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どのバナナがほんとうのお月さま?

_065 先ほど、7時50分頃、用事で外にでたら三日月がでていた。

三日月をみるとかならず思い出すことがある。

ムスメ(次女、その時小学校の二年生だった)と夜道を歩いているとムスメは不意に言った。「おかーさん、どのバナナがほんとうのお月様?」

「え?」と急いで夜空を見上げるとそこには一本のバナナが、、もとい、三日月さまがでてござった。ムスメの眼にはバナナの房が見えていたのだろう。

翌日、眼科に行くと、ひどい乱視であることがわかった。それまでいろいろ訴えていたのだが私は聞き流していたのだった。

さあ、メガネを作りましょう、ということになったのだがムスメはガンとして「コンタクトにする」といって聞かない。ダメ~!コンタクトなんて高校生になってから!と私は言うのだがどうしても譲らない。

私の友達が言った事がある。「メガネを一番かけていたい時って、一番かけていたくない時なんだよね。」  さあ、これは難しいフレーズである。つまりこういうこと。憧れのきみがそのあたりに出現した時、しっかりメガネをかけて一挙手、一投足をみていたいのである。けれどその時は彼にメガネをかけている自分を見られたくない時なのである。

小2のムスメがそんなことを考えていたとは思わないが、その強情なのに根負けしてとうとうメガネとコンタクトを作ることになってしまった。

そのムスメも今は大学生になって、親の干渉の届かない遠い所で楽しくやっているらしい。らしい、というのは、本人が申告する以外のことはなぁ~んにも伝わってこないからである。

(お月様の写真を撮りたかったけれど出来なかったので、その辺の海の写真を載せてみました。)

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ある夏の日の思い出

_016_1 これは身も心も焼き尽くした、ひと夏のアヴァンチュールの恋の、、、などでは全然なくて、なぎさが4年前の夏、海で溺れて死にそうになったお話である。

その年の夏はなにかと忙しく来客、(しかも泊り客)も多く、私は民宿のおばさん並みには忙しくしていた。這いつくばって草を引き、ガラスを拭き、本来、光っているべきものは磨き上げ、玄関に花など活ける、ビールを冷やす、スイカも冷やさねばとてんてこまいの忙しさ。

客が来る当日ともなれば魚市場に出向きあれこれ魚をみつくろい、魚ばかりではよろしくないと思えば普段は買いもしない五島牛など調達して、と三度のご飯と二度のおやつに翻弄されておった。

はぁ~、やっとお客も帰ってくれたね~、ちょっと海につかりに行こうかと相談まとまり私達は車で10分ほどの海水浴場へでかけた。

私はこのナイスバディを黒の水着(高校生の時から使ってるなんの変哲もないやつ)で包み、背泳ぎの真似事などしていた。その時なんだか急に心臓の具合が悪くなってきたのだった。立つことも浮かぶことも出来ずに、

近くにいたT(ハズですね)に、陸(おか)の方を指差して「具合悪いからもう帰りたい、引っ張っていって!」と目と顔で言うのだけれど、なかなか通じず「せっかく来たんだからもっと楽しめば?」なんてトンチンカンなことを言うのだった。もっと楽しむヒマなんかないんだよ、こっちは、ブク、ブク、、、、。もう死ぬぅ。

やっとのことで妻の危機に気がついてくれてTはズルズルと私をひきずっていった。それはちょうど青木繁の絵にあるでしょう、男の人が大きな魚を引きずって歩いているのが。ちょうどあんな感じだったと思いますね。

潮(しお)が引いたところにくたっと横たわり、救急車を呼んでもらわなくてもいいかなー、だけどこんな格好でイヤだなー、まるで砂だらけのアザラシみたいじゃないの、病院には知り合いがいっぱいいるんだよー、、、なんてこと考えてた。あ、だれか背中になんかかけてくれたのね、ありがとね。でもまさかコモ(菰)じゃないよね。

いかほどの時間がたったのか、、、。ムッ、何者かがしのびよる気配あり、ジョーズか?! ガバと起き上がってみればなんと、はるか彼方まで引いていた潮がすぐそこまでひたひたと押し寄せてきていたのだった!ジョーズも怖いけれど音もなく寄せてくる水も背筋が凍る、というものである。

元気になったような気がしたので気付け薬にビールを飲んでみることに。なんだなんだこのビール、生ぬるいじゃないの、もっとキーンと冷たいビールはないのかえ?  もうすっかり元気になっていたなぎさでした。救急車で運ばれなくてよかった~~!!

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93歳にしてアンドレ・モロワを読む

 雑誌を読んでいたら一人暮らしの達人(人生の達人というべきか)今年93歳になるYさんという方の記事に惹きつけられた。

 Yさん夫婦には三男一女があったが、50代の頃、家を建てたのを機に子供夫婦と同居することにした。けれどもこの同居は惨憺たるもので、長男、次男、三男夫婦ともすぐに音をあげ、退散してしまった。Yさんが何事にもはっきりものを言ってしまう性格であることと、勿体ながりやであるため、たとえばホウレンソウを茹でた汁でみそ汁を作りなさい、とヨメに強要するため摩擦が絶えず、家の中は全然楽しくなかったからである。

 Yさんの夫が亡くなったとき、誰がこの母と暮らすか、伴侶を含めた子供全員とYさんで話し合ったが誰一人として希望者はなかったそうである。

 Yさんは深く傷ついたがどうしようもなく潔く一人で暮らす決心をした。そしてもったいながりの精神を発揮して古い裂(きれ)で貼り絵(フランス語でコラージュというそうだが)をして楽しみ、その作品はうず高く積もっていたそうである。

 あるきっかけから、その作品は人々の目にとまり、高く評価され、去年、Yさん92歳のとき個展を開くことが出来た。、作品は全部売れてしまって‘古裂コラージュ作家’としてデビューできたのだった。Yさんは「生きがいを持てば人は一人でも強く生きていくことができます」と語っていた。

 さらにYさんは90歳の時、アンドレ・モロワの言葉に出合い勇気を得ることができた、と言っていた。それは「老いに伴う一番悪いことは、肉体が衰えることではなく、精神が無関心になることである。」という一連の言葉であった。

 自分自身が93歳になった時のシミュレーションをしてみるが、まるで見当がつかない。果たしてその歳まで生きているのだろうか、オツムの程度はどのくらい機能しているだろうか、等々、イメージはわいてこない。

 

 わたしも93歳になるYさんにあやかりたくなりアンドレ・モロワ著『私の生活技術』という本を借りてきた。第1章、考える技術、第二章、愛する技術、第三章、働く技術、第四章、人を指揮する技術、第五章、年をとる技術。まず第五章、年をとる技術から読んでみようか、、、。

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このサザエご飯はおいしい!

サザエをよそ様から頂いたりすると、わぁ~うれしー、と思う反面、オー、この手で生きたサザエを殺生せねばならぬのか、と胸が痛む。けれどいつまでもサザエを憐れんでいてもサザエご飯は出来てこないのだから、もう、やるしかない、と心を決める。

石の上にサザエを置いて金槌でコンコンと叩けば当然殻も身もグチャッとなるが致し方ない。しっかとフタを閉ざしているサザエからドライバーのような物で身を引っ張り出すには特殊技能と腕力が要求されるのである。

サザエの身だけ頂いて内臓などあとはそのままほったらかしておくと、いずれ巡回してくるノラのみけちゃんが、舐めるがごとくにきれいに食べてくれることになっている。

さてサザエご飯の作り方だけれど、このレシピは長い間、旅館のおかみさんとして働いてきたSさんからおそわったものである。

1、まず鰹節でだし汁をとる。

2、米を研ぐ、サザエを刻む。

3、ほぼ同量の米とだし汁、サザエを入れ、薄口醤油を入れる。

  (醤油の量は米1升に対して1合の目安でだいたいOK。)

4、出し昆布を上に乗せたらスィッチ・オン

5、スイッチが切れたら日本酒を少々回しかける。

6、しばらく置いてできあがり。サザエは浮き上がっているから上下を均等

  になるように混ぜ合わせる。

私はごぼうをいれることもある。炊き上がったとき、サザエとごぼうは良く面差しが似ていて、あたかもサザエが大量にはいっているかのような目クラマシの効果がある。しかもごぼうの風味が美味しい。五目飯のようにほかの具材を入れるひともある。しかし他のものを入れたら邪道である、という人もいる。いつか伊豆の下田で食したサザエご飯はサザエのみであった。思うにサザエを惜しみなく使える人は、サザエご飯はサザエのみで、と決めているのではないだろうか。

私は料理のお師匠さんのSさんにサザエご飯を持って行った。お師匠さんは「ウン、きょうのサザエご飯はおいしい!」と言った。お師匠さんは今年83歳であるがまだまだ元気だ。

ただ割烹店を切り盛りしている息子さんが言ったそうだ。「おかーさん、なんでもかんでも人におしえたら駄目だよ。それはうちの店の味なんだからねー。」

そういう訳でこのレシピのことはあまり大きな声では言えないのですね。なんといっても企業秘密ですので。

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忘却なくしては

自転車で出かけたのに帰りは歩いて帰ってきたり、車を発進させてしばらく行ったところで、ハテどこへ行こうとしていたのか、わからなくなってウーンと考え込んだりと、この頃ではよく忘れるなぁと自分でもあきれることが多く困ったものである。若年性認知症と言われるとき、若年とは何歳くらいを言うのだろうか。

一方、忘れたいのになかなか忘れられずに困ることもある。あの人に言われたあんなコト、こんなコト。ひどい仕打ちをされたこと。

はたまた心にもなく言ってしまったあんなコト、軽率にもしでかしてしまったあんなコト。嫌な記憶ははすみやかに忘れ去りたいものだが、執拗に覚えているものである。良きことだけしみじみと反芻していればいいものを、である。

アンドレ・モロワは「忘却なくして幸福はあり得ない」といったそうである。もし人間に忘れるという能力がなかったら私達はいやな記憶で満杯になりこの身が持たないであろう。してみると忘却力は神の慈悲であり恩寵かもしれない。

「忘却とは忘れ去ることなり、忘れ得ずして忘却を誓うこころの哀しさよ」 えーっとこれは「君の名は」の菊田一夫の名言ですね。

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私のアイビー

_007_6 5,6年前のことだけれど関西空港のコンコースを歩いていた私は我が家にはないうるわしいアイビーを見た。葉っぱの色はオリーブ・グリーンとでもいおうか、こぶりで、その枝垂れているさまは王侯貴族のお姫様という風情であった。私は「失礼」と言ってだれにも断らずに先端部分を5センチほど頂いてきた。

家に大切に持ち帰り、慈しみ育てていたら、数ヶ月もたつとア~ラ不思議、昔日の面影はどこへやら、その葉は深緑、葉脈も浮き出て、筋骨たくましいおあにいさんみたいになってしまったのだった。

深窓の令嬢とみたのは日照不足と栄養不良のせいだったのかしら、、、。五島の野や山に自生している‘つたかづら’とそっくり。

さて私は葉っぱに斑がはいったのやらフリルがあるのやら数種類のアイビーを持っているのだけれど、それらはどのような経緯をもってうちに来たかは、、、ご想像におまかせしたい。

先日、左官さんに薪ストーブのまわりにレンガを積んで貰ったとき、余ったレンガで玄関まえに小さな花壇を造ってもらった。土を入れてそこには迷わず私のアイビーをどさっと植えた。

おお、アイビーとレンガは実によくマッチするではないの!イギリスに行ったことなどないが、まさに英国風の趣がある。チャーチル英首相はただ、レンガを積む、という趣味があったそうだけれどそのレンガにもいつかアイビーが絡まっていったかもしれない。

レンガの花壇に植えられたアイビーを見ながら道行く人々にわたしはいいたい。「皆さーん!このアイビー、きれいねー、と思われたら、どうぞ黙って貰って行ってください。どうせ拾った恋だもの、じゃなくて、どうせよそ様から黙ってもらってきたアイビーなんです。ささ、どうぞ、どうぞ!!」

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くちなしの花

_001_1 水木かをる作詞、遠藤実作曲、渡 哲也が歌った「くちなしの花」は男心も女心も惹きつけたものか、30年以上たった今でも愛好者は多く、カラオケに行ったからにはこの歌を歌わずにはおれない、という友達もいる。

先日新聞を読んでいてこの歌がどのようにしてできたのかを知った。まずあるところで、著名人に戦没学徒の遺書を朗読してもらう企画があった。その担当者である山口光昭氏は依頼に行った曽野綾子宅で宅島徳光海軍飛行予備中尉の遺稿集「くちなしの花」を見せられた。その中に恋人を思って綴った詩があった。

俺の言葉に泣いた奴が一人

俺を恨んでいる奴が一人

それでもほんとうに俺を忘れないでいてくれる奴が一人

俺が死んだらくちなしの花を飾ってくれる奴が一人

みんな併せてたった一人、、、。

    (大光社刊『遺稿くちなしの花』から)

この詩のことを山口氏はずっと忘れることができなかった。渡 哲也の新曲をてがけることになった時、詩からにじみでる男の強さと優しさを秘めた曲を作って欲しいと依頼したのが遠藤実氏だったという。遠藤氏もこの遺稿集を読み、曲想を得て「くちなしの花」という不朽の名曲(とわたしは思っているのだが)が出来上がったのであった。

うちの庭のくちなしは例年だと6月20日頃咲くのだけれど、ことしはなぜだか遅かった。ふっと匂うので足元をみやればくちなしの白い花が咲いていた。これからこの白い花を見る度に、24歳の命を大空に散らせた若きパイロットのことを思うであろうし、『くちなしの花』を聞けば「いい歌ね~」だけではすまないことになるであろう。

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占い 大好き

_010_4 去年の11月のことだけれど、ムスメから電話があって「電話の占い、してみない?」と言うのだった。この世にそんなものがあるとは知らない私はいたく興味を持った。で、おいくら?  それは私の理解の範疇にはないくらい、お高いのだった。けれどムスメがカードで支払ってくれるというので体験してみる事にしてその時が来るのを待った。

私はT(マイ・ハズバンドのことですね)が船に乗って出かけるのを待ち、、、(そんなもん、ダメーーッ  と言うのはわかっていた) 夜が更けるのを待った。(ムスメが玄関に人が来たり、電話が鳴ったりする時は駄目だと言っていた、なにしろお高いのであるから電話を中断する訳にはいかない)

申し込みをすると受け付け嬢は「コレクト・コールがあるまでしばらく待っていて下さい」と言うのだった。ワクワク、だけどちょっとドキドキ。待つこと小1時間、やっと電話が鳴った。

ご挨拶もそこそこに先生はいきなり言った。「なぎささんねー、あなたの魂は強くて逞しくて男勝りですねー。(あら、そうかしら、そういえば小学校6年生の時、通信簿にオトコマサリと書かれていたことアル) あなたは、長女の役をしますよー(そうかなあ、私は4人姉妹の4女なのだが、ほかに意味があるのかな?)

それから先生は恐るべき事を言った。「なぎささんねー、あなたのだんな様、先に天国にいきますねー、あなたはいわゆる後家運ということですねー。」

私は驚いて急ぎ尋ねた。「それはいつごろでしょうか?」  先生は言った。「それは今すぐということではありません、まだ先のことです。けれどそれは悪いことではありません、見送るのが一番、理想的なことです。」

それから先生は聞きもしないのにTの性格について言及した。それは全く大当たりであったので私は真夜中であることも忘れて「そおなんですよォ」とかいって大きな声で笑ってしまった。

電話占いをしたことはトップ・シークレットのはずだったのに、Tが帰って来た時、わたしはつい言ってしまった。「あのね、あなたより、私の方が長生きするんだって。」

6月になって実は占いの会社?から暑中見舞いが来たのである。いつでも電話ください、お待ちしています、と書いてあった。私はまたあの先生と親しくお話したい誘惑にかられた。けれど親しくお話するにはお金がかかり過ぎるのである。しかも「H先生お願いします」、と言っただけで、ハイ、500円のご指名料である。この前、気前良く支払ってくれたムスメも今度は「いいかげんにしてよね」と言うかも知れぬ。

それでわたしは今、誘惑に引きずられないようにグーッとガマンをしているところである。だってあの先生、話しているととても楽しくて、お金の問題さえなければ「お近づきになりたいです」といいたいくらい魅力的なのである。(女の先生ですからね、念のため言っときます。)

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