お笑い大好き

Pict0034  数年前に子供たちが出払ってしまったあと、家の中はまったく静かになった。テレビは天気予報とニュースをちょっと見るとそれでおしまい。シ~~ン。そんな暮らしのおかげでブログを書く時間もあったのだけれど。

 ところが息子の一人が家に帰ってきてからというもの、なんだかそうぞうしくなった。息子はお笑い番組大好きで、ヒマさえあれば寝っころがってお笑いを見るのだ。それは島田神助であったり中学生でもわかるクイズ番組であったり、、、。ソニーのブルーレイという優れものがお笑い関係を細大漏らさず録画してくれるのだ。

 それで私もつられてぼんやり見ることが多いのだが、実を言うとあんまりよくわからない。というのはこの若い芸人さんたちはとても早口なのだ。字幕でもあればわかるかもしれないけれど。それから世情に疎いとやはり理解不能ではないかと思う。息子がアハハと笑ってもちっともおもしろくもおかしくもないので、今なんで笑ったの?としょっちゅう訊かねばならない。

 それでもこの頃では私にもひいきの芸人さんが出てきた。それは“U字工事”という栃木弁でやりとりをするお二人さんである。栃木県というのは白地図を出されても、どこだかわからないくらいなじみのない所だけれど、今では栃木県に行ってみたいとまで思うようになった。コントの終わりころに、向かって右側の人が「ゴメンねゴメンね~!」と言うときはついつい笑ってしまう。 

 “謝らなくてもいいのだけれど、謝りたくもないのだが、謝ってしまったほうが早くケリがつく”という事態が一年に一度くらいはないだろうか?そのとき、この「ゴメンねゴメンね~!」を抑揚をつけて言ってみるのはどうだろう? 「フザケルナー!」と怒られてまた謝らされるかなー?

 ところでテレビをみる、というとき、テレビは観るものなのだろうか、見るものなのだろうか。たいていテレビときたらホイ、観る、が出てくるようだけれど、わたくし的には見る、なんだよねー。間違ってたらゴメンね ゴメンね~!

 それから“赤いプルトニウム”(これは若い女の子)も好きね。この人は茨城弁。八割方しかわからないけれど、うちの次女に雰囲気が似ていて、こういうよく似た表情をすることがあるのでおもしろがって見てますよ。

 それからもう一人、好きなのが“ゆってぃー”なんですー。この人は小さいころの渾名が“ウマ”だったらしく、画面に出てきたときからそこはかとなくおかしみがあるのですね。  つづく

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神は細部にのみ宿る

Pict0131  “神は細部に宿る”という言葉に出会ったのは二年前くらいだろうか。台湾からやって来た金美麗という人が書いていたのだが、『神は細部に宿ると申しますから、日常生活の些細なことも大切にして生活しましょう』と言っていた。

 次にお目にかかったのは新聞記事なのだが、ある日本の建築家が外国のある美術史家と対談したとき(例によって切り抜きがすみやかに出てこないので、はっきりした名前がわからない) 二人は“神は細部にのみ宿る”ということに見解の一致をみて、大いに話が盛り上がった、というものであった。

 さてそれだけでは具体的にはどういうことなのかわからない。それはおそらく、キリスト教的な発想であろうと思っていたところ、ある日のこと、きれいな身なりをした女の人が二人、我が家の玄関に立ち言った。

 「私たちは聖書のことをもっと広く皆様に知っていただくために、こうして家々を回らせていただいております」 それは日頃の懸案について意見を伺うちょうど良い機会だったのだが、タイミングがじっつに悪かった。 

 それはお昼の12時前であり、台所ではうちのおかあさまが早くから「今日のお昼ご飯は何?」といってテーブルで待機していたのだった。 そんな焦っているときに、“神は細部に宿る”とはどういう意味でしょう?などとのんきに質問している訳にはいかない。申し訳ありませんが、ただいまちょっと急いでおりまして、とお帰り願ったのだった。

 ある人はそのことに関してこんなふうに言った。後世に名を残すような偉業を成し遂げた人、というのは誰でも賞賛するものだが、名を残さなくても世の中の片隅でコツコツと世のため人のために働いている人も神はちゃんとご覧になっているのだ。神は隠れた所にいて、隠れた所を見ておられるのだから。

 さて私は今のところは“神は細部に宿る”という言葉についてよくはわからないでいる。しかしながら、めんどうな、ややこしくて楽しくなくて骨が折れる仕事がある時、ほんとうはしたくないのだ。 けれどもそこに神様が宿ってござるのであれば、やらずにおくわけにはいかない。

 ではいっちょう気合を入れてやることにするか、と自分のお尻をたたいてやりだすときの呪文に“神は細部に宿る 神は細部に宿る”と唱えることにしているのである。

 

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手でアイロンを

Pict0148 ある朝のこと、洗濯物を干していると、ご近所のおばば様が手押し車をおしながらやってきて、それに腰かけると、私が乱暴にバサバサと(はやければいいのだ)干すのをじっと見ていた。

それからおもむろに言った。「私はね~、タオルなんかは縦に伸ばし横に伸ばし、パンパンと叩いてキチーンとたたんでから干したものでしたよー。それからね、息子達のカッターなんかもね、広げて皺をのばし、手でアイロンをかけて干したもんです。それで皆さんが私の洗濯物を見て“○○さんの洗濯物はいつ見てもきれいですねー”と言われたもんですよー」と誇らしげに言うのだった。

お言葉ですがワタクシ、手でアイロンしなくちゃいけないものなんか干していません。たかがタオルを、なんでそんなに手間ヒマかけて、叩いたり伸ばしたりしなくちゃなんないの。手や顔を拭くだけでしょうが。それにカッターなどは形状記憶になっておりますのよ。と私は言いたいのだがガマンガマン。

かわりにこのおばば様を褒めたたえることにした。じっさいのところ、このおばば様のうちは食料品店を経営していて、大変に忙しいうちであったのだ。「ふつうのうちの三倍も忙しかったのに、ていねいな暮らしぶり、誰にもマネをできないことをよーくやってこられましたねー!」

そんな話をやっとのことで終わって家にはいると、お姑さまが言った。私の若いころはねー、川に洗濯に行ったものですよ。水が冷たくてねー。手がちぎれるくらいに痛かったもんです。(それにくらべると、この頃の若いもんときたらー、、、)

考えてみると、洗濯に関して、女たちの世代間の思い入れはずいぶんと落差があるものだ。電気洗濯機もずいぶんと進化した。小さいころ、家に初めて洗濯機にローラーがついたものがやってきたときのことを思い出す。それに衣類を挟み込みゴリゴリまわしながら脱水するのだが、欲張ってたくさん挟めばこれはなかなか動かず苦労した。急がば回れ、で少しずつはさめばいいものを、どっさり詰め込んで大汗をかいたものだ。

この頃では乾燥機がついたものが主流だという。ところがある若い人が、(実は我が娘なのだが)ウールのセーターをうっかり洗濯、乾燥してしまい、縮んで小さくなってしまったそうだ。それは知人の小学一年生の娘さんに差し上げたら喜んで着てもらっているそうである。それはそれでいいのだが、なんとまぁ迂闊なことよ、と私などは思ってしまう。もっとしっかりしなさい!と喝をいれたいのだが、時すでに遅し、、、だ。

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たかが洗濯 されど

 Pict0141_2                                         用事があって近くのNさんのうちへ行き、そこの若いお嫁さんが洗濯物を干すのを見ていた。そこには3歳くらいの坊やがいるのだが、洗濯物のかごの中からは、その子の脱いだ物がそのままの形で出てきた。パンツとズボンはいっしょに。下着とトレーナーも重なったまま。靴下はコロンと丸まったまま。それをほぐしながらお嫁さんは干しているのだった。

うちの嫁さんがそういうことをしていたら、ココロ穏やかでいられるだろうか。私的にはインナーとアウターは分けて洗って欲しいものである。靴下は特にしっかり洗って洗濯機に入れて欲しいものなりよ。

しかし私の姑ともだちが言っていたけれど(私はまだ姑になったことはないが)この頃の嫁というのは、ちょっと注意したり教えたりすると、「私には私の流儀があります」だの「今は時代が違います」だのと反駁してくるそうである。だから家庭の平和を守るためには、なぁ~んにも言わないほうがいいのだとか。(以上、現役のヨメなのにちょっと言ってみました)

何年か前のことだけれど、遠縁の娘さんが二人、我が家に一週間ほど、遊びに来ていたことがある。ジーンズが干してあるのを見たら、竿にアラヨッという感じで二つ折りにして投げかけてあるのだった。こういう干し方では腰周りのポケットなど、ゴテゴテとしたところがいつまでたっても乾かないであろうし、ヘンなところが日に焼けたりもするであろうから、ちゃんと裏返しにして干したいものである。テレビで言っていたが、ズボンなどは人が穿いている姿のようにして干すのがベストだそうである。だからピンチハンガーのような物に吊るすのがいいのだ。

言うか言うまいか迷ったけれど、お嬢さんたちについに「こうした方がいいんじゃない?」とやさしくていねいに言ったら、おメメを丸くして「えーっ!そうなんですかー?」と驚いていた。あら、そんなコトもおかあさんは教えないの?と言いたくなるが、実は私も娘たちにそんなことを教えたりはしなかったのである。そういうことを言う間もなく、高校を卒えたらささっと出ていってしまったのであった。つづく

さて写真はうすいピンクの色をした孔雀サボテンにてございます。今年初めて一個だけ咲きました。来る人ごとに見せたり、写メールで送ったり大騒ぎでしたー^^

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木村秋則さんの『奇跡のリンゴ』

Pict0138 はじめ『奇跡のリンゴ』の本の表紙を飾る木村さんの笑顔を見たとき、私は80歳くらいのおじいさんかと思った。ところが1949年うまれとあるから、まだ60歳にもなっていないのである。野外での作業によって日にも焼けるであろうし皺も深くなるであろうけれども、歯がないのには驚いてしまった。

木村さんはリンゴの葉と自分の歯を引き換えにした、と笑っているそうだが、木村さんはもう貧乏ではないのだし、今では日本国内はもとより海外まで、講演や農業指導に出かけられるそうなのだから、歯がなければ発音が悪かったりして、聞き取れないこともあるのではないか。やはりちゃんとメンテナンスなさったほうがよろしいのでは、と私は言いたいが、まぁいいか、よそのうちのだんな様のことだから、、、。

さて木村さんは無農薬、無肥料でのリンゴ栽培に挑んで6年目にして自殺することにした。農薬に代わるあらゆる物を使って実験をしてみたが手ごたえはなく、一家は窮乏のどん底にあった。

津軽のリンゴ生産農家で800本のリンゴの木を所有していればお大尽とよばれ、バーへ行けば上客、雪の積もる冬にも出稼ぎなど行かずとも裕福に暮らせる身の上ではあった。それなのに今では“かまど消し”と後ろ指をさされ、水田は売り払ってしまい7人家族が満足に食べる米もなく草を食べる日もあったのだ。親戚からの冠婚葬祭にもお呼びはかからなくなった。しかも木村さんは入り婿である。義父母も妻もこの試みに一言の反対もせず、どん底の生活を共に耐えてくれていた。

自分がいなくなれば、今よりも家族は幸せに暮らせるであろう、、、。木村さんはロープを肩にかけ岩木山を登った。満月の夜であった。2時間ほども登りちょうどいい具合の木を見つけると、持ってきたロープを枝に投げた。

するとそのロープの端があらら、指をするりと抜けあらぬ方向へ飛んでいった。この期になってもヘマをする、と思いながら山の斜面を降りかけて、木村さんは冴えわたる月の光の中であるものを目にしたのだった。それは天啓のごとくに木村さんに次になすべきことを教えてくれた。 

木村さんがそれまで見ていたものはリンゴの幹、枝、葉など地上に出ているものであった。けれど岩木山へ行き、山の木々が農薬もふらないのに青々と葉を繁らせているのを見て、目に見えないリンゴの根、土壌の働きに目を向けねばならないことに気がついたのであった。

そうして苦節9年目にしてようやくのことで白いリンゴの花が咲き、11年目にやっとのことで、こぶりながらリンゴを収穫することができたのであった。めでたしめでたし。

我が家にリンゴの花が咲いた、という話をしていたらある人が、○○さんのうちにもリンゴの木があるよーと教えてくれた。さっそくその木を見に行ってきた。幹は15センチほどの太さで枝は茂り、20個ほどの実をつけていた。かわいいねー。(写真がそうです)それで五島でもリンゴの実はなるのだということがわかった。するとうちのリンゴの木にも実がなる可能性があるということなのだ。それで私は前にもましてうちのリンゴの木に声をかけることにした。「来年は花を咲かせて実もならせてねー」と。

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リンゴの白い花が

信州を旅したのは19の秋。初めて松本駅に降り立ったときの凛とした冷気は忘れられない。深々と霧が立ち込める美ヶ原を歩いたものだ。そのときPict0113 リンゴの紅い実が生っているのを初めて見たのだった。なんとかわいいのだろう。それは道端にぽつんと立っている一本のリンゴの木だったのだが、誰に採られることもないらしく、たわわにみのっていた。

それからというもの、リンゴの花が咲く季節にまた、信州を旅したいと思い続けてきたが、この歳になるまでその機会にはめぐまれていない。

おととしの今頃のこと、園芸店でリンゴの木を見かけた。三割引で660円也。王林とつがる。植える所もろくにないのにと思いながらも買わずにはおれなかった。実なんかならなくてもいい、花さへ咲いてくれれば、、、。そんな気持ちだった。

ひょろ~んと長いだけの苗木を持ち帰り早速植えた。狭くて日当たりのよくない場所しかなかった。そして今年、五月にはいってすぐ、そのうちの一本(それはちょっとは日当たりのましな方の木だったのだが)にたくさんのつぼみがついているのを見た。

数えたら全部で40個もあった。リンゴのつぼみは初めは紅い球体だった。ほころびはじめるとだんだん薄紅いろ、そして開ききるとほとんど白くなってきた。私は木村さんのようにリンゴの木に声をかけた。

「リンゴの木さん、花を咲かせてくれてありがとう。来年もまた花を咲かせてねー」 さすがに実をならせてねー、とまでは言えなかった。

木村さんとは世界で初めて無農薬、無肥料でのリンゴの栽培に挑戦した人である。農薬で作ると言われるくらい、リンゴの栽培にはきめ細かな農薬散布を必要とするそうだ。『防除暦』というのがあってそれにしたがってせっせと農薬を撒くのである。そうしないとリンゴは病害虫に負けて立派なリンゴを生産できなくなるのだ。

通常は春先のリンゴの発芽前から農薬の散布が始まり、秋の収穫期の約半年の間に十数回の農薬を散布するそうだが、木村さんはその一切をやめてしまったのだった。

木村さんが「枯れないでくれ」と頼んで回ったリンゴの木は、枯れた木もあったけれども枯れない木もあった。けれど、声をかけなかった木はおしなべて枯れてしまったというのである。それらの木は道路沿いであったり、隣のリンゴ園との境に面していたために、木村さんが気後れして、声をかけることができなかった木たちであった。木村さんはリンゴの木に話しかける姿を、周りの農家にみられたくなかったのだった。

そうか、木にも人の心は伝わるのか。私は育てている花々、木々、それらのすべてにこれからは声をかけることにした。  つづく。

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あの日に戻って

Pict0080 今朝ラジオを聴きながら仕事をしていたら、こんな川柳が紹介されていた。“プロポーズ あの日に戻って断りたい” 私は思わず一人で笑ってしまったのだった。

女にとって、いや男にとってもだろうけれど、結婚というのは乱気流に突入するのと同じくらいに一大事である。それまで親の庇護のもと、のんきに楽しく無責任に暮らしていたのが、にわかに、もろもろの煩雑な事態に丸腰で対処しなければならないことになるのだ。

皇后様が「こんなおうちに嫁いでこなきゃよかったわ~ほかに選択肢もあったのに~」などと思われたことがあったかどうかはわからないが、このたびめでたくも結婚五十周年を迎えられたという。

私は新聞記事で天皇陛下のお言葉を検証してみました。

『私は家庭生活をしてこなかったので、皇后の立場を十分に思いやることができず、加えて大勢の職員と共にする生活には戸惑うことも多かったと思います』 さて私はほとんど考えたこともなかったのだが、皇室の方々は大勢で暮らしていらっしゃるというのか。それはまるで、年がら年中合宿をやっているようなものではないだろうか。

クラブ活動の合宿だったら私も経験がある。それははじめのうちこそ楽しいが、日にちがたってくるとだんだん疲れてきて、早くオウチへ帰りたい、と思うようになるものである。

しかもそこでは沢山の人が皇后様の指示や決定を待っているであろうから、「まー今日は大変な一日だったわ~」と言ってのんびりしている暇などないことであろう。それに家の外でも中でも人目にさらされ続ける、というのでは身も心も休まるときがないであろう。

それでも皇后様は『何事も静かに受け入れ』られたのである。何事も静かに受け入れることができない私。しょせん庶民レベルの出来事ではあるが、なぜ?どうして?とジタバタするか欝っぽくなるかして、受け入れるまでにはそうとうな時間がかかるのだ。静かに受け入れられた、と聞いただけでも皇后様の偉大さがわかるというものである。

さて最後にきわめつけの川柳をひとつ。(どこかで読んだのですが)

“玉の輿 乗ったつもりが欠陥車”

もうほんとに、言いたい放題ってかんじですねー^^ 私たち皇后様の爪の垢を煎じて飲んだほうがいいんじゃないでしょうかー。

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三人の殿様に

Pict0086 長男が家に戻ってきてくれたのは喜ばしいことであったが、三人だったのが四人に、家業も二つという状態になると、私の賦役も大幅に増えて、なかなか忙しい日々を送ることになった。

久しぶりにKさんと出会った。Kさんは我が家から二番目に近い隣人である。一人暮らしということもあり、到来物のおいしいものなどがあるときはKさんの所へ持って行き、20分ほどはおしゃべりを楽しんだものだった。けれどもこの頃ではそんな時間もなくなっていた。

私はKさんに言った。「この頃ぜんぜん余裕ないんですー」するとKさんは言った。「そうでしょうよ。なぎささんは三人のお殿様に仕えているんですもの、忙しいはずですよ」

え?三人の殿様に? そう言われてみると、、、。そんな気がしてきたぞ。三人が暴君だというわけではないが、有言無言の要求、強制によって、したくもないことをしていることは多々あるのだ。

たとえば、「今日はトーストとコーヒーだけでいいんじゃない?」と私自身は思う日でも、旅館で出されるようなヘビーな朝ごはんを並べざるをえない、ということもあるし、磨きたくもない鍋の底をみがく、ということもしょっちゅうなのだ。

そうなんだー、今まで気づかなかったけれど、わたしって三人のお殿様にお仕えしてたのね、かわいそうななぎさちゃん!

それで私は夫に言った。「今日、Kさんに会ったんだけど、なぎささん、三人のお殿様に仕えて大変でしょう?って言われたのよー。それからね、(これより先はなぎさの創作)このあたりで、なぎささんほど朝から晩までよく働く人はいないと思う、って言ってた。ホントに世間さまってなにもかもよくご存知なのねー」

それを聞いた夫は言った。“自分は一度として、お殿様のように仕えて貰った覚えはない。それどころか、じゃじゃ馬の女房のご機嫌をとるために、朝から晩まで、馬車馬のごとくに働いておる”と、まぁこんなふうに言ったのですね。

それを聞いて私はへーっと驚いた。現象は一つなのにどうしてかくも主観に落差があるのだろう。私は滅私奉公してるつもりなんですけど。ぶー。

そういうオソマツなやりとりをしているころ、私は天皇皇后両陛下の記者会見をテレビでみた。両陛下は物静かに、かつにこやかに、感謝状をおたがいにやりとりなさっているのだった。

皇后様などは「これだけでは足りないような気持ちがするのですが、このたびも感謝状を」と限りなく謙虚でおくゆかしくいらっしゃる、、、。     つづく

    

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背中があつくて困りました

 Pict0004_2  四月17日から20日までマゴに会うために大阪まで行ってきた。さて今度はどんな持ち物にしたらいいのだろう。とりあえず長崎まではキャリーバッグをひっぱり、着いてからは友達と数軒の店をまわり、手ごろなリュックを探した。というのは私のキャリーバッグは頑丈なのはいいが、重たくてしょうがないのだ。エスカレーターなどでヨイショと持ち上げるときにとても重たい。それにしばしば置き忘れる。

これなら、と思うリュックには赤、黒、ベージュ、の三点があった。さぁどれにしようか。友達の助言もあって、私は赤(少々黒い部分もある)のリュックを買うことにした。というのはもう黒やらベージュやらうんざりしてきていたのだった。衣類の引き出しをあければ茶系統や黒やグレーの服ばかりで、今まではこれがシックでよろしい、と思っていたのだが寄る年波のせいか、いささか反動があらわれたのか、だんだんイヤになってきたのだ。

キャリーバッグは友達に預けることにして、中身を赤いリュックに詰め替えた。キャリーを引っ張って行くのとどっちがラクチンだったろうか。小さな子供の手を引いて歩くのとおんぶして歩くのは、おんぶするのが断然安全安心なように、人混みの中ではやはりリュックのほうが歩きやすかったように思う。

ところでこの頃のヤンママは、家の内でも外でも赤ん坊をおんぶなどしないのだそうですね。おんぶしないでどうして家事が片付くものかと私は思うのだが、よほど要領がいいのだろうか、さもなくばろくに家事をしないのだろうか。

さてリュックをしょって歩いた大阪は日中とても暑かった。街中はまるで真夏のような暑さで、リュックを背負った背中は熱くてしようがなかった。暑い時のリュックは考えものだなー。軽くて明るい色のキャリーバッグを探してみるかな。

さておみやげとして、マゴには平山和子作『イチゴ』という絵本。ムスメには俵 万智著『かーかん はぁい 子供と本と私』を持っていった。訊いてみるとマゴは保育所では絵本を読んでもらうのが大好きらしいのに、家ではなんにもしていないというのだ。ムスメは1年たって仕事に復帰したのだが、子供に本を読んでやる余裕がまだないらしいのだ。

そんなんじゃダメでしょ。ほらこの本読んで。万智さんみたいな才媛と同列にはいかないと思うけど少しはマネしてみたら?万智さんによると、1才の男の子でも雑誌のグラビアのかわゆい女の子をじーっと見入っていることがあるそうだ。赤ん坊だと思ってあなどるべからず。

忙しいなりに親子三人で仲良く暮らしているようなので、安心して、こんどはリュックを忘れることなく首尾よく帰ってきたのでした。

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こう忘れっぽいのでは

027 三月の終わりころ小さな旅をした。羽田空港に着いて迎えに来ているはずのムスコの姿を探すが見当たらない。携帯もうっかり充電切れで、やっとのことで公衆電話を探し出しコールすると、今まで寝てました、の声が聞こえてきた。

京急線に乗って品川乗換え新宿東出口まで一人で来てよね、と言うのだ。えーっ京急線だなんて初耳。おのぼりさんのおっかさんをなんと心得ておると言いたいところだが、気を取り直し前進することにする。

切符を買おうとしたところで気がついた。これまで引っ張ってきたキャリーバッグ(これより省略のためキャリバ)を公衆電話の前に忘れてきているのだった。

あたふたと走って行ったら、、、おりこうさんにちゃんと立って待っていてくれた。中にはムスメの卒業式に着ていくべく、春の装いをばっちり詰め込んできているのだった。(ところがその当日、26日はめちゃくちゃに寒くてとても伊達の薄着をする気にはなれず、とうとう出番なし)

さて、このキャリバを忘れてしまったのはこの時ばかりではなかった。4泊5日の旅をほぼ終えてさぁこれから五島行きの船に乗ろうか、という時。なんとタクシーのトランクにキャリバを忘れてきているのに気がついた。タクシーの運転手さんも忘れていてさっさと走り去ってしまったのだった。

さぁどうしよう!ここまで来て船に乗り遅れました、と言ったんでは家の者に「アホか」と言われるに違いない。出航まであと10分だ。

するとその近くにタクシードライバーの人たちが数人タバコを吸いながら話していた。青くなって「荷物が~」と言う私に、どこから乗ったのか、何色の車だったのかなど訊いてテキパキと連絡を取ってくれたのだった。その車が戻ってくるまでに5分くらいはかかっただろうか。すぐにお客を乗せていたらとてもこう首尾よくはいかなかったにちがいない。

脱兎のごとくに走り出した、といってもキャリバをゴロゴロと引っ張るのだから思うようにはいかないのだが、なんとかセーフで間に合った。あぁ良かった~ついてた~!

それから私は考えた。これから旅をするなら荷物を極力少なくするのも一考すべきだが、リュックサックを背負うというのはどうだろう。旅はハイキングスタイルでルンルン!素敵なリュックサックを探してみることにしよう、、、。と思いつつ或る人に相談したら「戦時中じゃあるまいし、そんな格好じゃみっともないですよ」ときた。

そうねぇでもこう忘れっぽいのでは、格好の良し悪しなど言ってはおれないのだ。

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