人にまみれて生きる
この頃ではなかなか一冊の本を読む時間もなくなってしまった。どうしたらいいのだろう、と考えて実行したのが
車に乗り込んだらすぐには発車せず、2~3ページちょこちょこと読む。用事を終えて車に乗ったらまた少々読む。洗濯物を干しているふりをして車庫の陰でちょちょっと読む。
そういういじましい努力をして読んだのが曽野綾子著『晩年の美学を求めて』だった。するとそこには書いてあったのだ。“しかし私たちは人と関わらずには生きられないのである。受けて与えて、ごちゃごちゃになって、何だか知らないけれど人にまみれて生きた、という人生を送って、人は初めて豊かな晩年に到達するように思う”
そうであろうと私も思う。大勢の人の中でもまれ、与え与えられ、一所懸命にやっていたらかならずや輝かしい晩年が訪れるであろうと。
けれど私はもううんざりするほど人にまみれてやってきたのだ。晩年くらいは一人静かに孤独と自由を味わいたいものである。
私はムスコとムスメに言ってみた。「おかあさんねー、70になったら一人暮らししたいんだけど」 すると彼らは言った。「それはいいねー、是非そうしたら?」
ついで夫に言いました。「一人暮らしするからついて来ないでー」 彼は言いました。「いいよー、好きなようにしてー」
あらら、どなたもお止めにならないのですね?よしっ、それではとしゃかしゃかと電話をして、癌とメタボの検診の予約をした。検診などもう何年もしていないが元気で溌剌と一人暮らしをするためにはなんといっても健康第一だい。
わぁなんだか元気がでてきたぞ。死にゆく日は神のみぞ知るで予測がつかないが、一人暮らしをする日を自分で70歳と設定すれば、それまでにするべきこと、なすべき心の準備はいくらでもあるではないか。
と機嫌よくすごしていたある日のこと、それは8月6日のことだったが、私は朝の10時ころだったか、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。ムスメはそれは狭心症の軽いのでしょうと言っていたが、、、二時間くらいは起き上がれなかったのだった。ムムーッ、こんなところに伏兵がおったとはー!
さてそのことがあってから私は一人暮らしの案件を一時保留にすることにした。癌で死ぬまでにはいささかの持ち時間があるだろうが心筋梗塞かなんかだったら一人でいったいどうしたらいいのだろう?と不安になったのだ。
曽野綾子さんは言っている。どんな環境を与えられたとしてもそれをいやだと放り出すのではなく、知恵を才覚を尽くして神から与えられた人生をまっとうするのがよろしいと。
そうなのだ。晩年すなわち老年とは限らない。今日明日死ねば今はれっきとした晩年である。今が晩年であると思えば今日一日を清々しく機嫌良く楽しくすごさなければ全くソンな人生であった、ということになる。知恵と才覚を尽くして今日一日を楽しく過ごす。そんなことを曽野さんは教えてくれたのでした。
| 固定リンク | コメント (8) | トラックバック (0)










最近のコメント