあわせて、大人3人と子供二人の5人編成であった。

ふつうホタルが大挙してお出ましになるのはモワモワとして湿気が多く、雨が降ってきそうな感じの夜、時間でいえば7時半から9時ころまでが見ごろと言われている。Sさん達が出かけていったのは9時をかなり過ぎていたらしかった。

ホタルの里へ着くと、車を降りてテクテクと、かなりの距離を歩かなくてはならないが、ホタル見物の人々の姿はすでになく、もともと人家のない所ではあり、あるのはくら~いオレンジ色した街燈(それがまたなんともオドロオドロシイ色なのである)がところどころに。

茂みの中にはいくばくかのホタルがチカチカと点滅をしてはいたが、ホタルの本隊ははやばやとお宿に引き揚げていたものらしく、しんがりをつとめるほたるが数匹、ツーと横切るのもわびしいものであったとか。

まるでオバケ屋敷の中を進むような気持ちで歩いていたら、小学二年生の男の子が「おばちゃーん!コワイヨーォ」としがみついてきたそうな。それでやっと大人もホッとして引き返すことにしたそうである。

さて私たちがホタル見物に出かけた時は、人出もホタルのお出ましも申し分なく盛大であった。橋の欄干にもたれてホタルの乱舞にみとれていると、すぐ隣で、おとうさんに肩車をしてもらっている男の子が言った。「おとーさーん、もうボチボチ帰ろう」

それは「こんな薄暗い所はもうイヤ!早くおうちへ帰りたい」という切実な気持ちがじわ~と伝わってくるような声音であった。ボチボチだなんて、こんな小さな子供が言えるのねー、と思い、その子に「何歳?」と訊いてみたら「よんさーい」と言っていた。それから私たちもボチボチ帰ることにしたのでした。

(去年の6月6日にもホタルの記事“今宵会ふ人 みなうつくしき”を書いています、よろしかったらまた読んでくださーい^^)

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そんなに可愛い顔をして

001_2 ひさしぶりに英会話教室に行ったら、アメリカはネブラスカ州から来た、という若い男の先生が来ていた。これで講師陣は三人である。お題は結婚について。

ウェールズから来ているベッキー先生が結婚式のスライドを見せながら言った。「これはアイル(aisle)と言います」 アイルといったら、スーパーなどで、蚊取り線香はどこですか?と聞いた時に、それは13番にありますよ、と言う時のあの通路である。

すると誰かが「日本ではヴァージン・ロードというのですが」と言うと、3人の若い先生たちはまさにガハハ・・・とのけぞらんばかりに大口開けて笑っていた。ヴァージン・ロードがそんなに可笑しかったかしら?

それからベッキー先生はそのヴァージン・ロード、もとい通路を、父親に手を預け付き添われて歩き、然るべき所で立ち止まり、もう一人の男、(花婿のことなのだが)にバトンタッチされるのが、イヤダと言った。まるでモノの受け渡しみたいじゃないですかぁ!という訳である。

今そのように考える若い娘が多いのだそうである。ベッキー先生は大きく手を広げ天を仰ぎ、ヘ、ヤナコッタという顔をして見せたものである。フランス人形みたいに可愛い子にそういうことを言われると、おばさんとしては胸が痛む。

去年の今頃だったのだけれど、ベッキーさんの両親がはるばると海を越え、極東の国、ニッポンへ行ってしまった娘を訪ねて、五島までやってきていたのを思い出す。その時私たち生徒も小さなお土産をいただいたりしたものである。

なんとまあ、親のこころ 子知らず であろうか、とおばさんはひとり慨嘆するのでありました。

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ハーイ ビル!と呼ばれたら

009 自分の娘より若いような女性から「なぎささ~ん」と呼ばれた時、外面の良い私は、「はいはい、御用はなぁに?」と上機嫌にしていたけれど、内心はおもしろくなかった。べつに「おくさま!」と呼んで欲しいなどと言っているわけではないが、アナタなんかより何十年か多く生きていた人をつかまえてファーストネームで呼んで欲しくないのですよね。

超整理法や超勉強法などで有名な野口悠紀雄センセイの本を以前はいろいろ読んだものだが(その割には進歩しなかった) ある本に書いてあったのだが、アメリカの大学の先生でも自分がどう呼ばれるかについては実に気をもんでいるというのである。

アメリカの学者の慣行では、学生が教授を呼ぶときは「プロフェッサー」をつけて名字を呼ぶが、学位を取得すれば同僚となって、ファーストネームで呼んでもいいことになっている。けれど教授の方からすると、教え子の若造がいつ自分のことを「ハーイ ビル!」などと呼んでくるかと戦々恐々としている先生方も多いのだそうである。アメリカ生まれのアメリカ人でも、ファーストネームでよばれることを快く思わない人もいるということである。

大学のセンセイでさえ、自分がどう呼ばれるか、煩悶し思い煩うのであるから、人をどう呼ぶかについては、細心の注意を払うべきではないかと思う。どう呼ばれたかで「あの人感じいいわねー、うちの娘を貰ってもらおうかしら」と思うかもしれないし、「いやーな人ね、もう会わなくて結構」と思うかもしれないのである。

それで野口センセイはアメリカにいる間中、ユキ、とかユキオとか呼ばれることはなく、ノグチと呼ばれたそうである。イギリス人だと名字を呼び捨てにされるのが、もっとも親密と考えられることもあるそうで、野口先生はそれがとても満足だったらしいのである。

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冷気と闇の深さに耐えて朝顔は咲く

002_1 庭のロウバイの根元を見たら、沢山の朝顔が芽をだしていた。毎朝、可憐な花を咲かせてくれる朝顔をみると、ちょっと元気を貰った気がするのだが、五木寛之著『生きるヒント』にこんな話が書いてあった。

「ある朝顔研究家の話です。学生時代から朝顔がどうして朝、決まった時間に見事な大輪の花を咲かせるのだろうと疑問を抱いた女性がいて、その研究を大学でも続け、さらに研究者となって追求した感動的な挿話です。

朝顔は夜明けに咲きます。ふつう私たちはそれを朝の光を受けて朝顔が花を開くのではないかと考えます。しかし、その研究家のたゆまぬ実験の結果、朝顔の花が開くためには、光とか、あたたかい温度とか、そういうものだけでは不十分であるということがわかったのだそうです。24時間、光をあてっぱなしにしていた朝顔のつぼみはついに開きませんでした。朝顔のつぼみは朝の光によって開くのではないらしいのです。逆に、それに先立つ夜の時間の冷たさと、闇の深さが不可欠である、という報告でした」

私たちは朝顔の花を見て、わぁ~きれいね~、いろんな色があるのね~、などと言っておしまいなのだけれど、朝顔が花開くためには、夜の冷たさと闇の深さが不可欠である、ということを知れば、そんなところにも生きるヒント、生きる希望がかいまみえるような気がする。

冷気と闇夜に耐えて、私たちも大輪の花を咲かせましょう!(さてどんな花?)

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