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英会話は楽しく

_003_1 毎週水曜日は英会話の教室に行く日である。日中、忙しかったりすると、今日はやめとこうか、という気になりかけることもあるが、行けば楽しい、ということはわかっているので、その他の用事はほったらかしにして出かけることにしている。

前任の先生がいなくなって、今度の先生は生まれも育ちもニューヨークのニュー先生とウェールズ出身のウェ先生が二人がかりで、私たちのめんどうをみてくださっている。近くの中学や高校の英語の先生なのだが無償で来てくださっている。 

クラスは評判がよいらしく、一人、また一人とニューフェイスが現れる。この間初めて来た人は言っていた。長崎と佐世保で、このところ立て続けに、三回も外人さんから声をかけられ、駅とバスセンターへの道を尋ねられたそうである。ところがこの人は「まっすぐ行って」も「右に曲がって」も言えなくて、仕方がないので最後までついていったそうである。

こんなことじゃーイカン、と一念発起してこの英会話教室に来たのだった。高校を卒業して以来、英語は何十年ぶりなので、悲壮な覚悟をしてきたのに、クラスはまことに和気藹々としているので、いっぺんに緊張がとけた、と言っていた。

まず誰彼がどこそこの土産だ、到来物だ、手作りだといってテーブルの上においしそうなお菓子を広げる。飲み物は各自持参しているので、あれをつまんでみたり、これを味見してみたり、笑いさざめいたりと、小一時間くらいはあっという間に過ぎ去る。

この前の水曜日に私はリンゴの皮を剥いたものを大量に持っていった。みんなでフォークでさして食べていたら、今度はニュー先生がアップルパイの焼きたてを持ってきた。それを切り分け、アイスクリームを上に乗せて食べるまでは大騒ぎ。そこには13人もいたのである。先生はアップルパイはママの味、アメリカと言えばアップルパイ、の話をしたかったらしいのだが、ろくろくはなしを聞く時間もなかった。

先、先、先代の英会話の先生でとっても真面目で、熱心な先生がいらしたそうである。先生は受講生の力をつけようと、その日の出来事、感じたことを皆の前で発表するように義務付けられたそうである。そうしたら、一人去り、二人去り、、、残ったのはホントにお出来になるヒトがわずか、だったそうである。

さて、アップルパイを食べた後、私たちは大急ぎで、日曜日から土曜日までと、1月から12月まで何というのかお勉強した。これでみっちり2時間、楽しんだことになる。予習も復習もなく、行けば楽しい英会話教室。職場からおなかをすかしたまま直行してくる人にとっては、少しはおなかを満たしてくれる居心地のいいサロン。これが私たちの英会話教室ですよー、その気になったらいつでもどうぞ!!

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なんともゴージャスな夢を見た!

忘れもしない、去る8月13日の未明、私は絢爛豪華な夢をみた。以下は夢のあらましである。

さて、その朝、ごはんの支度をするべ、と台所に入った私は、ガステーブルの上にフライパンがあって、そこに燦然と黄金色に輝くヘビが鎮座ましましているのを見た。えーっ、これを一体、どうしたらいいのー? 「おとーさーん!」(うちでは子供たちがいなくなっても便宜上、おとうさん、と言っている。) と呼んでみたが来てくれないので、自分でなんとかすることにした。

それで、運動会のお玉競争よろしく、こぼさないように両手でヨンヨンと運び、勝手口の戸を足でエイッと開け、ボチョンと捨てた。これはとても重かった、なにしろ金塊ですからね。

それからフーッ、ヤレヤレと台所に戻ってくると、な、なんと流し台の前に、もう一匹の、これまた黄金に輝くヘビが長々と横たわっているではないか!困るのよねー、こんなところに寝そべってもらってたら、と思いながらシゲシゲと見てみると、小さなウロコの一枚いちまいが、すべて黄金で出来ているのだった! それからハッとして時計を見たら、4時50分だった。

朝、起きてきたハハにこの夢をカクカクシカジカと話したら、「それはねー、なぎささん、うちに大金が転がり込んでくる前兆じゃないのぉ?」 と嬉しそうにしていた。なんでも奈良の三輪神社ではヘビを神様として祀っていて、お金の回りが良くなるからと、ご商売の方々の信仰を集めているそうなのである。

さてあれから一ヶ月半くらいたってしまったが、まだこれといって善きことはなにも起きてきていない。黄色いスイカがゴロゴロと転がりこんできたくらいである。あの夢に匹敵するような、豪勢な幸運が舞い込んでこないのだろうか?

あの夢に有効期限があるものならば、願わくば今年の暮れ、はたまた明けて来年の一月半ばくらいまでは効力があって欲し。歳末大売出しで特等に当たる、、、宝くじに当たる、、、お年玉つき年賀状が一家で3枚、特等に当たる、、、。ざっと考えてもこれくらいはチャンスがあるというものだ。

今まで、くじを引いて当たった! などという経験は皆無なのだけれど、なんだか当たりそうな気がする~~~そんな予感でハッピーなワタクシです!

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つつしんでお断りを

天皇家に男のお孫さんが生まれたというニュースを聞いた時、私は不意に、何十年も前に歌っていた歌を思い出した。それはこんな歌。

 ♪ 鳴ったなった、ポーポー サイレン サイレン ランランキンゴン…  天皇陛下 お喜び……きれいな赤ちゃん 皇太子様お生まれなった♪

…のところは歌詞が不明であるが、ここで皇太子様というのは、今の天皇陛下のことなのである。天皇陛下ってお幾つなんだろうか。私は7名の人に聞いてみたが、誰もサァーネ~というばかりで知らないのだった。

それで私は独断で75歳くらいではないか、と思うことにした。すると私とは20歳くらい年差がある。(ちょっとサバよんでるかもしれません) それから、その歌を覚えるまでには5年くらいはかかるであろうから、、、天皇陛下がお生まれになって25年くらい経っても私の実家ではその慶祝歌が歌われ続けていた、ということなのだろうか、、、? どうでもいいことのような気もするが、あとで姉達に詳細を聞いてみることにしよう。

しかしテレビで見ていると、天皇家の人々ってほんとうに大変だと思うのだ。ロイヤルスマイルとよばれるあの微笑みもなんか痛々しい、と感じることが多い。

ふつう私たちは疲れたー、という時、タタミにゴロンと転がって、その辺にある座布団を二つに折って、 マクラにしてひとやすみ、、ということがないだろうか。アタシなんぞはシュウトメさんが見てないところでは、足が疲れたー、と思えば柱に足を投げかけて、、、イエ、そんなふうに一度はしてみたいものだなぁ~と思っているだけですが。

けれども高貴な方々は、タタミにころがるなんてとんでもないこと。ソファーにそっとかけるだけ。ユメ、長々と横たわるなんてこと、ぜーったいにしてはいけないことなんだそうだ。なんと不自由で窮屈なことでしょう!

それでもしかして、なぎささん、是非とも皇太子妃になってください!と所望されたら、つつしんでお断り申し上げよう、と心に決めているのである。けれどあと100回、生まれ変わったとしても、そんなご縁談が舞い込むことはまずなさそうだから、心配ご無用なのだが。

私はこんなふうに、天皇家のことを結構、心にかけているのである。日本には3千万軒くらいの家があるそうだが、その中でも特に大変な家であろうと、心から同情申しあげてもいるのである。

けれど庶民はあずかり知らぬひそかなお楽しみがあるのかもしれない。なんといっても私たちが見るのは、テレビの中のひとこまだけである。

それでも、、、やはり庶民のほうがラクチンみたい。不機嫌なときにはぶーっ、とふくれて。(私って、今、不機嫌な果実なのよっ)  疲れたら座布団まくらにネンネして。足は柱に投げかけて! こんなに自由で楽しいことがこの世にあろうか?

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妻がいて子がいて甘美なりしこと

ただ今、五島は台風まっさかりである。お昼過ぎから吹きだしたのだが、まだまだこの強い雨と風は弱まりそうにない。

台風襲来ともなると、我が家にまだ子供たちがいて、フルメンバーで過ごしていた頃は、実に賑やかで大騒ぎしていたものである。明日、学校は休みになるかもしれないというので、子供たちはなんとなくウキウキしているし、思う存分ファミコンに没頭しようと張り切っていた。

そうだ、あの頃はファミコン全盛時代で、うちの子たちも目の色を変えてファミコンに励んでいた。それがあまりにもひどいので、おばあちゃんはファミコン一式を紫色の風呂敷に包んで、押入れのどこかに隠したものである。けれど子供たちは特別な嗅覚が働くらしく、コトともいわせずに探し出したものであった。

「なぎささーんッ、子供たちをしっかり監督しなさいッ」などといってハハから叱られたものであるが、もうそれもずっとずっと前の話、今では老人3人暮らしになると、雨戸を閉め切ったなかで静かーにしていて、これといって話すことなど、別にィー、、、なにも…ない。  シーーーン

こんなふうにしているとその昔、短歌を習ったことのある師の歌を思い出した。(この師は二度も宮中の歌会に招かれたという輝かしい栄誉の保持者なのである。)

  妻がいて  子がいて 甘美なりしこと 

            過去世の如く  しのぶ夜あり 

この師は、(自ら言われたことなのであるが、)生来の短気者で、なにか気にいらないことがあると、ノミやらキリやらの仕事道具をタタミにブスッと突き刺したりして妻や子を恐れさせたものなのだそうである。

けれど奥さんが亡くなり、子供たちも独り立ちすると、あの頃のことがたとえようもなく甘美なものであった、ということがしみじみとわかります、という述懐なのであった。

夫(つま)がいて  子がいて 甘美なりしこと

             過去世の如く  しのぶ夜あり

アタシもいずれ、いつの日か夫を見送り、こういう心境になるのかしら、、、?     あの頃はよかったなー、泣いたりわめいたり、笑ったり、腹を立ててみたりしたけれど、なにもかも夢のまた夢、、、まるで過去世のごとしだぁー、なんて。

あらら、なぎささんたらすっかり夫を見送るモードにはいりこんでるみたいね。これは台風がもたらした気分ね、きっと。

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カムフラージュ

_010_5 私のうちには、一部分だけれどヒノキで張った廊下がある。この廊下をうちのハハ(夫の母)はこよなく大切にイトオシンデいるものである。(だからといってハハは一度として、拭いたり磨いたりしたことはない。)

さて、この番町皿屋敷の皿、にも似てお大切な廊下に、あろうことか、この私が、漂白剤が入った水滴をポタポタと落としてしまったのは2年くらい前のことである。白く浮き出た水玉模様を見て、ハハが私に何と言ったか、これはご想像におまかせしよう。

さぁ~、これをどうしたものか?  そうだ!とひらめいて私は茶系統の三本のフェルトペンでこの水玉に木の節(ふし)を描くことにした。幸いなことに周りには黒っぽいのやら茶色っぽいのやら、木の節が点在していたのである。

これは我ながら上出来で、どれが本来の節やら手描きの節やらわからず、ハハもこれ以後、黙った。

さて次なる受難は先月、お盆のころである。私は不覚にも、その廊下にバナナの箱を置いて2~3日、放置していた。その中には野菜やら果物がはいっていたのだが、箱の底は結構に湿気があったらしく、この箱を持ち上げたとき、その真下の板は白々としたシミになっていた。

さぁ、この変色した廊下の板を見たとき、ハハがなんと言ったか、これもご想像にお任せしよう。隠滅工作する暇などなかったのである。

私は今度は茶色の靴クリーム2種類を使うことにした。布にクリームをこすりつけたものを、板にのばし、いかにも木目の模様らしく見せようと苦心惨憺。窓を開け、扇風機で匂いを飛ばし、ハハの留守中になんとか細工をし終わった。

これも上首尾で見場もよくなりほとんど前のような、いい状態に戻ったかのように思われた。ただし、油脂のクリームを塗りこんだせいでどうしてもツルツルと滑ってしまうのである。

ハハが滑ってしまったら大変なのである。ハハはこのところ体がかなり不自由になり、なにかというと「なぎささーん」と呼び立てる。すると私はワン! といって大急ぎで走っていっていろいろと頼まれた用事をかたずける、という日常なのである。

この廊下がすべらないようにするにはどうしたらよいのか、私は今、頭を巡らせているところである。

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それって新種のオレオレ詐欺じゃないの?

去年の8月31日にはちょっと忘れ難い事件があった。去年の今頃はまだうちの三男坊は学生だったのだけれど、そのムスコの友達の兄だ、と名乗る若者から電話がかかってきたのは、お昼過ぎだったろうか。

その声は明るくさわやかで、しかも清々しく、おぉ、いい声だねー、あの山本耕二君を彷彿とさせるような好男子ではないか、と私はたいそう愛想よく応対していた。

ヤマモト君は言った。(文中  S とはうちの不肖のムスコのイニシャルである。)  「S君のお宅ですか? S君いますか? あ~そうですか、大学に戻ったんですね。S君のおかあさんですか? おかあさん、心を落ち着けて聞いてくださいね。 ……じつはうちの弟というのが優柔不断なヤツでしてねー。それで S君が弟にタイマを買ってくれといって金を渡したらしいんですよねー。」

ワタシ「え?タ、タイマってなんですか?大麻のことですか? では、チョ、チョット 待ってください、代わりますから。」 と言うと私はコケツマロビツ、大慌てでオットがいる外へ飛び出した。そしてオットに言った。「あのね、Sが大麻をやってるらしいのよ! ワナワナ 

受話器を代わったら、外に持ち出したためか電話は切れていた。そこでケイタイでムスコを呼び出したらすぐに出た。

オットは言った。「おい、おまえなー、(←すでに怒気をふくんでいる) 大麻の売買をやっているというのはほんとうか?(←返事いかんによっては『そういうことであれば大学もなんも即刻、辞めてしまえーーっ』 と叫ぶ気でいる)」

するとムスコは言った。「え?なんのこと? 大麻ねー、まだやってないよ。おとーさん、それは新種のオレオレ詐欺じゃないの? 秋葉原に行けば名簿はいくらでも買えるからねー、慶応医学部の名簿なんか値が張るらしいよー。」  などと話をしていたらヤマモト君からまた電話がかかってきた。

彼はまた、自分の弟が優柔不断であるという話から始めた。それでオットは言った。今ムスコに確認したらそういうことはやってないと言うんですよねー。

ヤマモト君は「警察に言ってもいいんですかーーっ!」というので「どうぞ、その方が本人のためになるでしょうから」と言ったら電話はガチャンと切れたのだった。 それからもう電話はかかってこなかった。

さてさてあの時、どうして私は頭の中は真っ白、顔面は蒼白になってしまったんでしょう? たいていの事には動じないつもりなんですけどね。よくよく考えてみるとその訳は二つありそうだ。

その1、電話の声音があまりにも普通の男の子だったこと。もうすっかりムスコの高校か大学の友達の兄さんだと思い込んでいたのだ。

その2、うちの子に限って、、、などと全然、思わなかったこと。それはあり得る!と思ったのである。(もうまるで信用してないんだからねー。)

それにしてもオットも私も舞い上がってしまって、彼の言うことをろくろく聞かずに終わってしまったが、いろいろネホリハホリ聞きただして、「それでは私たちはどうしたらよろしいのでしょう?」と言ってみたらどういう展開になっていただろうか。

なにしろ初めてのことでまるで余裕がなかったのである。いつかまたその手の電話があったら今度こそじょうずに応対できるのではないか、と思うが、またまた別の新種の手口だったら、やはり慌てふためきオロオロと取り乱すことになるのだろうか。

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子供たちへ お前たちの人生が多難であることを祈る 母

_052 今日の夕方、5時30分頃だったろうか、私はラジオを聞きながら炊事をしていた。するとラジオでいっていた。団塊世代の60%強が自分のやってきた子育ては首尾よくいった、もしくは満足している、と答えたそうなのである。

そうなのかー、皆さん自信大ありなのねー。なぎささんちはどうですかー?と聞かれたら煩悶してしまうだろう。首尾よくいったのやら、いかなかったのやら、、、。

実はうちには3人のムスコがいる。長男と次男はさほどではなかったが、三男坊にはかなりてこずった、という思いがある。この子が幼稚園の時のことだけれど……とまぁ幼稚園にまでさかのぼれば大長編になるので、はしょることにしようか。

さてこのムスコは二浪の末、東京の私大に入学することが出来た。その前には人にも言えないような超難関大学に挑んでいき、あえなく粉砕したのだ、ということは、ずっと後で、うちのムスメ達から聞いた。ついでながら、うちにはムスメが二人いる。

子供が二浪もしていると親の心労というのは並大抵なものではない。どこでもいいから受かってくれ!と言いたくなるものである。やっと入学が決まった時、私は東の方へ向かって手を合わせ、深~く感謝したものである。「うちのムスコを受け入れて下さいまして、有難うございました。」

さてそれから3年たって、ムスコが大学を辞めたい、と言ってきたとき、私は暗澹たる思いになった。なぜもう少し頑張れないのだろう、なんの取り柄もないのだから、大学くらいちゃんと卒業して欲しい。生き馬の目を抜くという東京で (と私の母親はよく言っていたものである。) どうやって身過ぎ世過ぎをしていくものだろうか、、、。

「仕送りもなくて一人でやっていけるのか」と夫が念を押したら電話の向こうで「ウン」と言ったそうである。それで決まりだった。

その頃、私はこんな話を雑誌で読んだ。女優の 壇 ふみ さんの父上、作家の 壇 一雄は子供たちに次のような言葉を残したそうである。

 『子供たちへ お前たちの人生が多難であることを祈る 壇 一雄』

それを読んで私は心の底から壇 一雄という人に畏敬の念を抱いた。ふつう親はこどもの将来がつつがなく無難であることを祈るものである。(それ故に回収の見込みもないのに浪人させたりして!) しかし壇さんは人生が多難であればあるほど人の心の痛みも分かり、優しくもなれる。こういうものが人生を豊かにするのだ、と言いたかったのであろうか。

壇さんを見習って、私は子供たちに人生が多難であることを祈ることにした。その方がうーんと楽チンなのである。

お盆前にそのムスコが帰省した時、私は言った。「あのね、キミのこと、ブログで書いていいかな?」 

ムスコは言った。「ハッハッハッハー! どうぞどうぞ、なにもかもぶちまけていいよ~♪」  それでこのたび小出しにしてぶちまけたのである。ホームレスになる前に五島へ帰っておいでねー、と言ったら、いろいろ手立てがあるからダイジョウブ、なんだそうである。

そうだよ、もう心配するより信頼する母になるのだ。いつもいつも子供たちが多難であることを祈っていれば、これより先、なにが起きてきても驚かないですむことだろう。

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お船は待ってくれませぬ

_070 お昼の一時発のフェリーでオットは、(夫は今日はオットになりました)出かける予定だった。その前にちょっと寄り道して、知人に届け物をするつもりだった。ところが出かけようとすると来客があって少しばかり時間が遅くなった。

私は当然、寄り道しないで、桟橋へ直行するものと思っていた。届け物なら帰り道にこの私がいけばいいのだ。ところがオットは「だいじょうぶ、時間はあるんだから、まかせなさい!」と言って寄り道を強行しようとした。

大丈夫かな~、マガゴト(凶事)が起きねばいいけど、と思っていたが、自信たっぷりなので好きにしてもらうことにした。とっころがである。前方の車があらぬ所で止まっているので何事かと見たら、なんとトンネルの中で工事をしているそうなのである。ここで3分くらいロスをした。

それから信号に行き着けば赤ばっかり。これじゃあ間に合わないよねー、そうだ、船尾の、車など積み込む所へ直行すればギリギリで間に合うかもしれぬ。とそこへ息せききって駆けつけてみれば、あはれ、鉄の扉は堅く閉ざされ、ボーと汽笛一声、お船は岸を離れてしまった。

次の便までいささか時間があるのでいちおう家に帰ることにした。すると、なんかおなかすいたので晩ごはんを食べると言う。(3時半ころ) ついでにビールを飲めば船の中でキモチよーくネンネしていけるからと、飲んだり食べたりしてる間にワァ、大変!また乗り遅れそうじゃないの。

運転するのは必然的にこのあたしだ。さぁ急げや、急げ、もう二度と乗り遅れるわけにはいかぬ。乗り遅れて家に舞い戻ったりすれば、オカンに、もといお母様に(オットの母) 「あんたたち、何してるのーっ!」と一喝されるのはわかりきっておる。それで第一の関所、工事現場の手前の手旗信号を無視してくぐり抜け、信号も強引にブッ飛ばし、はー、ヤレヤレやっと間に合った。

帰り道で信号をかぞえてみたら、なんと6個もあった。いつの間に6個になったんでしょう?30数年前、五島に来た時はたしか1個だったような気がするのだけれど。けれどこれからは、6個の信号と不測の事態に備えて、もっと早くに家を出るべきだ、と肝に銘じたことだった。

(写真はてっせん、 です。枯れたのかと思っていたら、いつの間にか再生して花を咲かせました。不思議な花ですね!)

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