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3月26日はブログ記念日 文明開化の日

_011_1 長女が小学3年生の時のこと、この母に訊いてきた。「おかーさん、フリンってどういうこと?」え?フリン?それはこういうことよ。おとーさんがおかーさんに内緒でカクカクシカジカ…とていねいに教えてやったものである。

するとひとしきり、聞いていたムスメは言った。「おかーさん、それは不倫でしょ?不倫なら知ってるけど、アタシがきいたのはフ・ビ・ン」 フビン?あ~不憫かぁ~、ナーンダー、ちゃんと言ってよね。

……なんてお話をしていたものである。そんな日々から幾星霜、ムスメは仕事を持つ三十路の女となった。そしてこの頃では母と娘の立場は逆転した。このところ、世の中の諸事情について、お伺いをたてるのはこの母であり、明快にかつ大胆に教示するのはムスメである。「おかーさん、それはこういう事なのよ」と解析してくれると、、、「ほほー、そういうことなのか」とこの母は納得するばかりである。

忘れもしない1年前の今頃、ムスメは言った。「おかーさん、ブログやってみない?」  へ?ブログって初耳。ブログってなーに? 「日記みたいなものよ、パソコンで書いて、発表するのよ」 ふーん、どうしてそんなことするのー?なんか楽しいの?

思えばそのころ、私に文明開化の足音がひそかに近づいてきていたのでありました。

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リッツ・カールトン・ホテルへようこそ

_008_4 ムスコの一人から「いつかお母さんをリッツ・カールトン・ホテルに泊めてあげましょう」という申し出があったのは恐らく多分先月12日に書いた記事の波及効果によるものだと思うのだが、、、。そこで私は 「一刻も早く親孝行してくれ~!」 と要求したのであった。

リッツ・カールトン・大阪がどんなホテルかは林田正光著“リッツ・カールトンで学んだ、仕事でいちばん大事なこと”を読んだらわかった。

それは大阪・梅田にある外資系のホテルなのだが、神秘的(mystic)とまで言われるその類まれなサービスによってオープン2年目にして大阪地区1位との評価を受けたという立派なホテルなのである。

その外観はシルバーホワイトに輝くモダンな高層建築、中に入れば一転して18世紀の英国貴族の邸宅を思わせる優雅なスペースが広がっているということである。磨き上げられたレッドブラウンの大理石の床、マホガニー材を使用した壁、暖炉のあるロビー、素晴らしい絵画、アンティークの調度の品々、、、。風格とあたたかさがあふれる、世界に誇れるホテルなのだそうである。

そもそもこのホテルは創業の際、社会の頂点の5パーセントの層を対象としてマーケティング戦略を立てたと言われていて、そこのお客の方々はおしなべて知識、経験ともに豊富で、海外にでかけることはもちろん、ブランド物の装飾品を身につけ、センスのある服を身にまとい、高級なレストランで食事をなさる人々なのである。(わたしはそのどれにも該当しない)

私は夫に我が家は社会のどのあたりにいるのだろうか、と訊いてみた。夫は言った。「そうさね~、中の下くらいだろうな~」

中の下と申しますれば、富士山でいえば、中腹よりももっと下のほう、ふもとのあたりではないかと思うのですが、、、。そのあたりに住んでいる人間が頂上付近におわします人々と肩を並べるというのは至難の業であろう。シルバーホワイトの外観を眺めることはあっても中に足を踏み入れることなど我が生涯にはなさそうな気がする。

リッツ・カールトンに相応しい教養と品格を備えた淑女になり、経済力をパワーアップすることなど一朝一夕に出来るものではないのである。富士の裾野にいる者はそれなりの身の丈に合った所がお似合いというものである。

有馬温泉、熱海の温泉、草津の湯、下呂温泉、温泉旅館でよしとするかな? でもチト遠いなぁ~、熊本は黒川温泉にする? いっそのこともっと近場で佐賀は武雄の温泉で手を打つか、、、、、、

、、、、、、とこんなふうにだんだんと志(ココロザシ)が低くなってしまったなぎさでありました。(*^_^*)

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千の風になって

_059このごろ巷じゃ “千の風になって”という曲が大ブレイクしているんだよ、とムスコが教えてくれたのは随分前のことだったがなかなか聴く機会がなかった。このたびCDを送ってくれたのでひたすら聴くことにした。これはとてもいい曲なのだった。

かけがえのない愛する人を亡くしてしまった人々にとって、この曲は大きな慰めと癒しを与えてくれたことであろう。私は死んでお墓に眠ってなんかいないんだよ、千の風になって、光になって、雪になって、鳥になって、星になって、いつもあなたのそばにいて見守っているんだよ、とメッセージが届いたとしたら、喪失感に打ちのめされていた人にも生きる勇気を与えてくれたことだろう。

私は先日、夫を亡くして5年ほどになるKさんと話をした。亡くなった時夫はまだ52歳の若さであったという。kさんは3年間というもの毎日まいにち、お墓へ通ったそうである。雨の日は傘をさして、風の日にもみぞれの降る日にも通いつめた。夫が大好きだったビールの500ml の缶を、飲みやすいように蓋を開けて 墓前にお供えした。(いつの頃からか、、、、だんだん勿体ないような気がしてきて、今では100円のビールをお供えしているそうである。) そして3年たった頃からあまりにお天気がひどい時には行くのはやめようか~、というふうになってきた、と言っていた。

Kさんは、夫はずっとそばにいてくれているような気がしていた、と言った。けれどもどうしてもお墓に行かずにはおれなかったのだった。それからこんな事も言っていた。これまで70歳や80歳になっても二人そろっている老夫婦や、自分と同年代の夫婦、そういう人たちを見るとどうしてもユルセなかったと。けれどもこの頃になってやっとユルセルようになってきたのだと言った。許す、という表現をKさんはしていた。

5,6人集まってよもやまの話をして楽しむことがある時、「うちのダンナときたらねー」と、自分の夫のワルクチを披露することはよくあることである。このあいだも、35年の結婚生活の中で、夫がゴミ出だしをしてくれたのはたったの2回で、それも200メートルほど歩いて持っていっただけ、もうナーンニモしないんだから、、、と話した人がいた。夫が昼間から酔っ払ったら最後、てこでも動かずもう仕事にならないとぼやいた人もいた。

そういう話をKさんはどんな気持ちで聞いていたのだろうかと今になって思う。彼ったらね~!とオノロケを聞かしたわけではなく、自分の夫のワルクチを言ったのだから別段悪いことをしたのではないけれど、Kさんにしてみればゴミ出しをしない夫だろうが、昼間から酔っ払う夫だろうが、そこにいてくれればそれでいいじゃないの、と言いたかったかもしれないのだ。

けれどKさんはいつもにこにこして話を聞いていた。ほんとうはユルセなかったかもしれないのに、そんなそぶりは全然見せなかったのだった。

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長崎チャンポン 皿うどん

Pict0049 このところ私はNHKの連続テレビドラマを観るようになった。田辺聖子の短編はその昔ずいぶん読んだこともあるけれど、先日「知るを楽しむ 人生の歩き方」でお聖さんが出て喋っていたのを聞いてから俄かに興味がわいてきてドラマを観る気になったのだった。

そして私はアレヨと思ったのだが、徳永ー花岡家の子供達は父親の再婚相手である町子先生を‘おばちゃん’と呼んでいるのだった。なるほど‘おばちゃん’かぁ。これはいいねぇ。そうだよね、母親を亡くした家にある日突然見知らぬおばさんがやってきて、さ、今日から私がおかあさんよ!と言われても、子供達は戸惑ってしまうことだろう。

何十年も前のことだが、私はムスコに言ったことがある。「おかあさんが死んだあと、おとうさんが誰かと結婚したら、その人のこと、お母さんって言うのよ」 するとムスコは言った。「ヤダ、おばさんって言う!」 あの時なぜそんな事を子供に言わせて楽しんでいたのか、今では全然覚えていないのだが、子供にしてみれば自分たちの城にいきなり侵入してきたよそのおばさんを「おかあさん」とよぶ訳にはいかない内心の葛藤があることだろう。

おばさんかぁ~。私もこれから人生の変転があって離婚し再婚し、先方に子供達がいたら「おばちゃんってよんでね!」と言ってみようぞ。おかあさんじゃなくておばさんだったら、、、イイヨ!と子供達は言うに違いない。そして平和に暮らせることだろう。

次に気になったのは、徳永ー花岡家の昼ごはんのことである。時々しか観ていないので断定することはできないが、あそこのうちではお昼にはどうやら麺類のみを食しているらしいのである。徳永先生の食事風景を見ていたら、どんぶりが一個と湯呑みがあるのみだった。忙しい家だから昼食は簡単にということだろうか。

ちょっとばかり確認を、と思い姉に電話して尋ねてみたら、、、「え?ひるごはん?さぁ~、どうだったかしら、あまり気をつけてみてないのよね~」と言っていた。あのどんぶりは店屋物なのかどうなのか、、、。気になるところだ。(しかし現実には芥川賞作家ともなるとスタッフが数人はいて作家自らが昼ごはんの心配をしてるとは思われないのですが……?)

さてうちもこれからお昼は麺類だけ!と宣言したらどうだろうか。五島うどん・ラーメン・長崎ちゃんぽん・さらうどん・スパゲティに焼きうどん。ごはんはナシ。手間がはぶけてよろしいだろうねぇ。

ところがどっこいうちではそうはいかない。麺類を一通り食べてもそのあとどうしてもご飯をひとくち、願わくばアジの干物など一切れ、一口お茶漬けを、、、果物はないの?なんか甘いものは?、、、ということになり簡略化できそうもない。大作家のうちでさえあれだけ質素なんだよ。いっそのこと一日二食、お昼抜きというのはどうでしょう、、、?

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ひとりよりふたり ひとつよりふたつ

Cimg0022 お雛様が飾られる頃になると、このあたりでは‘桃カステラ’が売られるようになる。桃カステラというのは、桃の形をしたカステラの上にアイシングした砂糖をかけているものであって、ほんのりとしたピンクや鮮やかな黄緑(葉っぱ)が美しいお菓子である。

作家の曽野綾子さんが長崎に出向いた折、供された桃カステラを見て、まぁ~、可愛らしいこと!と言ってその場では食せず、包んでもらって東京へ持ち帰った、ということをどこかで読んだことがある。だんなさんの三浦朱門さんと仲良く半分ずつ召し上がったのだろうか。

このお菓子は何故だかお盆のお供え物の必須アイテムでもある。遠い所からお帰り遊ばされたご先祖さまが、わぁ~、おいしそ~、これぞふるさとの味ね!といって喜んでくださるものらしい。

先日お店でこのカステラを見かけたとき、お盆以来のことではあるし、買おうかな~と思ったけれど、待てよ、うちで作った方が安上がり、と思い直し買わずに帰ってきた。このカステラにもランクがあって、お菓子屋さんが材料をいとわずていねいに作ったものはかなりお高い。

さて私は、お店を広げるからにはと沢山作る主義である。コロッケなども3回分くらいは一度に作ってしまう。(そんな時、うちに回覧板など持ってきた人は幸いである。このコロッケを貰っていけば、もうおかずの心配はしなくてすむ、というものである) スポンジケーキも一個より二個、せっかくオーブンで焼くからには一個焼くより二個焼きましょう、と考える。

それで二個焼いたのだが、その頃になるとだんだんとデコレイションする気が失せてきて、もうこのままで食べてしまいましょうか、というふうになってしまう。ちょっと日焼け美人になってしまったけれど、バターと生クリームがたっぷりはいった、とてもおいしいスポンジケーキなのである。これに熱いコーヒーか紅茶があれば素敵なティータイムになる。

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