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漬物マニア

_002_5 去る4月に唐辛子の苗を6本買って、よく見たらポットには二本ずつ苗が植わっていた。これはペアで植えなさいということか、と迷ったけれど、別々にして植えてみた。全部で12本、そのうちの10本が今頃になってとても元気になり、白い花を咲かせ、青い実がなり、そしてだんだんと赤い実に色付いてきた。なんてきれいなんだろう、赤と白と緑、まるでクリスマス・カラーだけれど可愛いやつじゃ、ゆいやつじゃ、といいたくなる。

この季節、私は漬物を漬けるのにかなり忙しい。間引きした大根、かぶ、水菜、白菜などを、塩と赤い唐辛子で漬け込むと目も醒めるばかりに美しい。唐辛子は漬物作りには必需品なのである。そして実はなぎささんの作った漬物はおいしいと、なかなか評判がよろしいのである。

そのおいしさの秘密は、どっさり振りかけた唐辛子にもよるけれど、‘重し’がいいのではないかと言われている。この重しは建築に使われる御影石なのだけれど、私はこの石を漬物の上に乗せたり下ろしたりしながら、漬物の様子を見張っているのである。

一体、この石は何キロくらいあるのだろう、、、。私はこの石をだっこして体重計の上に乗ってみた。そして引き算をしてみたら、信じられないことに17キロもあった。こーんなに重たい石を持ち上げたり下ろしたりしてたんだね。

さて出来上がった漬物は計りの上に乗せて、(ほぼ300グラムずつくらいだけれど)、希望者に配ることにしている。今のところ、イラナイといって断る人はまずいない。

先日、京都駅の名店街で、さまざまな漬物を見学してきた。おいしそうだけれど漬物というのは実に重たい。それで涙を呑んで見過ごしてきたのだけれど、友達には「お土産は漬物にしてねー。」などと言ってしまうのである。

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そんなはずでは

_010_6数日前のことだけれど、 銀行へ行って、数枚の振込み用紙とお金を行員のお姉さんに渡すと、愛子様雅子様がどうしたこうした、という週刊誌を読みながら、呼ばれるのを待っていた。

するとお姉さんが「なぎさ様、お金が足りません」というではないか。え、そんなはずはないと思うよ、さっきちゃんと計算してきたんだから、と一瞬思ったけれど、なんといっても計算能力はあっちの方が上だろう、と思い直し、財布を開けてみた。するとあら~、お札が全然入っていないではありませんか、いつもはザックザクとはいっているというのに、、、。

お、そうだ、そこにATMがあるじゃないの。私はATMを指さして、ではそこで、と言いながらお姉さんにニッコリとほほえんだ。そしてカードを入れて見てみたら、何と!残高は限りなくゼロに近いのだった。

それから私が言ったことといったら、、、今思い出しても恥ずかしや、、、。「あの、カードを忘れてましてェ~、ちょっと家に取りにいってきます・…」  (カードがあったからこそ差し込んで残金がないことわかったんでしょうが。)

さぁそれから急いで自転車こいで家へ帰った。改めて計算してみたら単純な足し算のミスだった。ただ間違えたところが、万の位だったからややこしくなったんだね。今度足りなかったら大恥だぞ、と念入りに計算して、また銀行へ急いだ。

途中で宮司さんの奥さん(美しいばかりでなく、人格も高潔である)と出会ったので自転車おりて立ち話をした。私たちはお互いの銀行での失敗談、、たとえば別の銀行の通帳をすまして差し出していた話、などを披露しあって大笑いしていたのだが。

その奥様がつと真顔になって言うではないか。「あのォ、その上着は、もしかして裏返しではありませんか。今ではどんなものでもアリですから、そんなものかなー、と思って見ていたのですけど、、、。」 

わ~ぉ! もしかしてじゃなく、正真正銘、裏返しなんだよなー。 こんな格好で朝から何人の人と会ったことだろう! みんな「今どきはなんでもアリだからね。」 と思いながら黙って見てたんだねー。

もうすっかり銀行へ行く気も失せて、「ちょっと用事が、、、」なんて言って帰ってきてしまいましたのさ。

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平成ゴミ事情

_013_1 先日、大阪のムスメのマンションへ行った時、ムスメがゴミを出すのをみていると、、、黒い不透明なビニール袋になにもかも、ビールのカンだろうがお菓子の缶だろうが、詰め込んで捨てようとしているのに驚いた。

大阪湾のどこかの埋立地に持って行くからそれでいいのだそうである。私はゴミ置き場までついていったのだが、そこには黒い包みがゴロゴロと置いてあったけれど、中に何がはいっているかは、入れた当人のみぞ知る、ということであろうが、不気味な光景であった。

ついでムスコの住む福岡に行ってみたら、そこではゴミはかなり細かく分別されることになっており、私もほっとしたものである。ただし、野菜や果物などの皮もあっさりとゴミとして捨てられるのを見ると、おぉ、モッタイナイことよ、と胸が痛むのであった。

五島に帰ってきて私は心からキモチが落ち着くのを感じた。うちでは、土に還りそうなものはすべて土に戻すし、出すゴミの分別も徹底されている。この頃では薪ストーブで不要の紙類を燃やすようになったので、ゴミの量はかなり少なくなったのである。

数日前、海岸沿いの道路に車を停めてしばし人を待っていた。すると中年のおばさんが両手ナベを抱えて現れたので、私はこれはなにか、おでんかシチューか、何か食べ物をどこかへ届けにいくのであるな、と思いながら見ていた。

おばさんはスタスタと歩いて道路脇までやって来た。そしてあろうことか、ガードレール越しにナベの中身をボタボタ…ボタ とこぼしてしまったのであった。オォ!ノー!そんなことをしないでおくれ!このきれいな海を汚さないでよね!、、、、と叫びたかったけれど……黙って見過ごしたのでした。

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女性は全生涯が結婚適齢期

_048 『おはん』を図書館に借りにいったら、「こんな本もありますよ」と言って、司書の方が宇野千代関連の本を数冊だしてくれた。これらを読むと、宇野千代のだいたいの生涯のあらましはわかった。

千代さんは98歳まで生きたのであるが、4度の結婚と4度の離婚をして、なおかつ2度の倒産をしてもめげることなく、雄々しく人生を生き抜いた人である。『私の幸福論』」を読めば、千代さんがいかに真摯に幸福を追い求めたか、どのように考えたら幸せになれるのかと考え抜いたのがわかろうというものである。。

千代さんによれば、「私は幸福、今も昔もこれからも」、、、これを呪文の如くに唱え、幸せだな~、と自分に言い聞かせればおのずと幸せになっていくのだそうである。またオトコが去って行く時も、1日くらいは泣いてもいいが、翌日にはきれいにお化粧して、一番良い着物を着て街へでていくように、寸時も別離の悲しみなどに浸っていてはいけない、との教えなのである。

千代さんはいうのだが真の才能の花咲く時期は60才を過ぎてからではないかと、、、。60才までは言ってみれば人生が騒々しいのである。体も心も騒がしい60才までは人生の修行をする時代であって、人生の本番を迎えるのは60才からなのであると。千代さんの代表作といわれるものは、すべて60才になってからの作品だそうである。

このあいだ私は「くたびれたぁ~」といってゴロンと転がっていた。自分でもまるで里へ下りてきた山姥(やまんば)の如しとは思っていたのだが、、、。

その時通りがかったオットが「コレコレ、結婚適齢期だろ!」と一声かけた。千代さんが「女性は全生涯が結婚適齢期ですから、いつでも身ぎれいにして、ゆめゆめ、年だからもういいやなどとあきらめてはいけない」と言っているのを私はオットに話したことがあったのである。

そうだよ、こんなふうにいぎたなく寝転んでいてはいけないよ。いつでもお声がかかるように寸暇を惜しんで女を磨いておかねば、、、。と起き上がろうかとしたけれど、やっぱりやめた。

たとえ「なぎささんをお嫁に貰いたい」という候補者が現れたとしても、、、。私は多分インタビューしまくることだろう。「あのォ、年金は年額いかほどで?」とか 「親御様の介護問題は?」 とか 「うるさいムスコやムスメの存在は?」 とか聞き出そうとする。そしてきっと言われるだろうね、「あなたのような心根の悪い嫁さんは要りません!」と。

「私ってね、死なないような気がするんですよ。」と千代さんは口癖のように言っていたそうである。永遠に死なないとは信じ難いことだけれど、そんな気がするものだから、毎日机の前に座り、もっといい作品を書こうと努力した千代さんは偉いな~、と思うのである。『私の幸福論』は95才のときの作品だけれど、そのお歳にして原稿料をゲットできるなんて、やはりたいしたものではないか、と思ったものである。

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時間励行の島、六島

_029 五島列島の数ある島の中に六島(むしま)という島がある。この島は別名“時間励行の島”と呼ばれ、その島に住む人々は極めて時間に厳格であることで知られている。六島の近くの島に住む人から聞いた話なのだけれど、、、。

六島ではずっと昔、人々が時間を守らなかったために、恐ろしい海難事故が起き、それ以来人々は時間に厳格になっていった、ということである。

たとえば、2時に会合を持ちましょう、と決めたとすると、人々は1時には全員集合する。だったら、もう始めたら?と私などは思うのだが、それはいけませんね。じゃ、みんなが1時に集まれるのだったら、これから1時に集まるようにすれば?と私は思うのだが、、、そうすると人々は12時に集まってくるし、奥さんは11時には昼ごはんを食べさせねばならないことになる。とにかく1時間前には、全員が集合することになっているのである。

ムスメやムスコが帰省するときなどは、JTBなみに綿密なスケジュールがたてられ、家は何時に出て、列車は何時に乗って、汽船は何時のに乗るようにと指令が出される。さすれば我々は1時間前から桟橋にて待つ。というわけである。

その島で去年の暮れに 「田舎に泊まろう」というテレビ番組の録画があったそうである。お笑いタレントの誰それ、という人が来たのだけれど、誰一人として「さあ、我が家に泊まってください」という人はいなかったということである。それでスタッフの皆さん困ってしまって急遽、別の島へ船で渡り、やっとのことで宿泊先を見つけた、のだそうである。

何をするにも1時間前から待機して事を為すのをポリシーとしている人々であるから、「ささ、どこでもいいから、今すぐ泊めて!」と頼むのは無理なことだろう、と私は思った。島の人たちの応対ぶりを私も見たかったのだが、このニュースを聞いたのは、ごく最近のことで残念なことであった。

島には厳しい‘掟’もいろいろとあるそうである。結婚式のときはこう、葬式のときはこう、、、。いろいろ。知人の話を聞いたあと、シミジミと思ったものである。「六島に嫁がなくてよかった~~!」  こういう厳格な島ではつとまらないと悟った私は、多分夜闇にまぎれて、脱走したに違いない、と確信するからである。

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