人にまみれて生きる

Tenntyann_032 この頃ではなかなか一冊の本を読む時間もなくなってしまった。どうしたらいいのだろう、と考えて実行したのが

車に乗り込んだらすぐには発車せず、2~3ページちょこちょこと読む。用事を終えて車に乗ったらまた少々読む。洗濯物を干しているふりをして車庫の陰でちょちょっと読む。

そういういじましい努力をして読んだのが曽野綾子著『晩年の美学を求めて』だった。するとそこには書いてあったのだ。“しかし私たちは人と関わらずには生きられないのである。受けて与えて、ごちゃごちゃになって、何だか知らないけれど人にまみれて生きた、という人生を送って、人は初めて豊かな晩年に到達するように思う”

そうであろうと私も思う。大勢の人の中でもまれ、与え与えられ、一所懸命にやっていたらかならずや輝かしい晩年が訪れるであろうと。

けれど私はもううんざりするほど人にまみれてやってきたのだ。晩年くらいは一人静かに孤独と自由を味わいたいものである。

私はムスコとムスメに言ってみた。「おかあさんねー、70になったら一人暮らししたいんだけど」 すると彼らは言った。「それはいいねー、是非そうしたら?」

ついで夫に言いました。「一人暮らしするからついて来ないでー」 彼は言いました。「いいよー、好きなようにしてー」

あらら、どなたもお止めにならないのですね?よしっ、それではとしゃかしゃかと電話をして、癌とメタボの検診の予約をした。検診などもう何年もしていないが元気で溌剌と一人暮らしをするためにはなんといっても健康第一だい。

わぁなんだか元気がでてきたぞ。死にゆく日は神のみぞ知るで予測がつかないが、一人暮らしをする日を自分で70歳と設定すれば、それまでにするべきこと、なすべき心の準備はいくらでもあるではないか。

と機嫌よくすごしていたある日のこと、それは8月6日のことだったが、私は朝の10時ころだったか、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。ムスメはそれは狭心症の軽いのでしょうと言っていたが、、、二時間くらいは起き上がれなかったのだった。ムムーッ、こんなところに伏兵がおったとはー!

さてそのことがあってから私は一人暮らしの案件を一時保留にすることにした。癌で死ぬまでにはいささかの持ち時間があるだろうが心筋梗塞かなんかだったら一人でいったいどうしたらいいのだろう?と不安になったのだ。

曽野綾子さんは言っている。どんな環境を与えられたとしてもそれをいやだと放り出すのではなく、知恵を才覚を尽くして神から与えられた人生をまっとうするのがよろしいと。

そうなのだ。晩年すなわち老年とは限らない。今日明日死ねば今はれっきとした晩年である。今が晩年であると思えば今日一日を清々しく機嫌良く楽しくすごさなければ全くソンな人生であった、ということになる。知恵と才覚を尽くして今日一日を楽しく過ごす。そんなことを曽野さんは教えてくれたのでした。

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やさしさとかいしょのなさが

Tenntyann_028 MさんがYさんのところへやってきて離婚の相談をしたそうだ。夫の性格が悪いので離婚したいのだと。Yさんは言ってやったそうである。「あのねー、離婚ってたいへんなエネルギーを消耗するのよー。それよりお金を貯めたら?楽しいわよぉ~、ダンナの性格の悪いのなんか気にならなくなるから」

Mさんははじめ驚いたそうだがやがて納得して帰り、それ以後、離婚の話はしなくなったそうである。私はMさんの夫のことは少しだけ知っているが(家庭内でどれほど性格が悪いかは知らない)外でよく働き、沢山のお金を稼いでくれるいいひとだから、別にィ、別れなくてもいいんじゃない?と思ったものである。

小林幸子のヒット曲に『雪椿』というのがある。作詞家 星野哲郎は「あなたのおかあさんはどういう人でしたか」とつらつらと訊き出し、それから作詞にとりかかったそうである。幸子さんは出来上がった曲を初めて歌ったとき、母を想い涙が止まらなかったということである。

その歌詞を読むと、幸子さんのお父さんというひとは、やさしくて力持ち、温厚で申し分のない人柄のように思われる。ところが残念なことにカイショがなくて、おうちに十分なお金を持ってきてくれないために、お母さんは大変な苦労をしたのであった。“そんな男に惚れたのだから 私がその分がんばります”と言って“寝顔を誰にも見せない”ようにして働いたのであった。

そんなおかあさんでも一年のうち10回くらいは「やさしくなくていいからカイショのある夫がいい」と思ったりしなかっただろうか。

この世に二つ、いいことはないのである。夫がやさしくてカイショがないか、やさしくなくてカイショがあるかどちらかだ。ウゥン、うちの人はやさしくてカイショありなのー、という女の人もいるかもしれないが、そんな人は百万人に一人いるかいないかの幸運の持ち主なのだから、もっともっと天に感謝したらよろしい、と私は思う。

ではなぎささんちの夫はどうなんですかぁー、と訊かれても、、、あのぉそのぉ、、、これはいろいろ差し障りのあることなので、ここで発表するわけにはまいりません、と申し上げておきます、ごめんなさいね。

さて写真は本文と関係ありません、、というかよそ様のゼラニュームですね。

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こんな夫もいる(3)

Tenntyann_107 Oさんは定年退職して3年目か4年目だが、退職してにわかに農業に目覚め、友人と畑仕事をして楽しんでいる。以下はOさんの奥さんのSさんから聞いた話である。

ふつうの人だったら、、、(とSさんは言った)ジャガイモを掘って家に持って帰ってきたら、ジャガイモを車から降ろすよねー。ところがうちのダンナときたら降ろさないのよねー。

先日のある日のこと、Oさんは愛車のMAXの後部座席を倒して、プラスティックのケース二杯分のジャガイモを収穫してきた。二段に積んで上段にはジャガイモを山盛りに積んでいたそうである。なぜかOさんはジャガイモをそのままにしてお風呂にはいり、食事をして、黒い服に着替えると知人のお悔やみに出かけた。

次の日の午前中もMAXを駆ってあちこち出かけ、昼になるとご飯を食べ、黒い服に着替え、二時にはお寺へ葬式に出かけた。ジャガイモとともに。帰ってくるとまた着替えをし、どこかへ出かけた。

夕方になって玄関で夫が大きな声で呼ぶので何事かとSさんが急いで出てみるとなんと車の中はジャガイモの大洪水だった。ちょっと危ないことがあって急ブレーキをかけたら、後ろに積んでいるジャガイモが雪崩れのごとくに運転席の方までゴロゴロと押し寄せてきたのだそうだ。

Sさんは夫のふだんがふだんだけに「知らないっ!一人でやって!」とあっちを向いていたそうだが、日も暮れてくるのでとうとう手伝うことにしたのだが、ジャガイモを集めたり、掃除機をかけたりとたいそう手間ひまかかったそうである。夫ときたら、「この車もそろそろ掃除をする時期だったんだよねー」とのどかなことを言っていたのだそうだ。

さて夫のOさんのふだんがどうであるかというと、、、テレビの前の定位置に陣取ったOさんは、何でも手が届くところにないと機嫌が悪く、360度回転する座椅子に座ったまま用を足し、ゆえに居間は片付くときがないのだそうである。

Oさんのことだぁ~い好き!といって、職場結婚したSさんなのだが夫がこーんなにものぐさだとは知らなかった、と言っていた。

そ、そうなのよねー。ヒトって同じ屋根の下に暮らしてみないとわからないことっていっぱいあるのよねー、と私も大いに同情したのでありましたが。

この世のさまざまな修行の中でも最大のものは何か、というとそれは“共同生活”だそうである。「共同生活は最大の忍耐である」という言葉も生まれたそうである。人それぞれに修行があるものみたいですね。

さて写真は去年の秋訪れた秋篠寺にて、畏れ多くも三つほど押し頂いてきたクチナシの実を、埋めておいたところ発芽してきたものです。かわいいでしょ。

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ヘイヘイじゃなくハイと言いましょう

Tenntyann_029 うちのおかあさま(マイ姑)という人は人のすることなすことをじっと見ていて、いろいろ注意したり教えたり、説教をしたりということがだぁ~い好きな人である。

初めて夫の母なる人に会ったとき、とてもじゃないが逆らってみても勝ち目がないと確信を得た私は、何か言われたら自動的に無条件に「ハイ」と言いましょうと決心をした。

ところがなかなか素直に「ハイ」と言いたくないときがある。それで、そぉーんなこと、わかりきったことでございましょ?と言いたいときは「ハイハイ」と言ってみたり、モウうるさいな~、しばらく黙っててくださいません?と言いたいニュアンスを漂わせたいときは「ハイハーイ」と言って少々抵抗してきたものであった。

数日前のこと、うちの息子(すでに30歳をすぎている)を相手におかあさまの“言葉遣いはかくあるべき”というレクチャーが始まったとき、息子はハイハイと神妙に拝聴しているようにみえた。私はオー、我が子ながらあっぱれなるかな、うるさがりもせずハイハイと聞いておるではないか、と思いながら近づいてみると、なんと息子は「ヘイヘイ」と言っているのだった。

で私はあとで息子に言った。「あなたさぁ~、風呂屋の三助じゃあるまいし(今どきそういう職業があるとは思わないが)ヘイヘイはないでしょう、ちゃんとまじめに聞かねば」と立派な母親らしくたしなめたのでありましたが、この「ヘイヘイ」は何度思い出しても可笑しくて一人でアハハと笑っておりました。

つい先日のこと、マゴ(娘の子供で生後4ヶ月)を抱っこしているとき、にわかにこのヘイヘイを思いだし、クククと体を震わせて笑い出したら、眠っていたマゴがびっくりして目を覚まし、何を思ったのかニッコリと笑ったのでしたー^^

さて写真は綿(ワタ)の種が芽を出してきたものです。真ん中にぽちんと赤い色がついていてなんとも可愛らしいのです。

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春の風のように

012 30数年前、五島へ来た頃、近くに90歳を過ぎてもなお「この家ではワタシがタイショ(大将)」といってはばからない豪気なばばさまがいた。もう何十年も息子夫婦の庇護のもとにあるのだから「ワタシがタイショ」もないと思うのだが、なんだか知らないけれど一人で威張っているばばさまだった。

そのうちのお嫁さんという人は、もと先生だったので、私たちは「先生」と呼んでいた。笑顔でいそいそとよく働き、ばばさまがどんな嫌味を言っても辛らつなことを言っても、柳に風と受け流し、口でも顔でも反発してみせる、ということはなかった。それを見ていて、私はよく “気に入らぬ 風もあろうに柳かな” という川柳だか都々逸だかを思い出したのだが、先生のまわりにはそよそよと春の風が吹いているかのようだった。

ある日のこと、私は用事があって先生のうちへ行きあがりこむと、ばばさまがコタツでうたた寝をしているのを見た。それに気づいた先生は、つと立ち上がると奥へ行き、ばばさまのはんてんを持ってくると、やさしく肩にかけてやったのだった。いつも理不尽なことを言っては先生を困らせているばばさまなのに、先生はそんなことを気にしているふうはなく、徹底的にばばさまに尽くしているのだった。

私はほかの人から聞いたのだが、このばばさまは最晩年、先生のうしろ姿を手を合わせて拝んでいたそうである。死ぬ日まで口の悪かったばばさまだけれど、先生の真心はしっかりばばさまの心に届いていたのだろう。

生きた観音菩薩さまみたいな先生のすることなすことを、いつも見ていたのだけれど、私はちっとも先生みたいな心優しいヨメにはならなかった。したがってうしろ姿を拝まれる、、、というようなこともないであろうなぁ~と思われる。

私のヨメ友達もみな、「先生は偉かったねー、でもああいうふうにはなれない」と口々に言い合っている。なれないはずだよね、だって先生は観音菩薩さまの化身なんだから、、、。今、先生はF市に住む息子さん夫婦のところで幸せに暮らしていらっしゃいますよ。

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怨憎会苦 会いたくないひとに会わねばならぬ苦しみ

013 つい最近まで私はお釈迦様の教えの“四苦八苦”は全部で12この苦があるのかと思っていたが、実際は8こ、なのだそうである。まず生老病死といわれる四苦、それからこれは精神的な悩みであろうか、あと4つの苦しみをお釈迦様は計上されたのだそうだ。

私はそのなかに“会いたくない人に会わねばならぬ苦しみ”がある、と知ったとき、いっぺんにお釈迦様に親愛と尊敬の念を抱いたのであった。お釈迦様が悟りすました、はるかかなたの雲の上の方ではなく、我々と同じようにつまらぬことで泣いたり笑ったり、腹を立てたりかんしゃくを起こしたりする生身の人間であったのだ、という認識を得たからである。

さて私はこの世に「できることなら会いたくない」と思ってしまう苦手な人(女性なのだが)がいる。その人に会わねばならぬと思うと、2~3日前からアタマの働きが鈍くなり、体も固まってくるような気がしてくる。そのうち息絶えだえになり瀕死の白鳥?状態になるので、わが夫などは「あの人はなぎさの天敵だねー」と言って笑うが(笑うな!)なんと言われようとどうしようもない。

お釈迦様も「アイツにだけは会いたくないものよ、会わずにすむ手立てがないものか」と煩悶されたのだろうか。人並みに苦しまれたのであろうなー。これは自分で味わってはじめてわかる感情であって、頭で考えて「人間にはこういう苦しみがあります」と言えるようなものではないと私は思うのだ。

私の‘天敵’から、とって食われる訳じゃなし、切り裂かれるわけでもないのに、ひたすら怖いのはどういうことなのだろう、、、と鈍いアタマで考えてもわからず、、でもやっとわかったことがある。それはその人の発する言葉が怖いのだなーということがだんだんとわかってきたのである。

言葉…あなおそろしや、言葉は人の心を生かしもするし殺しもする。「なぎささんてワタシの天敵なのよー」と陰でひそかに言っている人がいるかもしれない。はじめに言葉ありき、という。言葉には言霊(ことだま)がこもるのだそうだ。言葉使いには注意しようっと!と自戒しながらついつい後悔のほぞをかむようなことを言ってしまうのだよねー困ったもんだ。

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できることなら順番に

004 私は亡き両親の介護らしきことは一度もしないうちに別れてしまったのだが、それは兄や姉たちが、五島は海外だとみなしてくれて、なにひとつ要求してこなかったのに甘えてしまったからである。

けれどふつうは老いた親の介護をめぐっては夫と妻、兄弟姉妹、親戚などの間ですさまじいほどの葛藤がくりひろげられるものである。そのうんざりするほどのごたごたは介護時代に突入している私のヨメ友達をみていてもその大変さがよくわかる。

年老いた人間のなにが一番大変かといえば、それは排泄問題であるらしく、よるとさわるとこの話で盛り上がる。今は紙おむつという便利なものがあるが、これも表と裏を間違えて穿いてしまえばあふれてしまうし、ビショビショになったものを後生大事にタンスの中にしまいこんだおばあちゃんもいる。なにをしでかすかわからないからと見張っているのも疲労困憊であろう。

いざ介護に直面すれば私などは「どうして私ばっかりこんなことしなくちゃならないのっ!あなたの親でしょ?(ワタシほとんどお世話になってないのよ)」と叫ばずにいられないのではないか、夫とは大喧嘩、冷戦、はては別れ話に発展するであろう、、、と自信もなにもないのである。

中江衆一著『黄落』は介護をテーマにした私小説風ものがたりである。こんなこと書いてしまっていいのだろうか。これが実話だったら、あとで兄妹の間で大もめにモメたのではないかと心配したものである。しかし老老介護という重たいテーマなのにささっと一気に読めたのは著者の巧まざるユーモアの精神がそこはかとなく感じられたせいではないだろうかと思った。

さて我が家のおかあさまといえば、下半身はいささかのトラブルがあるとはいえ上半身はいたって元気、頭の中も冴えわたっておいであそばすから、この調子ではヨメとシュウトメ、一体どちらが先にあの世に召されるのであろうか、とフト思ってみたりもするが、

良寛さまは“親死ね 子死ね 孫死ね”という言葉を残された。 親が死んだ後に子が死ぬ。そして孫が死ぬ。これが幸せな姿なのだよ、と教えられたのだそうだ。

であるとするなら、親の看病も介護も多少はさせていただいて、「はぁー、やっと逝ってくれたか、、」と安堵の胸をなでおろし、そののち「ではぼちぼち行くとするか、、、みんなありがとね、さよなら」と言って旅立つことができれば、それが一番の幸せではないかと思うこの頃である。

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なぎさのひとめぼれ

009 011 それは二月半ばの冷たい雨の降る日のことだった。私は近くの小学校でのある会合に出席すべく傘をさして出かけた。玄関のあたりでしばらくのあいだ連れを待っていると、背後から銀の鈴をふるようなうるわしい声がした。「お外は寒いですからどうぞ中にはいってお待ちください、、、。」

ハッとして振り向くとそこにはうら若い女性がにこやかに微笑んでいた。色白にしてふっくら、小首をかしげたさまは一幅の絵をみるごとくに美しい!(おぉ、こういう女性が五島にもいるのか、、、!)

家に帰った私は夫に言った。「……ああいう感じの良い人がうちの子のお嫁さんになってくれたらいいわね~。(なにしろうちには未婚のムスコが複数いる) でもうちみたいなガラガラで品のないうちには来てくれないよね~」

すると夫は意外にもこう言った。「そりゃわからんよ。“長者どんの娘もいうてみよ”というからなー」

へ?そんな格言だかことわざだかあったかなー?あったとするなら出典はずーっとまえ子供たちとテレビで見ていた『日本むかし話』だろうか。そういえば水呑み百姓のせがれが長者どんのお姫ィさまをゲットする話はいろいろあるよな。

さて数日たって、私はPTAの用事でしょっちゅう小学校へ出入りしているAさんにその女性のことを尋ねてみた。キーワードは「色白、ふっくら、声よし、笑顔よし」それだけ。

するとAさんは即座に言った。「それは○○先生でしょう」そして聴きもしないのに付け加えた。「残念ながら結婚してるのよね」

なぁ~んだ~。ふくらみかけた風船がしょぼんと空気が抜けていくぅ~。

まさかワタシったら華岡青洲のハハみたいに一人乗り込んでいって「おたくの娘さんをうちの息子の嫁にいただきたい」なんて言うつもりはなかっただろうねー。

で、そのハハはというと、息子が京都へ医家の修行で不在のあいだは嫁と仲良くしてるのだけれど、息子が帰ってくるとたちまち豹変してただの意地悪ばぁさんになってしまうんだよね。

ま、それにしてもほんとに素敵な笑顔のひとでした。たったの5秒ほどしかお顔を見ていないのに忘れがたい強烈な印象を受けたのだった。

けれどもおかあちゃんがひとめぼれしたところでどうにもならない世界であることは確かだ。たで食う虫も好きずき、TASTE DIFFERなんだよねー。

(さて写真は京都駅のケーキ屋さんで見たケーキたち。おのぼりさんは見るもの聞くものみな珍しく、なんでも写真にとりたがるのでした^^)

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栗原はるみさんて感心!

019 今をときめく料理家、栗原はるみさんの記事を読んだ。

“心地よく暮らすためにいつも大切にしていること”が書いてあった。

☆楽しみながら部屋を心地よくする。花は欠かさない。

☆残り物を上手に使う。冷蔵庫冷凍庫のチェックも忘れない。

☆夫を玄関で送り迎えする。

☆夫の好きなものを知っておく。

☆どんな時も機嫌良くいる。

☆家にいる時も身ぎれいにしておく。

正直に言ってしまうが、私はこのどれも×である。夫を玄関で送り迎えする、、、などは簡単なようで実は結構大変なことである。私はたいていそのへんで「いってらっしゃい」と言い、なかなか玄関まで行こうとしない。あ、帰ってきたみたい、と思ってもそのうちこちらへ来るのだから、その時「お帰りなさい」と言うつもりでいると、、、ン?なかなか来ないなぁー、というので急いで玄関に行ってみたらよそのおじさんが立っていた!ということもよくある。

どんな時にも機嫌良くいる、ということも実にむずかしい。なにかというとすぐにブーっとふくれる私

そうそう、こんな発言もありましたよ。「ものにすると決めた英会話は毎日30分勉強します」……ムムム

「私は急に人が来たときに家に上がって頂けないようではダメ、と決めています、どうせしなければならないなら家事は楽しく」……いつも片付いていないから「どうぞ」と言えないでおります

あぁしかし、はるみさんのような、美貌の女性に、夫として立てられ、かしずかれ、家の内外はいっつもセンスよく整えられ、しかもこのうえもなく美味しそうな料理を食べさせてもらって、栗原玲児さんて男冥利につきるだろうなぁ~~!それにひきかえうちの夫はヨメの貰い方がハズレだったかもねーお気の毒に・・・・・・

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これほしいィー買ってェー!!

Photo_2 子供の誰かから「おかあさんに何かプレゼントしたいけれど何がいい?」と言われてもこれといって欲しいものなどなくて「ウーン」と考えても出てこない。というのは物欲をはるかに超越してしまったから、ではなく、この小さな島で一年355日は半径10キロ未満圏内でウロウロしている分にはもう特別な物は要らないのである。(物は要らないけれど「母上どうぞ飛鳥に乗って世界一周の旅へ」などとお誘いがあったら「アリガト」と言ってそうさせて頂きます)

けれども新聞記事でこのおしゃべりするマスコットトイ「こけちぃ」を見た時はいっぺんで欲しくなって「これ欲しい買って~~!」と叫びたくなった。身長6センチちょっとのこのこけし風人形は、近くの机などトントンと叩けば音に反応しておしゃべりを始める。なんと2万通りのおしゃべりが可能で何を言い出すのかは予測不能だそうである。しかも突然にコテッとこけたり、手をパタパタと動かしたりするアクションも付いているのだそうだ。

例えば「こけちぃ、ケーキ大好き~、ダイエット無理~」と言ったかと思うとひっくり返り「起こして起こして」と手をバタバタ。起こしてあげると「おつかれさま~」なんて人ごとみたいなお礼を言うそうである。そしてだんだんと親しくなってくるとその可愛い笑顔に合わない爆弾発言もするらしい。「恋愛はお金よっ」とか「あの上司むかつく~」だとか。

おだんごちゃん、おかっぱちゃんなど3種類あってそれぞれキャラクターが違うのだそうである。一体につき1995円、3つで6千円てことね。この子たちを3人並べておいてそれぞれおしゃべりさせたらさぞかしましいことだろうなー。コテッと後ろにこけてみたりパタパタしたり、、、。「起こして起こして」とせがんだり。

わがままお嬢様キャラのこけちぃみたいに「これ欲しい~買って~3つとも買ってね~もうすぐマミィーお誕生日なんだよー」パタパタ…なんてやってたら「おっかさーん何はしゃいでるのー?」と言われそうだなー。

でも「なぎさー、もうご飯つくりたくなーい、つかれたー」コテッ パタパタなんて一度やってみたいわねー^^

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