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客支度

_012_3 我が家に客が来ることは3ヶ月前からわかっていた。その一週間前になるとハハ(夫の母)はいった。「さっ、なぎささん、お客さんのふとんの準備をしましょ!」

ハハはとにかくとっかかりの早い人である。早めはやめでないと気がすまず、用意が出来てないと心配で夜も眠れないという人なのである。一方嫁たるワタシはお尻に火がついた頃になってやっと動き出すのを信条としているのだから、え~っ、そんなに早くから準備しなくてもぉ~、予定変更ってこともあるでしょうしぃ~、などと思っているが、逆らっても勝ち目はないので、シブシブながら従うことにする。

まず、客人がお泊りになる部屋の押入れの襖をとりはずす。(ハハは口先のみ、体を動かすのはヨメである) 一目瞭然となったところに、客人が暑くもなく、寒くもなく、快適にお寝すみあそばすように、布団その他必要なものを整えるのである。

ハハはどの布団を調達すべきか思い悩む。松か竹か、梅か、、、。そしてうちにはもっと上等の布団があったハズと言い出した。そうでしたかしら?そう言われても私はハハの寝具のコレクションの全貌をよおく知らないのである。だからあっちこっちの押入れ、納戸、物置など、見て回ったがそれらしい物はなかった。あれは夢かまぼろしだったのか?

ついでながら言っておくが、ハハは物の置き場を決定する人、ヨメは置く人なのだが、時が経つにつれて、二人ともどこに置いたかわからなくなり、いざ必要な時がきて走り回って探し出す頃には、だんだんと不機嫌になるのを飽きもせず30年来繰り返しているのである。

思うのだがおよそタオルと名の付くものは、大であれ、小であれ、宮内庁御用達であろうが明日、ぞうきんになるものであろうが、一堂に集まっていてもらいたいものである。さすれば、あ、バスタオル?それならソレッとばかりにタオルが一個連隊集まっている所へ行けば見つけられようと思うのである。ところが何故か、うちでは分散しているため、ちょっとやそっとでは召集できないのである。

さぁ~、やっとのことでご用意できましたよ!客人は60代半ばの男性だけれど、暖色系がよかろうというので、ほんのりはんなりピンク系で統一された。電気毛布なんかも置いておく。襖もしめて、、、。準備完了なり。

ところが夜になって客人から電話があって、「体調くずしたので暖かくなってから行きます」ということになった。わ~い、助かった~!なんといっても泊まりの客って大変なのよね~。清少納言も言ってるよん。

“上の客人(まろほど)立ちかえり、中の客人、日がえり、  とまり客人、下の下”

一応、延期になったが、暖かくなった頃、また二人でふとんの組み合わせをやるんだよな~。せっかくワンセットできたのに分解するのはまことに残念だけれど、今度は寒色系にするかもよ。すべてハハ上の裁量におまかせです(^_^)v

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不意の客

何月何日に遊びにきます、、、なんて言われると私は困ってしまうのである。その日がくるまで、掃除のこととか、テーブルに並べるもののこととか考えると心穏やかに過ごせなくなってしまうからである。

その点、不意の客ならダイジョウブ。さぁ、どうぞどうぞ、散らかしておりましてぇ~、今までマゴが遊んでおりましたものですから~、とか何とか言いながら、さて何を供したらよいものかとめまぐるしく考える。

不意の客といえば、友達の S が話していたことが忘れられない。S がまだ社宅に住んでいた頃、正月であったので着物など着ていたが、夕方になっていささか着物にも飽きてきたので、洋服に着替えることにした。脱ぎ終わったばかりのとき、夫が友人を連れて帰ってきたのであった。

S は着物やら帯やら襦袢やら、とりどりの紐などを大急ぎでクルクルと巻き団子にすると、押入れのふすまを開けるや、上段のふとんの上にエイヤッと置いた。それからにこやかにドアを開け、招じ入れたのであった。

酒肴の用意などしているうちに、どうしても押入れの下段に置いて入る物が必要になったので、押入れのふすまを開けた。すると着物その他一式の団子がなだれのごとくに転がり落ちてきて、畳の上は満艦飾になったのであった。

夫とその友人ははじめはクックッと肩を震わせて笑わないでいようとつとめていたが、そのうち大きな口をあけてワッハッハーと笑いだしたということだった。  (この話、おもしろかったかしら?)

先ほど、不意の客ならOKよ、と言ったけれど、じつはそれも苦手なのである。たった今思い出したことなのだが、その昔、オットがまだ若い頃には、よく人を連れて帰ってきたものである。すると私は、“あそこのうちの奥さんはよくデキタ人だね~、感じいいよね~、嫌な顔ひとつしないね~”なーんて言われたいがために誠心誠意もてなしたものである。(冷凍冷蔵庫にあるもの惜しみなく並べ立てたもんである。)

それから、客人がお帰り遊ばす時にはにこやかに「またいつでもどうぞ~」なんて愛想良くしておった。けれどその後、オットの方を振り向いて言ったものである。「モオッ、私に断りもなく、人を連れてこないでよねッ、私にだって予定があるのよッ」

予定といっても、風呂に入って寝る、くらいの予定しかなくてもそう言ったのであった。ほーんとに私って昔は悪妻だったみたいね、今もそうだけど。

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このお帽子は

_020 所用で長崎まで出かけて、帰りの船を待つあいだ、小さな買い物をした。レジに持って行くと、年配の店員さんが言った。

「お客様、とてもいい買い物をなさいましたね。これはとってもいいお帽子ですよ!」 

いいお帽子と言われても、それはなんの変哲もない黒のニットの帽子であって、それと同じものはまだあと4つくらいは売り場にあった。そういう帽子を半額で買おうとしているのだから、そんなにほめそやされても、、、という気がよぎった。

けれどたしかにこの帽子に決定するまでは、あれにしようか、これにしようかと、頭のうえに乗っけてみたりしてさんざん迷っていたのである。それが「とてもいいお帽子ですよ」と褒めてもらえると、あー、この選択で良かったんだ、と納得できたのである。しかも「とてもいいご趣味でございますわね!それにお目が高い!」といったニュアンスも伝わってくるではないか。それで気持ちよく支払いをして、船に乗り込んだのだった。

家に80歳くらいになるオバサマが来て言った。久しぶりに病院に行ってドクターにいろいろ身体の不調を訴えたら、ドクターは言ったそうである。「もうね、80にもなればどこかがどうかあって当たり前ですよ。年寄りがどんな薬を飲んでも一緒」

で、そのオバサマはその言葉にふか~く傷ついて、お医者さんを乗り換えることにした。それまで行ったことはなかったが、無口で無愛想であるが故に敬遠していた Y 先生のところへ行くことにしたのだそうである。

こういう話を聞くと、お客を得るのも失うのも言葉ひとつにかかっているように思われてならない。

(長崎で早大エジプト隊の発掘展を観てきました。500円奮発してイヤホンを借りると、吉村センセイがやさしく耳元で解説してくれますよ。)

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ある甘美な思い出

_031_1 子供たちが小さかった頃の正月のこと、私たちは12畳の部屋に固まって寝ていた。親子三人くらいだと、川の字になって、などというけれど、7人が折り重なりようにして寝ていると、これは一体どんなふうに形容したらよいものか、、、。

その頃、長男がこの世のものとは思われないようなひどい風邪を引いてばい菌をまきちらしていた。台所で忙しくしていた私がちょっと様子を見に行った時、長男は「トイレに」と言ってふとんから抜け出していった。

するとそのぽっかりあいた穴の中に次男が「あったか~♪」と言いながらすばやくもぐりこんだ。そこは40度の熱がある長男が巣ごもりしていたのであるから、そのムロの中はかなりの高温になっていたはずで、さぞキモチ良かったことだろう。

この次男というのはかなりの潔癖症でババッチクナイ?が口癖であった。たとえば台所のテーブルの上にまんじゅうが置いてあるとすると、このムスコはなぎさママの所に走ってきて言うのだった。「あのまんじゅうね、ババッチクナイ?」 そしてママから「何言ってるの!、ババッチクナイから食べなさい!」と叱られてはじめて安心して食べるような子だったのだ。

だからその時、「これこれ、そのふとんはばい菌の巣窟じゃよ」と教えてやればたちまち重症の患者になったかもしれないのだが、知らないということは偉大なことで、起きてきた時、さて風邪が移ったかな?と楽しみにして注意深くみていたが、どうもなかったようであった。

トイレから戻ってきた長男は「あれ?ぼくのふとんは?」という顔をしたがすでに占拠されていたので、別のふとんにもぐりこみ、またあらたに汚染してくれたのだった。

その冬、風邪のばい菌が飛び交っていたにもかかわらず、新たな感染者も出ず、私たちは元気に過ごした。けれど今思うのだが、あの頃私たちは一体何十枚のふとんや毛布を折ったりたたんだり広げたり、上げたり、下ろしたりした事だろう。冬場は特に重労働だったのである。若かったのであるな~!としかいいようがない。

30数年前、夫とその母と私と3人で暮らし始めて、一人増え、二人増え、それから8人家族のピークに達したあと、一人去り、二人去り、、、。今また振り出しの3人暮らしになってしまった。これからまた減るばかりだよね~。最後まで残るのは一体誰だ?(こればかりは順不同のようでして、、、、。)

(一番下の子が成人式を迎えました。右端のオレンジ色の着物を着た子です。これでまた一つ、肩の荷がおりました~^^)

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二人のどろぼう

_058 この正月に帰省していたムスコが私に言った。「おかあさん、二人のどろぼうに幸せを盗まれないようにしないとねー。」

え?二人のどろぼうって何? ムスコの解説によるとこういうことだった。私たちの心の中には二人のどろぼうがいる。一人は過去、という名のどろぼうで、もう一人は未来、という名のどろぼうである。過去と未来のどろぼうはいとも簡単に私たちから幸せを奪い去る、どちらを気にしていても私たちは幸せになれないということであった。

そういえば私は、ずっと昔に理不尽なことを言われたと思い出しては新たに腹をたてる時がある。またあの時違った道を選べば、別の局面があったのに、、、と後悔するときがある。そういう時はすでに幸せから遠ざかっているのである。

また未来に関しては「夫亡きあとどうしよう」とか、、、(占いのおかげですでに未亡人モードになっておりまして(^^)) 子供たちは首尾よく生きていけるのだろうかと、不安になったり心配したりするのだが、その時すでに心の平安は失われ幸せにはほど遠いところにいる。

一体誰がこんな感心な事言ったのかしら? それはジョゼフ・マーフィの言葉だとムスコは言った。マーフィ先生は「二人の盗人の犠牲になるな」と言っている。過去と未来にとらわれることで私たちは幸せを取り逃がしてしまうのだそうである。

あ~、シアワセ、人生はいつだって、今が最高! とやせ我慢しながらでも言っていると、だんだんシアワセになってくるものだそうである。ムスコが教えてくれた二人のどろぼうの話を肝に銘じて、今、この瞬間をシアワセ!と感じて暮らそうと心に決めたとたんに、、あ~ら不思議、なんだかほんとに幸せな気分になったのでした。

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手相を見てもらうのも大好きでして

_006_2 明けましておめでとうございます。今年はイノシシ年だそうですね~。

私が若くて、一番きれいだった頃 (という詩が茨木のり子にあるが)、花の都は東京の銀座を、仲良しのM美と歩いていた時のこと、街角で手相見さんを見た。“見料 参千円”とあった。

わぁ~、おもしろそう、見てもらいたいね~、だけどちょっと高いね~、どうする? ヒソヒソ ね、2千円分だけ見てもらわない?と思いついたはなぎさちゃん、早速交渉したところ、あっさりとOKだった。

まずはなぎさからね、と手のひらを差し出すと手相見さんは言った。「あ~、あなたね~、長生きしますよ~。」「え? それは幾つくらいまででしょう?」と問うたらば、「そうですね~、90才くらいまでは生きますね。」ときた。ふぅ~ん、それじゃ美人は薄命だというのはウソね。

次いで手相見さんは言った。「あ~、あなたね~、飽きっぽいですね~、最後まで忍耐強くがんばるということ、しませんね~。」

そうそう、そうなんですよ、これが一ッ事に集中し、粘り強いという美質を持っていたならば、今頃ひとかどの人物になっていたかもしれないが、興味をもつ割にはすぐに放り出す、という繰り返しなのであるから、ま、こんなところですね。

さぁ、そろそろ2千円分、おしまいかな、と両手を引っ込めようとした頃、手相見さんは言った。「あ、あなたね、結婚するならイノシシ年の人がいいですよ。もうほかには考えられませんね。」

え? イノシシ? 私は急いで頭をめぐらし、イノシシ年の知り合いがいるかどうかあたってみたが、該当者はいなかった。

それから歳月が流れ、運命の変遷があって、私は結婚することになった。そしてある時不意に手相見さんの言葉を思い出し尋ねてみたのだった。「ところであなたって、なにどし?」「イノシシ」 ワァ~~~オ!大当たりだ~い!

街角で手相見さんを見かけたら、私はついふらふらと近寄っていって「見てください!」と言うことだろう。けれどもう若くも美しくもないのだから 「3千円のところを2千円にして下さい」、、、などとは言ってはいけませんね。

      

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